八月一日

絵の具セットを全部ぶちまけたように不気味な曇り空はここ一週間粘着絶好継続中で

オキシライド電池で動き続けるハイテク電波時計でも見ないと今が昼かもわからない

でもそんな窓の外の風景など隣の住人の祖父の従妹の孫の初恋の人との想ひで程にどうでもよく

私はミハエル・シューマッハの如く瞬速で家事を終わらせお姉ちゃんとのおやつタイムの準備を開始した

今日のおやつはハーゲンダッツアーモンドプラリネクリーム味×24個

きっとぺろりと平らげてしまうだろう

拒食症のウツボカズラみたいに膨らんだビニール袋を手提げながら

お姉ちゃんの部屋のドア(ヘヴンズドアー)をノックする

こっ こっ

「お姉ちゃん、入るよ?」

と言って 優しく官能的にドアノブを捻った


ぎぃい きゅぃ


ドアが開く


あまりにもいつも通りなお姉ちゃんの部屋

もう何回見たかもわからない

漫画やぬいぐるみはクラスター爆弾を至近距離でぶちかましたように散乱して

その中でお姉ちゃんが子猫子犬子アザラシみたくごろごろしててああもう可愛いよう

「アイス持ってきたんだけど、食べる?」

わたしが限界ギリギリまで優しい声で質問すると

後ろを向きながらお姉ちゃんは返事をした


「クニア邀茣`イbイwア_コ忞浤ウア イ`イbイw」

「え」


外人が日本語聞くと機械音のように聞こえるとかいう嘘だかホントだか個人差だろソレって感じの

噂を耳にしたことはあるけど これははっきり言って人間の言葉じゃあない

呻き声や悲鳴でもない

よくわからない音だった

「どうしたのお姉ちゃん・・?」

もしも風邪とか熱とか腸チフスとかにでも掛かっていたらこの先の人生二度と笑顔を作る自信が

無いくらい落ち込むことになるので少し心配になる

そんな私の問いかけに

お姉ちゃんは振り向いた



しかしその顔は

お姉ちゃんではない

お姉ちゃんの顔には二つの大きな複眼と 額に小さな三つの単眼 

細長い口吻が伸びていて 頭に短い触角が見える


それはどこからどう見ても






セミのそれだった




「、ノ、ヲ、キ、ソ、ホ。ゥ」

セミはなにか言った




――――――

Q あなたの好きな人の顔が 別の人間のものに変わってしまいました

あなたはその人を愛す事ができるでしょうか



A お姉ちゃん可愛い(あと最近梓ちゃんもちょっと可愛い)


反吐が出過ぎて胃液不足からの消化不良になりそうな心理テストは勿論作品のテーマなどではなく

目の前のお姉ちゃんなのか何なのかよくわからない存在の前ではどうでもよくなるものだ

セミの顔を持つお姉ちゃん

病気?呪い?腸チフス?

ライトノベルでも出てきそうな魔法使いがある日突然平凡な日常をミックスジュース掻き混ぜに来た的設定は

100円玉でコイントスして平等院鳳凰堂の柄が出るくらい有り得ないので

これは私が勝手に夢か幻覚でも見てるんじゃないんだろうか

しばらく様子を見たが

目の前でこちらを凝視しているセミお姉ちゃんは先程から人間の言葉を一度も発することはない

こちらが話しかけても特に答えることもなく 気紛れに謎の音を出すだけだ

ハーゲンダッツは猫に小判大判金銀財宝ワンピースを与えたように無視され

ただの不味そうな液体と化していた

よりによって 私の大嫌いなセミの顔


なんだか気分が悪くなってきて

部屋を出て、水を飲もうと台所へ行く

ハイスピードかつ意味不明な超展開に 脳味噌がついていかないようだ

水を飲めば 心が落ち着く

水を飲もう

水を・・


きゅぃっ

コップを持ち蛇口を捻る



水は出てこない 

おかしい、と思った矢先

ばばばばちっ ばばちっ

と 激しい音が蛇口の奥から聞こえた

ばばちっ ばばばばばちっ


まるで 虫が翅を何かにぶつけているような

音が


反射的に蛇口を閉めようと手を伸ばす

しかしその瞬間


ぼとり

びぶ び ぶいぃぃいいいいいいいい!!!!



不気味な音と同時に

小さなセミが蛇口がから落ちてきた

片方の翅は千切れていて シンクに片翅を叩きつけながらぐるぐる回っている

毛の無い猿でも見たような生理的嫌悪感が私を襲撃した

ぼとり ぼとり

びびびっ ぶいぃいいい

二匹目 三匹目

セミは後を追うようにまだまだ出てくる



一匹翅の損傷が少ないラッキーボーイがいて 部屋のあちこちにぶつかりながら飛び出して行った

気持ち悪い 破滅的に気持ち悪い

宇宙創世から今現在までの全イベントアカシックレコード検索したって今ほどキモい出来事は無かっただろう

意味が理解できないが 蛇口を閉めなければ

きゅぃぃっ

と力を込めて閉めると 小さな抵抗を感じた

べきちっ ぎぃ

べとり

二枚の翅と千切れた半身が蛇口から垂れてくる




思考を持たない無機物でさえも気が狂うであろう状況下でも

私は水を飲めない




―――――


頭がおかしくなりそうだ

仕方なしに冷蔵庫に保存しておいたお姉ちゃん用濃縮還元果汁100%オレンジジュースを飲み干し

もう一度 セミお姉ちゃんの様子を見に行こうとしたところ

今度は電話が鳴った

ぷるるるるるる ぷるるるるるるる

四歳児が暇つぶしに口ずさみそうな単調且つつまらない着信音は耳触りだが

しかし他の人間と話せるという安心感と共に安物の受話器を耳にあてた

「もしもし、琴吹ですけど・・唯ちゃんいますか?」

よし 人間の言葉だ

おまけに知り合いからときた(コイツ嫌いだけど)

「あ、それが・・信じられないことなんですけど・・」


私は沢庵に

今日起きた異次元並に訳のわからない出来事について綿密に細密に確実に話した


「そう・・それは大変ね」

「ホント、頭がどうかなりそうで・・」

「うふふ」

え 何笑ってんの

「憂ちゃん、セミが苦手だものね」

確かに死ぬほど嫌いだけれど

「あんまり嫌いなものだから 昔 セミの幼虫を見る度潰してたもんね」

なんで

「あれ?それが気持ち悪いから嫌いになったのかしら?どっちが先?」

そんなことを知って・・

ぶっ ぷーぷーぷー

電話が切れた


―――――――




―――――――
お姉ちゃんは相変わらずのセミ頭でウンモ星人を遥かに上回る意思疎通の難易度に

流石の私も疲労困憊満身創痍でカラータイマー点滅状態

先程からなにかおかしいと思えば この家には

音が無い

カールマイヤーの如く耳障りなセミお姉ちゃんの出す音や電話の着信音は聞こえるものの

外を走る自動車の音窓を揺らす風の音そして何よりいつも喧しいセミの鳴き声が

皆無だった

人間音が無いと寂しくて寂しくて死んでしまう兎のような軟弱生物なので

iPodのお姉ちゃんフォルダを開いて寝言シリーズ③を選択する

これで気でも紛らわせよう  と 思ったのだが

音が出ない 

音量も充電も接触も十分確実絶対完全間違い無しに無問題なのに

私の鼓膜は真空状態の如くピクリとも揺れなかった

嫌な予感がして リビングのテレビを付けるが

やはりこれも付かない


お姉ちゃんの部屋の方から音が聞こえる

「フタ讀ホ貭、マソァノユ、ュ」

わからない

いくらお姉ちゃんの口から出た音でも 理解ができない

不安が全身の毛穴に入り込んできたようで とにかく落ち着かない

私は玄関のドアをブチ開けて外へ駆け出したが案の定人っ子一人いない

ビッグバン発動以前の宇宙みたくひたすら静かで空虚でカオスな空気

まるで悪夢だ

ホントに夢なのかもしれない

今流行りの明晰夢 こんなの何処がいいんだろう




―――――

私はひたすら 無音で薄暗い町中を走り回った

体力の限界まで ゲロ吐きそうになるまで走り回った 


誰もいない

この町には

いや この世界には 

私と お姉ちゃんの身体を持ったセミしかいないのだ

じゃあさっきの沢庵からの電話は?

知った風な口を聞くあの女はこの町にいるの?

ういー あいすー  ういー あいすー

携帯の着信音が鳴った

久々に聞いた「音」だ


「もしもし、憂ちゃん?」

「紬さん・・」

「あのね、

「何か知ってるんですか?私、頭おかしくなりそうなんですけど」

「実はね、琴吹グループの作った新薬が流出して 町中に避難勧告が出てるのよ」

は?

「何故だか憂ちゃん達には伝わって無かったみたいだけど・・」

「新薬?流出?何が・・?じゃあお姉ちゃんはどう説明するんですか?」

「わからない?」

「・・・・」

「だから、人をセミにしちゃうお薬だったの。憂ちゃんは抗体でも持ってたのかもね」

意味がわからない

バイオハザード?何 ゲームの世界にいるわけ?

「蛇口のセミだって、きっと誰かの悪戯よ」

「じゃあお前がお姉ちゃんセミにしたの?あ?早く戻せよ」

「明日には戻ってるわよ」

「え」

「明日には全部戻ってるわよ。その程度のお薬だもの」

なんだ全部謎の新薬が原因のドッキリお騒がせ夏休み特別企画良い子は見ちゃダメホラースペシャルだったのか

あーぁくだらないくだらない

もう家に帰って寝よう

お姉ちゃん明日には元通りになっててね

私は自室の電気を消して目を閉じた



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