紬「……zzz」スースー

梓「こんなチャンスは滅多にない!今こそこのノートを使うときが来た!」

梓「ええっと……ン、アー、ゴホン」パラッ

梓「『私とムギ先輩の一生(馴れ初め編)』」



時間というのは気まぐれなものです。
一緒に二人で過ごした時間はその二人を親密にするでしょうけれど、他人は無情に跳ね除けようとするのです。
二人だけをどこまでも固く結びつけるために、他の人はどこかへやってしまおうとするのです。

私にはお友達がいます。
唯ちゃんも澪ちゃんもりっちゃんも、みんな素敵な友達ですけれど、
その内の誰も私の”幼馴染”足りえないのです。
それを思うとちょっとだけ寂しくなる時があります。

ある秋の日のことです。
私は一人でお茶会の準備をしていました。
茶器とお菓子を机に並べて、席に座り一息を付いていると、秋陽が遠慮がちに私の手だけを照らして、
なんだかとても気持ちが良かったのを覚えています。
こんな風に日が差し込んでいたら、眠くなっちゃうなと思ったものです。

温まった手の甲にもう片方の手を置いたりして遊んでいると、時計のちくたく言う音が聞こえました。
ちくたく、ちくたく、と等間隔で時計の音はなります。
私はそれを聞いていると、せっかくの秋陽の優しさも冷たくされてしまったように感じて、ちょっと悲しくなりました。

恨みがましく時計を見つめていると、がら、とドアが開きました。
私はそちらをちらと見て、微笑んだのです。
小柄な私の可愛い後輩が、大きなギターケースを背負っていて、その見慣れた姿がなんだか可愛らしかったものですから。

「どうかしました?」

梓ちゃんが首を傾げると、長い黒髪が揺れました。
私はかわいいなあと思いました。自然と笑みが溢れるのを感じました。

「なんでもないわ」



梓ちゃんは私たちの一つ下の学年の子です。
軽音楽部員全員と、平等に一年半ほど過ごしてきました。
この平等に、というのが好きで、私は梓ちゃんのことを気に入っているのでした。

だって、梓ちゃんは私たち皆と同じくらい仲良しなわけですから、誰も寂しい思いをしなくて済むというものです。

「あの、やっぱりどうかしたんですか」

梓ちゃんが席に座って、さっきと同じ質問を繰り返します。
私もまた同じ答えを繰り返しました。

梓ちゃんは怪訝そうに私の顔を見つめています。
それで気づいたのですけれど、どうやら私は知らないうちに笑ってしまっていたようです。
私ははっと顔に手を当てて、なんとか勝手に出てくる笑いを抑えようとします。
けれどどうにもこうにも上手くいかないみたいです。

「なにやってんですか」

と梓ちゃんに言われてしまいました。

私がお茶を出すと、梓ちゃんは「美味しいですね」と言ってくれました。

それなり私も梓ちゃんも何も言わなくなって、二人の間には心地いい沈黙が、
紅茶の湯気と同じくらいおぼろげに漂うのでした。

けれど、ちくたくという時計の音は無機質に鳴ります。

それを聞いて、私ははっとします。
この沈黙は果たして、梓ちゃんにとっても心地のいいものかしら。

私は梓ちゃんの様子を注意深く観察します。
そうしたら、ああ、なんて情けないことでしょう。
私は自分一人浮かれていて気づかなかったのです。

彼女はそわそわと、どうにも落ち着かない様子でした。
時折ちら、と何か言いたげに私のほうを見ていました。

ちくたくと時計が鳴ります。

この様子から察するに、梓ちゃんはちいとも居心地よくなんてないのです。
そう思っていたのは私だけなのです。
それってなんて悲しいことでしょう。

私は慌てて梓ちゃんに尋ねます。

「あ、えっと、どうかした?」

「え、別になんでもないですけど」

さっき私がしたのと同じ答えを返されてしまいました。
私はしゅんとしてしまいます。

「……えーと、あの、紅茶美味しいですよ」

梓ちゃんなりに気を遣ってくれたのでしょうけど、その言葉は虚しく宙を漂って、
紅茶の湯気と同じように簡単にかき消えてしまいました。

そうして私が頭の隅でふと思ったのは、唯ちゃんやりっちゃん、澪ちゃんと二人きりでいる時でも、
梓ちゃんはこんな風に黙しがちなのかということです。

多分、違うんだろうな。
そんな答えがすぐに出てきて、私は胸に何かが溢れてくるのを感じました。

駄目です、こんなことじゃあ。
梓ちゃんは皆と同じくらい仲良しなはずなのです。

時間は平等に与えられていたのですから、その筈なのです。

りっちゃんが私より澪ちゃんと仲がいいのは、私より長い時間を一緒に過ごしたからの筈です。
唯ちゃんが私より和ちゃんと仲がいいのは、私よりずっと一緒にいたからの筈です。

そうじゃないと、私は不安と贅沢な寂しさに押しつぶされてしまいそうです。

「あ、梓ちゃん!」

私は自分でも驚くくらい大きな声を出して立ち上がりました。
梓ちゃんはびくりと大きく体を震わせて、

「は、はいっ!?」

と答えます。

「ちょっとこっちに来てちょうだい」

と私が言うと、彼女はおどおどとしながらも素直に私の前まで来てくれました。



たしかあれは去年の学園祭の時だったでしょうか。
唯ちゃんが風邪を引いてしまったときに、梓ちゃんはそれを大層心配していました。
それで唯ちゃんが風邪を治して学校へ来て、うれしさのあまり梓ちゃんに抱きつき、挙句き、きすまでしようとしたときには、
梓ちゃんはいやがってビンタまでしていましたけれど、こっそりと楽しそうに笑っていたのです。

私がしても、同じような反応をしてくれるでしょうか。
いいえ、してくれないと困るのです。

ちくたくちくたく、ちくたく、いつまでも鳴り続ける時計の音は、
私の思いつきをいつのまにか義務にしてしまったようです。
確かめなければ何かとんでもないことが起こるとさえ思えました。

「あ、あの、ムギ先輩……」

梓ちゃんがおずおずと、私を見上げて言ってきます。
私はえいと心のなかで掛け声をかけて、勢い良く梓ちゃんを抱きしめました。
むぐ、と梓ちゃんは呻き声を上げます。

期待に反して、梓ちゃんは唯ちゃんにするように、やめてくださいとあしらったり、
私を押しのけるようなことはしてくれませんでした。
ただ、顔をちょっと赤らめて上目遣いに私を見て、何かを言おうとして黙りこむだけです。

ちくたく。

私はいよいよ焦ってきました。
このままじゃいけない、このままであっていい筈がない。
何かに駆り立てられるようにして私は、そうっと梓ちゃんの顔に自分の顔を近づけていきます。

「あ……ムギ先輩」

梓ちゃんは目を大きく見開いてそう呟きました。
けれど、声はちゃんと外に出切る前に私の口に栓をされてしまって、くぐもった音になりました。

しばらくそうしていました。
ビンタが来るぞ、来て、来い、と半ば祈るようにして思いながら。

心臓がばくばく鳴って学校中に響いているような気がします。
それが時計の音と同期して、一層激しく私を苦しめるのです。

私が一人で苦しんでいると、梓ちゃんはするりと私の腕から抜け出しました。
あ、と短い声をあげることしか出来ない私を睨みつけるようにして見て、

「な……」

とだけ言うと俯いて黙ってしまいます。
そうして私が何か声をかけようとする前に、彼女はだだだと走って音楽室から出て行ってしまいました。

帰ってしまったのでしょうか。
怒らせてしまったのでしょうか。
嫌われてしまったのでしょうか。

私は床に膝をついて泣き出したくなりました。
けれど、駄目です。梓ちゃんに謝らないといけません。
どうして怒らせてしまったのかも私には良く分からないけれど、とにかく謝らないと。

どうやって彼女を追いかけよう。そう思案している私の目に、彼女の置いていった鞄が映りました。
占めた。私はそれを持って音楽室を出て、梓ちゃんを探しに行きました。



「梓ちゃーん……」

グラウンドや排水溝を探しても梓ちゃんを見つけられなかった私は、
今度はがさごそと植え込みをかき分けて梓ちゃんの名前を呼びます。
途中、割れた花壇のレンガ片に足をぶつけてしまいました。
それでも梓ちゃんは見つかりません。

「んなところにいるわけないでしょうが!」

後ろから怒ったような声が聞こえて、私は慌てて振り返ります。
走りまわったのでしょうか、肩で息をしながら、梓ちゃんが私のことを見つめていました。
私がなにか言う前に、彼女はずんずんと私に近寄ってきて、私が持っていた彼女の鞄をひったくりました。

「鞄返してくださいよ、帰られないじゃないですか」

そうしてくるりと踵を返し、来たときと同じ勢いで私から離れていこうとする彼女の肩を、私は急いで掴みます。
彼女は振り返って、また顔をちょっと赤くしました。

「な、あ、今度はなんですか」

しどろもどろになりながら、斜め下に視線をやって彼女は言います。
私は深々と頭を下げました。

「ごめんなさい……さっきは唯ちゃんの真似をしただけなの」

梓ちゃんははぁ、と気のない返事をします。
どうにも納得の行かない様子です。
唯ちゃんと同じように反応をしてもらうことがどれほど私に重要だったか、どうすれば分かってもらえるのでしょう。

「あのね、だから……」

「いえ、もういいです」

私を遮ってそう言うと、彼女は視線を足元に落としました。
どことなく腹立たしそうに見えて、私ははらはらします。
彼女は足元に落ちてあったレンガの欠片を足で少しずらして、ひょこんとその上に乗りました。
そうすると彼女の背丈は私と同じくらいになります。
私は見上げるでも見下ろすでもなく、真っ直ぐに彼女を見つめます。

彼女は私の頬に小さな手を添えて、赤みを増した顔を少しずつ近づけてきます。
音もなく、唇はふれあいました。
それが重なっている間、私は有機的な心臓の音がだんだんと大きくなるのを感じました。

最初のうちは、秋風に吹かれて飛んでいく枯葉が、アスファルトと擦れる音だとか、
虫が枯葉のそばで動いたときに鳴るかさかさ言う音だとかが聞こえていたのですけれど、
それもいつの間にか心臓の音にかき消されてしまいます。
どれほどの時間が立ったのか、時計の音と違って心臓の音は規則的でないから分かりませんけれど、
私には随分と長い時間が経ったように感じられた頃、梓ちゃんはつけた時と同じように音もなく唇を離しました。

「これで」

彼女は首を軽く傾けてはにかみます。

「チャラにしましょうね」

彼女は別に怒っていたんじゃないと知った私でした。
ちょっと顔が赤くなるのを感じる私でした。
付き合ってもいないのに、互いに互いからきすをした二人でした。



ある冬の日のことです。
その日も哀しいかな、友人たちは大切な幼馴染と勉強をするとかで私に構ってくれなかったのです。
それでふらふらと音楽室へ来てみたのですが、そこにも誰もいませんでした。

暇に任せて見渡すと、音楽室の一角に明るいばかりであまり空気を暖めない冬日が差し込んでいます。
私はそこにゆっくりと腰をおろしました。

あの秋の日からも私と梓ちゃんの関係は特に変わりはしませんでした。
あれ以降二人きりになることもありませんでしたし、私も彼女も強いてそういう状況を作り出そうとはしなかったものですから。
けれど前よりは、私は梓ちゃんと仲良くなれたんじゃないかな、と思うのです。

梓ちゃんが言ったようにチャラになっているかどうかと聞かれると、どうにもそうはなっていないようでした。
多分、私のほうが得をしちゃっているみたいです。

それを思うとなんとなくうふふと笑みがこぼれて、その声が情けないぼんやりとした日差しに溶け込む頃には、
だんだんと私の意識はまどろんでいきました……


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