律「少しは肩の力抜けたか?」

唯「うん。少しは、何かが抜けたような気がする」

梓「その意気ですよ。先輩」

唯「ありがとう。昔みたいな前向きさを思い出してみようかな」

律「ポジティブ唯再誕だな」

律「で、肝心の憂ちゃんだけど、今の時間何やってるんだ?」

唯「家にいると思う。多分ご飯は食べれてる。あっ、でも昨日は迷子になって隣町まで行っちゃったし、今日も何か……」

律「ふむ。そうか……」

律「とりあえず、この場はもうお開きということにしますか」

唯「二人共ごめんね。私のために設けてくれたみたいなのに」

律「唯のために開いた会なら、閉める時も唯のためだ。だがしかし、これはあくまでも貸しっつーことを忘れるなよ」

唯「りっちゃんきちくー」

律「大人の厳しさと言えい。ともかく、今は早く憂ちゃんの元に行ってやりなよ」

梓「そうですよ。ちなみに私もついていきます。といいますか、行ってもいいですか?」

唯「え、あずにゃんもくるの!?」

梓「いけませんでしょうか……」

唯「ううん。そんなことないよ。ちょっと驚いただけ」

唯「確かね、回顧治療っていうのが用いられることもあるみたいだし。来てもらえるなら凄い嬉しいよ」

律「まー梓は高校からほっとんど体型変わってないみたいだし、うまくいくかもな」

梓「そっ、それは律先輩だって同じようなものじゃないですか!」

律「残念ながら私は着痩せするタイプに成長したのだよーん。見たいか? まぁここじゃ脱がないけどな」

梓「むぅ。いつか確かめてやるです……」

唯「あはは。それじゃ、そろそろ」

律「おう。次回は落ち着いた頃に会を開こう。けどまた一年後っていうのはちょっと遠すぎる気もするけどな」

唯「うん。次は潰れるまで付き合うよ」

律「期待してるぜ」

唯「ありがとう、りっちゃん。行こう、あずにゃん」

梓「はいです」




 プルルルル ―― ピッ

唯「もしもし平沢です」

さわ子『もしもし私よ。今空いてるわよね、ちょっと話しましょう』

唯「まだうんともすんとも言ってないんですけど」

さわ子『空いてるって分かってるからいいの。あなただって、そろそろ電話がくるんじゃないかなーって、予想してたんじゃない?』

唯「まぁそうですね。今夜の飲み会は、さわちゃんが誘発させたようなものなんだし」

さわ子『その通り。少しは気がほぐされたと思うけど』

さわ子『それで、今後の見通しはどれくらい立ってるのかしら?』

唯「はい。とりあえず近いうちに病院には連れていくつもりです。
  診断結果とその後の経過次第で、デイケアや養護ホームのお世話になろうかと」

さわ子『そうね。それしかないというのが現状だけど……』

さわ子『けど、憂ちゃんの年齢だと介護保険制度の対象にならないのが辛いところね。
    障害年金が支給されても、平日の全てでデイケアを利用するとなれば確実に不足が出るわ。
    そうでない日は丸一日つきっきりになる。憂ちゃんでも入れる養護ホームは……言わないでも分かるでしょう』

唯「はい。でも可能な限り一緒にいた方がいいと思ってます。私も、きっと憂も同じ気持ちなんだろうし」

唯「あ、ちなみに今夜はあずにゃんがうちに来てくれるんです。お泊まりセット用意してくるって言ってました」

さわ子『へぇ。というかあなた、あずにゃんだなんて、まだその呼び方から離れられてないの?』

唯「あずにゃんがいじけちゃうので離れない方向に決まりました」

さわ子『……そう。私にはよく分からないわ』

唯「ですよねー。……ねぇ、さわちゃん。いや、さわ子先生」

さわ子『なあに、平沢さん』

唯「私、分かったんです。大人になりきれてなかったって。今さっき気付かされました。
  飲み会の前に、あずにゃんの近況だけ先に聞いたんですけど、そこに少しも疑問とか、自分の意見を持つことができませんでした。
  けど飲み会の最中、りっちゃんは私が目にも止めなかったところをズバズバ指摘してました。ああいうのが、成長した大人なんだと思います」

さわ子『そう。それで』

唯「思慮深さっていうのかな。大人なら大人らしく、もっと考えてみようって。
  それで、私、今なら自分がしてきたことを説明できるような気がするんです」

唯「憂のため憂のためって思ってきましたけど、本質を突けば結局自分のためだったのかなぁって。
  仕事でうまくいかなかったり、鬱積する日常のイライラなんかを、全部憂に押し付けることで楽になろうとして。
  だから悪い意味で憂を手放したくなかったし、そう、自分を高い場所に置いとくために利用してたんです」

さわ子『そう。あなたがそう答えるならそうなんじゃない』

唯「あれ……。以外と冷たいんですね」

さわ子『責められる立場にいたら責めたかったけどね。でも私は、接点が一つあるだけの部外者だもの』

さわ子『私から教唆できるのは一つ。アルツハイマーにかかった人たちは、総じて底知れぬ喪失感に襲われるということ。
    けれど自分で自分を没することはできないから、その摩擦に苦しめられるのよ』

唯「例えば、憂は私を登校させようとするにも関わらず、憂自身が登校しようとする頻度はずっと少ないこと。ですか?」

さわ子『その通り。きっと脳の神経が解釈をいいようにねじ曲げてるんだわ。病魔によってその神経が死ぬと、また結ばれちゃうのよ』

唯「憂は、私が卒業できた大学に躓いたことがよほど堪えたんだと思います。だから都合の悪い、大学に関する記憶が真っ先に消えちゃった。
  高校生活の途中に、家にこもって半年暮らした記憶がかぶさって、そこが混乱する理由だと思うんです」

さわ子『なるほどね。でもね平沢さん、事態は刻々と変わっていくわ。これからもっと酷くなる可能性だって』

唯「はい。でも周りの人間が和らげてあげることはできます」

さわ子『そう。そうでしょうね。でも共倒れしない程度に、ほどほどにね』

唯「分かってますよっ。んでもさわ子先生、アルツハイマーについて随分と詳しいんですね」

さわ子『そりゃあ教師だもの。それくらい知ってて当然なのよ』

唯「ふーん。音楽教師なのにですかー?」

さわ子『茶化すのはよしなさい』

唯「えへへ。それじゃあ、もう家の前なので切りますね」

さわ子『はいはい。私も忙しいんだから切るわよ。またね』

 ピッ


唯「よしっ。うん」




 ガチャッ

唯「ただいまー。うーいー! 帰ってきたよー!」

唯「……憂?」

唯「憂? うーいー」


唯「ういっ!」

憂「……ぽー」

唯「あ、いた。よかった……。お昼ご飯ちゃんと食べた?」

憂「……ぽけー」

唯「おーい。おねむなのかな? 寝てるなら寝てるって返事しよう」

憂「……今何時?」

唯「んもう、起きてるなら起きてるって言おう! 今はね、夜の七時だよ」

憂「夜なんだ」

唯「憂、昨日はごめんね。お姉ちゃん、ちょっとどうかしちゃってたかも」

憂「昨日?」

唯「無理に思い出さなくてもいいよ。ゆっくりゆっくりね」

憂「……そうなんだ」

唯「あっ、今日の夕飯は三人で食べることになったんだよ。もう三十分もすれば来ると思うけど」

憂「三人……。誰?」




 ピンポーン

唯「あっ、きたきた。一緒に迎えにいこ」

憂「うん……」


梓「こんばんわー」

唯「やっほぉあずにゃん! いらっしゃい。さぁ上がって上がって」

梓「お邪魔します」

梓「……憂、やっほぉ」

憂「えっ、あの、えと……」

唯「どうしたの、憂。そんな他人行儀になっちゃって」

憂「え、だって……」

梓「久しぶり、にはならないのかな。分かるよね。私だよ。あ、あずにゃんだよー」

唯「憂、もしかして……」


憂「どちら様ですか? ねぇ、お姉ちゃん、この人誰なの?」




梓「そんな……」

唯「……」

唯「わ、私の友達だよ! 中野梓ちゃんって言ってね、猫みたいで可愛い子でしょ?」

唯「憂とも会ったことあるはずなんだけど、顔を直に合わせたことが無かったから……うまく思い出せてないだけだって!」

憂「そうなんだ……」

憂「すいません中野さん。あねーちゃんがお世話になっているようなのに」

梓「い、いえ。全然気にしないで。あ、いや、気にしないで下さい。ホント全然……」

唯「と、とにかく入った入った! ねぇ、とりあえず夕ご飯にしない? あずにゃんはもう食べれる?」

梓「……はい。空きっ腹に水分ばかりだったので、入るには入ります」

唯「じゃあ早く二階へ上がった上がった。今日は特製の出来合いディナーだよっ」

梓「無駄に豪勢そうに言わなくてもいいような気が……」

唯「細かいことは気にしないの。腹が減っては戦はできぬだよ」

憂「……」


梓「ご飯おいしかったなー」

憂「……」

梓「お腹一杯になっちゃったなー」

憂「……」

梓「ねこふんじゃったー、ねこふんじゃったー」

憂「……」

梓「……」


梓「あの……唯先輩。私にも洗いもの手伝わさせて下さい」

唯「だめだめー。客人はリビングでお腹を休めてなさい」

梓「でも、どうにも向こうは……。その、憂が」

唯「憂が……?」


唯「テレビ見てるだけみたいだけど」

梓「そうなんですけど、少しも反応してくれなくて……」

梓「といいますか、食事の時からどこか変だったじゃないですか。
  遠くを見つめてたかと思うと、はっとして意識が戻って、きょろきょろと辺りを見回したり……」

梓「私、やっぱり来ない方がよかったのでは……」

唯「違う、違うって。いつもはもっと口数多いし、自分から動こうとするはずなんだけど……」

唯「きっと、昨日の夜のことがこたえちゃってるんだと思う」

梓「昨夜に何かあったんですか?」

唯「うん。喧嘩っていうか、一方的に私から怒鳴っちゃって。死んじゃえみたいなことまで言っちゃって……」

梓「それは……なんとも」

唯「記憶には残ってなくても、傷跡は抉られたまんまなのかな」

梓「そんなこともあり得るんですね……」


梓「さてと、これくらいでいいでしょうか」

唯「うん、そだね。後はお菓子でも食べながらテレビでも」

憂「あれ、梓ちゃん、いつからいたの?」

梓「えっ……えええええええええっ!?」

梓「いや、さっきからずうっと……。っていうか記憶が」

唯「や、やだなー、憂ったら。テレビに夢中になりすぎて、あずにゃんが来たの分からなかったのー?」

憂「えっ、そうだったんだ……。ごめんね、梓ちゃん。私ちょっとぼうっとし過ぎてたかも」

梓「き、気づいてくれたなら別にいいよ」

憂「あ、そうだ。お姉ちゃんもうお風呂入った?」

唯「ううん。まだだけど」

憂「もう。先に入っちゃって」

唯「ごめんねぇ、今すぐ入ってくるから。……あずにゃん、いいよね」

梓「あ、はい。分かりました」

憂「何を二人で確認とってるの?」

唯「大したことじゃないから。別に何でも」


唯「ぷはー。いいお湯だったー」

唯「ってあれ、あずにゃん一人?」

梓「あ、おかえりなさい。あの、できるだけ憂から離れないようにと思ったのですけど……」

梓「私の布団を敷いてくるからと。それで、ついていこうとしたのですけど、客人だからと強く反発されてしまいまして……」

唯「そっか。あ、ちなみに憂はどの部屋に布団を敷くって?」

梓「自分の部屋だそうです」

唯「まっ、そうなっちゃうよね。あずにゃん寝るときはよろし……」

唯「ふあぁあぁあぁ……。あくびが……」

梓「もしかして、唯先輩おねむですか?」

唯「うん、まぁ。体がぽっぽしてるし、昨日は早いうちに寝ちゃってたから」

梓「唯先輩は昔から早寝するタイプでしたもんね」

梓「ちなみに、明日もお仕事あるんですよね?」

唯「うん。本当は有給取って憂を病院に連れて行きたいんだけど、私でも急に抜けるのはまずいし……」

唯「だから、たくさんサービス残業して連休取ってこようかなぁって思ってたんだけど」

梓「……あの、もしよければですが、私に任せてもらえませんか?」

唯「憂を、だよね?」

梓「はい。明日なら何の予定も入っていませんし、一時的かもしれませんが、記憶は戻ってるみたいですし」

梓「もしまた忘れられたとしても、私ならなるだけ危害が薄そうだと見られるはずです。いいでしょうか?」

唯「……うーん。今の憂を一人にしておくのは、たった一日でも危険を伴なうよね……」

唯「うん。あずにゃんさえ良いのならお願いしたいな」

梓「はい。任せて下さい! 不審者と思われたら不審者らしく、憂の遊び相手になりましょう!」

唯「さっすがあずにゃん頼もし、ふわああぁあぁぁ……」

唯「またあくびが……」

梓「ですから、もうお休みして下さい。寝不足ですと後から響いてきますよ」

唯「んん。そうしよっかな」

唯「後は任せるよ、あずにゃん。帰れそうな時間が分かったらメールするから」

梓「はい。任されましたです」


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