静寂。

 台風が過ぎ去ったあとの静けさによく似ていた。

 ひと二人が連れ去られたというのに、どうしてこんなに静かなのか。

 怖い――!
 怖い――!!
 怖い――!!!

唯「あーずにゃん。もう終わったよ。もう目を開けても大丈夫だよ」

 ふわりと香る甘い匂いと、背中に感じる体温。

唯「ごめんね? 怖かったよね? 泣かないで、あずにゃん。もう大丈夫だから」

唯「よしよし、いい子だから、ね?」

梓(温かい……)

 本当にこの手が、あんな残虐なことを?
 こんなに温かい人が、あんな酷いことを?

梓(嘘だ。全部嘘だ)

 考えるのも億劫になり、その場に座り込み温もりに身体を預ける。

 なんだか眠い。
 きっと安心したからだ。

梓(目が覚めたらいつも通りでありますように)


紬(唯ちゃん、本当に・・・で・く・・り?)

唯(うん、・う・めた・・だ・ら。・・のために)

紬(なんだっ・・、・・・があの女たち共々消・・あげ・・?)

唯(うんん、それじゃあ意・・・もん。・・と同じ・・・わなきゃダメだと思う)

紬(そう……。う・ちゃんの・・すはどう?)

唯(帰ってきた・・お風呂・・・・・・・。憂のあ・・赤く・・て・がにじんでて痛・・・・・・・、・・わないと汚いって血を・・・がら何度も何度も……)

紬(ゆ・・ゃん……)

唯(あの女な3人に電・・・た……ってことは・・・・に・・・されたってことだよね……。・・・・だよ私。ずっと気づい・・・・・なかった。一番・・・に・・のに)


唯「だからね、これは自分への罰でもあるんだ」




梓「――先、輩?」

紬「あ、目が覚めた? うなされてたみたいだったけど大丈夫?」

梓「え? あぁ――はい」

梓(寝てた? いつのまに……)

梓(綺麗だな、夕日。ムギ先輩の太もも柔らかくて気持ちい……)

梓「って――わ、あわわ! すすすすみませんでした!!」

紬「大丈夫よ~もうちょと寝ててくれてもよかったのに~。梓ちゃんの寝顔すっごく可愛かったわ!」

梓「あ、ありがとうごさいま……あ」

梓(やっぱり夢じゃなかったんだ)

 微かに乾きかけた生々しい血溜まりが私に現実を突き付ける。

 そういえば、唯先輩の姿が――ああッ!!!

梓「ムギ先輩! ああ、あ、ゆ、唯先輩は?!」

紬「もう帰ったわよ。今日は部活もお休み」

梓(嘘だ……)

紬「梓ちゃんも、もう帰りなさい。今日は疲れたでしょ?」

梓「……はい、そうします」

梓(これも、嘘)


梓(時間は――5時40分?! そんな……急がなくちゃ!!)

紬「待って! 梓ちゃん」

 音楽室から飛び出そうと走りだした最中、背後からムギ先輩に呼び止められる。

梓「なんですか?」

紬「アノ子たち、どうやら憂ちゃんに恨みがあったそうよ」

梓「恨み?」

紬「えぇ。なんでもB腐さんの付き合っていた彼氏が憂ちゃんに心変わりしちゃったらしくてね、捨てられたらしいわ」

梓「なっ……! それ、憂は全く悪くないじゃないですか?!」

紬「人を傷つけるのは拳銃ではなく弾丸だけれど、脅威を感じるのは拳銃のほう……とでも例えれば伝わるかしら?」

梓「そんなの……」

紬「不条理? 確かにそうよね」

梓「すみません、失礼します!」

 音楽室を飛び出し、階段を一段飛ばし、大急ぎで昇降口へ向かう。

梓(早くしないと……早く……!)


紬「梓ちゃんは――誰かが撃たれるのを黙って見ていた傍観者ってところかしら」




~平沢唯Side~

唯(今は使われていない資材倉庫……だっけ?)

唯(埃っぽいし、そこら中積み上げられたダンボールばっかり)

唯(まだ外は明るいのに中は暗いや)

唯(昨日、ここで憂が……)

男α「お待たせ~」

唯(来た……! ちゃんと3人いる)

男β「ごめんねぇ遅くなっちゃって。てかさ、昼頃からA美と連絡とれねぇんだけど」

男γ「もしかして、A美になんかした? てかてか、あんた、誰?」

唯(凄い髪型。ライオンみたい)

唯「どうも! 平沢唯てす!」

男α「おほっ、ノリいいねぇ!」

男β「んで何の用だよ? 人のこと呼び出しやがってよッ」

唯「私の顔に見覚えない?」

男β「あ? 知らねえな」

唯「そっか」

男γ「だから、呼び出した理由を言えっての!――ああもういいや、話にならねぇ。この女もヤっちまおうぜ」

唯「いいよ」

男γ「……ハァ?」

唯「私のこと、好きにしていいよって言ったの」




~中野梓Side~

梓「はぁ、はぁっ、はぁ、はっ」

 こんなに走ったのは何年ぶりのことだろう。
 体力にはそれなりに自信があったのに、肺が締め付けられて思うように走れない。

梓(急がなくちゃ、手遅れになる前に急がなくちゃ!!)

 取り返しのつかないことになってしまう。

 時刻は6時7分。
 絶望的だ。

 きっと唯先輩は憂の仕返しに行ったんだ。
 だから、それを暗に伝えるために昨日憂が乱暴されたのと同じ場所同じ時間を選んだに違いない。

梓(私が止めないと……唯先輩が殺人犯になっちゃう!)

 早く……!
 早く……!
 早く……!

梓(見えた……あれだ……!)

 市役所まで到着し、前かがみになって地べたに突っ伏す。
 立ち止まったとたん猛烈な吐き気が襲った。

梓「けほっ……こほっ……はぁ、はぁ、はぁ」

梓(いま何時だろう……)

梓(6時……40分……そんな……)


梓(唯……先輩……)

 噴き出してくる汗を拭いながら鉛と化した足を引きずる。

 資材倉庫までの距離がやけに遠く感じた。

 男の人の声が聞こえたのはちょうど市役所の敷地を出たときで、ひと目を気にしているのか、しきりに辺りを見回している。

 ひそひそ声が逆にその声への注意を引き付けているとも知らずに、なおも会話を続けていた。


男γ「なぁ……やっぱおかしいって。普通見ず知らずの男にヤらせるか」

男α「知らねえよ、痴女だったんじゃねぇの? それかセックス依存性とか?」

男γ「処女だったのに? てか、いいとか言ってたわりにはかなり抵抗してきたし」

男β「病気持ちだったりしてな! 例えば一生治らないアレとか……」

男γ「やめろよ! ああ~クソッ! ゴム付けときゃよかった」

男α「あんだけ中出ししてたやつがよく言うよ」

男γ「うっせぇーな! 人のこと言えんのかよっ」


梓(なに……このライオンもどきの人たち)

 3人組の集団が歩いてきた道の先には、私の目的地である資材倉庫がある。

梓(いまの会話……)

 歩く音に合わせて心臓の鼓動が激しくなっていくのがわかる。

 まさか――そんなはずはない。

梓(先輩は憂の仕返しに行ったんもん。そうだよ、そんなはずない)

 胸のポンプがあまり激しく血液を送り出すものだから、心臓が痛くて痛くてしょうがなかった。


男β「ねぇ、あの制服……」

男α「んあ?」

梓(うわ……なんかこっち見てるよ)

男γ「偶然だって。さっさと帰ろう。あんまここいらにいるのはよくない」

梓(……ふぅ、行ってくれた)

梓(……よし)




 資材倉庫の正面の問は重々しいクリームか白色のシャッターが降ろされていた。
 もうほとんど沈んでしまった夕日の光が、薄汚れたトタン板を張り合わせせただけの外壁を照らす。

梓(唯先輩……唯先輩……)

 できることならそこら辺からひょっこりと顔出し《お~あずにゃん!》と間延びした声で私の名を読んでほしかった。

 この建物内に入りたくないと思っている自分の感情に気が付く。

梓(そうだ、私はこのなかに入りたくない。だって……)

 どう転んでも見たくないものを見ることになると、いわゆる私の本能的な部分が叫んでいたから。

梓(とりあえず建物の周囲を1週してみよう)

 やっとの思いでここまできたのに……。

梓(それで入れそうなところがないなら仕方ないよね)

 どうしてこんな気持ちになるんだろう。

梓(あ……あそこの壁……)

 ホント、どうしてこういうときに限って……。

梓(トタン板が剥がれてる……)

 神様は逃げ道を断つような気まぐれをするのだろう。

梓(たぶん、ここから出入りしてるから正面のシャッターの鍵が閉まってるんだ)

梓(暗い……何も見えないや)

梓「――唯先輩?」

 すぐに外に飛び出せる体制をとりながら、控えめな声量で先輩の名を呼ぶ。

 返事はない。
 けれど、僅かに人の息遣いは感じる。
 私以外の誰かが潜んでいるのは間違いないらしい。

梓(えと……正面のシャッターはこっちだから……)

梓(壁伝いにこっちに歩いていけば……)

 一体私のどこにこれほどの勇気があったのだろう。
 カタカタと小刻みに震える足は、進みたくないという私の意志を無視して前へと踏み出される。

 唯先輩以外の誰かに気付かれてはまずいと恐れているのに、カラカラに渇いたノドは大好きな人の名前を呟き続ける。

 私の身体が、完全に私の意思の支配が届かぬ高さにあった。

 会いたいという原動力が突き動かしていた。

 一歩、また一歩と徐々に大股になる歩幅で見えない障害物に行く手を阻まれながら、私は光を求めて進んだ。


 壁伝いに歩き続け、ようやく目的の場所付近にたどり着く。
 自棄になっていた。

 どうにでもなれと、携帯のライト昨日を使い壁を照らす。

梓(……あった!)

 見つけた。

 壁一面に描かれた落書きのなかに、見慣れたスイッチ。
 迷うことなく弾くように押し込む。

 もはや恐れはなかった。

 しばし天井から重低音が響いたあと、2度と3度と点滅を繰り返し、室内が白に包まれる。


唯「ん……誰ですか?」

 背後から聞きなれた声。

 胸の不安がすっと消えていくのを実感できる。

梓(大丈夫、大丈夫、何を見ても驚かない)

 それこそ誰かが血まみれで倒れていても、もの言わぬ骸が転がっていても……。

梓(唯先輩は、唯先輩だもん……!)

 光に目が慣れきらぬまま、私は背後を振り返った。

梓「……あ……え……」

唯「だぁれ……? ん、眩しっ……あず、にゃん?」

梓「………………はい」

 いた。
 確かに唯先輩はいた。

 部屋の中央でホコリやゴミだらけの床に仰向けで寝そべり、眩しそうに両腕で顔を覆っていた。

 その姿がすぐに霞む。

 いくらまばたきしても、すぐに霞む。

梓「あ……うっ……あ……」

唯「えへへ……確かに人に見られたい格好じゃないや……。憂に悪いことしちゃったなぁ……」

梓「唯先輩ッ!!」

 変わり果ててしまった人のそばに駆け寄る。

 視界が霞んでいるせいで、何かにつまずきすっ転んだ。

 コンクリートについた手に、ねっとりとした感触。

 身の毛のよだつ粘着質の液体。

梓「先輩ッ! 先輩ッ!!」

唯「触っちゃダメ!」

梓「ッ――!」

唯「触っちゃダメだよ、汚いから。あずにゃんが汚れちゃうから」

梓「そんなっ……汚なく、なんかぁ……」

 汚なくない?
 どの口がそんな偽善を言う。
 事実汚い。

 フワフワな髪も、愛らしい顔も、制服もストッキングも身体中全部ッ!

 全部、けがらわしいアノ液で汚されてるじゃない。


梓「先、ばいっ……どぉして、こんなっ……」

唯「ごめんね、あずにゃん。泣かないで……大丈夫だから」

梓「こんなのっ……こんなのっ……」

梓(人のすることじゃないッ――!!)

 誰が唯先輩を汚したのか、検討はすぐに付いた。

 間違いなくあの3人組だ。

 そして、間に合わなかった私のせいでもある。

 男3人に女ひとり、どちらに分があるかなんて小学生にも判断がつく。

梓「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさぃ……」

唯「――どうしてあずにゃんが謝るの?」

梓「だって……わた、し……は……」

唯「ごめんね。抱き締めてあげたいけど、いまはこんなだから」

唯「んしょ……それより、早く帰らなきゃ。憂に心配かけちゃう」


唯「ひぎっ――!!」

 立ち上がろうと半身を起こした唯先輩の顔が苦痛に歪む。

 喘ぎ、四つんばいになり大きく肩を揺らした。

 私は手も貸さずきその様子をただ間近で傍観していた。
 唯先輩が触るなと言ったからと自分の良心に言い訳し、必死になって罪悪感を押し殺していた。

唯「――あ」

 流れの悪い排水溝に水を流したような音。

唯「あ……はわっ――!!」

 唯先輩のスカートの間から液体が垂れ下がり、音を立ててコンクリートにこぼれ落ちる。

 断続的に、次々と。

 あれだけの量が一体唯先輩のどこに注ぎ込まれていたのか、あんなにたくさん受け入れられるものなのか、私は――、

唯「ん……んむ……ゴポッ……オえェェ」

唯「げほっ、ごほっ、ごめっ――ゲボッ――けほっ、ごへっ」

 口元を押さえる手の指の隙間から嘔吐したものが落ちる。

 みるみるうちに汚水の水溜まりを形成していく。

 吐きながら唯先輩はずっと私に謝り続けていた。

 ――私は、足元まで汚水が広がってきてもまだ傍観を続けていた。

 誰でもいい。

 誰でもいいからどうか理解してほしい。

 私は、本当に一歩たりとも動けなかったんだ。




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