久方ぶりの自宅のマンションへ戻ると、部屋は意外にきれいに整理されている。
律か唯か紬か……とにかく誰かが掃除していてくれたのだろう。
身体を投げ出すようにソファーに背を預け、澪は天井を見上げた。
そしておもむろに一枚のCDをステレオにセットし、爆音で再生した。
『キミを見てるといつもハートDOKI DOKI~♪ 揺れる想いはマシュマロみたいにふ~わふわ~♪』
それは、まだ澪が純粋な気持ちで、五人で演奏することを楽しんでいたインディーズ時代、
あのボブ・サップ・レーベルのコンピレーションアルバムに収録されたバージョンの『ふわふわ時間』だった。
澪「結局、バカだったのは私なんだなぁ……」
激しい後悔と悲しみとやるせなさと切なさが澪の胸に去来する。
澪「ハハハ……バカだ……私バカだ……。みんなの『ふわふわ時間』を壊したのは私なんだ……」
自分がちょっとだけ我慢をしていれば、律はあんなに不安な目で私を見ることもなかった。
自分がもうちょっとしっかりしていれば、紬に家の力を使わせるまで気を使わせることもなかった。
自分がもうちょっとちゃんと演奏していれば、唯が『ふわふわ時間』のコード進行を丸忘れすることもなかった。
自分がもうちょっとだけ利口なら、梓は放課後ティータイムを出て行かずに済んだ。
でも、どうあがいたって、もうあの頃には戻れない――。
そう思った瞬間、澪の中に得体のしれない感情が浮かんでくる。
そして爆音で流れる自分達の演奏をBGMに、澪は溢れそうな感情をペンにのせ、ノートブックに向かった。
『私は音楽を聴いたり、創ったり、そして読むことにも書く事にも随分前から冷めてしまった。
それについては言葉で言い表せないくらいの罪悪感を感じているよ。
例えば、私達がバックステージにいて客電が落ち、オーディエンスの興奮した叫び声が起こっても、
あのフレディー・マーキュリーには効いたような作用は自分にはなかったんだ。
彼はその瞬間を愛しみ、オーディエンスからの愛や崇敬を受ける事を楽しんでいたようだけどね。そんな彼を私は手放しで素晴らしいと思うし、羨ましくもある。
でも、正直私はみんなをごまかせないんだ、みんなの誰をも。それはみんなにとっても自分にとっても公平じゃないから。
私の考える最大の罪は、私が100%楽しんでいるって偽ったり、そんなフリをしてみんなからお金を巻き上げる事なんだ。
時に私はステージに上がる前にタイムカードを押すように感じるときがある。
感謝しなくちゃいけないんだって出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。(本当なの、信じて欲しい、それでも足りなかった)。
私や私達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。
私はきっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分るナルシストの一人なのかも知れない。
私は繊細すぎるんだ。子供の頃のような元気を取り戻すにはちょっと鈍感である必要があるんだ。
この何年かの活動で個人的に知り合った人や私達の音楽のファンのみんなへも、今まで以上のありがたみを感じた。
それでもフラストレーションやみんなへの罪の意識やみんなへの感情移入を解決する事はできないんだ。
みんな誰にもいいところがあって、私は人を好きになり過ぎてしまう、そしてそれが強すぎるおかげで、自分がひどく哀しくなるんだ。
私って哀れでちっぽけで、繊細でありがたみを知らない魚座のジーザス女なんだよ、まったく、なんでただ楽しくやれないのかな? 分らないんだ!
私は野望と思いやりに溢れたがんばり家の親友達を仲間に持ち、その仲間達みんなが私の名前を呼んで私を愛してくれる。
でも、そんなことが私に収拾がつかないほどの恐怖感を与えるんだ――
――律や唯やムギや梓が私のように惨めで、自棄なデスロッカーになるなんて想像するだけで耐えられないよ。
いい人生だった。本当にいい人生だったの。でも、いつからか、私は人間嫌いになっていた。
その理由はすぐ人と打ち解け、感情移入してしまうからで……人を愛したり、同情し過ぎてしまうのだと思う。
胸焼けして、むかむかするこの胃袋の底から、ここ何年かの内にメールをくれたり心配してくれたみんなにありがとうと言いたいよ。
私は気難しくて、変人で、気分屋過ぎるから……もう情熱を失ってしまったんだ。
そして、だからこそ思い出してほしいんだ。
錆びついてしまうくらいなら今この瞬間燃え尽きちゃった方がいいよね
(It's better to burn out than to fade away )
ってことを。
Peace, Love, Sympathy……秋山 澪
最後に――。
律、唯、ムギ……そして梓、私は祭壇にいるよ。
みんな、放課後ティータイムの活動、がんばってね。
みんなの人生にとって、私なんかいない方が幸せだと思う。
アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー! 』
ペンを投げ出して、澪はおもむろにステレオの裏側を漁る。
そこには澪をドラッグ漬けにしたあの男がいつかこの部屋を訪れた時、
『ヤクの代金代わりに手に入れた。せっかくだからやるよ』と言って無理やり置いていったショットガンが眠っていた。
澪「ははは……部屋の掃除をしてくれたのに、ステレオの裏側にまでは気付かないなんて。
こういうところにこそ汚れはたまりやすいのに……。きっと掃除をしてくれたのは律か唯なんだろうな……」
『お気に入りのウサちゃん抱いて~♪』
活き活きとした自分のボーカル。ちょっとナルシストっぽいけど、これを聴きながらっていうのも悪くはない。
澪「さよなら……」
『今夜もお休み~♪」
そして澪はショットガンの銃口を銜え込み、一気に引鉄を引いた――。
――とある郊外のライヴハウス。
今夜ここでは明日のメジャーデビューを夢見るアマチュアバンドの登竜門的なライヴイヴェントが行われることになっていた。
そしてそのイヴェントの開演を今か今かと待つ、自称ツウなロックファンが二人、ステージ最前列に陣取り、会話に耽っていた。
客1「そういやさ、ちょっと前に『放課後ティータイム』っていうガールズバンドいたじゃん」
客2「ああ、いたなぁ、そんなバンド。『ふわふわ時間』ってシングルと『うんたん♪マインド』っていうアルバムが滅茶苦茶売れたんだよなー」
客1「そうそう。メンバーみんな可愛かったけど、特にベースボーカルのあの子、名前なんて言ったっけなぁ。忘れちゃったけど特に可愛かったんだよなあ」
客2「ああ、いたなぁそんな子。確か名前は秋山……なんだっけ?」
するとそんなの会話の輪に入るもうひとりのファン。
客3「秋山澪だろ。つーかお前ら、全然わかってねえな。放課後ティータイムの真骨頂は、インディーズ版の『ふわふわ時間』とその後に出た『放課後ティータイム』だぜ?
一回聴いてみろよ。演奏の勢いが全然違うから。それにメジャーになってからも『うんたん♪マインド』より『イン・ユイテロ』の方が激しくてかっこいいんだよ。
ま、リリースされた当初は不評で売れなかったんだけど」
客2「で、今も活動してんの? そのバンド」
客1「さぁ? 確かデビュー時にいた小さいギタリストの子が途中で脱退しちゃったんだよなぁ」
客3「ギャンズにいったんだよ、ギャンズ」
客1「どっちにしろそれからかなり下り坂だったみたいで露出もなくなっちゃたらしいしなぁ。もう解散してんじゃね?」
客2「そっかぁ。そんな可愛い子がいたバンドなら、一度見てみたかったなあ」
客3「俺は一度だけインディーズ時代のライヴ見たことあるけど、音の方もなかなかだったぜ?」
そしてまた一人。
客4「おーい。お前らさっきから一体なんのバンドの話してんの?」
客1「ああ、放課後ティータイムってバンド、覚えてる?」
客4「はぁ? 何言ってんだ。放課後ティータイムって言ったらお前、今日の出演バンドに入ってるじゃん。今日のイベントのチラシ、見てないの?」
客123「え?」
その瞬間、暗転していた小さなステージに、まばゆいスポットライトが灯る。
そこに立っていたのは、
ドラムセットから身を乗り出し、満足げにフロアを見下ろす、カチューシャのよく似合うドラマー。
まるで我が家に帰って来たかのようにホクホクと穏やかな笑みを浮かべる太眉が特徴的なキーボーディスト。
その細腕には不釣り合いなギブソン・レスポールとなぜかカスタネットを持っているほんわかした雰囲気のギタリスト。
ひときわ小さな身体でフェンダー・ムスタングを抱えて、興奮を隠せないようにパタパタと飛び跳ねるツインテールがよく似合うもう一人のギタリスト。
そして、
客123「マジかよ……」
――ちょっとだけ緊張を隠せない感じにモジモジと、しかしそれでいて悠々と、凛とした表情でフェンダー・ジャズベースを抱える左利きのベーシストであった。
澪「さよなら……」
そう呟いて澪がショットガンの銃口を銜え込み、引鉄を引こうとした時――
――バキバキバキッ!!!
急に重機でコンクリートを破壊するような衝撃音が、澪の耳を劈いた。
律「そこまでだーッ!!!!!」
そして次の瞬間、澪が目にしたのは、まっすぐ自分めがけてダイヴをカマす、よく見慣れた律のデコだった。
律「澪、確保オオオオオオオオッ!!!!」
大げさな声とともに、力ずくに澪の手からショットガンを奪うと、律はそれを投げ捨てた。
唯「でかした律ちゃん!! さすが!!」
紬「なんとか……間に合いましたね」
澪「律……唯……ムギ……」
目をぱちくりさせる澪。目の前の光景が信じられない。
律「どうしてここにいるって顔してるな……ってお前、カギまでかけるんじゃないよ。
おかげでまた私のジルジャンのシンバルで、ドアを破壊する羽目になったじゃないか。これでシンバル壊れたら、お前弁償しろよ」
唯「ダメだよ、律ちゃん。もう粉々に割れてるし」
紬「ダイナマイトでドアを爆破した方がスムーズでしたね♪」
澪「三人とも……な……なんで……」
律「おおっと、実は三人だけじゃないんだなこれが。おーい隠れてないで出て来いよ」
すると三人の後ろからぴょんと飛び出る、あまりにも特徴すぎるツインテール。
澪「うそ……」
梓「澪先輩……」
出てきたのは梓だった。
澪「みんな……どうして来たんだ……?」
律「どうして来たんだ?……じゃないよッッ!!!!!」
澪「ッ!!」
律「澪……お前、私達が来る前、あのショットガンで一体何するつもりだったんだ? なあ?」
澪「それは……」
律「あんまりバカなこと考えるなよ……ううう……このバカヤローッ!! うわーんっ!!」
すると律は大粒の涙を流しながら、澪を抱き締めた。
唯「私だって……澪ちゃんが施設を脱走したって聞いて……もしもって思ったら……うううう、うえ~ん!!」
紬「私だって私だって……グスッ……どれだけ心配したか……うわ~ん!!!」
梓「心配だったのは私も一緒です……。新幹線で会った澪先輩、明らかにヘンでしたから……。
それで律先輩に最近の澪先輩のこと聞いて……居てもたってもいられなくて……うううううう、うわーーーーーーーーん!!」
立て続けに3人に抱きつかれ、澪の胸はもう涙だが鼻水だがわからない液体でグショグショだった。
澪「み、みんな……私のこと、邪魔ものだと思ってたんじゃないのか?」
律「そんなこと思ってたらドアぶっ壊してまでお前を助けに来ないだろバカーッ!! うわーん!!」
唯「澪ちゃんがいなくなったら、誰が放課後ティータイムの曲の歌詞を書くの……うえーん!!」
紬「せっかく新しい紅茶を買ってきたんですよ……? 澪ちゃんに飲んでもらいたいなって思って……うわーん!!」
梓「私も……私も……放課後ティータイム辞めるなんて言ってごめんなさい!! うわーん!!」
四方からステレオで襲い来る四人の嗚咽に、澪の胸の中は熱くなった。
澪「そうか……やっぱり私って、バカだったんだ」
律「なんだよぅ!!今更気付いたのかようわーん!!」
澪「ああ。だって、こんなにも私のことを大切にしてくれてる仲間が……うう……いたこと……
うう……ずっとずっと……忘れてたんだもん……うわ~ん!!」
唯「澪ちゃん……ぐすっ……実はね……私達、今のレコード会社……辞めてきたんだよ?」
澪「えっ……?」
紬「唯ちゃんの言う通りです……。だから澪ちゃん、もう悩む必要はないのよ……?」
律「そうだぞ……。アマチュアでもCDが売れなくても武道館のステージに立てなくてもいい! またみんなで昔みたいに楽しくバンドやろうぜ!」
澪「そうだったのか……」
梓「澪先輩……私もギャンズ辞めてきたんです」
澪「えっ?」
梓「あんなこと言って、放課後ティータイムを飛び出して……新しいバンドに入って……
CDも売れたしギタリストの評価もあがりました……でも、演奏をするのが全然楽しくなかったんです……」
澪「梓……」
梓「どうしてなんだろうって、考えました。そしたら気付いたんです。
ギャンズでギターを弾くのが楽しくないんじゃなくて、放課後ティータイムで……先輩達と一緒にギターを弾いている時間が幸せで、楽しすぎたんだなって。
だから……本当にわがままなお願いなんですけど……私をもう一度放課後ティータイムに入れてください!!」
律「はははは! バカだなー、あずにゃんはまだ放課後ティータイムのメンバーだぜ?」
唯「そうそう! ギャンズにはレンタル移籍してただけだもんね?」
梓「唯先輩……サッカーじゃないんですから」
紬「だから澪ちゃん、五人でまたいちからやり直しましょ?」
澪「うううう……ありがとう……みんな……本当にありがとう……」
その後、メジャーシーンから姿を消した放課後ティータイムは、オリジナルメンバー五人の編成に戻ると、再度アマチュアバンドへと戻った。
周囲からは「大金をどぶに捨てた」とか「とても正気とは思えない」等、雑音が聞こえてきたが、五人にとってはそんなことはどうでもよかった。
そして放課後ティータイムは改めて、さわ子の元を訪ねる。
さわ子「ボブ・サップ・レーベルに戻りたいですって? アウイエッ! 良いに決まってるじゃないの!!
正直言って、私もみんなを手放したのは大失敗だったって思ってるの……。
あなたたちみたいな可愛いリトルバスターズ達――もとい女の子達にコスプレさせたい衝動には四六時中教われるし、
ムギちゃんの入れる紅茶とお菓子を食べたくて手は震えるしで仕事にならなくてね。そ
それじゃあ早速澪ちゃんにはこの猫耳メイドのコスプレを……いや、趣向を変えてこのファニー・バニーなウサ耳も……」
澪「イヤーーーッ!!」
梓「ブルブル(次は私の番かも……)」
律「そういやさわちゃん、まだ教師やってるんだなあ」
唯「相変わらず彼氏はいないんだね」
紬「男の人と一緒になるだけが幸せじゃないですよ♪」
こうして放課後ティータイムは新しいスタートを切ったのであった。
ライヴハウスに集まったオーディエンス達からは、次々に驚きの声が上がる。
時代のあだ花として消えたはずのあの伝説のガールズバンドが、こんな場末の小さなライヴハウスのステージに立っている。
客2「何だよ!? 放課後ティータイムって解散したんじゃなかったのかよ!?」
客1「おい、マジかよ……。なんであの伝説のバンドがこんな小さなライヴハウスに……」
客3「まさか……またこのバンドのライヴを見れるなんて……」
客4「お前ら知らなかったのか? 確か来月、またボブ・サップ・レーベルからアルバム出すんだぜ?」
律が得意げな笑みを浮かべて軽くスネアを一発叩く。
唯は相変わらず曲の出だしのコードを梓に確認するのに余念がない。
梓はそんな唯に半分呆れながらも、優しく耳打ちして教える。
そしてそんな唯と梓の意味深なやり取りを眺めて、紬が鍵盤を撫でながらこれまた意味深な笑みを浮かべる。
そして――
ざわめく客を尻目に、澪はおずおずと恥ずかしそうにセンターマイクの前に立った。
澪「こんばんは! 放課後ティータイムです!
それではさっそく1曲目、聴いてください! 『ふわふわ時間』!!」
おわり
112 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/02(火) 00:46:05.50 ID:In/YiVs30
終わりです。
ご指摘の通り、ニルバーナというアメリカのロックバンドの活動、
そしてそのメンバーだったカート・コバーンの人生を軽音部と澪に重ねただけの話でした。
澪を主役にしたのは左利きだったからっていう理由だけなんですがw カートと同じギター使ってる梓でもよかったのかな。
遺書についてもカートが書いたものをコピペして澪口調になるよう替えただけです。
おかげでちょっとだけ原文が残って誤字になってたりしますがw
ちなみに梓に速攻で止められたギャンズのボーカリストは、うつ病の余りその後、16年間アルバムが出せなくなってしまったそうです。
114 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/02(火) 00:46:21.61 ID:75Co/FAiO
乙!
おもしろかったぜ!!
>>1は音楽詳しいんだな
澪の「錆び付くくらいなら……」ってのもミュージシャンの言葉なの?
116 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/02(火) 00:48:49.81 ID:2PXGLVSUO
>>114
ニール・ヤング
117 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/02(火) 00:49:23.70 ID:5TwoKTLd0
>>114
カートコバーンの遺書の中の文章
118 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/02(火) 00:49:31.53 ID:In/YiVs30
>>114
ニール・ヤングっていうアメリカのミュージシャンの曲「ヘイヘイ・マイマイ」の歌詞の一節で
実際にカートが遺書に引用しています。
この話を考えていたちょうどその時にアニメ版にも出てきたんですよね、カートwww
最終更新:2011年05月18日 17:04