『It's better to burn out than to fade away』
己の心情を長々と書き綴ったノートブックの最後の文章をこんな言葉で締めて、澪は、大きく一つ溜息を吐いた。
澪「やっぱり日本語で書いた方がいいな……。ムギはともかく、律や唯は英語じゃ理解出来ないかもしれない……」
思い浮かぶのは、人生で最も楽しかった時期を一緒に過ごした親友達の顔だった。
澪「もうあの頃には戻れないんだな……」
そう呟いて、淹れたばかりの紅茶に口をつける。
あまり美味しいとはいえない味だ。
これはムギから貰った高級なお茶っ葉のはずなのに、やはり入れる人間が違うと味も違うということなのか。
もはや人生の何もかもがどうでもよくなってきてしまった。
澪「……さよなら」
そして澪は床に無造作に転がっていた、どす黒い無骨な光沢を放つショットガンを手に取った。
ライヴ前の楽屋。
バンドの登場を今か今かと待ちわびるオーディエンスの熱狂とは裏腹に、シンと静まり返ったこの場所に、秋山澪はいた。
澪「あっ……。んっ……」
目一杯に締め付けたチューブのおかげで、透き通るようなまっさらな腕に浮き出た血管。
そこに鋭く尖った注射針を挿入し、一気に注入する。
澪「んっ……これっ……凄い上物だ」
やがて表現の仕様のない多幸感が、澪の五体を駆け抜ける。
足の先から頭の天辺まで、全身これ全てが性感帯になったかのような、世界最高峰のオーガズムだ。
澪「――――――ッ!!」
そして声にならない声を上げ、澪はそのままバタリと後方に倒れこんだ。
もしそこにソファーがなかったならば、頭を打っていてもおかしくない危険な倒れ方だった。
(数十分後)
律「おい! 澪!! 起きろってば!」
澪「んんん……律か……。どうしたんだ?」
律「どうしたもこうしたもあるか。あと少しで私達の出番なのにさ。楽屋に戻ってきたらお前が寝てるから……」
紬「澪ちゃん……いくら揺すっても目が覚めなかったんですよ」
唯「そうそう。心配したよ~」
ああ、そうか。自分は眠ってしまっていたのか――澪はやっとのことで自分が置かれた状況に気付いた。
いや、正確には眠っていたのではなくトンでいたのだが。
そして、ソファーの下に転がるそれに最初に気付いたのは――
澪「…………」
律「おい! これはどういうことなんだって聞いてるんだ!
これからライヴ本番だって言うのに、そのラリったオメデタイ頭のままステージにあがるつもりか!?」
激高した律が、思わず澪の肩に掴みかかる。
唯「り、律ちゃん、だ、ダメだよ……!」
紬「けんかはいけません!」
律「唯とムギは黙ってろ! こいつには一回ガツンと言ってやらなきゃダメなんだ!」
二人に制されてもなお、飛び掛らんとする律に、
澪「うるさいなぁ……」
澪「うるさいなぁ……。私の勝手だろ」
澪は信じられない言葉を返した。
紬「え……?」
唯「澪ちゃん……」
律「お、お前ッ……!」
澪「クスリの一発や二発ぐらい、何が悪いの? それにこれくらいやらなきゃ……」
律「ふざけるな!」
唯&紬「ダメーッ!」
二人の制止を振り切り、律は澪の整った顔に拳を飛ばそうと――
「皆さーん、出番ですよ~」
すると、コンサートスタッフと思しき若い男が楽屋のドアから半分身を乗り出して四人に声をかけた。
律「チッ……。とにかく澪、ステージだけはちゃんとこなせよ」
澪「………」
唯&紬「(オロオロ)」
澪にとって血管中をモルヒネに支配された状態の身体で立つステージは、
なぜかいつもより遥かに高く感じ、照明も目障りなくらいにいつもより眩かった。
心なしか愛機のフェンダー・ジャズベースがやけに重く感じる。
唯「皆さんこんばんは~。放課後ティータイムです」
ステージのMC役である唯がいつものほんわかした調子でマイクに向かうと、オーディエンス達は一気に沸き上がった。
客1「ウオーーーッ!! 唯ちゃーん!!」
客2「むぎゅううううううううううううっっっっ!!」
客3「律ちゃぁーーーん!! デコ舐めさせてえぇぇぇぇぇ!!」
あちらこちらから沸き上がるメンバーへの熱の籠った歓声。
しかし、その熱気が最も向けられていたのは、
客4「澪タソ、ハァハァ……!」
客5「澪タソの縞パン縞パン縞パン縞パン縞パ(ry」
客6「澪タソーーッ! 俺の股間のベースギターもスラップしてくれーー!!」
客7「澪タソーーッ! 俺だぁーー!! 結婚してくれーー!」
誰あろう澪であった。
澪「(こんなバカな客相手に……やってられない)」
唯がハードに刻むギターリフを虚ろな頭で捉えながら、気だるげに澪は歌い出した。
『キミを見てると いつもハードDOKI DOKI~♪』
しかしドラッグで靄ががった今の澪に、正確な音程の歌唱とベースプレイを求めるのは無理があった。
紬「(澪ちゃん……ベース音が外れてます……)」
律「(歌も……最悪だ……)」
唯「(表情も……全然ノッてない……)」
澪「揺れる想いはマシュマロみたいにふわふわ~♪(やっていられない……)」
目の前には自分の「女」である部分にしか興味を示さず、音楽など二の次のバカなオーディエンス達。
こいつらは自分の歌や演奏など、ちっとも聴いちゃいない。
澪「いつも頑張る~♪ キミの横顔~♪(早くライヴ終わらないかな……。そうすれば家に帰ってまたキメられる……)」
と、その時――澪の視界に飛び込んできた一人の少女の姿。
澪「(あれは……ッ、あ、梓!!)」
関係者が陣取るVIP席の片隅で、ちょこんと飛び出るツインテール。
それはまさしく澪の軽音部の後輩で、「以前まで」のバンドメイトであった中野梓その人に違いなかった。
梓「(……ふいっ)」
梓はしばらくの間、ステージ上のバンドの姿を眺めていたが、すぐに踵を返すと席を立って行ってしまった。
そして後輩のそんな行為に、
澪「(そうか……私達のこんな酷い演奏なんて見る価値もない。そう言うのか……梓!!)」
澪のイライラは頂点に達した。
澪「Ah~神様お願い 二人だけの~♪ ドリームタ………」
律「(澪!?)」
紬「(歌うのを……止めた?)」
唯「(もしかして……歌詞が飛んだ?)」
気付けばいつのまにか、澪のフェンダー・ジャズベースから繰り出されていた重低音も鳴りやんでしまっている。
オーディエンスは何が起こったのか、すぐには把握できずに一様にキョトンとした表情を浮かべている。
他の三人は戸惑いながらもなんとか曲を成立させようと演奏は止めない。だが、
澪「……やってらんない」
澪はマイクに向かって小さくそう呟くと、
澪「もう……やってらんない!!」
愛器のフェンダー・ジャズベースのストラップを外すと、
あろうことかステージの床に、そしてアンプに、思いっきりそれを叩きつけたのだ。
そしてアンプをなぎ倒し、ベースのネックに大きなヒビが入り、ステージ上に断末魔の叫びのようなフィードバック音が響くと、
澪はそのままステージ袖へと逃げるように消えてしまった。
律「澪ッッ!! なんだ今日のザマは!!」
唯「律ちゃん、落ちついて……っ!」
律「これが落ち着いていられるかよっ!! だって唯もムギも見ただろ!?
今日のコイツは最悪だ!! 『ふわふわ時間』のキーもわかっちゃいなかったし、歌詞も飛びまくり。
しまいにはに曲の途中にベースを破壊して途中退場だなんてお前はどこのシド・ヴィシャスだ!?」
紬「律ちゃん、落ち着きましょう? ね? 澪ちゃんにもきっと何か理由があったんだわ。そうでしょう?」
律「理由もなんもあるか!? コイツがライヴ前にキメるようなバカだから……それに尽きるだろう?
澪、なんとか言ってみろよ!」
澪「……が来てた」
律「えっ?」
澪「梓が……来てたんだ。関係者席に……。
で、私達の演奏聴いて……私の歌を聴いて……つまらなさそうに鼻で笑って……途中で帰った」
紬「そ、そんな……」
唯「あ、あずにゃんが……? うそ……。だってあずにゃんは……」
澪「とりあえず今日はそういうことにしておいて。私は……帰る」
律「っ! そう言うことってお前なぁ! それに帰ってまたヘロインキメるつもりなんだろう!?」
澪「……律には関係ないだろう?」
律「関係なくない!! 今日だって、お前……おかしいぞ!!
『ふわふわ時間』は私達が初めて演奏したオリジナルの曲で……お前が歌詞を書いたんだろう?
それなのにどうしてその歌詞を忘れちゃうんだ?」
澪「…………」
律「それにあのフェンダーベースは……私とお前でバンドやろうって言って……お互いにお小遣いを溜めて買った初めての楽器じゃないか……。
どうしてそんな思い入れのあるベースをあんな風に扱えるんだ? やっぱりお前はおかしいよ……ううう……」
唯「り、律ちゃん……(泣いてる……)」
澪「ごめん。とにかく今日は帰る。お客さんには『秋山澪の体調不良によりライヴは中止しました』とでも何とも言って」
紬「そんな……澪ちゃん」
律「うううっ……お前いったいどうしちゃったんだよ……?」
楽屋に残された三人の間には、重苦しい空気が漂う。
律「どうしてこんなことになっちゃんだろうな……」
紬「澪ちゃん……昔はあんな状態じゃなかったのに……」
唯「いつから変わっちゃったんだろう……」
最終更新:2011年05月18日 16:58