――愛とは、一方的なものであるべきである。

私、平沢唯は、そう思うのです。でも特に理由はありません。
それでも、この考えは曲げることは無いと思います。
見返りを求めるならば。愛して欲しいから好きだと囁くくらいなら。
私はそんな人のために、愛を返すだけの人形を作ってあげたいと思います。とても寂しく、悲しい人形を。
もちろん、そんな人形を使う人も寂しく、悲しい人。
……つくづく、そう思うのです。




律「唯は」

澪「こう、薄く伸ばしてだな」

梓「まぁ、虚飾ですかね」

紬「くるくる」

和「廻る」

さわ子「あ」

憂「お姉ちゃん…帰ってきた」


「「「「「「「おかえりなさい」」」」」」」




【ずっと前の出来事】


……寝惚けた頭で、私はとんでもないことを呟いたらしい。
扉の前に立つ憂の顔が、それを物語っている。


憂「……大学? 何言ってるのお姉ちゃん、今日から高校生でしょ?」


――今日から私は大学生なのに、なんで憂がいるの? とか、そんなことを言ったような気がする。たぶん。
ああ、そうだ、私は大学進学を機に一人暮らしをしようとして……あれ、でもここはいつもの家、いつもの部屋だよね?


憂「もう、寝惚けてないで早く起きてよ? ご飯できてるよ?」

唯「う…うん」


大学生になる夢でも見ていたんだろうか? まぁ、憂も言っているんだしそう考えるのが妥当だろう。
全部夢だったんだ。みんなと一緒に卒業して、みんなと一緒の大学に――あれ、みんなって誰?
和ちゃん? いや、違う気がする。だいたい一人じゃなかったし。
確か…4人だったような気がする。名前も顔も…わからないけど。



――今思えば、これが最初の違和感。
――2年少し前の事なんて、そりゃ変なキッカケでも無いと思い出さないから無理ないけど。



その後、私は軽音楽部に入部し、様々な出来事を経て、進級。後輩も一人得た。
澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、あずにゃん。これが今の軽音部。みんな私と仲良くしてくれている。
不思議すぎるほど、すぐに皆打ち解けた。
そう、まるで――昔からの知り合いのように。

私達は、不思議と喧嘩も仲違いもそんなにしなかった。5人も集まっているにもかかわらず、だ。
というより、対立したことすら数えるほどだと思う。
……あずにゃんとりっちゃんはまぁ、じゃれ合いとして。

私が喜ぶコトを、みんなは知っている。
私も、みんなが喜ぶコトを知っている。
私が嫌なコトも、みんなは知っている。
私も、みんなが嫌なコトを知っている。

不思議すぎるほど、私達は仲良しだ。
そう、まるで――ずっと昔からの、長い長い付き合いのように。



どうしてだろう?
どうしてこんなに、仲良しなんだろう?
仲良しなのは、悪いことじゃない。りっちゃんにも聞かれたけど、今の関係に不満はない。
なのに、私は疑問を持ち始めた。違和感が、発展していく……



それから何度も、私は夢を見た。
正確には、現実のような夢を沢山見るようになった。

過ごした覚えのある光景。覚えの無い光景。あるはずの無い光景。
どの夢にも、軽音部の皆が、あるいは軽音部の誰かがいて。たまに憂や和ちゃんもいて。
逆に、憂や和ちゃんと私だけの夢というのは見なかった。

何故だろう?
違和感を解くカギがここにある気がして、私は考える。

憂や和ちゃんだけしか出てこない夢。それがあるなら、高校以前の夢であるはず。
そういい切れるほど、高校時代は軽音部の皆と一緒だった。
だから、中学、あるいはもっと前の夢なら登場人物は私と憂、和ちゃんメインになるはず。
それか、中学の頃の友達が出てくるかもしれないけど……って、あれ?


唯「……中学の頃の友達って…誰がいたっけ?」


思い出せない。
名前も、顔も。
中学の制服は…さすがに思い出せる。私が一年の時に憂も着ていたくらいだし。学校名もそれを見ればわかるはず。
なのに、クラスメイトが思い出せない。それどころか、中学時代の思い出が思い出せない。


唯「……ちょっとまって…確か…」


憂や和ちゃんから聞いた私関連のお馬鹿なエピソードがある、はず。
何かを間違えただとか、どこかでコケただとか。うん、確かにいろいろ聞かされたよね。大丈夫、私は覚えてる。
……聞かされたこと以外の思い出が、まるで出てこないけどね。

――今夜は中学時代に思いを馳せて、眠りにつく。
相変わらず思い出は出てこないし、こんなことをしても夢に見るとは限らないけれど。それでも私は賭けた。
……次の日の朝、私は思い知った。夢の中で出会った、誰かのおかげで。赤い目の誰かのおかげで。


唯「――ああ、私には、高校以外『無い』のかな…」


その仮説は、あくまで仮説なのにも関わらず、私自身にとってものすごい説得力を持っていた。まるで、ずっと目を背けていた事実であるかのように。
あくまで『私』には、の仮説。持っている人は持っている、あるいは持っていた。そういうこと。

でも、まだ仮説。確証は私の中以外にはない。証拠が欲しい。できれば物証、それがだめでも他の人の証言が。




唯「ういー?」

憂「お姉ちゃん? どうしたの?」

唯「私の中学の卒業アルバムとかない?」

憂「あるよ? 卒業式で貰ったでしょ? 変なお姉ちゃん」


……あれ、あるの?
てっきり存在しないか、あるいは誰かに捨てられたりとかしてるかと思ったのに。
……誰か、って誰だろう?


憂「はい、どうぞ」

唯「あ、うん、ありがと……」


憂から受け取ったはいいけど、開くのが怖かった。
……こういう『私の過去を示すモノ』が存在しないと私が高をくくってたのは、逆に言えばそれが存在したら……


唯「………やっぱり」


それが存在したら、私は逆に、現実を見せ付けられてしまうから。




唯「」ポロポロ

憂「ど、どうしたの!? お姉ちゃん」

唯「覚えて、ないの……中学の、友達、出来事、全部……何もかも…」ポロポロ

憂「お姉ちゃん……」ギュッ

唯「どうして……どうしてなの!? 私は…なんなの!?」

憂「落ち着いて、お姉ちゃん……落ち着くまで、こうしててあげるから」ナデナデ



憂「――落ち着いた?」


本当に憂は、私が泣き止んで落ち着くまで抱きしめて頭を撫でてくれた。
その優しさは凄く嬉しいし、助けられたけど……


唯「……教えて、憂。憂は何を知ってるの?」


憂は、私の言ったことにまったく動じてなかった。憂は何かを知ってる。軽音部の皆の時と同じような、私だけが『わかってない』感覚。
いや……私にも仮説はあるんだけど。それでもやっぱり、誰かの口から真実を聞きたかった。


憂「……律さんも呼んでいいかな?」

唯「どうしてりっちゃん?」

憂「…部長さんだから、かな」

唯「よくわからないけど…話してくれるなら」


憂は頷いて、りっちゃんに電話をかける。
……いつ番号聞いたんだろう? まぁいいか。いくらでも機会はあったよね。




律「うーっす」

唯「来るの早っ!」

律「登校途中だったんだよ。なんとなくいつもより早く唯の家の近くを通ってな」

唯「あはは……虫の知らせでもあったの?」

律「そうかもな。……学校は休むだろ? ムギにメールしとくよ」

唯「うん……」


一瞬、澪ちゃんには言わなくていいのかな、と思ったけど……今の澪ちゃんに言ったらそのまま押しかけてくるのは目に見えてる。
少なくとも話が終わるまではムギちゃんに引き止めていてもらおう、というりっちゃんの判断だろう。


律「――で、なんだっけ? 唯の高校以外の思い出が無いって話だっけ?」

唯「なんでそんな軽く言うのさ、りっちゃん……」

律「そりゃ知ってたからな。澪も言ってただろ?」


そうだ、澪ちゃんは考えるなと忠告してくれてた。考えれば私が今みたいに落ち込むことも、ちゃんと知ってたんだ、澪ちゃんは。
いや、澪ちゃんだけじゃなく、私以外の皆が知っている。それはもういい加減認めないといけない。


唯「……でも、りっちゃんは私が考えることも止めなかったよね」

律「ああ。だって唯の人生だ、どんな道を歩もうと、私に止める権利は無い」

憂「正確には『私達に止める権利は無いはずだった』ですよね」

律「……そうだな。私も憂ちゃんも悔いてる。本当によかったのか、って。だから皆みたいに隠し通そうとせず、中途半端な立ち位置にいる」

憂「そのせいで、梓ちゃんから点数稼ぎって言われるんですよね」

律「間違っちゃいないんだよな、それ。私達がやったことなのにさ、『唯のため』とかカッコつけて責任を果たそうとしないんだから」


……結局、二人の会話を聞いてるだけじゃ納得はできない。
でも、いくつか見えてくる。
りっちゃんと憂だけは『私の意志』を尊重しようとしてること。でも、そのりっちゃんや憂も加わって、私に何かをしたということ。それが原因で、私には高校生活しかない、ということ。


唯「……結局、みんなは私に何をしたの?」

律「……それは言えないよ。言ったら、私達は唯の側についたことになる。みんなを見捨てて、裏切って、な」

唯「……勝手だね、りっちゃん」

律「ああ。というか誰に聞いても教えてくれないさ。澪、ムギ、梓はもちろん、和達クラスメイトも、名前さえ知らない同級生も」

憂「もちろん、私の同級生も、ね」

律「でも、唯が自分で思い出すことは止めない。止める権利は無い」

唯「うん……あのさ、学校、今からでも行っていいかな? 何か思い出すかもしれない」

律「止めないよ。あー、でも私は澪にいろいろ言われるんだろうなぁ……私はこのままサボるよ」

憂「そしたら私のところに来るじゃないですか…私もサボりますよ」

律「っていうかこのままここに匿ってくれ」

憂「家事を手伝ってくれるならいいですよ?」

唯「……なんかごめんね?」


上手く言えないけど、私のことを思っての行動をしている二人が困ってるんだから、謝っておくべきかな、と思った。
けどもちろん、二人は私のそんな言葉にもいつもの笑顔を返す。


憂「お姉ちゃんは気にしないで。私達の責任なんだから」

律「唯が悪いわけじゃない。澪一人が悪いわけでもない。……私があの日言ったこと、まだ覚えてるか?」

唯「…『私は今の関係に不満なんてない』『みんなは私のことが大好き』…ってやつ?」

律「ああ。お願いだから、それだけは忘れないでくれ。その上で唯が決めたことなら、何も文句は言わないから…」


私は頷いて、部屋を出た。
学校に行かないと、というのもあったけど、それよりもあんなつらそうな顔のりっちゃん、初めて見たから、目を背けたかった。
私は……もしかしたら思い出さないほうがいいのかも。いや、澪ちゃんの言うとおり、思い出さないほうがいいんだ、きっと。




それでも、やっぱり知りたい。知らないと不安で、怖くて、押しつぶされそうだから。
私はひたすら全力で、学校に走った。

学校に来たのはもちろん、高校が私の全てだから…というのもあるけど、それ以外にも理由はあった、というかこっちのほうが大きい。
りっちゃんと憂は、ああ言いながらも私にヒントをくれていた。
『誰も教えてくれない』『澪、ムギ、梓も、和達クラスメイトも、同級生も』『私の同級生も』と、二人は言っていた。
そこには…生徒しか含まれてない。つまり…聞くなら、助けを求めるなら、生徒ではなく。


唯「さわちゃん!」ガラッ


教師へ、と。きっと、部外者の人にこそ聞け、と言いたかったんだろう。



さわ子「――なるほどね」


教室にも向かわずに会いに来た私を、さすがのさわちゃんでも怪訝に思ったとは思うけど、それでも黙って私の話を聞いてくれた。


さわ子「みんなが何かを隠していて、それはきっと知ってはいけないことで。でも唯ちゃんは忘れていることを思い出したい、と」

唯「…信じてくれるの? さわちゃん」

さわ子「教師が教え子を疑う理由なんて何も無いでしょ? それに、私も唯ちゃんと似たような違和感を感じることはあったのよ」

唯「それじゃ、さわちゃんも私と同じ…」

さわ子「いいえ、きっと違う。というか細かく言うと、唯ちゃんが感じてるのは違和感で、私が感じてるのは既視感」


既視感……確か、デジャヴとかいうやつだっけ。これ、前にも見たような気がする――ってやつ。
私は、以前とは違ってる――という感じだから、確かに少し違う。


さわ子「……唯ちゃんに起こっている現象のアタリはついてる。私達大人はただそれに巻き込まれただけの被害者よ」


唯「被害者……って、それこそ私もそうじゃ…」

さわ子「違うわ。あなたはみんなの『願い』。みんな、あなたのためにやったこと。皆、あなたのことが大好きだからね」


愛されているのね、と。優しさと寂しさを混ぜたような瞳で、さわちゃんは私を見る。
優しい顔をしてくれるのはわかる。さわちゃんも本当は優しい『先生』だから。
でも、だったらどうして寂しさがさっきから顔を覗かせてるの?


さわ子「……唯ちゃんがみんなに違和感を持ったのはいつ頃?」

唯「え、えっと……いつだっけ、結構前だと思うけど」

さわ子「それは『いつ』のみんなと比べて?」

唯「え、そりゃもちろん出会った頃の…」

さわ子「じゃあ出会ってからどれくらいまでは普通だったの?」

唯「い、一年くらい…?」

さわ子「梓ちゃんはまだ出会ってからちょうど一年くらいよね。じゃあ梓ちゃんはおかしくなったのは最近?」

唯「いや、あれ…? みんなと同じくらいの時期におかしくなったような…? みんなと張り合ってたし」


さわ子「梓ちゃんって絶対唯ちゃん達の卒業式の後に泣くタイプよね」

唯「あ、それ私も思った! っていうかそんな夢見た!」

さわ子「『現実みたいな夢を最近よく見る』って言ってたものね。でも未来の夢を見る確率って低いのよ」

唯「……そういえば夢って結局は過去の体験や記憶が元になってるって澪ちゃんから聞いたような…」

さわ子「でも唯ちゃんはそんな未来の夢を見た。大学入試も、最後の文化祭も、卒業式も」

唯「う、うん……」


……なんだろう、怖くなってきた。さわちゃんが、じゃなくて、話の流れが。
間違いなく、核心に迫ってきてる。


さわ子「なぜか見る『未来』の夢。そして唯ちゃんが感じる『過去』との違和感。そしてやたらと『現在』を大切にしたがってる仲間達」


『未来』のことを話すと様子がおかしくなるみんな。『過去』を具体的に思い出せない私。
そして『現在』のみんなとの関係に不満は無いなんて言っておきながら、澪ちゃんの制止を無視して真実を求める私。
考えてみれば、何もかも歪だった。


そして。


さわ子「でも、もしもみんなに『未来』がないとしたら?」

さわちゃんの、その言葉は。

さわ子「『過去』と『現在』しかないとしたら?」


私に、全てを思い出させるには充分で。


さわ子「唯ちゃんの見た『未来』も、実は『過去』だったとしたら?」


私が高校より前を思い出せないのは、そのころを生きていたのが『私』じゃない私だから。
『私』は高校生として生まれ、高校生として死ぬ。大学生にはなれない。『私』に『未来』は無い。


さわ子「さながらあなた達は……いえ、唯ちゃんと、この世界は」



唯「……蝶になれない、永遠の蛹のよう」



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