ゆっさゆっさと体を揺すられます。
それで私は目を覚ましました。
ゆっくりと目を開けてみると、梓ちゃんが中腰になって私の顔を見下ろしていました。

「なにしてんですか」

梓ちゃんはちょっと呆れたように言います。
私はえへへと笑って、床の、窓の形に光が当たっているところをぽんぽんと叩いて言いました。

「お昼寝。西日が当たっていて気持ちがいいから」

おぼろげな日光でも、長いこと時間をかけて少しずつ物を暖めます。
そんなわけで、案外日向でお昼寝をしていると身体が暖まるのでした。

「そうですか」

彼女は気のない返事をして、背筋を伸ばします。
そしてあたりをぐるりと見回して、また中腰になりました。

「他の先輩たちは?」

私は部屋にかけてある時計を見て、ついでに腕時計で時間を確認します。
どうやら音楽室の時計のほうが少し時間が進んでいるようです。
もう大分遅くなっていますから、今からみんなが来るということもないでしょう。

「今日は来ないんじゃないかなあ」

「そうですか」

と、梓ちゃんは同じ返事を返しました。



ちっくちっくと時計の針は鳴っています。
けれどそれもあまり正確ではなく、遅くなったり早くなったりしているのだということに、
いまさらながら気づいた私は何だかほっとするのでした。
少しだけその音が暖かみを帯びた気がして、私は彼女に微笑みました。

「お茶、準備しましょうか……」

けれど彼女は、立ち上がろうとした私の肩を押さえてじいっと私の目を覗き込んできます。
彼女は私を見下ろしたまま、真面目な顔で何かを言おうと口を動かします。
しかし上手くいかないのか、一人でううと呻いた後に、そっと私の頬に手を当てました。

私は動きません。
動かずに、だんだんと早くなっていく心臓の鼓動に耳を澄まします。
しんしんとした冬の空気の中でその音は響いて、私の耳の中で時計の音と同期します。
それもすぐに追いぬいて、私の心臓だけが何よりも早くリズムを刻んでいくのです。

私の中だけ、どんどんと時間が過ぎていくような気がしました。
数時間にも感じられるくらいゆっくりと時間をかけて、梓ちゃんは顔を近づけてきます。

とん、と軽く触れ合ったとき、一気に時間は元に戻ってしまったようです。
梓ちゃんがそれを離すまでの時間は恐ろしく短く感じたのです。

呆けた表情で見つめる私に、梓ちゃんは首を傾けます。

「まだチャラになってないような気がしたもので」

年下のくせに、彼女は私を見下ろしてきます。
そんな彼女を頼もしいと思う私でした。

「それと……えっと……」

表情は変わらないくせに、しどろもどろになりながら、ちょっと顔を赤らめて彼女は言います。
きれいなピンク色の肌に、彼女の吐く息の白が重なってとても幻想的です。

「すきです」

「私も」

少し順序がおかしいけれど、告白は簡単に済ませてしまう私たちでした。
はにかみながら私を見下ろす彼女を、少し頼もしいと思う私でした。



ある春の日のことです。
私は卒業証書を持って、きりっと背筋を伸ばして歩いて行きます。

三年間と言う時間は、平等に私たちに流れました。
私は他の皆と同じようにその時間を過ごして、同じように大きくなったのでしょうか。
そんな筈はないのです。

今だってほら、待ち遠しい場所までの時間はやけに長く感じられて、私を焦らします。
漸くついたころに振り向いてみると、廊下はやけに短く感じられます。
そんなものです。

私は大きな音を立てて音楽室の扉を開けます。

音楽室では、梓ちゃんが一人、ぽつんと席に座っていました。

「あ……」

彼女はしまったと言うように制服の袖で目元を拭って、痛ましい笑顔を私に向けます。
私はきうと胸が締め付けられるように感じました。
できることなら卒業せずに、この学校に残っていたいとも思います。
けれど、時計の上で過ぎていく時間はやはり平等で、忙しなく私を追い立てるのです。

そして、梓ちゃんに不足した一年は、もうしばらくの間彼女をこの学校に縛り付けておきます。

「どうかしましたか?」

相変わらず情けない、弱々しい笑顔で梓ちゃんは言いました。

「なんでもないの」

私は努めていつもと同じように微笑みます。

色々と言いたいことはあったのです。
大丈夫だよとか、また会いに来るからねとか、在り来りな台詞をいくつも思い浮かべていたのです。
けれどいざ彼女を前にすると、何もかも吹き飛んでしまって、結局私は腕を大きく広げて、
そのくせ小さな声で一言だけ言いました。

「おいで」

彼女はためらわずに私のほうへ駆けてきて、どんと勢い良く私の胸に飛び込んできます。
私はその体重を足で受け止めて、彼女をぎゅっと抱きしめます。
彼女の髪に顔を埋めます。

ひっくと彼女はしゃくりあげました。
泣き顔を見られたくないのか、彼女は俯いたまま、涙で濡れた顔を私の制服に押し付けてきます。

私は彼女の頭を撫でました。
彼女は泣くのをこらえようとするせいで、次の瞬間には一層強くしゃくりあげてしまって、
もうどうにも行かない様子です。

とてもゆっくり、優しく、ともすると甘すぎるくらいにゆるやかに時間は流れていきました。
どれほどの時間が経ったのかなんて、私には気になりませんでした。

中毒性のある優しさは少しずつ感覚を麻痺させていって、なんとなく時計が目に入ったとき、私はちょっとびっくりします。
いつの間にか十分も時計の短針は進んでいたのです。

梓ちゃんはまだ泣いていました。

時計を見つめて、私は優しく微笑みます。

「梓ちゃん」

彼女は俯いたままでした。
私は彼女の顎にかるく指をかけて、それをくいと上げます。

涙に濡れた情けない顔でした。
けれど、どんなにしっかりしていてもやはり彼女は年下なのだと確信させてくれるような、
あどけなくて可愛らしい泣き顔でした。

「むぎせんぱい」

彼女が発した言葉に引きずられるようにして、私はいつものように、いつものことをしました。
重ねあうと、彼女は少し暖かい息を漏らします。
心配性の私は彼女が逃げてしまわないように、彼女の頭を手で抑えます。

そのうち彼女のほうからも遠慮がちに押し付けてきて、私は嬉しくなります。
重なり合っているのはそこだけではなく、胸や、他の肌なんかも。
そうした部分が私の鼓動を彼女に伝えて、少しずつ同期していくように感じます。



どれだけ時間が経ったのか、それが終わった後で、もう一度彼女の頭を撫でて私は笑います。
時計をみて、一層笑いを大きくします。

「十秒も経ってないなんてね」

彼女は一瞬きょとんとして、直ぐに明るく微笑みます。
小さな手を私の手にからませて、少し恥ずかしそうに私を見上げます。

「そうですね……」

そうして彼女はふわっと、つぼみが花開くように優しく私の胸から離れていきました。
そうして私に人差し指を向けて言います。

「一年の差なんて、直ぐに追いつきますから、待っていて」

私は多分その通りになるだろうと思います。
だって、たった数十秒で、梓ちゃんはさっきまでの泣いていた梓ちゃんとはまるっきり別人になっていたのですから。



梓「『時間の流れなんて好きなように変えられるのです。そんな二人の関係でした。』」ペラッ

梓「『きっとあと一年もしたら私たちの間には、他の”幼馴染”たちが過ごした十年間よりもずっと素敵で、長い数年間が流れるのでしょう。』」パラッ

梓「『二人の間には、平等なんてなんのその、誰よりも長く濃い時間が流れて、私たちは互いに一番仲良しになるのです。』」

梓「『そう思って、彼女を見つめます。』」

梓「『泣きはらした目で私を見つめる彼女を、今までで一番頼もしく、愛しく思う私でした。』」パタン


紬「……zzz」スースー


梓「ふう……ムギ先輩が起きないうちに『二人しかいない結婚式編』まで朗読しないと!」フンス!




斎藤「何をなさっているのですかな」ヌゥッ

梓「ぴゃっ!?」




梓「ああああああああの、べつべつにににやましいことなんて」

斎藤「……人は寝ている間、現実と夢の境が朧気になるといいます」

梓「ギクッ」

斎藤「真偽は定かではありませんが、あるいは記憶や心情の刷り込みまで可能だとか」

梓「ギクギクッ」

斎藤「そういうことだと、解釈してもよろしいですかな?」ギロリ

梓「ちちちちちちちちがわい!このやろーいいがかりつけてんじゃねーですよぉ!!」


校内放送『エマージェンシーエマージェンシー!著しくお嬢様の未来を損なう行為がなされた!全員直ちに現場へ急行せよ!』


梓「違うもん!明るい未来をつくろうとしただけですう!!」ジタバタ



ガシャーン

黒服「フリーズ!」ガチャッ

梓「窓を破るなんて、なんてやつらだ!」

梓「でも私は逃げきって見せる!やってやるです……!!」ダダダ

斎藤「!換気扇から逃げたぞ、追え!」タタタ




少し騒がしくなって私は目を覚ましました。
けれど不思議なことに、音楽室には依然私しかいません。

どうしたことかしら。

不思議に思っていると、どうにもどこかで音が鳴っているような気がします。
そっと胸に手を当ててみると、それが心音だということに気が付きました。
やかましいくらいに、こっちが恥ずかしくなるくらいに大きな音を立てています。

でも、誰に?

答えは音楽室を見回すとすぐに分かりました。
その人を見つめた途端に、とくんとくん、と胸は高鳴るのです。

「トンちゃん……」

私は一人はにかみながら呟くのでした。



おわり。