唯「――あなたは、飛ぶの?」

唯「それとも、私に飛べと言っているの?」

唯「そんなに はね をふるわせて、なにをねがうの?」


唯「いいよ、私は待つよ」

唯「いつまでも、いつまでも」

唯「静かに……」



       さあ






【鬼面に憑かれた 女】


――子守唄の『おころりよ』とは何なのか、実は結構前から気になっている。

私――田井中律は、恥ずかしながらあまり勉学に励むタイプではない。
そして同時に成績も良くない。当然といえば当然なのだが。

故に、そのへんの古語とか古文とか、そんな感じのものにも疎い。

でも、意味はわからずとも、唯の口から発せられるその言葉は、とても心地良くて。
子守唄の本領発揮と言わんばかりに、私を優しく温かい眠りへと導いてくれる。


唯「……おやすみ、りっちゃん。また明日」


……うん、また明日な、唯。





【日々 ひとりで】


――いったい、『あれ』からどれほどの時間が過ぎたのか。
楽しかった事。悲しかった事。なにもかもが遠い昔の出来事のようで。

今の私には、日時を知る術がない。

……まぁ、それは唯のせいなんだけど。でも私は、特別唯を恨むような事はしなかった。
何故かって? 別に、好きな人を恨むことは私には出来なかっただけ。
唯が何の為にこんな事をしているのか、それはわからない。
けれど、こんなことがいつまでも続くとは思えない。それは唯もわかっている。
だからこれはきっと、その上で唯が私を求めた結果。そう思うと、本来なら苦痛に感じるはずのこの状況さえ、愛しく思える…気がする。

たとえいくら時間が過ぎようと、忘れないモノが私にはある。
大切な仲間と、愛しい人と過ごしたかけがえのない時間が。
だから、私はこれからも、生きていく一分一秒、どんな時でも大切に、忘れないように積み重ねていこう、と。
そう誓いを掲げたことを、毎日ちゃんと思い出す。

……そして、誰に聞かせるでもなく、叫ぶ。
それは宣誓だ。誰かに誓うのではなく、自分に誓う、宣誓。





【翅】


――私には『はね』がある、と唯は言う。どこへでも行ける『はね』。

律「…なんだ、私は飛べるのか?」

唯「飛べるよ。飛べるし、走れるし、空よりもっと上にだって行ける」

律「宇宙か?」

唯「うん。でも、私としては行って欲しくない」

律「そうか。じゃあ行かないよ」

唯「ありがと。りっちゃん愛してる」

律「やっすい愛だな」


……私は、唯に捕らわれた。そのくせ、唯は『どこへでも行ける』と言う。
もちろん信じてなんていない。囚われているこの現状が、私の全てだ。

……ぐるりと周囲を見渡してみる。何度も来た事のあるはずの、唯の部屋。でも以前とは違い、窓は幾重にも塞がれ、隙間は全てガムテープで目張りされ、一筋の光さえ入ってこない。
たった一つの出入り口は内にも外にも多数の鍵。私がここから出られないように、そして誰も入って来れないように。私以外の全てを拒み、閉じこもってしまった、まさに今の唯を体現しているかのよう。

……そして、私の首には首輪。そして鎖。
この部屋の中は自由に動き回れるものの、部屋からは出られない。そんな絶妙な長さの鎖で、私は囚われている。
他ならぬ、唯の手によって。

……今の唯はきっと病んでいる。ヤンデレとかいうヤツなのだろう。
でもさっきも言った通り、私はイヤじゃなかった。そんな唯でも大好きだし、いつかは終わるこの時間をどうせなら楽しみたい。

……それでも、たまに澪達の顔を見たくなるときがある。
そう唯に伝えると、もちろん唯は嫌がる。でも決して頭ごなしに否定はしない。

――しかしそれでも、私のその願いが通った事は、まだ無い。





【ある日】


唯「あ」

唯「……りっちゃん?」

唯「まさか……」

唯「…ああ、そうか」

唯「その姿」

唯「そうだったんだ……」


――その日、私はりっちゃんを監禁した。





【一方 その頃】


律「光なんてなかった」

律「なかったなら、いい。最初からいらなかったんだ」

律「なぁ、唯」

律「助けて…」


そう呟いた時に気づいた。

唯「…大丈夫だよ、りっちゃん。私はここにいるよ」

ずっと隣に、唯はいた。いてくれた。
私は縋った。唯に。愛しい人に。

……きっとこの時、縋ってはいけなかったんだ。
唯は、私を支えられるほど強くなかった。ずっと脆く、壊れやすい存在だったんだ、唯は。
唯は壊れ、きっと私も壊れた。だって私の記憶からは、こうなった『キッカケ』が抜け落ちているから。

きっとこの時、私に『はね』が生えたんだ。
いつだったか、唯はそう言っていた。だとしたら私は『はね』を得るために、何かを失い、壊れてしまったのだろうか。


……でも、同じように壊れている唯には、『はね』なんて見えない。





【かわいそうに】


唯「んふふ~」

唯「今日は帰ったら何をしよう? りっちゃんも退屈してるよね」

唯「何かCDでも買って帰ってあげようかな」

唯「ずっとリピートできるくらい大量にね」

唯「私だって退屈させたいわけじゃないもんね」

唯「でも、もし私を待ってる時間が充実してたら、私が帰っても相手してくれなくなるのかな?」

唯「それはやだなぁ」

唯「どうしよっかなぁ…」


田井中律の一件以来、平沢唯は校内では孤立していた。
いつも一人。だが、周囲がそれをどう見ているか言及するのは野暮と言うものだ。彼女は何も気にかけていないのだから。
他人の奇異の視線も、かつての仲間の心配する眼差しも。


澪「……唯…」

紬「澪ちゃん、そっとしておいてあげましょ?」

澪「…ダメだろう、それじゃ。私達は唯の友達だ」

紬「そうだけど、でも……」

澪「それに、律も。大事な仲間だろう?」

紬「そうだけど……あ、澪ちゃん!」

平沢唯に歩み寄る秋山澪を見て、教室がざわめく。一部は驚き、一部は呆れ。
このような光景を見るのももう何度目か。琴吹紬とて、心が痛まないわけではない。

紬(澪ちゃんは諦めてない。私は…諦めた。それが唯ちゃんの幸せなんだ、と。……ねぇ、りっちゃん。私が間違ってるの?)

彼女だけではない。周囲の誰もが、決して諦めず、自分を見失うことのない秋山澪という人間に、心を揺さぶられてはいるのだ。


澪「……律を解放しろ、唯」

唯「…澪ちゃん?」

澪「…もういいだろ? 元に戻ろう? また皆で仲良くやろう?」

唯「ダメだよ。みんなじゃ、りっちゃんに何もしてあげられない。そんなみんなにりっちゃんは渡せない」

澪「…どうしてそんな事を言うんだ。根拠なんてないだろ?」

唯「あるよ。澪ちゃんがまだ元通りに戻れると思ってるから。それが根拠」

澪「戻れるよ。戻れないわけがない。みんな大事な仲間だから」

唯「私にとってはりっちゃんだけが大事だから」ガタッ

澪「……どこに行くんだ?」

唯「帰る。みんなと話す事なんて何もないよ」

澪「逃げるのか、唯」

唯「……逃げてるのはそっちでしょ」ボソッ


小声で呟き、平沢唯は教室から出て行ってしまう。
その言葉は、果たして幾程の人に届いたのか。その心は、誰が理解できたというのか。
答えはどちらも、皆無である。


紬「……澪ちゃん、やっぱり…」

澪「…なんだよ、ムギ」

紬「こんなこと、言いたくないけど…本当に言いたくないけど、きっと、もう唯ちゃんは……狂ってる」

澪「……そうだとして、それが何?」

紬「…もう、誰の声も届かないのよ」

澪「だから諦めろと? 唯も、律も!?」

紬「っ……」

澪「律は大事な幼馴染だ、絶対に助ける。でも唯も大事な友達だ。一緒に助ける! 心が壊れていようとも、まだ生きているんだ。遅すぎる事なんて絶対に無い!!」

心からの叫びが、他の皆の心を揺らす。

……しかし、ただ一人、最も助けたい少女には、決して届く事はない。


「……嗚呼、かわいそうに」





【雲の糸】


――最近、唯が登校する事が減っている。

理由を聞いても教えてくれないが、おそらく人間関係で何かあったんだろう。
……たぶん、軽音部の仲間達の誰かと。

しかし、登校拒否したところで家には憂ちゃんがいる。
もっとも憂ちゃんのことだ、正面から唯を責める様なことは言いはしない。それでも、態度で、視線で、何かを訴えているのだろう。

唯は、この部屋から滅多に出なくなっていった。

正直に言うと、話し相手の唯がいてくれるのは私は嬉しい。
でもこのまま唯が塞ぎこんでいくのを見ていたくはない。澪でも憂ちゃんでも、誰でもいい。話し合って、最善な手を打つ機会が欲しかった。

澪達の顔を見たい、というのももちろんある。けどそれ以上に、やっぱり唯のことが心配だった。



……しかし、唯の部屋に監禁されている私には、何も出来ない。
せいぜい唯の説得を試みるくらいだが、病み、壊れている唯を説得なんて、出来るはずもなく。


――でも、ある日、不意に伸ばされる蜘蛛の糸。


その日も唯は学校を休んでいた。
いつも通り部屋に篭り、私と他愛ない話をして。私の説得には耳を貸さず。私のお願いには悩むも、首を縦には振らず。
何も変わらない一日。そのはずだった。


……不意に鳴り響く呼び鈴。玄関のチャイム。

最初こそ無視していた唯だが、絶え間なく幾度も鳴らされる音に痺れを切らし、怒った様子で部屋を出る。
唯が怒ったところを見る機会なんてそうそう無いな、とか、まだその時の私は暢気にしか捉えていなかった。

しかし、少ししてから響く騒音と、唯の怒号にさすがに危機感を覚える。
といっても、監禁されてる私に出来ることなど何もなく、ただ不安に身を震わせることだけだった。

そして、ほんの数分で音は止み、一つの足音が近づいてくる。

唯の足音じゃない。あいつの足音はわかりやすい。私に会いたいという気持ちが溢れ出ているから。
この足音は、唯の足音よりしっかりと、落ち着いている。この足音を、私は知っている。


澪「――助けに来たぞ、律!」


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