見ると、唯先輩は、何も書かれていないアイスの棒をジッと見つめて押し黙っていた。
 その顔からは何も読み取れない。見たことの無い表情だった。

「どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」

「えっ? あずにゃん、何か言った?」

「あ、その。ハズレの棒なんかじっと見て何してるのかなぁ、って」

「……うん。ちょっとね」

 そう言って唯先輩は、窓の外の明かりに透かすようにして、棒を掲げた。
 表情が変わり、唯先輩の口元がニヤリと持ち上がる。
 えっ、と驚く。
 またしても見たこと無い表情だったが、今度のそれは、ちょっと……その、気味が悪かった。
 私は内心、不思議なほどに驚いた。
 今の……なに?

「唯先輩……? お、思い出し笑いですか?」

「へっ? 私、笑ってた?」

「はい。なんかこう、ニヤっとしてました」

「そうなんだ。あんまり楽しい思い出でもないんだけどなぁ」

「思い出? やっぱり思い出し笑い、ですか?」

「思い出し笑いじゃないけどね。ちょっと昔の事思い出しちゃって」

 またそれっきり、唯先輩は黙ってしまった。
 気になる。すごく気になる。けれど、果たしてそれを聞いてもいいのだろうか。
 私が考えあぐねていると、

「どうした、唯?」

 引きつった苦笑を浮かべた律先輩が、食いついてきた。
 いや、というより、背後の澪先輩とムギ先輩を見るに、藁をも掴む想いで唯先輩に助けを求めてきた感じだった。
 そうとういじられたな。まあ、どうでもいいけど。

「あ、りっちゃん。どうしたの?」

「いや、珍しく唯が神妙な顔してたから。ちょっと気になって」

 嘘つけです。
 ついさっきまで、神妙な顔をした澪先輩の告白(寸前)に口をパクパクしてたくせに。どこに唯先輩を気にする余裕があるんだか。
 とは言え、唯先輩の妙な様子は私も気になるところだし、渡りに船とはこのことかもしれない。
 グッジョブです、律先輩。

「ちょっと昔のこと思い出してたんだ」

「アイス絡みでか?」

「まあ、アイスっていうより……アイスの棒かな」

「アイスの棒で?」

 何が気になったのか、ムギ先輩も輪に混ざってきた。ちょっと、澪先輩は放置ですか。

「うん。昔、皆もやったんじゃないかな? ほら、アイスの棒に名前書いてさ」

 また唯先輩がはにかんだ。

「クジか? なんだよ、唯まで私をいじめるのかー?」

「えっ、違うよ」

「じゃあ、何だよ」

「りっちゃんも小さい頃やらなかった? お墓遊び」

 また唯先輩がはにかんだ。
 瞬間、唯先輩以外の全員が固まった。
 みんな、えっ? という文字を顔に書いて驚いていた。

「唯、今何て言ったんだ?」

「お墓遊びだよ。死んだ生き物の名前をアイスの棒に書いて、お墓作るの。皆もやったよね?」

 思わず、先輩と顔を見合わせた。

「私、アレ大好きだったんだー。小さい頃は毎日毎日、お墓作って遊んでたなあ」

「唯ちゃん? 何なの、そのお墓遊びって。アイスの棒に名前を書いてお墓を作るの? 意味がわからないわ、お墓は石で作るものでしょ?」

「やだなぁムギちゃん。子供の遊びだよ。アイスの棒をお墓の石に見立ててね、それで小さなお墓を作るだけだよ」

「えっ……それ……遊びなの?」

 ムギ先輩の疑問も尤もだと思う一方で私は、禁じられた遊び、という古い映画を思い出していた。
 生き物の死、というものがよくわかっていない幼少期にやる、少し残酷な遊戯。
 まさか、この年になって再びそれを思い出すなんて。
 部室に、奇妙な空気が漂い始めた。

 あっけらかんとした顔で、子供の頃のおぞましい行為をムギ先輩に説明する唯先輩。
 それを何とも言えない表情で聞き入るムギ先輩。
 どうフォローしていいのか……いや、そもそもフォローをする必要があるのかわからないといった感じの律先輩。
 先ほどまで紅潮させていた顔を真っ青にして怯える澪先輩。
 そして、ただただ呆然とする私。
 無邪気な人だとは思っていたが、いざ『お墓遊び』などという不穏な単語をその口から聞くと、何だか印象が変わるものだ。
 そういえば、私はどうだっただろう。小さい頃、私もそういう遊びをしていたのだろうか。

 古い記憶を辿ってみても、唯先輩の話に合致する思い出は一つもなかった。

「色々埋めたっけ……アリでしょ、トンボに、セミ、あと、カブトムシなんかもお墓作ったよ」

「な、なあ唯、思い出話はその辺にして、そろそろ練習にしないか?」

「えっ? あ、うん、そうだね。実はこの話、あんまり良い思い出じゃないんだ、あはは」

 その割には随分と口元が緩んでいた気がする。
 まだ続きがあるのだろうか。聞きたいような聞きたくないような。

「ごめんなさい、唯ちゃん」

「へっ? どうしてムギちゃんが謝るの?」

「あ、その……嫌な事思い出させちゃったでしょ?」

「別に気にすることないよー。ただの小さい頃の思い出だし」

「そう……? それならいいのだけれど」

「ねえムギちゃん。帰りに、ガリガリ君もう一本もらってもいい?」

「もちろんよ。好きなだけもらっていって。そうだわ、憂ちゃんの分も是非」

「ありがとう。憂もアイス好きだから、きっと喜ぶよー」

「はいはい、それじゃあ練習始めるぞー……ほら、澪も」

「お墓……お墓……お墓……ううっ……」

「ダメだこりゃ」

 なんだか本当に妙な空気だった。

 ……。
 ……。
 ……。


 夏の暑さは鳴りを潜めるどころか、日を追うごとに酷くなっていった。
 部室の外から聞こえてくる運動部の掛け声も、流石に元気が無くなっている。この暑さじゃ仕方ない。
 現に、ここの所、HTTの活動はアイスを食べる事がメインになりつつあるのだから。

「先輩、練習しましょうよ、練習。そんな毎日アイスばっかり食べたら、夏バテになっちゃいますよ」

「梓だって演奏中、あずきバーくわえてんじゃん」

「うっ……」

「あぢぃ……こうも暑いとやる気が」

「こら律」

「なに?」

「暑いな」

「そうだな」

 夕方を過ぎてようやく陽射しが弱まった頃、私達は学校をあとにする。
 焼け付いたアスファルトから熱気は立ち上ってはいるものの、青空が見える時間帯よりは幾分ましだった。

 そんな暑い夏の日、クラスメートの一人が体育の授業中に具合を悪くした。
 すぐさま担当の先生がその子を木陰に連れて行き介抱した。
 すると、それを見ていた何人かの子達が、同じように気分が悪いという理由で先生の元へ行き、それから木陰へと向かった。

「なにあの子達、ずるーい! 絶対に仮病だよ!」

「この暑さじゃ仕方ないよ。正直のところ、純も羨ましいんじゃないの?」

「あ、バレました?」

「まったく」

「でもこの暑さじゃ仕方ないよ。梓ちゃんも羨ましかったりして」

「わ、私は別に……むぅ」

 放課後アイスを貪る私には、純を責める権利も、憂に反論する権利もなかった。
 何気なく、木陰の女子の群れを見た。地面から昇る陽炎越しに、一箇所に固まっている姿が見える。
 なにも、離れて涼めばいいものを……と、半ば呆れながら眺めていると、次第に遠くからザワザワとした落ち着かない雰囲気が漂ってきた。
 最初、木陰に入った子達が涼しさに情けない声を上げているのかと思ったのだけど、どうやらそうではないらしい。
 なにやら様子がおかしかった。

「ねえ、何か向こう騒がしくない?」

「えっ? あ、ホントだ」

「どうしたんだろうね」

 ゆっくりと外周を走りながら徐々に木陰に近づくにつれ、そのざわめきが大きくなっていった。

 突然、悲鳴が上がった。
 木陰から一斉に女子の群れが離れていく。転んで、半泣きになっている子もいた。
 皆、悲鳴を上げながらこっちへ走ってきた。

「えっ、なになに!? どうしたの、いったい」

「わ、わかんないよ。とりあえず、行ってみよう」

 異変に気付いた先生がいち早く駆けていく。
 私達はその後を追った。
 私達と同様にきちんと体育に参加していた他のクラスメートも、ゾロゾロと後に続いた。

「ねえねえ、どうしたの、何があったの?」

「あ、あ、あれ見てよ!」

「あれって?」

 仮病組の一人が顔を真っ青にして、両肩を抱いて震えている。
 先生にわけを話しているらしい女子が、木陰の方を指差して蒼白な顔で何やら説明しているのが見えた。

「……ううっぅ、思い出しただけで気持ち悪い……」

「だ、大丈夫!? 保健室行く?」

 逃げ帰ってきた一人が憂にもたれかかって、両手で口を押さえていた。
 何があったというのだろう。すごく気になる。同時に嫌な予感もするのだけれど、好奇心の方が勝っていた。

「……あ、梓? ち、ちょっとどこ行くの」

 気がつくと、私はまっすぐ木陰に向かって歩いていた。

「私、ちょっと見てくる。純は憂と一緒にその子の面倒見てあげてて」

「あ、待ってよ梓、私も行くー」

「おい」

「梓だけずるいじゃん」

 まあ、ごもっともだ。
 私達の意図を察した憂が、心配を兼ねて抗議の声を上げたが、無視した。

「ちょっと梓ちゃん! じ、純ちゃんも! だ、ダメだよ、危ないよ」

「憂はそこにいなよ。憂までついてきたら、その子の面倒見る人いなくなっちゃうでしょ」

「ふ、二人とも……。あ、その、ごめんね、後で保健室に連れて行ってあげるから、ちょっと待ってて!」

 余程、置いていかれるのが嫌だったのか、青ざめた顔でうずくまるクラスメートを残し、憂が駆け足でやってきた。
 結局、三人一緒に木陰を目指した。

 ……。

 で、すぐに騒動の原因を見つけた。

「ぎゃああぁっ!! き、キモッ! なにこれ!?」

 純が大声を上げた。憂が小さな悲鳴をあげた。私は息を飲んだ。
 無理もなかった。
 木陰を作っている木の根本に、びっしりとセミの死骸があったのだから。

「ひいいっ!! わ、私、無理っ!! もう無理っ!!」

「じゅ、純ちゃん!?」

「早くここから離れよう! ヤバイってこれは……」

「そ、そうだね……気持ち悪いね」

「ほら、梓も早く……って、梓? ち、ちょっと!」

 確かに気味の悪い光景だったが、それ以上に私はあるモノに心を奪われていた。
 死骸は地面に置かれているようだったが、よく見ると、ほとんどが地面に埋まっている。
 そして、

「……嘘。なにこれ」

「梓ってば! 何やってんの、早く行こうって!! ま、まさか、それに触るつもりじゃないよね!?」

「ちょっと黙ってて純」

 額から流れる汗が止まらなかった。全身の毛穴が一斉に開いていくような感覚がする。
 目をこすってもう一度よく見た。


『セミー太の墓』


 黒の字でそう書かれたアイスの棒が、セミの死骸の山に刺さっていた。

「あ、梓!? ちょっと、大丈夫!?」

 眩暈がした。
 口の中にひんやりと涼しいソーダの味が広がり、数日前の唯先輩の話を思い出した。

 ……。
 ……。
 ……。

 誰かのたちの悪い悪戯、という先生達の結論では好奇心旺盛な女子高生の心を満足させる事はできなかった。

「絶対何かの呪いだって、アレ。その場にいた子の中に、変な痣が体に浮かび上がってきたって言う子もいるみたいだし」

「えーっ、なにそれ、マジ怖くない? あっ、そういえば、あの木ってさぁ――」

 あること無い事、尾ひれが付いた噂はどんどん広がっていった。
 妖しげな悪魔召喚の儀式だとか、恋愛成就のオマジナイだとか、オカルト研の研究の一環だとか、一個人の恨みによる犯行、等など。
 しかし、私は知っているのだ。
 事の真相を。
 アレは間違いなく、唯先輩の仕業だということを。
 けれど、それを口にすることはできなかった。
 その理由は言うまでもない。

「憂? どうしたの、具合でも悪いの?」

「えっ? ううん、大丈夫だよ」

「そう? ならいいけどさ。それにしても、みんな、やっぱり怖い噂が好きなんだねぇ。今日なんか、もう5回は聞いてるよ、例のセミの話」

「そうだね」

「噂話聞くくらいならまだいいけどね。私なんか、部活の練習中にあの光景思い出しちゃってさ……ううぅっ、気持ち悪い」

 そして、憂も見たはずだ。
 独特のネーミングセンスで記された、あのアイス棒の墓を。


『お墓遊びだよ。死んだ生き物の名前をアイスの棒に書いて、お墓作るの。皆もやったよね?』


 唯先輩でさえ覚えている事が、憂の思い出から漏れているはずがなかった。
 きっと憂はあの悪戯の犯人が唯先輩だと考えているに違いない。
 そして、私と同じくそれを公言できないでいる。
 だって、言えるわけないじゃん。部活の先輩があんな気味の悪い事をしただなんて。

 ……。

 ところが、何とも都合の悪い事に、悪戯の対象はセミだけでは終わらなかった。

「きゃあああぁっ!!」

 今度は一年生が部活中に、学校の植え込みに大量のトンボの死骸を見つけたのだった。
 そしてやはり、それを聞きつけて現場に向かってみると、


『ボー太の墓』


 またアイスの棒。墓に見立てたアイスの棒が死骸の真ん中に刺してあった。
 また噂が尾ひれをつけて学校を飛び回る。

「今度はトンボだってさ」

「知ってる。っていうか一緒に見に行ったじゃん」

「そうだっけ」

 憂をチラリと見ると、複雑そうな顔で俯いていた。純の目にはそれが、ただ単純に不安に怯えている姿として映ったらしく、

「大丈夫だって、憂、そんなに心配する事無いって。どこかの馬鹿か、JK驚かして興奮してる変態の仕業だから。呪いとかじゃないよ」

「むしろ呪いよりそっちの方が十分怖いんだけど」

「そう?」

「そうだよ。憂もさ……あ、あんまり気にしないほうがいいよ」

「梓ちゃん?」

 憂が顔を上げてこちらをジッと私を見つめた。
 吸い込まれそうになる、鈍い琥珀色の虹彩。大きく開いた瞳孔。
 不謹慎にも、その表情に少しドキッとした。

「憂はもう少し肩の力、抜いた方が良いよ」

 いや、これは恋愛感情からくるアレとは違う……多分。自信ないけど。

「……ありがとう、梓ちゃん」

 なんてね。何考えてるのよ私。
 惚けた呑気な考えを捨てる。
 ひょっとしたら、憂は、私が事の真相に気付いている事に気付いたのかもしれない。
 私はどうするべきなんだろう。

 ……。
 ……。
 ……。


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