律「というわけで、だ!」

みんながお菓子を食べていると、りっちゃんがホワイトボードを引きずってきました。

律「これからライブのための練習をはじめるぞ!」

梓「ライブ、ですか?」

りっちゃんの張り切りぶりとは裏腹に、みんなは首を傾げてしまいます。

澪「でも学園祭は終わっちゃったし、新歓は来年だし、演奏できる機会なんてもうないと思うんだけど」

律「ないなら作ればいいじゃない!」

機会を作る。それはきっと大学生とかならできるんだろうけど、私たちは高校生です。高校の軽音部は行事以外ではほとんど他人に聞かせる演奏ができません。やろうと思えばできるのだろうけど、二週間という短い時間でそれを成し遂げるのは難しいんじゃ……。

さ「あながち不可能でもないわね」

ところがさわ子先生が何気ない口調でそう返したので、みんなの目に光が宿りました。

さ「この前のあなたたちの演奏が、先生方にも結構な評判でね。ぜひまたライブをやってくれってせがんでくる先生もいるくらいなの」

澪「本当ですか?」

さ「ええ。そこでちょっと考えてみたんだけど」

さわ子先生の提案は、まるでこのときのために用意されていたんじゃないかと思えるくらい素晴らしいもので、私たちは手を取って喜び合いました。それでいこう! というりっちゃんの声にみんなも賛同します。
先生の提案はこんな内容でした。

さ「平日開催は、みんな活動している部活があることだし、客足は望めないと思うの。だから狙い目は休日しかないわ。いいみんな、思い出してみて。来週の日曜日に何があるのかを」

唯「にちようび……?」

梓「あ……オープンキャンパス!」

そうそれ、とさわ子先生。私立桜が丘高校はこの時期になると定期的にオープンキャンパスを行います。私たち生徒にはあまり関係ないので忘れていましたが。

律「もしかして、そこで演奏できたりとか!?」

さ「先生方と話し合わなきゃいけないけど、うまくいけば、あるいはね。さっきも言った通り、あなたたちの演奏のファンになった先生がもう何人もいるの。決して一蹴されることはないと思うわ」

唯「うわあー! ムギちゃん、やったね!」

唯ちゃんの言葉にも、私はまだ事態を飲み込めていなくて、曖昧に笑うことしかできなくて。でももう一度この仲間たちと演奏ができるのだと思うと、途端に幸せな気持ちが芽生えてきました。よかった、と胸の中で呟きます。

澪「まだ私たち、終わってないんだね」

律「むしろこれからって感じ?」

唯「じゃあ早速練習しようよ! えーと、今日が金曜日だから、来週の日曜日まで……ん? えっと」

梓「今日を入れてあと十日です、唯先輩」

唯「十日! もう十日しかないの!? 新曲作るにしてもぎりぎりだよ!」

紬「え?」

律「新」

澪「曲?」

場の空気が凍りつきます。

律「なあ唯。まさか十日で新曲作るだなんて言わないよな?」

唯「え、しないの?」

紬「いくらなんでも十日じゃちょっと……」

澪「他の曲だってある程度練習したいし」

尻込みする私たちに唯ちゃんが必死に説得を試みます。

唯「で、でもっ、ほら、ムギちゃんいなくなっちゃうんだし、最後に一曲くらい作ってもいいと思う!」

澪「とは言ったって……」

梓「あ、あの、わたしも賛成です」

梓ちゃんもおそるおそる手を挙げました。澪ちゃんがびっくりした目で梓ちゃんのほうを向きます。

梓「わたしも、何か思い出に残るようなことをしたほうがいいと思うんです。大変だろうけど、みんなで乗り越えていけばきっと……」

律「――よく言った!」

澪「ちょっと、律」

律「澪、この前言ってたよね? 歌詞のストックができてきたーって」

澪「い、言ったけど。完成にはまだほど遠いよ」

律「ムギは? 転校のことで色々忙しいだろうけど、作曲に費やせる時間はある? ううん、そうじゃない。私たちのために一曲仕上げるだけの気持ちは、ある?」

紬「!」

それは、りっちゃんの真剣な問いかけでした。時間や労力は気分次第でどうにでもなります。必要なのは、ほかでもない熱意そのもの。ライブをよりよきものにしたいという気持ちが大切なんです。
私は力強く頷きました。

紬「あります」

律「澪は? 私たちのために歌詞、書いてくれる?」

澪「……。もー、わかったわよ。その代わり、ちゃんと手伝ってよね」

唯ちゃんがほっとした顔になるのが見えました。梓ちゃんに抱きついて頬をすりすりしています。
ああ、女の子同士って……やっぱり素敵だわ!

そういうわけで新曲の方向性を簡単に話し合い、そのあとは残った時間を全てバンド練習につぎ込んで、澪ちゃんは歌詞を、私は曲の構想をそれぞれ宿題として持ち帰りました。転校すると告げて二日、まだ二日なのに、多くのことが変わっていっているのがわかります。


後日、さわ子先生のガッツポーズに音楽室が改めて沸きました。

さ「午後一時から二十分、講堂の使用許可もばっちり取れたわ!」

律「さすがさわちゃん、グッジョブ!」

さ「ええ、私グッジョブ!」

りっちゃんと先生が抱き合う光景をしっかり堪能していると、澪ちゃんが私に紙を差し出してきました。

澪「歌詞、書けたよ」

澪ちゃんの目には薄くクマができていました。きっと寝不足になるまで頑張って歌詞を書いてくれたんだと思います。ありがとう、と告げると澪ちゃんは赤くなってあさっての方角を向いてしまいました。
さあ、次は私の番。みんなと最高のライブをするために、澪ちゃんの歌詞を、みんなの思いを、余すことなくメロディラインに乗せてみせるわ。



ここ最近のお姉ちゃんは、家に帰ってきてからもずっとギターの練習をしています。

憂「お姉ちゃん、ご飯だよ」

唯「うん」

いつもならすぐ飛びついてくるのに、こんな調子。このところは寝る時間も遅いみたいで心配です。思わず私はお姉ちゃんの背中に問いかけていました。

憂「どうしてそんなに練習してるの?」

唯「ん? えっとね、これ」

お姉ちゃんが楽譜を見せてくれます。学園祭のときにギターを触ったので譜面はある程度読めました。でもこれははじめて目にする楽譜でした。

唯「ムギちゃんがいなくなる前に、オープンキャンパスでライブさせてもらえることになったんだ。これはそのときに演奏する新曲なの」

憂「そうだったんだ……」

だからお姉ちゃん、真剣に練習してたんだね。えへへと笑うお姉ちゃんの横顔が、私にはとても勇ましく見えました。
軽音部に入る前のお姉ちゃんも好きだったけど、何かのために、誰かのために一生懸命努力している今のお姉ちゃんも私は大好きです。だから心配ではあるけれど、お姉ちゃんの頑張りを止めたりはしません。

憂「頑張ってね、お姉ちゃん」

唯「もっちろん! ギー太と一緒に一生忘れられないライブにするよー!」

憂「でもご飯はちゃんと食べようね」

唯「え? もうご飯できてるの?」

聞いてなかったんだ……。私は無意識に苦笑いをしてしまいました。お姉ちゃんはやっぱり、どんなときでもお姉ちゃんみたいです。



そして日曜日。
過密スケジュールの中で練習を続け、ついに本番のときがやって来ました。
澪ちゃんは相変わらず震えていて、それをりっちゃんがからかうといういつもの風景。二人はこうやって緊張をほぐしているんだと最近わかってきました。唯ちゃんと梓ちゃんと私は、自分たちの楽器に触れて感触を確かめています。

二年近く一緒にバンドを組んできたのに、まだ知らなかったことが山ほどあって、それに気づくたびに心が温かくなります。時間を積み重ねることで得られる信頼を全身で感じることができます。

でも、今日でそれもおしまい。このライブが終わったら、私はこのバンドから消えることになります。ティーセットからはカップが一つだけ失われ、音楽室からはキーボードの音色がしなくなって……。

唯「ムギちゃん……だいじょうぶ?」

紬「え?」

唯ちゃんが心配げな顔で覗き込んできました。他のみんなも喋るのをやめてこちらを見やっています。

紬「い、いやね。大丈夫よ。気にしないで」

唯「だって、辛そうな顔してたから……」

紬「そんなこと言ったら澪ちゃんだって」

澪「わ、私!?」

律「澪はいっつもこうだから気にするな」



次は軽音楽部によるバンド演奏です――
アナウンスの声がして、私たちは態度を改めました。幕が開き、暗がりの中から観客の視線が集まってきます。
ついに、はじまったのね……。

私は鍵盤の上に指を置きながら、りっちゃんのほうを振り返りました。二十分なので実質演奏できる曲は三曲だけです。最初に演奏する曲は、唯ちゃんの発案と、私たち一人一人の努力で生み出された新曲。

律「ワン、ツー、スリー、フォー」

演奏が、開始されました。

澪ちゃんの歌詞にはいつもどこか可愛らしいところがあって、
それが唯ちゃんの歌声に乗るともっと可愛くなって、
走り気味だけど力のあるりっちゃんのドラムに、
地に足のついた梓ちゃんのギター。
そんな色々な「私たち」が組み合わさってできたこのメロディに、私が参加できているというのがどれだけ幸せなことか、今までは考えたこともありませんでした。

あの日合唱部に入っていたら間違いなく体験できなかった、輝かしき日常の数々。みんなで合宿に行って、クリスマス会をして、たまに喧嘩もしたりして、でも決して途切れることなく続いていく私たちのティータイム。

紬(それが、もう……味わえない)

このライブが終わったら……もう。

私たちのティータイムは……。



唯(あれ……っ?)

唄いながら、私は不自然に思いました。何かが聞こえない。未熟な私たちの演奏を優しく包み込んでくれる、お母さんみたいなあの音色が……。

唯(ムギちゃんの手が止まってる!)

横目でムギちゃんのほうを見て愕然としました。ムギちゃんは顔を伏せて、泣いていました。
肩が小刻みに震えていて、時折雫がぽたりと落ちているのが見えます。あずにゃんも澪ちゃんも異変に気づいたのか、強張った顔になっています。心なしかりっちゃんのドラムも乱れ気味になってきています。
私は心の底から神さまに祈りを捧げました。

お願いムギちゃん、頑張って――!

律(ムギ!)

梓(ムギ先輩!)

澪(頑張れ、ムギ!)



みんなの演奏が乱れてる……でも、そうとわかっていても指が動かせない。

だってこのライブを終わらせたくない! 私はまだまだみんなと軽音部を続けていきたいの!
苦悩する私の頭に、数日前のみんなの台詞が蘇ってきました。
キーボードの代わりなんていらないよね――
私たちにはムギちゃんしかいないんだもん――
ムギ先輩のキーボードが好きです――
これからも放課後ティータイムのキーボードは、ムギの専用スペースだ。誰にも渡すつもりなんてない――

紬(ああっ……みんな、みんな!)

私は今一度指に力を込めました。みんな、私のキーボードを信頼してくれている。ここで演奏を駄目にしてはいけない。放課後ティータイムのキーボードは……76個の鍵盤が生み出すメロディは、私、琴吹紬だけのものなんだから!

指が再び動き出します。もう迷ったりはしないと決意しました。
ごめんなさいみんな。でももう平気。この指が今日という日を最高の日とするために、二度と止まったりはしないと、最高のメロディを紡ぎ出すと誓ったのだから!
私のキーボードが再開されるとみんなの乱れも次第に解消されていきました。隣のりっちゃんがウィンクをしてきたので、私も涙目のまま、同じくウィンクで返しました。



私のせいでアクシデントがあったけど、なんとか無事に新曲をやり終えることができました。
みんなに向かって手を合わせ、ごめんねと謝ります。
続く二曲目は『私の恋はホッチキス』。梓ちゃんはこの曲を聴いて私たちの演奏に興味を持ってくれたんだっけ。新歓の頃が今はもう懐かしく思えます。
指のほうはもう心配する必要もなくなりました。そこには純粋に演奏を楽しんでいる私がいました。

二曲目が終わったところで、MCを務める唯ちゃんが朗らかな声で話しはじめます。
唯「えっと、次が最後の曲になります。今から歌うのは、私たちがバンドを組んで最初に演奏した曲です」
今さらながら私は、今回の曲構成の意図を知りました。

新曲を最初に披露して、梓ちゃんが軽音部に入るきっかけとなった『私の恋はホッチキス』を二曲目に持ってきて。
そして私たちにとっては馴染み深い、一年の学園祭ではじめて演奏したあの曲を最後に持ってくる。
現在から過去へ、それはまるで走馬燈のように私たちの思い出を回想していくみたいに。
たった三曲の中にも確かに時間の流れは存在していて、それを感じながら演奏するというのは、幸せ以外の何物でもありませんでした。

唯ちゃんが大きく息を吸い込み、曲の名前を口にします。
唯「皆さん、ぜひとも楽しんで聴いてください。――それじゃあみんな、行くよ。『ふわふわ時間』」
二本のギターが別れのときを告げるBGMとなって、それぞれの旋律を辿っていきます。
やがてその旋律は他のパートと混ざり合って、講堂に興奮を巻き起こします。
ありがとう。そんな気持ちで、私は一心不乱にキーボードを弾き続けました。曲が終わる、その瞬間まで。




エピローグ

えーと、唯です。そのあとのことをちょっとだけお話したいと思います。
オープンキャンパスでのライブは大成功を収めました。はじめはぎこちなかった観客の人たちも、最後は手拍子をくれたりしました。
あとで耳にした話では、妹の憂もこっそり見に来ていたらしいです。
新曲の評判もおおむねいい感じで、急いで作ったわりには素敵だとさわちゃん先生が褒めてくれました。その言葉に一番救われたのはたぶん澪ちゃんだったと思います。

ムギちゃんはライブが終わった数日後に、無事海外へと飛び立っていきました。愛用のキーボードと使い慣れたティーセットを置いて。
お茶を入れるのはあずにゃんの役目になって、先生がいるときなんかはもっぱらメイド服を着せられて給仕しています。
りっちゃんや澪ちゃんは、パソコンでムギちゃんと連絡を取り合っているみたい。私もパソコン欲しいなーって言ったら「じゃあ私アルバイトはじめるよ!」と憂が意気込んでいました。それをあずにゃんに話すと「過労死させる気ですか!」と怒られました。ごめんなさい……。

それから放課後ティータイムがどうなったかは皆さんの想像にお任せします。ただ言えるのは、私たちが卒業した今も桜が丘軽音部は残っているということ。そして私の家には、今も奇麗にメンテナンスされたギー太が立てかけられているということです。

おしまい。