「ねっ、梓、お願い!」
その日、私は純にどうしてもと頼まれて彼女を家に招く事になった。
なんでも、ネットショッピングを始めたいらしいのだ。ネットショッピングと一口に言っても、その数は両の手の指では数え切れないぐらいあり、種類も多種多様だ。
本、DVD、ファッション、家電、そして食品。もはや、今日びネット通販で手に入らない物は無いといっても過言ではない。
加えて、その利便性。インターネットが使える環境であれば、時と場所を選ばずに目的の品を注文する事が出来る上、商品の受け取りも自由。家族の目を気にするのであれば、コンビニ等での受け取りも可能なのだ。
もっとも、私はそんな”家族に見られては困る”モノを頼んだ事は無い。専ら、便利グッズや面白い小物、あとは洋楽のCDなんかをよく注文している。
ところで、数あるネット通販の中で純が言っているネットショッピングとは、
「いやぁ、私もさ、そろそろネット通販デビューしたくてね。よく梓が買ったやつ見せびらかしてるのを見るたびに、なんか悔しいって思っててね」
「別に見せびらかしてるわけじゃないけど」
amazom。ネット通販の大手で、検索サイトで商品名を入れれば大抵、このサイトへのリンクが現れるほど有名だ。
別に私はこのサイトの回し者ではないのだけれど、このamazomというやつは本当に便利で痒いところまで手が届く。例えば、定期的にメールでお勧めの商品を教えてくれる。
そのお勧めの商品は、普段見たり買ったりする商品を元に決定されているらしく、どうでもいい広告や宣伝の類とは一線を画している。このメールのおかげで……いや、このメールのせいで私は今月、既に諭吉さんを二人ほど散財させている。
話がズレました。
とにかく、そのamazomを使って買い物をしたいのでそのやり方を是非教えて欲しい、というのが純の頼みだった。
「ネット通販なんてそんなに難しくないよ。サイトに行って登録して、あとはカートに入れて会計済ませればおしまい」
「そんな簡単に言うけど、私パソコンも持ってないもん」
「あ、ケータイからでも買い物できるよ?」
「それじゃやなの! とにかく、お願い、梓のパソコンで直々に教えてください!」
「えー。なんでわざわざ……」
「そんな露骨に嫌な顔しないでよ、親友でしょ?」
「そうだっけ?」
「ひどっ! うわぁん、梓がいじめるよー、憂も何とか言ってやってよー!」
面倒くさい友人はわざとらしい非難の声を上げながら、隣でニコニコと困った顔を浮かべている憂にすがりついた。
私は憂のことだからてっきり、私に味方してくれるとばかり思っていた。しかし苦笑を浮かべた憂の口からは、
「純ちゃん、どうしても欲しい物があるんだって。ねっ、梓ちゃん、どうしてもダメ?」
「えっ。まあ、ダメってことも無いけど。うーん、そうだなぁ……」
「梓、お願い! この通り!」
モップみたいな髪の毛を揺らして頭を垂れる純。そして一緒になってお願いをする憂。友人二人にこんなにも頼まれて、それを無下に断るほど私は道徳心というか常識を失ってない。
「わかった。じゃあ、部活が終わったら一緒に帰ろ」
「梓ありがとー! お礼に帰りジュース奢るね」
「別にいいよそんな気にしなくても。憂はどうする? 一緒に来る?」
「うーん……私も興味あるけど、お夕飯の準備しなくちゃいけないから」
「そっか」
かくして、純だけが家に来る事になった。
……。
……。
……。
帰る道すがら、私は純に奢ってもらったオレンジジュースを飲みながら、何から教えようかと考えていた。
メールアドレスは適当なのを利用するとして、パスワードは純自体に設定させないといけない。この純のことだから、平気で忘れてしまいそうで心配だ。
覚えやすく、且つある程度長さがあるものがいい。ちなみに私のパスワードは、
AzNyaLoveU
絶対に人には教えないものだし、物凄く恥ずかしいワードに設定している。最後にiが抜けているのは、悲しいかな、パスワードの文字数制限がなぜか10までだったからだ。悔しい。
「なに悔しそうな顔してんの?」
「えっ」
ピンポイントで心中を言い当てられたかのようで、私は忘れていた羞恥心を一気に呼び覚ましてしまった。顔があつい。うわ、今更ながら恥ずかし過ぎるパスワードだよ。
気がつけば、純がこちらを凝視していた。そうとう変な顔をしていたに違いない。思い返してまた恥ずかしくなった。
顔を隠すように、私は俯いた。
「な、なんでもないよ。なんでもない」
「ふーん……ならいいけど」
言葉に反して、視界の外から純の視線を感じる。私は既に空になったジュースをわざとらしく飲み干すような動作をした。ああ、恥ずかしい。
「ねえ梓」
「なに?」
「最近、どう?」
「へっ? ど、どうって?」
「……元気、出た?」
思わず顔を上げて純の表情を見た。純が言った言葉に、私の顔の熱が引いていくのを感じる。
質問の意図は嫌というほどに理解できた。同時に、私はこれからネットショッピング講座という名目で2人っきりで過ごさなくてはならないのに、なぜそんな歯がゆいことを聞くのかと、純の神経を疑った。
なんてことはない。最近、色んな事が重なって、ちょっと落ち込んでいただけだ。
それを純が何気ない気遣いで心配した。ただそれだけのことなのに、背中が痒くなる。
どうにもダメなのだ。人に心配されるのは。素直じゃない、とはよく言われるし、自分でもそれはわかっている。しかし、だからと言ってそれがどう変わるわけでもない。
憂に対する想いもそうだった。
「私は元から元気だよ。もう、変な事聞かないでよね。純が珍しく真剣な顔してるから何事かと思っちゃった」
「珍しく、は余計だよ」
「そう?」
「そうだよ!」
夕暮れ時の通学路を歩く。
純が察してくれたのかどうかはわからないが、それから再び私を気遣う言葉が純の口から出る事は無かった。宿題の事、部活の事、どうでもいい事を話しながら、二人して歩いた。
程なくして、家に着いた。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
奥からお母さんが顔を出して、純の姿を見るや否や嬉しそうな様子で引っ込んだ。きっと、珍しく私が友達を連れてきたものだから変な勘違いをしているに違いない。
あとでお菓子とジュース持っていくわね、という母の言葉を背中に聞きながら純を自室へと急かすように促す。
幸い――といっても私の部屋は元からきれいだけど――部屋は片付いていた。純を適当な場所へ座らせ、早速本題へ入る。
お父さんに買ってもらったノートPCを開き、電源を入れる。
「へぇ、ノートパソコンなんだ」
「うん。電気屋の人に聞いたらこれ勧められて、その場で決めて買ったんだ」
「ほう、さすがブルジョワの人は違いますな」
「別にそんな高いものじゃなかったし。純も買えばいいじゃん」
「そんな簡単に言わないでよ。箱のだって5万はするんだよ? うら若き女子高生には、中々手が出せないよ」
「ふーん……あ、立ち上がった」
真っ暗だった画面に、見慣れた壁紙が広がる。よく有名人や漫画のキャラクターを壁紙に設定している人がいるけど、私は簡素なやつが好きだ。ごちゃごちゃしてデスクトップが見難くなるのは耐えられない。
ブラウザを起動する。純が画面をジッと見つめていた。
「ネットサーフィンもしたことないの?」
「いや、そうじゃないけど。梓、IE使うんだね」
「えっ? ああ、うん。元々入ってたし、いいかなって」
「ふーん」
「っていうか、何気に詳しいね純。パソコン、持ってないんでしょ?」
「やだな、いくらパソコン持ってないって言っても、それくらい知ってるよ。授業でも使ったりするじゃん」
「それもそうだね」
お気に入りを開き、amazomをクリックすると、画面いっぱいに色とりどりの商品が並んだ。
と、私はハッとして慌ててブラウザを閉じた。
当然、純が驚く。
「えっ、なに、どうしたの?」
「なんでもない! ち、ちょっと待ってて」
本体をぐるりと180度回転させ、純に見えないようにして再びブラウザを立ち上げた。
トップページのお勧め商品が、とても見せられるような状態じゃなかった。
百合、乙女、レディースコミック、アダルト云々。ドン引きされること請け合いの品々の羅列に、私は耳まで真っ赤になるのがわかった。やばい、どうしよう。
とりあえず適当なカテゴリをクリックしてトップページから離れた。未だに左上には、ようこそ中野梓 さん と表示されていて、正直、今回の講義は見送りたいと思った。
「ねえ、なにやってんの?」
くそ、純の奴。
別に純は悪くないのだけれど、行き場の無い怒りが沸々と湧き起こる。
「なんでもないよ……で、欲しい商品って何なの? 調べるから名前教えて」
「えー、それじゃあ意味ないじゃん。私にいじらせてよ」
「へ、変なところクリックしないでよ!」
「わ、わかってるよ……っていうか、何でそんなに汗かいてんの?」
震える手で再度ノートPC本体の向きを変え、純に見せた。おかしな商品は無い。よし。
矢継ぎ早に純にサイトの説明をして、その間何度もトップページへは行くなと釘を刺した。私の心配とは反対に、純は意外にも物覚えが良く、
「じゃあ、一回ログアウトするね」
30分もしないうちにサイトへの登録を済ませて商品を探し始めた。
画面左上には既に私の名は無い。これで一安心と、私は胸を撫で下ろした。
「何探してるの?」
「んー、ちょっと欲しいCDがあってね。部活の先輩がさ、絶対良いから聞いてみて、ってすごい押すんだよね」
「そうなんだ。なんて人の?」
「それがさー、思い出せないんだよ。なんか、青っぽいジャケットだって言ってたんだけど」
「えっ、まさかそれだけの情報で探すの? いくらなんでも無謀すぎだよ」
「あはは、やっぱり?」
「せめてアーティスト名で調べなきゃ。今、その先輩に聞いてみたら?」
純が携帯を取り出して、その先輩とやらに電話をした。しかし、相手は出ない。
困ったね、と考えあぐねていると、部屋の外からお母さんの声がした。お菓子とジュースを用意したから、とのことだったがなぜ持ってこないのだろう。
ひょっとしたら、純とお話をしようと企んでいるのかもしれない。学校での私の様子とか、交友関係とか。それで、純も純だから、きっと余計な事をペラペラと話すに違いない。
どうしよう。このまま無視するわけにもいかない。かと行って、お菓子とジュースだけ持ってくるのも気がひける。
「梓のお母さん、呼んでるみたいだけど?」
「うん……」
「そんな露骨に嫌な顔されても困るんだけど。梓だけ行ってきたら? 私もう少し調べたいし」
「それ意味無くない?」
たしかに意味は無いが、先に母に余計な事を聞かないように釘を刺すことは出来る。純には悪いが、ここは少し後で来てもらうことにしよう。
その前に、
「変なサイト見ないでよ」
生返事に少しの不安を覚えながら、私は一足先にお母さんの下へ向かった。
しばらくの間、お母さんが用意したお菓子を適当に食べていたのだが、程なくして、おそらくは純のものであろう慌しい足音が近づいてきた。
うふふ、元気なお友達ねとお母さんが笑っている横で、正直、私は気が気ではなかった。ひょっとして、何かトラブルでもあったのか。
「あ、梓! ち、ちょっと来て、早く!」
息も絶え絶えに、純がやってきた。思い出したかのように、お母さんに挨拶をした。はい、こんにちは、と大して純の慌てっぷりを気にしていないお母さんを余所目に、純がグイと私に顔を近づけた。
やっぱり言いつけを守らずに変なサイトでも覗いたのか。それとも、目的の商品が見つかったためのテンションか。どうでもいいけど、顔が近い。
「……ヤバいの見つけた」
「はっ?」
「いいから、早く来て!」
純の言ってる事も理解できずに、言われるがまま自室へ戻る。
PCには先ほど取得したばかりの純のフリーメールのページが開いていた。既に何通かメールが届いているらしい。
「さっき何気なくメールの確認をしたの。そしたら……ヤバいの見つけた」
「だから、何なの、そのヤバいのって?」
「うん……実はさ」
悪戯メールの類だろうか。それにしてはアカウントを作ってから早すぎる気がする。
純は妙な表情をしながら、メールボックスの一番上をクリックした。
とても見慣れたロゴが出ている。
「amazom? えっ、こんなに早くお勧めの商品の紹介?」
「意味わかんないよね?」
「うん……えっ?」
「私も思わず、えっ、って言っちゃったよ。意味わかんないよね?」
「ちょ、これ……一体……えっ」
「どう思う? 何かの悪戯なのかな」
「ええっ……なにこれ……?」
お客様におすすめ……平沢憂。
洋楽のCDにまぎれて、私の友人の顔写真が並んでいた。しかも、価格が\ 0 になっている。
意味がわからなかった。
「なんで憂が? っていうか、なにこれ」
「私に聞かれてもわかんないよ。でも、何なんだろうね、これ。間違いなく憂だよね」
憂の顔。しかも横にはちゃんと、ショッピングカートに入れる、の画像がリンクとして置かれていた。憂がamazomの商品? たちの悪い冗談だ。
純と私は互いに顔を見合わせた後、次第に黙った。思考が追いつかないせいでもある。
私はひょっとして純の用意した悪戯ではないかと考えたのだが、一朝一夕でこんな手の込んだ悪戯は作れない。純にそんな知識があるとは思えないし、第一、そうであったとしてもわざわざこんな悪戯をする理由も無いわけだし。
純も珍しく難しそうな表情をしていた。もしかすると私と同じことを考え、そして否定しているのかもしれない。
純が何かを決心したような表情で口を開いた、
「試しに買ってみない?」
「えっ」
純の事だからそんな事を言い出すのではないかとは思っていたけど。しかし、実を言うと私も無性に気になるところではある。だって、あの憂なのだから。
「どうせ無料なんだし。ねえ」
「えー、でも……」
「梓だって気になるでしょ?」
「べ、別に私はそこまで……! ただ、ウイルスとかだったらやだなって」
「ふーん……」
「な、なに?」
「別に」
じゃあ、私の携帯から注文するのはどう? それならウイルスだったとしても大丈夫だよ。 純の提案に私はいつの間にか頷いていた。
純が嬉しそうに――こういう事に関してはいつも乗り気だ――メーラーとamazomからログアウトし、意気揚々とお菓子を食べに部屋を出て行った。
私はそれを追う事も無く、ベッドへ倒れた。頭の中がゴチャゴチャとする。
憂が商品で、私がそれを買う。酷く滑稽で陳腐な話だが、私の想像力豊かな脳は待ってましたと言わんばかりに、それをピンク色の妄想へと変えていく。
生まれたままの姿の憂が頭に浮かぶ。ダンボールに詰められ、頬を赤く染めている。私は意地悪な笑みを浮かべて、どうしたのと聞いた。
恥ずかしそうにこんにちはと憂が言う。私はそれに答え、乱暴に憂をベッドへ押し倒した。優しくしてと懇願する憂に、商品のクセに生意気だと無理やり口付けをする私。
「あぅ……」
節操の無い私の体は友人が来ているからという理由などお構い無しに、上気して熱くなっていた。無意識のうちに右手が股へ伸びていた。
すぐさま自己嫌悪が襲ってきたが、妄想の憂は中々しぶとかった。また右手が動いて、股間が次第に熱と湿り気を帯びていく。
「ダメだよ憂ぃ……」
口から出た弱々しい台詞とは反対に、妄想の中の私はサディスティックに憂を辱めていた。切なそうな表情の憂に次はどうして欲しいといやらしく微笑んでいる。我ながら最低な妄想だと思うが、友達をおかずにしている時点で私は腐っているのだから今更関係ない。
しかし、私はこれでも常識がある。どこぞの軽音部の先輩と違って、分別はわきまえているのだ。
甘い誘惑を断ち切ってベッドから飛び起きた。私もネットショッピングでもして気を紛らわそう。
結局、トップページのお勧め商品に惹かれ、ベッドの上でしていたことと大して変わらぬ妄想で時間を忘れた。
忘れたといえば、純の事もすっかり放置したままだった。既に1時間も経っている。
慌ててリビングへ向かうと既に純の姿は無かった。代わりに、すごく嬉しそうな顔をしたお母さんが一人。嫌な汗が背中を伝い、恐る恐る、
「純、余計な事言わなかった?」
うふふ、いいお友達を持ったわね梓。純ちゃん、すごくいい子ね。お母さん気に入っちゃったわ。
どうやら、時既に遅しというやつらしい。
自己嫌悪と激しい後悔が晴れぬまま夜を迎えた。純からメールが来た。
『憂、注文しといたよ。私と梓、それぞれ一つずつ』
我が目を疑い、配達先はどこにしたのかと問いただしたら、案の定、お互いの住所だった。というか、本当に注文できたのか。意味がわからない。
いや、それよりも、もし変なものだったら家族に見られて不味い事になる。家族に見られてまずいもの……かといって今更キャンセルさせるのも気がひける。そう考えてしまうのは、やっぱり私も心のどこかで期待しているからだろうか。
『大丈夫だよ。もしヤバいものだったとしても、注文したの私だし。痛みわけだよ』
何が痛みわけだ、バカ。
怒りやら戸惑いやら期待やら、様々な気持ちがない交ぜになった。途端に欠伸が出た。時計を見るといつも寝る時間よりはまだ早い。
きっと体力を消耗したからだ、と良くわからない結論付けし、私は携帯を閉じた。
……。
……。
……。
最終更新:2011年11月21日 02:41