どん、と大きな箱は、私の前に立ちはだかった。

唯「おおっ!」

 私はちょっと身構えて、床を伝わってきた振動に膝をがくがくさせる。

 私の背丈よりやや高い、リボンにくるまれた白い箱。

唯「おっ父、こいつぁ一体なんだ!」

 お父さんは苦笑しながら、箱の裏から現れた。

 お母さんも一緒だ。楽しげに笑っている。私が変なふうに喋ったせいかは分からない。

 「開けてみなさい」

 言われるまま、手を伸ばした。

唯「……よし!」

 広げた腕よりよっぽど長いリボンをとき、

 前面につけられた取っ手を引っぱり、箱を開ける。

 がっちゃ、と重い音。

唯「……!」

 中を確認して、私は息をのんだ。

唯「私だ……」

 冷気が頬を撫でてから、私の背中に回る。

 箱にいたのは、目を閉じて直立し、微動だにしない私。

 いや、私そっくりの人形だ。

唯「パパ、ママ、これってもしかして」

 お父さんは頷く。

 「命のスペアだよ」

 ゆっくりゆっくり、私は首を振った。

唯「こんなの、いらない」

 「唯。大事なものよ」

 お母さんが諭す。

 それも聞かずに、私は冷気を吐く箱の蓋を閉じた。

唯「いらないよ! 命は一個だからいいの!」

 ……と、前に和ちゃんが言っていたので、私はそう叫んだ。

 困ったように、お父さんとお母さんが顔を見合わせる。

 「ごめんなさいね、唯。でも」

 お母さんはしゃがみ、私と目線の高さを合わせてから、私の目尻を親指で拭ってくれた。

 「唯になにかあったら、お母さんたち悲しいから」

唯「でも、いらない……」

 聞き分けのない私は、うつむいてその指をよけた。

 「……わかった。唯がいいって言うまで、抽出はしないであげよう」

 やがて、あきらめたようにお父さんが言った。

 しょうがないわね、とお母さんも頷く。

 白い箱は、ガレージにしまわれていった。

 残された私は「ばか」と呟いた。

 私の背丈を超えるほどの長いリボンを拾い上げて、丸めて壁に投げつける。

唯「せっかく誕生日なのに。……こんなプレゼントってないよ」

――――

 私は翌日、学校で和ちゃんにその話をした。

和「唯ちゃんのうちって、ほんとにお金持ちなんだね」

 和ちゃんは呆れたような目をして言った。

唯「えーっ、そんなことないよ」

和「あるよ。唯ちゃん、スペア人形がいくらするか知ってるの?」

唯「……5000円くらい?」

和「一番安いのでも、それにゼロが4つつくよ」

唯「へぇ」

 和ちゃんの口ぶりからして、100万円よりも高そうだ。

 そんなに高いものを買うお金がどこにあったというんだろう。

 のび太くんでさえおやつにケーキが出てくるというのに、うちは出ない。

 だからうちは貧乏だ、お金がないんだと思っていたけれど、実はそんなことはないのかもしれない。

和「へぇ、って唯ちゃん」

唯「えへへ……ごめん、わかんないや」

和「とにかく、それだけ高いものなんだから。いらないなんてだめだよ」

唯「和ちゃんが命なんて二つもいらないって言ったんじゃん」

和「それはそうなんだけど……」

 和ちゃんが困った顔をする。

 私はこの話題を変えようと思った。

唯「それより、それよりさぁ、やっぱり妹がほしかったよ!」

和「妹は誕生日プレゼントにはならないんじゃないかな……」

唯「ねぇ、うちのパパとママの代わりに、和ちゃんが妹つくってよ」

 それは場をしのぐために出たような、ほんの冗談であった。

和「それよ!」

 だけど和ちゃんは、雷にうたれたみたいに目をぐりっと開いて立ち上がった。

 むしろ、私が驚いた。

和「それなら唯ちゃんも納得できるし、人形をむだにもしないで済む!」

唯「ど、どうしたの和ちゃん!?」

和「唯ちゃん、今日家行くね!」

 和ちゃんの目はぎらぎらと活力に満ちていた。

 一瞬だけ、私はその申し出を断りたくなったけれど、

 光っている瞳を見ては言い出せず、結局こくりと頷いていた。

和「よっし……」

 まだ私には、和ちゃんが何をするつもりなのか分からなかった。

――――

 学校が終わったあと、私は和ちゃんに手を引かれてすぐ家に戻った。

 ガレージに案内して、昨日の箱を和ちゃんに見せる。

和「これがねぇ……」

 じろじろと白い箱を観察しつつ、和ちゃんはぼそりと言う。

唯「ねぇ、和ちゃん。いったいどうするつもりなの?」

 和ちゃんが取っ手に手をかけ、蓋をとる。

 またも私は、箱の中から噴き出してくる以上の寒気を感じた。

和「ほんとに唯ちゃんそっくりのモデル。それともオーダーメイドかなぁ」

唯「……」

 和ちゃんは、裸の私の人形にぺたぺたと触れてから、私を振り返った。

和「唯ちゃん。妹がほしいんだったよね?」

唯「うん」

 答えると、和ちゃんは胸を叩いてにんまり笑った。

和「私にまかせて。かわいい妹をつくってあげる」

唯「ほんとに!」

 私は和ちゃんに抱きつこうと、ガレージの埃っぽい床を蹴って、

 そのままの姿勢で止まった。

唯「でも、つくるってどうやって?」

 そういえば考えたことがなかった。

 和ちゃんは弟も妹もいるから知ってるんだろうけれど、

 私はどうすれば妹ができるのか、まるで知らない。

和「これを使うんだよ」

 和ちゃんは、ぽんと私の人形の肩に手を置いた。

唯「……人形? どういうこと?」

 これで妹をつくるというなら、和ちゃんの家には人形を2つ買うだけのお金があったことになる。

 いや、あるいは2つも買ってしまったから、今お金がなくなってしまったのかもしれない。

和「唯ちゃん、命のスペアの仕組みって知ってる?」

唯「ううん、しらない」

 私は首を振った。

和「じゃあ説明するよ。あのね、この人形があるだけだと、唯ちゃんが死んだ時に生き返ることはできないの」

唯「……うん」

和「ちゅうしゅつ、っていうのが必要でね」

和「コンピューターで唯ちゃんの記憶とか性格とかをデータにまとめないといけないの」

 ちょっとずつ理解が追いつかなくなってくる。

和「データにしたあとは、コンピューターが勝手に唯ちゃんの記憶とリンクして、新しいものに変えてってくれる」

和「自動で更新してくれる、ってことだね」

唯「は、はい……」

和「わかってる?」

唯「なんとか。……それで?」

和「うん。こうなったら後は、いざというときに起動するだけ」

和「今までのデータを頭に入れた人形が、死んだ唯ちゃんに代わって生きることになるの」

唯「……」

 つまり、この目の前の人形が、私になり代わって動きだすということ。

 それを理解しながら、この人形の中へ入るのは、なんともおぞましい気がした。

唯「……なんか、いやだよ」

和「だと思うよ。……それじゃあ」

 2人目の自分なんてものは、どうしても受け入れられる気がしなかった。

和「唯ちゃんは、これが妹になるのはどう思う?」

 和ちゃんは箱の側面をぽんと叩いた。

 少しだけ迷って、私は頷く。

 やっぱり妹は欲しかった。

和「そう。良いんだね」

 くすりと笑って、和ちゃんは蓋を閉めた。

和「唯ちゃん。私はこれから、唯ちゃんとあんまり遊べなくなりそう」

 短い髪を指先で払って、和ちゃんは言う。

唯「何で!?」

和「勉強をしなきゃ。唯の妹を作るために」

唯「だったら私も手伝うよ。和ちゃんだけに任すのは悪いもん」

 ちっちっ、と和ちゃんは舌を鳴らした。

和「とんでもなく難しい勉強なの。それも、何千万のお金がかかっていて、チャンスは一度きり」

和「失敗するわけにはいかないんだよ。私だけに任せてほしいな、唯ちゃん」

 その目は真剣だった。

 疎外感を感じながらも、私はしぶしぶ頷いた。

唯「わかった……」

和「唯ちゃんは」

 少し、和ちゃんが喉をつまらせた。

和「唯ちゃんは、どんな妹が欲しい?」

唯「どんな……」

和「うん。私はデータを作るから、唯ちゃんは妹がどんな子か考えて」

唯「うーん……」

 私は顎をなで、考え込む。

唯「……完璧な子がいい」

和「完璧?」

唯「うん。私より頭良くて、器用で、かわいくて優しくて、だけど甘えんぼな妹がいい」

和「……大変な仕事になりそう」

 頭を抱えつつ、和ちゃんは笑った。

和「名前はどうしたい?」

唯「んん……」

 再び考える。

 平沢唯の妹。平沢唯、平沢……。

唯「うい、なんてどうかな」

和「うい?」

 和ちゃんが訊き返す。

唯「私に似てる名前がいいんだ。うい、平沢ういにしよう!」

和「漢字はどうするの?」

唯「ういなんて読む漢字ないよ。ひらがなで良いんじゃない?」

和「……何か探しておくね」

 なぜか溜め息をつき、和ちゃんはそう言った。

 「うい」と読む漢字をなにか知っているのかもしれない。

 やっぱり和ちゃんの知識はとても豊富なんだと思った。

和「それじゃあ、私は帰って勉強するからね」

和「データを作るには、かなり時間がかかると思うよ。1日とか1週間じゃない」

唯「すごく大変なんだね……」

和「そう。でも唯ちゃんはそれまで、この計画をおじさんおばさんにも内緒にして、妹ちゃんをこのままで守ってね」

 この箱を、ういを守る。ういが生まれるために、それが私に与えられた役目だった。

唯「まっかせて!」

――――

 数日して、和ちゃんは「憂」という新しい名前を提案してきた。

 これで、ういと読むらしい。

 一文字でばっちり決まっているのも私と一緒だし、その由来も私は気にいった。

 そうして妹の名前は、平沢憂と決定した。

 それからどんどん季節は巡った。

 冬が終わった頃、私は和ちゃんに「まだできないの?」と催促した。

和「まだまだよ」

 和ちゃんは顔色を変えずに言った。

唯「いつまでかかるの? 私、毎日楽しみなんだよ?」

和「ごめんなさい。まだ先が見えないわ」

 目を閉じて、和ちゃんは思考するような顔をした。

和「早くても来年になるわよ。おばさんが妊娠してると思って、気長に待ちなさい」

唯「来年!? ……ぶー」

 それからも、私は何度となく和ちゃんを急かした。

 一度だけ、そのデータというものを見せてもらったけれど、

 英語のアルファベットや見慣れない記号ばかりでちんぷんかんぷんだった。

唯「ここ、どういう意味?」

和「その辺りは右手の人差指の運動指令ね」

唯「この暗号……にぃ、しぃ……25行、まるまる全部?」

和「暗号じゃなくてプログラム。あ、右利きでよかったわよね?」

唯「う、うん」

 目の痛くなりそうな文字列を見つつ、頷いておく。どっちでもいい。

唯「ねぇねぇ、これ一旦人形に入れて、動かすことはできないの?」

和「できるけれど、人形は一度きりしかデータを受け取れないわ」

和「右腕と顔しか動かない妹でいいの?」

唯「……待ちます」

 こんなことがあってからは、だんだん催促を減らすようにしていった。

――――

 そしてまた冬が来て、また去っていこうかという時期。

 2月22日のことだった。

 和ちゃんは眼鏡をかけるようになって、顔つきが別人らしくなってきていた。

 だから私は最近の和ちゃんに少し混乱していて、

 かつ久しぶりに満面の笑みを見せられたものだから、最初の一瞬だけそれが和ちゃんだと分からなかった。

和「唯!」

 その笑顔だけで、私には何があったのか理解できた。

唯「できたの!?」

 和ちゃんは輝かしい笑顔のまま、何度も頷いた。

 小学5年生になろうかという冬の日、私はついに妹と会えることになった。

 授業の終わるのが、これほど長い一日もなかった。

 私たちは帰りの会が済むなり、大急ぎでランドセルを背負って家へと向かった。

 お父さんにもお母さんにも、ずっと秘密にしてきた。

 箱の中の妹なんて存在もしないような態度を貫き通してきた。

 おかげで憂は、たまに霜をとられるくらいで、めったに触れられることはなかった。

 和ちゃんが一度家に戻って、データを保存してあるメディアを持ってきた。

 それをうちのコンピューターに取りこんで、そして、憂の箱に繋げる。

唯「いよいよだね、和ちゃん……」

 和ちゃんは接続端子をじっと見つめながら、「そうね」と短く答える。

 命を供給するにふさわしい重たい音で、コンピューターと白い箱がつながる。

唯「憂……」

 コンピューターの画面に伸びていく青色のバーを見つめながら、妹の名をささやく。

 いま、ちょうど半分が憂の身体に送り込まれたようだ。

唯「今日が、憂の誕生日だよ!」

 60%、70%……。

 みるみるうちに、平沢憂が完成されていく。

 バーはめいっぱいまで伸び、数字は100%と表示されている。

和「……完了ね」

 和ちゃんは言うと、箱の裏へまわり、かちっと音を立てた。

 白い箱がずっと立てていた、小さな駆動音が止む。

 ガレージは完全に静かになった。

和「開けてやりなさい。おねえさん」

 頷いて、私は箱の取っ手にようやく手をかけた。

 箱の内から、とんとんと振動が伝わってくる。

 生きているんだ。生まれてくるんだ。

唯「……憂。迎えに来たよ」

 おごそかな音とともに、いつぞやのプレゼントボックスの蓋は外された。

唯「……」

 冷たいとは思わなかった。

 冬の寒さがガレージに入りこんでいたから、というだけではない。

 そこにいるのが、もはや私のスペアの人形ではないから。

 待望の妹である憂が、目を開いてそこにいたからだ。

 睫毛に乗った霜が、まばたきによってぱらぱらと落ちる。

 雪の降り始めるような、美しい光景。

 とうの憂は、目の周りに触れる感覚にくすぐったそうにした。

唯「……う、憂」

 天使のおりたようだと思った。

 私は唾を飲みこみ、決めていた名前を呼ぶ。

憂「……お姉ちゃん」

 憂はくすっと笑って、私を見つめてそう言った。

 その声はじんわりと胸に響いた。

 私は微笑む憂の手をとろうとする。

憂「……」

 瞬間、憂の顔が何かに引っ張られたように歪み、

憂「ふぁっくち!」

 私に盛大なくしゃみをひっかけてくれた。

 これが私と憂の出会いである。


3