【黒雨】
――開け放たれる扉。
そこに立つ、しっかり者の幼馴染。ああ、ホント、こういう時は頼りになるなぁ。
後ろの方では唯がムギと憂ちゃんに拘束されていた。あまり乱暴にしてやらないでくれ。病んでるかもしれないが、そいつは私の大事な人なんだ。
唯「………」
唯が私のほうを見るも、何も言わない。表情からも何も感じられない。
わかっているのだろう、もうこんな時間は終わりだと。幸せな時間は終わりを告げたと。
……でも心配するな、唯。私はお前を見捨てはしない。唯が正常に戻ったら――いや、戻らなくても、お前は大事な仲間だ。また一緒に、バンドやろうな。
律「……澪、これを外してくれないか」
私を縛り付ける、その鎖を掲げて見せる。扉が開いている以上、これさえ外せば私は自由だ。
自由になったなら…あとは、唯を助ける。みんなと一緒に。私の望みはそれだけだった。
それだけなのに。
律「………おい、澪?」
澪は、私の顔を見ていなくて。
澪「…律?」
律「……おい、どうしたんだよ…」
澪を怪訝に思ったのか、唯を引き連れてムギと憂ちゃんもやってきて。
そして、澪と同じように、私のことを見ていなくて。
澪「律……律! どこだ、どこにいるんだ!!」
律「……み、澪? なんだ? なんの冗談だ?」
紬「…澪ちゃん、落ち着いて。ちゃんと隅々まで探しましょう?」
律「ムギまで……なんだよ、どうなってるんだよ…!」
澪「くそっ……律ッ!!」
律「澪! 私はここだ! 見えないのか!?」
認めがたい仮説が、私の中に浮かんでくる。
認めがたい、認めたくない仮説。
憂「…お姉ちゃん、どういうことなの…? 律さんはいるって言ってたよね?」
唯はその問いには答えない。でも、その目はまっすぐ私を見ている。
唯は。唯だけは。唯だけが、私を見てくれている。
唯「……ホラね。ダメなんだよ、みんなじゃ。そこにいるのに、いることを認めてあげてないみんなじゃダメなんだよ」
澪「どういう意味だよ、それ…!」
唯「わからないなら一生会えないよ、りっちゃんには。あははっ」
乾いた笑いを浮かべる唯を、澪は狂人と一蹴し、部屋をひっくり返すかの勢いで私を探し始める。
……そんなに必死にならなくても、目の前にいるのにな。
認めたくない、と、私が現実を拒めば拒むほど、視界が暗く染まっていく。
そんな視界の隅に、廊下で手招きする唯が映る。唯を拘束していたはずのムギと憂ちゃんはいなかった。
立ち上がり、唯のほうへ歩く。
……私を捕縛していたはずの鎖は、その意味を成さず、無限に伸びていた。
【己の意味】
律「――なぁ、唯――」
唯「雨だよ、りっちゃん」
律「……どうでもいいよ。聞きたいことがあるんだ」
唯「答えないよ」
律「そう言うなよ」
唯「絶対答えないよ」
律「答えてくれよ…頼むから」
唯「やだ。ついでに言うと答えない理由も言わない」
律「……なぁ、お前は本当に狂ってるのか?」
唯「………」
律「私とこうして喋れるお前が狂ってるのなら、私は何なんだ? 皆は何なんだ?」
唯が狂っているのか。それとも、他の皆が狂っているのか。
そう聞いてみたものの、その質問に唯がどう答えようと、あるいは答えずとも、肝心な事はわからず仕舞いだ。
律「――なぁ、唯。私は何なんだ?」
唯「…りっちゃんは、りっちゃんだよ。私の大好きなりっちゃん」
律「……唯…」
ハッキリ言ってくれよ。真実を伝えてくれよ。
私の存在が……存在を、肯定か否定かしてくれよ。どっちでもいいから…!
律「……教えてくれよ…ッ!!」
意を決して……私は、唯に平手を喰らわす。
唯「………」
否、喰らわせようとした。
そして、それは叶わなかった。
唯「…りっちゃん、自分をしっかり持って?」
律「……無理…言うなよ…」
私が振るった平手は、唯をすり抜けた。
心配そうに私を覗き込んでくる唯の手を取ろうとした。でも、その手はすり抜けた。
……ああ、そうか。やっぱり、そうなんだな。
律「……まだまだ、やりたいこと、沢山あったんだけどな…」
軽音部。もっと続けたかった。
ドラムをもっと叩きたかった。
澪をもっとイジって遊びたかった。
ムギのケーキとお茶も、もっと味わいたかった。
――みんなが普通にやってることを、私もしたかった。
心が痛い。
許されぬ願いを、叶わぬ事を願うのは、そんなにいけないことなのか。
心が痛い。否、熱い。
身体の芯から、心から、燃やされていくようで。きっとこの後の自分は、ただの燃えカスになるのだろうな、とか。
そう思えるくらいの、喪失感。
――唯を、もっと、ずっと見ていたかった。
律「……もっと、お前とバカやっていたかったよ、唯」
唯「……いいんだよ? りっちゃん、願ってもいいんだよ?」
律「…でも、それは」
唯「いいの。私なら、いつでもいいよ」
唯が私を抱きしめる。抱きしめてくれる。
背中に手を回し、抱きしめ返そうとして……私の手は、腕は、唯をすり抜ける。
これは、気づいてしまった私と、信じている唯の違いなのか。
――だとしたら、あまりにも不公平じゃないか。
唯「――りっちゃん、今日はもう寝よう?」
唯の子守唄が、今日もまた始まる。
でも、気づいてしまった私に、明日はあるのだろうか?
【最果ての天来に】
抱きしめた腕の中の温もりも。
皆で笑いあった、楽しい日々も。
来るはずだった、明るい未来も。
心から願おうとも――届かない。
そう知ってしまった『私』の心に、たった一つ残る物は――
【谺】
唯「ねぇ、りっちゃん」
唯「どこかに行くんなら、私も連れて行ってね」
唯「私は」
唯「りっちゃんのいない世界になんて、居たくないから」
唯「もし、もしも明日」
唯「目が覚めた世界に、りっちゃんがいなかったら」
唯「そんな世界に、私だけが残されるくらいなら」
唯「私は願うよ」
唯「どうか、私が――」
律「きっと私に、明日はない」
律「でも、みんなにはある。私のことが見えない皆にも、見える唯にも」
律「不公平じゃないか。私と皆の違いも、皆と唯の違いも」
律「……ズルい。卑怯だ。……妬ましい」
律「なあ、唯。お前の言った事が、私に対する想いが本当ならさ」
律「そばに、一緒にいてくれよ。一緒にいてやるから。ずっと、ずっと、さ」
律「だから、願うよ」
律「どうか、お前が――」
「「明日 目が覚めませんように」」
最終更新:2011年05月06日 19:36