「あの、それで、受け取りについてなんですけど……今日、これから伺ってもいいですか?」

『ええっ!? 今から? うーん……憂の目も誤魔化さないといけないし、難しいよ』

「そこを何とかなりませんか?」

『うーん……っていうか、そんな今すぐ必要なの? どうして?』

「……我慢できないから、ではダメでしょうか?」

『……困った子だね、あずにゃんは。とんだ変態さんだ』

 もう何とでも言うがいいさ。毒食らわばなんとやらだ。

「ダメですか?」

『……いいよ。可愛い後輩の頼みだもんね。用意してあげるから、家までおいでよ……あ、夜道には気をつけてね』

「ありがとうございます、唯先輩!」

 私は唯先輩への感謝の念で、思わず泣きそうになった。
 電話を切り、自室に戻る。ベッドの上では憂が所在無げに佇んでいた。

「これから唯先輩の家に行ってくる」

「お姉ちゃん、何か言ってた?」

 うん、と頷く。さて、ここからが問題なのだが上手くいくだろうか。
 私はこれから憂に嘘をつかなくてはならない。嘘というのも憚られるような、始終、事実無根のでまかせを。


「私達のことは認めてくれるってさ」

「本当!?」

「うん。ただし、条件があるって」

「条件?」

「そう。これから一週間、憂は私の家から出ちゃダメ」

「……えっ? どういうこと?」

「だから、私の家に泊まっている間、一歩も外に出ちゃいけないって事。当然、登校もだめ」

「な、えっ、どうして? どうしてお姉ちゃんがそんなことを? 理由がわからないよ」

「憂断ちをね、するんだってさ」

「……私を断つ?」

「ほら、唯先輩って憂にべったりな所あるじゃん。だから、それを我慢して改めて私達の仲を認める為に、一週間憂を断つんだって」

「そ、そんな無理だよ! だって、お姉ちゃん一人じゃご飯もまともに作れないんだよ? 朝だって目覚ましじゃ中々起きれないし、それに――」

 私の嘘八百に憂が当然の反論をした。
 しかし、それは飽くまで杞憂でしかない。なぜなら、本物の憂は今も平沢家にいて、それを知らないのはこの目の前の憂だけなのだから。
 つまるところ、憂さえここから出なければ何一つ日常は変わらないのだ。むしろ、大人しくしていてもらわないと非常に困る。命にかかわるかもしれない。
 だから、私は嘘をついた。

「憂がそうやって甘やかすからダメなんだよ」

「で、でも……心配だよ」

「大丈夫だって。今時高校生3年生が、一人でご飯も作れないようじゃやっていけないよ? 憂だって本当はそう思ってるんじゃないの」

「それは……で、でも。たとえ、お姉ちゃんの事は大丈夫だとしても、学校に行かないなんてダメだよ!」

「大丈夫だよ」

 憂はきちんと登校するよ。だからこそ、この憂を学校に行かせてはダメなんだ。

「出席のことなら心配しなくていいよ。さわ子先生に協力してもらって、誤魔化すから」

「もっとダメだよ!」

 流石に苦しい言い訳だが、ここで引き下がるわけには行かない。ここは少し卑怯な手ではあるけれど、憂の優しくて甲斐甲斐しい性格を利用させてもらう。
 私の良心なんて、憂の命に比べたらクソくらえだ。

「……憂は私と一緒にいたくないの? 私は憂のことこんなに想って、勇気を出して唯先輩に私の憂に対する気持ちを報告したのに」

「えっ……そ、そんなことないよ。私も、梓ちゃんと一緒にいたいよ……でも」

「……ふーん」

「あ、梓ちゃん……」

「私が大丈夫、って言ってもやっぱり信じてもらえないか。そりゃそうか」

「そんなことないよ、梓ちゃんの事信じてるし、頼りにしてるよ!」

「じゃあ、いいじゃん。一週間って言っても、明後日までは休日なんだし、実質5日間だよ? その間、私が帰ってくるまで音楽でもネットでも好きな事してていいんだよ?」

「……う、うん」

「ねえお願い……憂」

「……わかったよ」

 厳しいごり押しの末、ようやく憂はこの提案に頷いてくれた。心が痛すぎて泣きそうになるも、ギリギリの理性で涙腺を押さえた。
 俯いて眉を八の字に描いている憂。心の中で言い訳する気もわかない。

「ありがとう憂」

「うん」

「それじゃあ、私、早速、唯先輩の家に行って伝えてくるね。服も取ってくるよ」

「あっ……ちょっと待って」

「なに? 何か他に取ってきて欲しいものとかあった?」

「ううん、そうじゃなくて……私からも一つ、条件出していい?」

 えっ。顔を上げた憂からは灰色の雲のような表情は消え、代わりにほんのりと頬が色づいていた。
 どうやら照れているらしく、ものすごく可愛い。
 どれくらい可愛いかというと、抱きしめてキスしたいくらいであるからして、これはもうヤバい。喉の奥から手の代わりに愛液が出そう。
 まあ、比喩だけど。

「学校に行かないと、その、日中、梓ちゃんに会えないでしょ? だから、その、寂しくならないように……して、ほしいな」

「へ? なにを?」

「……い、いってきますの……キス」

 私はその台詞を聞き返すことなく、フェードアウトした。

 気がつくと、父に車で唯先輩の家に送ってもらって憂の服を受け取っていた。
 帰り際、二階からドアの開く音がして慌てて唯先輩と外に出たと記憶している。

「あぶなかったー。憂にバレたら起こられちゃうよ。憂、ああ見えても怒ると怖いんだよ!」

 そうなんですか、という私の気の無い返事は、魅惑のブツを手に入れて心ここにあらず、という具合に解釈されたらしい。
 唯先輩がムギ先輩を思わせる、うふふ笑いを浮かべていた。
 お礼を述べてそそくさと退散。
 家に着くまでの車中、父が感慨深げに、梓ももうそんな歳か、とまた呟いていた。

 着替えも手に入ったという事で、憂と一緒に風呂に入ることになった。恋人になっていきなりそれは大胆、というなかれ。
 これは飽くまで友人同士のスキンシップに肩を並べる、女子高生なら当たり前のごく普通のイベントだ。
 まあ、私の動悸と血走った目は、友人同士のそれとはかけ離れていたのだけれど。

「梓ちゃん……恥ずかしいよ」

「あ、ごめん」

「うん……」

「ねえ、憂。さっきのことだけどさ」

「さっきのことって?」

「だから、学校行く前に毎日キスするって話」

「……う、うん」

「私もそれには大賛成なんだけどさ……その、始めの一回はちゃんとしたいなっていうかさ」

「始めの一回……?」

「うん。始めの一回。つまり、ファーストキスってこと」

 カポーンという小気味よい音はなく、ただ気まずい空気が浴室に流れた。

「……そう、だね。私もそう思う……」

「だよね……」

「うん……」

「……」

「……」

「……する?」

「えっ、いま?」

「うん。なんか、タイミング的に今じゃないと出来ないって言うか」

「う、うん……そうだね。後で改まって、だと言えない気がするね」

「うん……ファーストキスがお風呂場だなんて、なんかちょっと変だね」

「そうだね……」

 じゃあ、とどちらからともなく近づき、互いに正面を見つめた。風呂のせいなのか、上気した憂の顔が妙に赤く色づいていて恐ろしいほど可愛く見えた。
 憂からはどう見えているのだろう。同じように、私の顔も真っ赤なのかな。顔が熱くてよくわからない。
 憂が静かに目を閉じた。私も覚悟を決める。

「……んっ」

 唇に柔らかくて温かい感触があった。体は浴槽に浸かって十分に温まったはずなのに、憂の唇はより熱く感じられた。
 私は完全に目を閉じず、薄めで見ていたが憂はギュッと目を瞑ってプルプルと震えている。
 そっと腕をまわして、体を寄せた。

「んんっ……ぁ」

 一度唇を離し、お互いを見つめた。吐息が熱い。
 ポーっとした表情の憂。目がトロンとなっていて、ここが風呂なのだという事を忘れるくらい淫靡な顔だ。
 魅力的とも言う。その魅力に惹かれ、私達はもう一度唇を重ねた。

「んぁ……あ……あずさちゃん……っ!」

 想像以上に憂の唇は柔らかくて、背中にまわされた力は予想以上に強くて、一瞬でのぼせそうになった。
 っていうか、のぼせた。視界が白濁して、憂の悲鳴にも似た声が遠くに聞こえた。
 なにやってんだ私。

 ……。
 ……。
 ……。


 土曜日。
 さっそく行動に移った。まずはネットで情報を探す。
 ドッペルゲンガーというワードを頼りに検索を始め、そういったオカルトの類を真面目に取り上げているウェブサイトをチェックしていく。
 後ろから規則正しい寝息が聞こえる。まだ大丈夫、憂は起きていない。そりゃあ疲れているんだし、もう少し寝ていてももらわないと。

「……ダメだ」

 ドッペルゲンガーの対処法を探せど、知人が商品として送られてくるという噂を探せど、ヒット数はほぼ0。
 肝心の情報が全く得られないまま、時間だけが無為に過ぎていった。苛立ち紛れにマウスを連打する。
 と、その音に反応したのか背後でモゾモゾと音がした。
 憂が起きた時点でネットでの調査は終了。ブラウザを閉じ、電源を落とす。

「おはよう憂」

「おはよう。ふあぁぁ……梓ちゃん、なにしてるの?」

「別に。ちょっとPCで調べ物」

「そうなんだぁ……ふぁぁ」

 眠そうにしている憂に思わず頬が緩む。でも、気を緩めるわけにはいかないのだ。でも、なんでこんなにムキになっているのだろう……まあいいや。
 お次は携帯を取り出し、部屋を出る。アドレス帳には純の番号。

「……早く出てよね……」

 まだ時間が早すぎただろうか。純のことだから、きっとまだ寝ているに違いない。
 と思って電話を切ろうとしたら、丁度コールが止んだ。

『もしもし』

「あ、純。ごめんね、こんな朝早くから」

 電話から聞こえたのは眠そうな純の声ではなく、溌剌とした感じの声に、周りからは喧騒。どうやら外らしい。
 私は手短に用件を伝えた。ドッペルゲンガーの魔の手から憂を救いたい、手を貸して欲しい、と。

『はぁ? ちょ、朝っぱらから何言ってるの、梓』

「だから、前に話したでしょ。もう一人の自分の話」

『それは覚えてるけどさ、まさか……それ、本当に信じてるの?』

「信じるも何も、現に憂はやってきたじゃん」

『あっ、やっぱり梓のとこにも来たんだ? へぇ、良かったじゃん』

「何呑気なこと言ってるの! このままだと憂が危ないんだよ。純だって憂が死んじゃったら嫌でしょ!?」

『そ、それはそうだけどさ、ちょっと落ち着いてよ。その、ドッペルゲンガーだっけ? それってつまりさ、今私達の隣にいる憂のことでしょ?』

「えっ? う、うん……まあ、そうなるのかな。本物は唯先輩んちにいるわけだし……うん?」

 もう一度、純の言葉を反芻する。今私達の隣にいる、だって?
 酷く嫌な予感がした。

「……はっ? ちょっと、まさか、あんた今どこにいるの?」

『憂と遊びに来てる。土曜日だしね』

「なんで私も誘ってくれなかったの!? ……って、そうじゃなくて、外に憂と出たの!?」

『そうだよ』

「そうだよ、じゃなーい! わかってるの、純? 憂は憂に会うと死んじゃうんだよ!」

『ああ、もう憂憂うるさいなぁ。そんなに言うならほれ……憂、梓から電話』

 またもや背景音に混じって憂の声が聞こえた。純の声が遠くなり、そして、

『もしもし、梓ちゃん? どうしたの、何かあったの?』

「あっ……憂……」

 紛れも無い憂の声。それにまじって賑やかな雑踏。一体どこにいるのよ。

「憂……今、どこにいるの?」

『商店街だよ。バーゲンセールやってるから純ちゃんと一緒にお出かけしてきたの』

「そ、そうなんだ……ねえ、昨日は?」

『昨日?』

「うん。昨日、あの電話の後どうしたのかなって……」

 一瞬の沈黙の後、うふふと色っぽい声がした。

『純ちゃんの家にね、お泊りしちゃった』

「ごめん……もう一回言ってもらえる?」

『えっ? だから、昨日は純ちゃんの家で一緒に寝たよ』

「……今、商店街だよね? 今すぐ行くすぐ行く絶対行く」

 電源を切る。投げ捨てたい衝動を堪え、震える手でポケットに突っ込む。
 部屋に戻って、いまだベッドの上で寝ぼけ眼をこすっている憂に一言、

「出かけてくる」

「ふぇ? ど、どこに?」

「商店街」

「何しに行くの?」

「純の奴をちょっとね。懲らしめに」

「だ、だめだよそんなこと、めっ!」

「めっ、されない。これは当然、友人として注意しなくちゃいけないことなの」

「ダメだよ……今日、土曜日だよ。せっかく、梓ちゃんと一日ゆっくりしてられると思ったのに……」

 シュンとなる、という表現がこれほどまでに言葉に似つかわしく、且つ凶悪なモノだとは思わなかった。
 私の捨てたはずの良心というか、いじましい気持ちがキュッと持ち上がった気がした。
 可愛すぎる。その眠たそうで悲しそうな表情を破顔させたい。

「憂……その顔は反則だよ」

「梓ちゃん……」

「あぁ……もう……可愛すぎる!」

 我慢できず、そのままベッドに飛び乗って憂を全力で抱きしめた。体躯の関係で、がっちりホールドは出来なかったが。
 寝起きの憂の体はあったかくてとても気持ちよかった。やわかくて、それでいて弾力があって、鼻をうずめると柑橘系のいい匂いが鼻腔をくすぐる。
 くすぐったそうに身をよじる憂の唇を啄ばむ様に、いつしか私達はキスをしてベッドに体を沈めていた。
 互いの距離が近すぎて、逆に僅かな距離が遠く感じる。堪らず、体を抱きしめる。

「んぅ……あずさちゃん……」

「……」

「もう一回キスしていい……? んっ……あっ」

「……」

「んんっ……! ぷはっ、あ、梓ちゃん、ちょっと激しすぎるよぉ……!」

 唇を離すと、唾液の糸が引いた。窓から差し込む日差しでキラキラと輝いている。私はそれを指で掬って、ほら、と憂に見せた。
 なんか恥ずかしいよ、と憂。
 何が? とわざと意地悪に聞き返す、私。
 その……ちょっといやらしい感じがする、と憂。

『いやっ……あずさちゃん、そんなところ……!』

『ダメだって、んぁっ! ……ぁぁ』

『……』

『……』

 ピチャピチャと水の音がした。
 いやらしい? 憂がいやらしく感じるんならそれはきっといやらしいんだろうね、と私。
 そんなぁ、まるで私がエッチな子みたいだよ、と憂。
 まるで、じゃなくて実際、憂はエッチだよ、と私。
 えっ、ひどいよぉ……、と私。
 うふふ、可愛いなぁ憂は、と私。
 もう……いじわる、と私。
 ……えっ? と私。
 なんだ、これ、と私。
 私。

 ……。

 いつの間にか、私だけが一人喋っていた。いや、実際に口を動かしていたわけじゃなくて。
 頭の中でいやらしい妄想を思い浮かべて、それに耽っていただけだった。
 いつから? 記憶をたどる。

『商店街』

『何しに行くの?』

『純の奴をちょっとね。懲らしめに』

『そうなんだ。いってらっしゃい! 早く帰ってきてくれると嬉しいな……』

『う、うん。なるべくそうする……あっ、そうだ』

『うん?』

『条件、守らないとね……ほら、ちょっと顔貸して』

『えっ、あっ……う、うん』

 いってきますのキスの後、私は商店街へ向かったのだった。


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