空には中途半端な弧を描いた月が昇っていた。

 名前も知らない虫達が群がる街灯の灯りを頼りに、唯先輩とふたりで平沢家を目指していた。

 前方に千鳥足でふらふらと歩む唯先輩と、その後ろを辺りをキョロキョロ見回しながらついていく私。

 とても親しい間柄の人間の距離じゃない。

 本来なら私はさっさと帰るべきだったのだろう。

 先輩だってあんな格好の自分を後輩に見られたくないはずだ。

 けれど、あんな格好だからこそ唯先輩をひとりにするわけにはいかなかった。

 憂に連絡しておこうと携帯に電話すると、

唯「はぁい、あずにゃーん」

 と陽気な声で前方を歩く唯先輩が手を振った。

 痛々しいほど無理矢理に張りつけた笑顔だった。 

 私も上手く笑えている自信はないものの、笑みを顔に張りつけ手を振りながら電話を切る。

 唯先輩は少し寂しそうな笑顔で前に向き直ると、またフラフラと夜道を歩き始めた。




 気のとおくなるような時間をかけて平沢家まで辿り着いたとき、時刻は既に午後8時を回っていた。

 途中何人かとすれ違ったが、唯先輩を一目見た途端、誰もが意識して目を合わせないよう足早に通り過ぎていった。

 誰も厄介ごとには巻き込まれたくないのだ。

唯「ぉあ!」

 平沢家の軒先には人影があった。

 キョロキョロと辺りを見回し、唯の姿を捉えるとこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 街灯が憂の姿を照らしだす。

唯「うーいー! ただいま~」

憂「もう、どこ行ってたのお姉ちゃん! 心配し……」

 憂の血の気の引く音が私の耳にも聞こえてくるようだった。 

 サーッと海岸から沖へ戻る波のように憂の顔が青ざめていく。

憂「あ、あ、あ……おね……」

梓(せめて私も乱暴されていたら、唯や憂の痛みを共有してあげられたのに……)


 ――あ。

 ――共有――痛み。

 ――痛みの共有。


梓(まさか……まさかまさかまさかそんなっ!!)

 だとしたら、私はとんでもない勘違いをしていたことになる。

 馬鹿なことはするなと唯先輩を引き止めなかったことを一生後悔することになる。

 一瞬でも唯先輩に恐怖を感じた自分自身を許せなくなる。

梓(勘違いであって。お願い、どうか勘違いで……)

憂「――いやぁああぁぁあぁあぁあぁああぁぁッッ!!!!!」

 耳をつんざくほどの悲鳴に思考が中断される。

憂「なんで?! なんで? なんでなんで!!?」

唯「ちょちょ……うーいー、ご近所さんに迷惑だから……って! ああ、ほらっ、ばっちいから触っちゃダメ――」

憂「なによこれ?! なんでこんな……あ! ああ!!」

 憂が素手で唯先輩の顔や髪についた汚れを拭う。
 乾いてしまっていて上手くいかないのか、何度も何度も……。

唯「ねぇ、憂。私汚い?」

憂「汚くないッ!! 汚れてなんてないよっ!」

唯「ね? だから憂も汚くないないんだよ。汚れてなんかない。私も憂と同じだから。もう自分の身体を傷付けるようなことしなくていいんだよ」

梓「――っ!!!」

 死刑宣告。

 私にとって、いまの唯先輩の言葉ほど死刑の宣告に相応しい言葉があるだろうか?


 この人は――妹のために自分を殺したんだ。


 それなのにも関わらず、私は唯先輩が憂の仇を討ちにいくのだと勝手に勘違いした挙げ句、いたずらに先輩を怖がり協力はおろか相談にすら乗らなかった。


 憂のこともそうた。
 行くなとしがみつけば止めることができたのに、私は安い言葉だけ吐き残してのうのうと部活に参加していた。

 その時点で唯先輩に相談することができたはずなのに、私はそうしなかった。

 私は全てを止められる位置にいたにも関わらず、友人達が撃ち殺される様をただ傍観していたんだ……!!

 強烈な視線を感じ、涙でくしゃくしゃになった顔を上げる。

梓「ひ――」

 戦慄。

 唯先輩に抱きすがる憂が、唯先輩の肩越しに私を凝視していた。

 まるで我が子を殺された獣の母親のような――明確な敵意と殺意の籠められた刃物のように鋭い眼光。




 走った。
 逃げ出した。

梓(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

 疲れどころか、自分の身体の感覚すらない。
 風のように来た道を走り抜けた。

 私は許されない罪を犯してしまった。




 ――深夜。

 布団の中で丸まっていると、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 心臓の鼓動が跳ね上がる。

 恐る恐るディスプレイに目をやると、ムギ先輩からだった。

梓「……はい」

紬「もしもし?! 梓ちゃん? よかったぁ~無事だったのねぇ」

梓「いえ……私」

紬「梓ちゃん、これから私が言うことをよく聞いて」

梓「へ?」

紬「いまこの瞬間から私がいいって言うまで絶対に家から出ないで。それから、誰が来ても玄関の扉を開けてはダメ」

梓「え、え、ちょっ待って下さい。それってどういう意味ですか?」

紬「……詳しいことは言えないけど、とにかく梓ちゃんが危ないかもしれないの」

梓(まさか……私とすれ違ったあの3人組が、私の口を封じにくるってこと?)

梓(それとも、憂が黙って見ていた私に仕返しに?)

紬「いい? 絶対よ? それじゃ悪いんだけど、いま忙しいからまた後で――」

梓「あ……先輩――」

 ムギ先輩の声は、断続的に続く無機質な電子音に変わっていた。




 そしてようやく朝を迎えた。

 一睡もできない、長い長い夜だった。

 いつもは煩わしく感じる蝉の鳴き声が、いまはなぜだか心地よい。

 あれからムギ先輩からの電話はないが、その代わりに《もう大丈夫よ》と短いメールが入っていた。

 昨晩の午前4時くらいのことだ。

 何はともあれ、もう大丈夫らしい。

 目蓋を擦り布団から這い出ると、パジャマのまま居間へ向かった。


 居間には珍しい姿があった。

 いつものこの時間は大抵キッチンに立っている母が、ソファーに座り食い入るようにテレビ画面を見つめている。

梓「おはよー」

母「あ、梓。ほら! あなたも見なさい」

 興奮した様子で母がテレビの画面を指差す。

 ニュース番組が放映されていた。

 特集の組まれたテロップを見て、昨日の紬先輩からの電話の意味を知る。

《男子高校生連続殺人事件》

 趣味の悪い書体の赤文字でそう表示されていた。

 全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。

 名前付きで放映された被害者の顔に見覚えがあったのだ。

 どいつもこいつも似たような、金髪でライオンのたてがみみたいな髪型。

 年齢は全員私と一緒て、学校は隣町にある男子校だった。

 殺人現場は、昨日訪れた資材倉庫。

母「やだぁ。ココ、市役所のすぐそばじゃない」


 ニュースキャスターが事件の詳細を語りはじめる。

母「梓、お母さんちょっと戸締まり確認してくるから、ちゃんとニュース見ておきなさいね。学校は休んでいいから」


キャスター「
 今朝6時半頃、○×県○○市の市役所脇の倉庫で、殺害された高校生の死体が発見されました。

 殺害されたのは△△高校に通う男子生徒3人で、全裸のままロープで天井から逆さ釣りにされているところを倉庫そ管理者が発見しました。

 死体の身体は鋭い刃物で全身を滅多刺しにされており、警察は怨恨による殺人として捜査している模様です。

 また、同地区では昨夜未明から女子高生二人が行方不明になっており、捜索願いが出されていました。

 警察は何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索していく方針を明らかにしました。
 以上。詳しい情報が入り次第またお伝えいたします」


 バチン、とテレビ画面を消した。
 見たくなかった。

 逃走中らしいが、犯人の目星はもう付いている。

 こんどこそ間違いなく報復だ。 私は少し、彼女という人を甘く見すぎていた。

 そしてここまできてしまえば、あとはもう答えの予想は容易である。

梓(やっぱり……許してもらえるわけないよね)

 私たちは最も傷付けてはいけない人を傷つけ、最も怒らせてはいけない人を怒らせしまった。

 当然と言えば当然の結果だ。

 ――ピンポーン。

 玄関の呼び鈴が鳴る。

 贖罪のときがきた。



梓(最後にひとつだけ言い訳させてください)

梓(妹のために自分を殺せ、姉のために他人を殺せる姉妹のために――)

梓(一体私に何ができたって言うの?)

梓(私があのとき憂を止めていれば、本当に違った結果になったというの?)

 絞首刑台の階段を上るように、私は親友だった人の下へ向かった。




おわり~そしてへタイトルへ~