――授業中――

梓(おかしい……)

 憂の様子がだ。
 どこかうわの空で、授業中窓の外をぼんやりと眺めている。

梓(やっぱり、なにかあったんじゃ……)

 そう思うと平穏を取り戻したはずの心臓が、また不規則な鼓動を始めた。
 とても授業になんか集中できるはずがない。

 先生も普段から素行の良い生徒の珍しい態度にチラチラと視線を送りつつ、予習してきたから授業内容が退屈で仕方ないのだとでも解釈したのだろうか、特に咎めるようなことはしなかった。



梓(……長かったぁ。これまでで一番長かった)

 確認する度に数ミリしか進んでいない腕時計との睨めっこ勝負をすること数時間、ようやく午前中の授業から解放された。

梓(さて、憂とお昼ご飯食べよっと――あ)

 席を立つと同時に、硬直する。
 教室の入り口からアイツらが入ってくるのが見えた。

梓(アイツら、また憂のところへ――!!)


A美「おっはー憂ちゃん」

B腐「昨日はどうだったよ? え?」

梓(やっぱりなにかあったんだ……! そんな……)

 最近になって憂に絡んでくるようになった隣のクラスの二人組がニタニタと笑いながら憂を見下す。

 普段なら気まずそうに俯き嵐が過ぎ去るのをじっと待っている憂だが、今日はいつもとは徹底的に違った。

 俯くどころか二人組を眼中にも入れず、立てた肘を支えにし授業中そうであったように虚ろな瞳で窓の外を眺めていた。

 いわゆるシカトである。

梓(ちょ、ちょっと憂!! どうしてアイツらを挑発するようなことを……?!)

B腐「テメェシカトしてんじゃねぇよ」

 案の定、痺れを切らしたB腐が憂の机の足に蹴を入れる。
 そうしてようやく憂が二人を見上げた。

憂「……?」

B腐「こっちは挨拶してやってんだろ? テメェもなんとか言えよ」

憂「…………誰ですか?」

梓(――な)

B腐「テんメェ……!!」

A美「やめなよB腐」

 うなり声にも似た声を発して憂の胸ぐらに掴み掛かったB腐をA美が制する。

A美「目立つことはしちゃダメ」

B腐「っち、わかったよ……」

憂「で、誰ですか? って言うか何の用?」

B腐「コイツ……!!!」

A美「B腐! 憂ちゃんたら、今日は随分と余裕だね」

A「――昨日、大人の女になっちゃったからかな?」


梓(……!!!!)

梓「ちょっと!! それってどういう意味ですか?!」

 たまらず会話に割り込む。
 不機嫌そうな二人の目が私を一瞥した。

梓「む、無視はよくないとおも――」

B腐「るせぇッ!! ちび助はすっこんでろ!!」

梓「ひうっ!」

梓(怖くない怖くない怖くない……)

A美「意地悪しないで教えてあげなよ。……憂ちゃんね、昨日男の人に抱かれて汚されちゃったの。意味わかるかな? 梓ちゃんにはまだ早いかもね」

梓(そんな……そんな……!!)

 地べたが揺らぐ。
 足の感覚がなくなり、まるで身体が浮遊しているみたいだ。

梓「そんな……憂……」



憂「――みぃつけた」



 姿形からそれが憂なのだと認識できてからも、とても憂本人だとは信じがたい、恐ろしく冷たい眼光。

 どちらかと言えば気弱なはずだった女の子の見たこともない表情に私も二人も凍り付く。

憂「ちょっと訊きたいことがあるから音楽室まで付き合ってよ」

 黙って教室を出ていく3人。

 迷った挙げ句、私も後に続いた。


梓(き、気まずい……)

梓(憂、さっきから携帯電話いじって誰とメールしてるんだろ)

 教室を出て、音楽室へ続く階段を上る。
 先頭に憂、真ん中に二人組、そして最後尾に私。
 四人分の足音以外は無音だった。

 少し前に唯先輩に助けを求めようと携帯に電話したが唯先輩は電話に出ず、その様子を後ろ目に見ていた憂に「余計なことしないでね」と咎められて以来なにも出来ずにいる。

 何をしについてきたのか自分でもよくわからずにいた。




憂「入って」

 音楽室が無人なのを確認すると、憂は全員を室内に誘導し扉を閉めて施錠した。

梓(軽音部の先輩がいてくれるのを期待してたのに……っていうかどうして鍵をかけたの?!)

B腐「い、いい度胸してんな! てかなに? ヤル気? そのちび助と組んで私らに勝てるとでも思ってるの?」

梓(私も参戦するの?!)

憂「あまり吠えるものじゃないよ、噛ませ犬のくせに。というか、何しについてきたの? 私はそっちの子に用があったんだけど」

B腐「て、てて、テメェ!! ボコしてやるっ!! なな泣いたって許さねぇからなッ!!!!」

憂「無理しないの。いっぱいいっぱいなんでしょ?」

A美「どうでもいいけど早いとこ済ませてくれる? お昼食べられなくなっちゃう」

憂「すぐに済むよ。ちょっとお願い事があるだけだから」

A美「お願い事?」

憂「そ、昨日憂を犯した男全員を昨日と同じ場所に呼び出してほしいの」

梓(え?)

A美「ふふ、……あっはっはっは!! もしかしてあんたドM気質? 昨日の快感が忘れられなくなっちゃったとか?!」

憂「勝手に解釈してくれていいよ。呼び出してさえくれればね」

A美「やだ。……って言ったらどうする?」

 不敵な笑み。
 なるほど、黙りこくってしまったB腐と比べてはるかに余裕がある。

 そして、憂。
 あきらかにいつもの憂じゃない。
 私の知らない一面だとかそういう次元の話しじゃなくて、もっと根本的なところでいつもとは違う。

憂「私ね、あんまり頭よくないから駆け引きとか苦手なんだー」

 憂がおもむろにソファーに立て掛けられたギターケースを手に取り、慣れた手付きでギターを取り出す。

梓(え、ちょっと待って――これって)

 ある予感が私の脳裏を掠める。

憂「ごめんね、ギー太」

梓(有り得ない話しじゃない)

A美「なになに、演奏でも聴かせてくれるの?」

梓(有り得ない話じゃないよ。だって――)

憂「危ないからあずにゃんはさがってて」

梓(だって、――今日は一度も顔を合わせてなかった)

 憂が、正確には憂だと思い込んでいた人物が後ろに結っていた髪を解く。
 サラサラと髪が流れるのと呼応するように、全身があわ立っていくのがわかる。

 感動すら覚える光景だった。

梓「嘘――唯、先輩……?」




A美「え、え? 唯先輩って? 平沢憂の……姉……?」

B腐「間違いないよ、歓迎会で歌ってた奴だ! 私たちを騙してたんだ!!」

梓「せ、先輩? 本当に唯先輩?」

 いつかとは逆だ。
 あのときは憂が唯先輩に成り済ませてたっけ。

梓(どうして今まで気が付かなかったの……)

唯「あずにゃん聞こえなかった? さがってって言ったんだけど」

梓「は、はい――ッ!」

 慌てて音楽室の隅っこに走る。

梓(怖い……いつもの唯先輩じゃない)

A美「話しが脱線しましたけど、それでどうするつもりですか?」

梓(どうするもこうするも……あのギターの持ち方からして演奏する気がないのだけは確かだけど……)

A美「妹の報復ですか? 殴りたいなら殴ってください。警察に訴えますけどね」

唯「そう、じゃあ遠慮なく……」

B腐「――あ」

 振りかざされたギターがB腐の顔に直撃するまさにその瞬間、私は反射的に顔を伏せた。
 直後、耳も塞いでおくべきだったと心底後悔した。

B腐「ぎゃアアァァぁアァああァアアアッッ――――!!!」

 どっちだろう。
 いや、知りたくない。
 砕けたのがギターが顔の骨かなんて、知りたくない。
 どちらにしても、やっぱり耳を塞いでおくべきだった。


唯「ねぇ、喋る気になった?」

A美「……あ、あ」

梓(お願い……お願いだから、全部話して……もう、聞きたくない……)

唯「まだ足りないかぁ……。ゴメンね、私もこんなことしたくないんだけど」

唯「ゴメンね、ギー太」

B「ひゃ……やがっやがやが!! あ! あ! あぁ……!!」

梓(ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……この絶叫で鼓膜が破れてくれたらいいのに)

梓(聞きたくないのに身体が動かない)

梓(いつつ……むっつ……ななつ……あ)

 声が止んだ。
 ようやく打撃音だけになった。
 これで幾らかはマシだ。

A美「や……めて……」

A美「もう……やめ……!!」

A美「もう止めてくださいッ――!」

A美「話します! 全部話しますからっ!! お願いですから止めてくださいっ!!」

唯「ああ、やっと話す気になった? あんまり手間かけさせないでよ。ギー太が血で汚れちゃうじゃん。あー疲れた」

梓(血なまぐさい……気持ち悪い……)


唯「で?」

A美「……え?」

唯「寝ぼけてるの? 話すって言ったばっかりだよ?」

A美「あ……はい! はいっ!!」

唯「返事はいいから早いとこ呼び足してね。今すぐ」

A美「はい、でもあの……今日、ですか?」

A美「ひっ……呼びます呼びます!! 昨日と同じ場所に昨日と同じ時間でいいんてすよね?! ちょっと待っててください……」

A美「あもしもし私だけど――」

 ボタンを押す音の後、A美の声が聞こえた。
 本当に呼び出している。
 それも、理由もつけず一方的に。

 私はと言うと、顔を背けて以来ずっと音楽室の扉を見つめていた。

 振り返ったら、たぶんそこには一生分のトラウマになる光景が広がっているに違いない。

 見るもんか。

 絶対に――音楽室の扉のガラスに、人影が映る。

 ――コンコン、扉が叩かれる。

梓(いけない――この状況を誰かに見られたら唯先輩が!)

唯「あずにゃん、鍵、開けてあげて」

梓(――え?)

梓「でもっ、唯先輩……」

唯「だいじょうぶたよ。開けてあげて」

梓「わ、わかり、ました……」

唯「なに期待した顔してるの? 私たちの仲間であってあなたの救世主様じゃないよ? 勘違いしちゃった? わかったらさっさと電話続けて」


紬「お待たせ~唯ちゃん!」

 扉の向こうに立っていたのはムギ先輩と――

紬「もう済んだ?」

唯「どうなの? A美ちゃん」

A美「あ、はい……全員、呼び出しました。昨日と同じ五時半に、市役所の裏手にある○×物流の元資材倉庫に」

唯「だってさ。ごめんね、ムギちゃん。変なことお願いしちゃって」

紬「いいのよ、気にしないで。私にはこれくらいしか出来ないから…………運びなさい」

救急隊員A「はっ」

警官A「犯人約はそこの女でよろしいのですね?」

紬「――無意味な確認ほど苛立たしく感じるものはないわ」

警官A「ももっ、申し訳ありません!! おい!」

警官B「ああ」

 ムギ先輩と――警官2人に救急隊員が2人。
 その人たちが私を軽快にスルーして室内にずかずかと入り込んでくる。

梓(誰? この人たち……。っていうか、ムギ先輩まで……なんなのよ)


A美「ちょなにす――なんなのよあんたたゴフッ……カハァッ」

紬「あら、唯ちゃんたら素直に話したら無事に解放してやるなんて意地の悪い冗談を言ったのかしら?」

唯「まさか~、呼び出せとは言ったけど許すとも助けるとも一言も言ってないよ? ねぇ?」

A美「けほっ……げほっ……そん……なぁ……」

紬「情けない顔しないの。その人達警官の格好してるだけで警察とは違うから。お友達と一緒にいっぱい気持ち良くしてもらっておいで」

A美「やだ……やだぁ……! 助け」

紬「喧嘩を売るとき、その相手よりも相手の人脈をよく調べよ。……これね、小さいときから毎日のように聞かされた父の言葉なの。覚えていても無意味だから忘れていいわよ……連れていきなさい」



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