梓「澪先輩、どうしてそんなことを言うんですか!?」

   本番前の澪の弱音など、それこそ軽音部時代から日常茶飯事で慣れていたはずの梓が、この日初めて己の不満をぶちまけたのだ。

   梓「せっかくメジャーデビューできて……CDも売れて……武道館までたどり着いたのに。
   どうしてそんな後ろ向きなことを言うんですか!?」

   澪「じゃあ逆に聞くけど、梓はこんな形での成功を望んでいたのか?
     私達はただ5人で楽しく音楽を演りたかっただけなのに……動物園の見せ物みたいな今の状況を望んでいたのか?」

   梓「私は……自分達の音楽をより多くの人たちに聴いてもらうためには、そういうことも必要なことだと思ってます」

   澪「自分達の音楽だって? 今の放課後ティータイムは大人達の操り人形で、
     打ち込まれたデータを無機質に奏でるだけの機械と変わらないじゃないか。そんな私達に自分達の音楽なんか……」

   梓「澪先輩の口からそんな言葉を聞くだなんて……見損ないました」


   律「梓のやつ、昔から澪のこと、尊敬してたからな……」

   紬「あんな澪ちゃんの姿を見て、ショックだったのかもしれませんね」

   唯「でも、まさかあんなことになるなんて……」


   その日の武道館で演奏は、それは酷いものだった。
   澪の歌唱に生気はなく、カラオケのような気の抜けた歌声に観客は戸惑いの表情を見せた。
   ベースプレイも明らかに精彩を欠き、それに引きずられるように、律のドラムはテンポを乱し、紬のキーボードは不協和音を奏で、
   唯は『ふわふわ時間』のコード進行を丸ごと忘れてしまった。
   そしてそれとは対照的に、煮え切らない態度の澪とふがいない先輩達へのフラストレーションをぶつけたような梓の激しいギタープレイだけが、バンド内で浮き立っていた。
   ちなみにこの日のライヴはあろうことかDVDとして市場に出回ってしまっている。
   放課後ティータイムのキャリアの中での初めての汚点であった。

   そして終演後の楽屋で、ついに梓は放課後ティータイムからの脱退を申し出た。

   唯「そ、そんな~っ! あずにゃん……嘘だよね?」

   梓「嘘ではありません」

   律「いくらなんでも突然すぎるだろう……」

   梓「ここ最近、ずっと考えていたんです」

   紬「ここまで長い間一緒にやってきたのに……」

   梓「先輩達には感謝しています」

   澪「……辞めてどうするつもりなの?」

   梓「実はあるバンドに誘われてるんです。澪先輩も知ってるでしょう? 『ギャルズ・アンド・ローゼズ』というバンドです」


    『ギャルズ・アンド・ローゼズ』――人呼んで『ギャンズ』。
   放課後ティータイムの一年前にメジャーデビューしたガールズロックバンドだ。
   ハードロックを下敷きしたにポップな楽曲で人気を博し、
   メジャー1stアルバムの『ツルペタイト・フォー・デストラクション』で放課後ティータイムと同じくオリコン1位を獲得している。
   今となってはツアーで確実にアリーナ級の会場を埋めてみせるモンスターギャルバンであった。

   唯「律ちゃん、ギャンズって確か……」

   律「そうだよ……ギャンズは曲の良さもさることながら、メンバーのアイドル性やファッション性で人気を博してきたようなバンドだぞ?」

   紬「確か……メンバーのステージ衣装は常にコスプレ。ナースにスク水に猫耳……なんでもありでしたよね」

    一年生の頃、さわ子が持ってきた猫耳を装着するのをあれほど嫌がっていた梓に、ギャンズのギタリストが務まるとはとても思えなかったのだが――。

   梓「もう決めたんです。私はギタリストとしてもっと上に行きたいんです」

   澪「梓……ギャンズになんか入ったらそれこそ本当にただの金稼ぎマシーンになっちゃうよ?」

   梓「私のギターで巨万の富が生み出されるというなら、それもまた一つのギタリストとしての生きがいだと思います」

   澪「そうか……」

   梓「後悔はしていません。きっとギャンズで世界一のギタリストになってみせます」

   唯律紬「…………」

   こうして梓は放課後ティータイムを脱退した。
   その衝撃のニュースは、ほぼ同時のギャンズ加入というこれまた大衝撃のニュースとともに世間へと知れ渡った。
   マスコミはこぞって梓脱退の理由を推測し、書きたてた。曰く「メンバー間のギャラの配分を巡ったトラブル」、「音楽性の違い」、
   「律にいじめられていた」、「ムギに喰われかけていた」、「唯の残念な子クオリティにいい加減に嫌気がさしていた」……そして「メンバーの中で一人特別扱いの澪と衝突していた」――。


   律「澪がマスコミ嫌いになったのはあの時がきっかけだよな……」

   紬「雑誌のインタビューにもめったに応えなくなりましたしね……」

   唯「あずにゃんが辞めちゃったの……だいぶツラかったみたいだからね」


   澪の言動もこの頃からおかしくなっていく傾向が見られた。
   梓脱退後、嫌々ながらも初めて応えた音楽雑誌のインタビューで、澪は梓を痛烈に批判したのだ。

   澪「梓はカネに魂を売った。ギャンズにあるのはパッション(情熱)でなくファッションだけ。あんなバンドに入るなんて、アタマがどうかしているとしか思えない」

   澪「梓は札束に股を開くビッチ」

   澪「ギャンズに入ってからの梓のギターには輝きが感じられない。死亡5秒前の蚊の鳴き声みたいに聴こえる」

   これには梓も黙っていなかった。同じくインタビューで反論する。

   梓「私が放課後ティータイムを抜けたのは、セルアウトすることを執拗に拒もうとする澪先輩の態度に耐えかねたから。
     売れることは悪いことじゃないし、ヒラヒラの衣装を着てギターを弾くことも悪いとは思わない」

   梓「澪先輩の言ってることは駄々をこねる子供と同じ。売れることを潔癖なまでに拒もうとするあの態度はガキ臭いだけ」

   梓「所詮、放課後ティータイムだって、そういうアイドル性で売れた『商品』バンドだった。
     澪先輩だって高校の頃はヒラヒラの衣装を着て、パンツを丸出しにしてオーディエンスに媚びてた」

   この舌戦はしばらくの間、音楽雑誌のゴシップ記事にネタを提供し続けた。




   澪「んっ……あっ……これ……凄い……」

    澪は男から買ったヘロインを早速静脈に注ぎ込んでいた。

   男「上物だって言ったろ?」

   澪「うん、凄い……。どこかに飛んでいっちゃいそう……」

   すると、とろんと蕩けた澪の光悦とした表情を見た男が突如目の色を変えた。

   男「そうかい。じゃあもっと遠くまで飛んでってみるか」

   澪「えっ……」

    抵抗する暇もなく、澪の身体はソファーに押し倒されていた・

   男「知ってるか? キメながらセックスすると、その快感はシラフの時の何十倍にもなるんだぜ?」

   澪「や、やめて! 私はそんなつもりであなたを呼んだんじゃ……!」

   男「別にいいじゃねえか。お互いヤク中のミュージシャン同士――いや、音楽かじってるヤク中っていうのが正解か。とにかく似た者同士、仲良くやろうぜ?」

   澪「イヤーーーーッ!」




   律「そのすぐ後のことだよ……。澪が薬に手を染め始めたのは」

   唯「確か……あの夏、2回目のフジロックに出演した時だよね」

   紬「一緒に出演したとあるバンドのメンバーに……ジョーカーがいたんですよね」

   男「おっ、君は確か放課後ティータイムの秋山澪じゃないか。テレビで見るより可愛いなあ」

   自分達の出番前、相変わらずの憂鬱な気分と気だるさを持て余してステージ裏を一人でぶらついてた澪に声をかけたのは、
   同じくフジロックに出演していた『エビル・ホット・チリ・ペッパーズ』――通称『エビチリ』というロックバンドのボーカルを務めていた男だった。

   澪「あなたは……?」

   男「おおっと。俺のことを知らないっていうのかい? ちょっとはこの業界でも有名になったと思ってたんだけどなあ」

   澪「用がないなら話しかけないでください。一人でいたいんです」

   男「そう言いなさんなって。別にとって食いやしないから。それより、随分と浮ない顔してるみたいだけど、何かあった?」

   澪「別に……」

   男「『音楽』をやりたいだけなのに、『アイドル』やらされてるのはそんなに憂鬱かい?」

   澪「ッ!!」

   男「ハハハ。どうやら図星かな? ところでさ、そんな腐った音楽業界とそれをどうにもできない自分にイラついてるプリンセスに朗報だ。憂鬱な気分吹き飛ばしてみたいと思わない?」


   こうして澪は男にまんまと騙され、ドラッグに手を出した。
   最初は軽い興奮剤をちょっぴりキメただけだったが、それだけで澪の憂鬱は紛れたのだ。
   そこからはもう雪崩のように落ちていくのみ。アンフェタミン、マリファナ、コカイン、LSD、エクスタシー……男経由で手に入るドラッグは何でもやった。

   律「おい澪、お前最近『エビチリ』のボーカルとつるんでるって聞いたぞ?」

   唯「え~、あのよくテレビとかでも見るカッコイイ人? 澪ちゃんまさか……」

   紬「男性となんてダメです!」

   澪「おいおい……別にそういう関係なわけじゃないよ。ただ作曲とかの相談をよくするだけ」

   律「お前は知らないかもしれないがな……あの男、業界内じゃ『コートニー』ってあだ名で通ってるらしい。
    『コートニー』ってのはアメリカのスラングで『最悪のビッチ』って意味なんだぜ?」

   唯「ビッチってどういう意味?」

   紬「あまり口にだして言いたい言葉じゃないですね……。と、いうことはまさか……」

   律「そうだぞ澪、あの男は危険だ。つるむのは止めた方がいい」

   澪「別に何もないってば……。もう、皆心配性なんだから」


   ドラッグをキメるようになってからの澪は、他の三人から見れば、少しは精神的にはマシになったように思えた。
   弱音を吐くことも少なくなったし、インタビューで梓のことをボロクソに言うこともなくなった。
   しかし、身体的には別であった。
   ステージ上では目の焦点が合わず、虚ろな表情で律のカウントにノリ損ねる。歌詞を飛ばす。
   曲のキーを間違える。一人だけ三人とは別の曲を弾いている。
   かと思えば興奮して呂律の回らないシャウトを飛ばし、ライヴの終了とともに律のドラムセットに倒れ込む……。

   律「なぁ……最近の澪、またおかしくないか?」

   紬「そうですね……。精神的にはよくなったのに、なにか挙動が不審というか……調子が悪そうです」

   唯「この前なんてトイレですごい吐いてたよ?」

   この時、まだドラッグなどの音楽業界の闇というものに対して無知だった三人には、
   澪が嵌り込んでいる泥沼の深さを測ることができていなかった。



   それから、売れに売れ続ける1stアルバムのおかげで、
   澪達放課後ティータイムのメンバーのレコード会社や所属事務所に対する発言力も多少は増し、
   あれだけ嫌だったアイドル的な売り方も、少しずつ改善されてきた。

   そしてバンドは満を持してメジャー2ndアルバムのレコーディングに入る。
   『もう大人達のいいなりになどならない』――そう決意した四人はプロデューサーを介入させず、全ての楽曲を自分達で作詞作曲し、
   アレンジし、主導権を取ってレコーディングセッションを進めた。

   「あの放課後ティータイムが次のアルバムではどれだけのものを見せてくれるか!?」――そんな世間の大きな期待を背負って、メジャー2ndアルバム『イン・ユイテロ』は発売された。


   律「あのアルバムが……本当の意味でのターニングポイントだったんだ」


   結論から言って、『イン・ユイテロ』は失敗作だった。
   とは言っても、インディーズ時代の原点に回帰したかのような活気溢れるエネルギッシュなサウンドは、一部の評論家筋では好意的に受け入れられた。


   唯「だけど『うんたん♪マインド』に比べたらセールスが悪かったんだよね……」


   その通り。『イン・ユイテロ』の売り上げは伸び悩んだ。
   1stアルバムのキュートでポップな音づくりや、それまでの澪や他のメンバーのアイドル性に惚れこんで追っかけをしていたようなファンに不評だったのが最大の要因だ。


   ファン1「なんかあのアルバムの音……激しすぎて受け付けないっていうか……」

   ファン2「澪タソの歌声もどこかシリアスすぎる感じだし」

   ファン3「やっぱりあずにゃんがいなくなったのはデカイよなあ」

   ファン4「やっぱり放課後ティータイムはステージでニコニコ笑顔を振りまくみんなアイドルでいてくれないと」

   ファン5「澪タソ……高校時代みたいにパンモロしてくれないかなぁ。俺、あのレアライヴを生で見たんだぜ? すごいだろ?」


   紬「せっかく自分達でやりたいようにできて作れたアルバムだったのに……」

   唯「ショックだったね……」

   律「だけど……誰よりもショックを受けたのは……」


   そう。誰よりも『イン・ユイテロ』の不評に心を痛めたのは澪であった。
   あんなにセルアウトすることを拒否し、梓の脱退という結果を招いてまで追い求めた自分達の音楽は、世に受け入れられなかったのだ。

   澪「私は……間違っていたの?」

   ちょうどその頃、新ギタリストとして梓を迎えたギャルズ・アンド・ローゼズが、
   同じく発売したばかりのアルバム『あずにゃんず☆でもくらしー』で大ヒットを飛ばしていた。

   絶望の淵に突き落とされた澪に残された選択肢は、ドラッグの霧の中でひたすらに現実逃避をすることだけであった。
   そのハマり具合は、ついにクイーン・オブ・ドラッグこと最悪の薬物であるヘロインに手を出すまでに至ってしまった。


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