「大丈夫ですか、中野さん?」

「……だいじょうぶ、です。それより、ちょっと聞いてもいいですか、憂? じゃなかった、先輩」

「はい?」

「純にどんな相談を受けて、どんなマジナイを教えたんですか?」

「鈴木さんには、友達を元気にしつつ且つ、その友達を傷つけないように平沢さんとの仲を打ち明けたい、と相談されました」

「……そうなんですか」

「その友達というのは中野さん、貴女のことですよ」

「ええ、知ってます」

「鈴木さんは貴女が平沢さんに好意を抱いている事をご存知のようでした。優しい方ですね」

「ええ、そうかもしれませんね……」

 鼻血と吐瀉物が同時に出そうになった。視界が明滅して、目の前の緑がかった髪の先輩が反転した。
 気持ち悪いけど、吐いたら唯先輩に迷惑かけちゃうな。我慢よ、梓!

「私は鈴木さんの相談に、だったら是非と、ドッペルゲンガーのオマジナイを教えました」

「どんな内容なんですか?」

「ドッペルゲンガーを呼び出せば、傷つけずに済むでしょう? 一人の人間を二つに分けるようなものですから」

「はあ」

「ケーキを欲しがる子供が二人いたら、二つのケーキをそれぞれ与えてあげれば、物事は穏便に済むのですよ」

「……そんなあっけらかんと言われましても。第一、ドッペルゲンガーは遭遇したら死ぬんじゃないんですか?」

「それは迷信です」

 オカルトに迷信もクソもあるか。よくわからない世界だが、とりわけ理解したくも無い。

「しかも、オマジナイは中野さんに教えたものより簡単です。ドッペルゲンガーは本当に存在する、と誰かが心の底から信じればいいのです」

「へえ」

「鈴木さんはとても乗り気でした。しかし、彼女はそのオカルトを信じたわけではありませんでした」

 まあ、あの純ですから。

「ドッペルゲンガーの存在を信じ込ませる手段を、あれこれ画策することだけに夢中になったようです」

「……」

「中野さん、よく騙されやすいって人から言われる方ですか?」

「……余計なお世話です。まあ、でも、実際その通りなんだと思います」

「ええ、だから私は貴女を尊敬します。二つものオカルトをその身で実現したのですから」

 またわけ分からない事を言い出した。思わず、肩に背負ったムッタンで引導を渡してあげそうになった。
 いや……やめよう。二人も人を殺して、流石に隠しきれる自信は無い。

「心配しないで。貴女の恋はもうすぐ成就します」

「はあ……そうですかねえ」

「……実際、ドッペルゲンガーは現れたでしょ? だから、貴女の望んだオカルトも」

「……えっ? ……は、はあ?」

「どうかしましたか、中野さん?」

「……あの……ええっ? 私の望んだオカルト? 何のことですか」

 オカルトとか、ドッペルゲンガーとかこの人は何を喋ってるのだろう。
 わけがわからない。たしかに、私はオカルトとかその手の話は結構好きだけれど、今それが何の関係があるの。
 というか、この人は一体誰なんだ? 私の知ってる顔で無いことは確かなのだけれど、なぜここで二人で話をしているのかわからない。

「中野さん?」

 私の名前は中野梓です。
 目の前の人物は私を知っているようだったが、何とも気味が悪い。いや、たしかに気味が悪いけど、不思議と不安は無い。
 これが妄想だからだろうか。いや、これは現実だ。そうなのだと、A型の血とB型の血が言っている気がする。

「中野さん? どうしたんですか、ボーッとして」

「……んぁっ……んんっ……」

「……なかのさん?」

「……んっ……は、はい。なんでしょう」

「あずさちゃん?」

「えっ……いや、あなたは先輩じゃないんですか?」

 床がなくなった。床下からはただひたすら真っ暗闇の空間が広がっていて、緑髪の女は底に落ちていった気がした。
 ひょっとして、今落ちて行ったのは憂? いやまさか、あれはオカルト研の先輩だ。
 途端に視界が真っ白になった。
 次第に遠くの方に憂の悲鳴と唯先輩の悲鳴が聞こえた。私は唯先輩を探しに、居間を後にした。
 走る。人様の家を縦横無尽に駆け巡る。バタバタと覚束ない足取りで、あちこちに体をぶつけながら。
 階段を上って、私の自室に駆け込むと、そこでは複数の憂が裸でベッドに腰掛けて笑っていた。

『梓ちゃん、来て』

「憂、大変だよ、憂がっ! 憂がっ! じゃなかった、唯先輩? あれ、唯先輩は?」

『うふふ、何言ってるの梓ちゃん。私はここにいるじゃない』

「あんたは憂でしょ! まあ、いいや。ねえ、憂!? えっ、なんでいっぱいいるの?」

 目をこすってみると、憂は一人だった。服はちゃんと着ている。なんだ、また現実に頭が侵食されていたのか。
 いけない。いけない。
 オカルト研の先輩に、淫らな妄想を現実するように言われてからというもの、私はたまにその判別が付かなくなる事がある。
 電話でそのことを相談すると、それは良い傾向ですと言われた。
 その調子です、一緒に頑張りましょう。無理しちゃダメですよ。
 とも言われた。
 頑張るも何も、これは私の望んだことらしいので、現状維持が最善の選択なのではないか?

『梓ちゃん』

「憂。どうしたの? あっ、また私をドッペルゲンガーで誘惑しようとしてるんでしょ」

『ち、違うよ……! そんな、誘惑だなんて……恥ずかしいよ』

「恥ずかしがってる憂もかわいい」

『えっ? もう、梓ちゃんたら……好き』

「かわいいなぁもうっ……! はんそく、反則だよその顔!」

 私は憂に覆いかぶさるようにして、ベッドに飛び込んだ。
 ベッドに仰向けになった。
 隣に憂はいなくて、代わりに真っ白い服を着たお医者さんらしき人と、看護婦……今は看護士さんって言わないといけないんだっけ? がいた。
 と思ったらそれは憂だ。憂が二人して私をベッドに固定しようとしている。
 腕と足首にがっちりと皮製のベルトを巻かれた。ひょっとして……SMってやつ?
 思考が止まった。

「やめてっ、触らないでっ!!」

『落ち着きなさい、大丈夫だから、』

「触るなっ!! ちょ、唯先輩、助けてっ! うい、憂ーっ!!」

『……』

「やめろ、お願い、やめて憂、やめてやめてやめてやめてやめ――」


 ……。
 ……。
 ……。
 ……。
 ……。
 ……。

 すっかり寒くなった。
 待合室の液晶モニターの中では気象予報士が、今週中には初雪が観測されるなどと言っている。
 そっか、もう冬だもんね。

「あずにゃんの病室って何号室だっけ?」

「ええっ、さっき教えてもらったばかりだよお姉ちゃん!? もう、しょうがないなぁ」

「でへへ、ごめんごめん」

 紬さんが来るまでの間、私とお姉ちゃんは手持ち無沙汰に待合室のテレビを漫然と眺めていた。面白いものは無かったけれど、仕方ない。
 周りを見てもお年寄りの人や、ゴホゴホいってるマスク姿の人ばかりで、見てるとなんだか気持ちが沈んでしまう。

 しばらくして、紬さんが大きなメロンを抱えて現れた。その場のそぐわなさに、待合室にいた全員の注目を浴びたのだけれど、本人は気にしていないみたいだ。

「ごめんなさい、電車が混んでて」

「平気だよー。わぁ、ムギちゃん、そのメロン大きいねー。憂のおっぱいみたい」

「ちょっとお姉ちゃん!」

 顔から火が出そうな恥ずかしさだ。紬さんは、うふふうふふ笑ってるし。

「そ、そんなことより、早く梓ちゃんのお見舞いに行こうよ」

「そうだね。ねえ、憂」

「え、なあに?」

「あずにゃんの病室って何号室だっけ?」

「もう、お姉ちゃん!」

 ……。

 エレベーターを降りてすぐの病室に、『中野梓 様』と書かれたプレートを見つけた。

「やっほー、あずにゃーん!」

「お見舞いに来たの~。これ、つまらないものだけど」

 2人に続き、私も病室へと歩を進めた。が、途中で足が止まってしまう。
 中野梓ちゃん。
 2ヶ月ほど前、私の家で急に倒れ、そのまま病院に運ばれてしまった女の子。

「あ……もう、また来たの?」

「だって、あずにゃん分を吸収しないと、練習に力が入らないんだもん!」

「わっ、ちょっとやめてやめて……!」

「私も梓ちゃん分摂取させて~」

「もうっ……ちょっとくすぐったいってば……」

「それそれぇ~」

「もう、いい加減にしないと怒るよ、憂! 私、一応病人なんだからね」

 病名不明。原因不明。
 梓ちゃんのお母さんの話では、心の病気らしいが、私は違うと考えている。

「ほら、そっちの憂も腋触らない! ……ひゃっ! ちょ、ちょっとどこ触ってるのよ憂!」

「ほうほう、やはり病院食ではここを育てる栄養素が足りないみたいだね」

「あら、唯ちゃん、梓ちゃんのはもともとこれくらい小さかったわよ?」

「こらーっ、うーいー!」

 ……。

 3回目のお見舞いを済ませ、待合室に戻った。

「梓ちゃん、やっぱりまだ治って無いみたいね」

「ムギちゃん、心の病気はそんな簡単に治るものじゃないんだよ」

「そ、そうね……」

「でもさ、あずにゃんの目には皆が憂に見えるんだよね? なんか、いいなぁー」

「唯ちゃん……すっごく不謹慎よ」

「でへへ、すいやせん」

「……お姉ちゃん、この後どうするの? 澪さんのお見舞いもいく?」

「そうだね。ああ、でもムギちゃんのメロンもう無いね」

「ごめんなさい、澪ちゃんにはメロンはいらないと思って持ってこなかったの」

「どうして?」

「……それはね、唯ちゃん。澪ちゃんはもうすでに二つの大きなメロンを持ってるからよ!」

「紬さん……セクハラですよ」

 どうしようもない年上二人の下品なネタに辟易した。
 でも、二人とも一生懸命私を慰めようとしてるのかな。それとも、自分自身に対する喝なのかもしれない。
 なんだか、明るい二人の姿を見ていると逆に切なくなってしまう。
 おかしいな、涙が出そうだよ。

「それじゃあ、行きましょうか。澪ちゃん、また良い詞書いてくれたらいいわね」

「うん! そしたらまた曲作ってくれる、ムギちゃん?」

「ええ、もちろんよ!」

「やったーっ! 私もギー太と練習頑張らなくちゃ!」

 切なくて、どうしようもなかった。

「……あら、憂ちゃん?」

「憂? どうしたの……?」

 涙が堪えられなかった。

「な、なんでもないよ……ごめんね、平気だから」

「……大丈夫よ、憂ちゃん。梓ちゃんはきっと必ず良くなるから。ううん、絶対に良くなるわ!」

「ムギちゃんの言うとおりだよ。それに純ちゃんだって、そのうちひょっこり帰ってくるって」

「心配しないで、憂ちゃん。ほら、これで涙を拭いて」

 ぼやけた視界に、紬さんが手渡してくれたシルクのハンカチが映った。
 涙を拭い、謝罪の言葉を口にする。
 けれど、私は何となくわかっていたからこそ、涙を止める事ができなかった。
 梓ちゃんはもう、元の梓ちゃんには戻らないし、純ちゃんは帰ってこない。

「ありがとうございます、紬さん。お姉ちゃんもありがとう……」

 やな子だな、私。
 待合室の向こうの窓を見る。
 どうやら、灰色の空からぽつぽつと雪が降ってきているようだった。





 Fin.