憂「お姉ちゃん、これから自分のことは自分でしてね」
唯「え!?どうしたの急に!?」
いきなり憂がそんなことを言い出した。いつにもなく真剣な声で。
憂「ん~と…だってもうすぐ高校3年生だよ?そろそろそういう習慣も身につけないと!ね?」
唯「え~、大丈夫だよ~。そんなの高校卒業してからでいいよ~」
その時はまだ、憂が私の心配をしてくれてそう言っているとしかとらえていなかった。
――――2週間前――――
憂「けほっ、こほっ…」
ん~、このところ体調が悪い。
自分では普通の生活を送っていたつもりなのにどうも風邪をひいたみたいだ。
唯「おっ!?憂、もしかして風邪っぽいの?」
一緒に登校しているお姉ちゃんが横から尋ねてきた。
憂「う~ん、そうなのかなあ~。ちょっと咳でるし」
唯「大丈夫?もしかして私の風邪がうつっちゃったのかなぁ…」
お姉ちゃんは変なところで心配性だ。
お姉ちゃんの風邪なら2ヶ月前に治ってるから
どう考えてもお姉ちゃんのがうつった訳ないのに。
でもお姉ちゃんが私のことを心配してくれたのがなんだか嬉しくて
そんなことないよ、とだけ返事をしておいた。
唯「そっかあ~。いや~憂に風邪がうつったらどうしようかと思ったよ~」
憂「大丈夫だよお姉ちゃん。辛かったら早退するし…」
唯「わかった~。体には気をつけなきゃ駄目だよ!?私が言うのもなんだけど…」
憂「うん。ありがとねお姉ちゃん、心配してくれて」
えへへ、と頭をかくお姉ちゃん。やっぱり優しいな。
それから1週間。私の体調は良くなるどころか
日がたつにつれて明らかに悪くなっていった。
おかげで昨日から学校も休んでいる。
はあ、お父さんとお母さんもいるし今日はきちんと病院行かなきゃ。
唯「うい~。入るよ~?」
憂「う~ん」
そんなことを考えていたら部屋のドアがノックされお姉ちゃんが入ってきた。
唯「大丈夫?今日も学校休む?」
憂「うん。今日は病院行ってくるよ」
心配そうに、私の顔を覗き込んでくるお姉ちゃん。
なんかお姉ちゃんに看病されているみたいでちょっと得した気分だった。
唯「わかった~。学校へは私が言っておくから!」
憂「コホッ、コホッ…ありがとねお姉ちゃん」
唯「えへへ…なんだかいつもと逆みたいだね!」
本当にそのとおりだと思った。こんなこと今まであまりなかったからなんか新鮮だなあ…。
唯「ん、じゃあ私行くね。早く風邪治るといいね!」
憂「うん!行ってらっしゃーい!」
バタン、とドアが閉まるのを確認すると私は上半身を起こして窓から外を見つめた。
憂「…それにしてもどうしたんだろう?今までこんなに風邪が長引くことなんてなか…っっ!ごほっ!げほっ、ごほっ!!」
私は反射的に口を手で覆っていた。そして私は気付いた。
口の中に広がる生ぬるい感触、口を覆った手の指の間からたれる液体、
そして鼻を刺激する…鉄のにおい。
そんな…。私は恐る恐る手を口から離していった。
それは…やはり血だった。
…どうして?そんな考えしか頭に浮かんでこない。
なにやら得体の知れない恐怖を体で感じていた。
憂「かはっ!…どうし…たんだろ、私の体…」
再び外を見た。空は灰色の雲に覆われていた。
その後私は両親に連れられて病院に行った。
親に血を吐いたことなんてとてもじゃないけど言えなかった。
車の窓から見える空は、さっきよりも増して黒くなっていた。
―――――――
病院では軽い診察から入り、その後なぜかレントゲン、
血液検査といった感じに進んでいった。
もう、ただの風邪じゃないことは嫌でも予知できてしまった。
憂「はあ~、暇だな~」
両親が医者に呼び出されてから1時間。私は病室にいた。
最初はなんだか新鮮でそわそわしていたが、しだいに飽きがきて今ではだらんとベットに横たわっている。
憂「んー…あ、そうだ!授業に遅れないようにお母さんのかばんの中に勉強道具入ってたんだ。取りに行こ~っと!」
私は病室を出て、親を探す事にした。
父「な・・・で・・・」
憂「あれ?この声お父さんの?あの部屋かな?」
廊下を歩き始めて数分、意外とすぐに親がいる場所は分かった。
私はその扉の前に行き開けようとした。
?「ざんね・・・・・ほんと・・・す」
母「それにしても!!あと1ヶ月の命なんてあんまりです…!!先生!」
憂「…え?」
私はドアノブにかけた手を回せなかった。
あと1ヶ月の命?誰が?
私はさっきの言葉の意味が分かんなくて、悪いと思いつつ聞き耳をたてた。
医「しかし!もう手遅れなのです…」
その言葉を聞いた時、扉の向こうにいるのは知らない人じゃないのかと思えた。
でも、さっきから聞こえてくるこえは間違いなく両親の声で…
父「…なにか…助かる方法はないのですか?」
なにが手遅れなのか分からない。何の話をしているのか分からない。
医「…入院の上で絶対安静。そこで薬の投与を続ければ1週間くらいは寿命を延ばせます。しかし薬の副作用で激しい痛み、吐き気を伴います」
父「そんな…それじゃあ…どうすればいいんですか…っ?」
ここからでも両親が泣いているのが分かった。
医「それよりは…痛み止めを服用しながら最後まで笑顔で生きてもらったほうがいいとおもいます…」
憂「…っ!」
私はそこからゆっくりと自分の病室に向かった。
もうこれ以上話を聞く事なんてできそうになかった。
だってこの状況だと、明らかにあれは私のことを言ってる訳で…。
残りの命はあと1ヶ月なわけで…
憂「うっ…。いやだよ…っ」
どんどん涙があふれてくるわけで…。ただただ下を向いて歩くことしかできなかった。
病院の窓から外を見ると、大粒の雨が地面を容赦なく叩きつけていた。
―――――――
私は決めた。せめてお姉ちゃんがきちんと自立出来るようにしよう!と。
その日の夜、私は両親の寝室に向かい、最後のお願いをした。
「誰にも話さないでほしい」
それが私の親に対する最後のお願いだった。
親はなぜ病院での話がばれているのか不思議がったが
私が事情を話すと、一緒になって泣いてくれた。
そして精神的にも身体的にも落ち着いてきたとき、
私はお姉ちゃんにあの言葉を言い放った。
――――――――
――――――――
唯「え~、大丈夫だよ~。そんなの高校卒業してからでいいよ~」
憂「もう!だめだよーのんびりしてたら!お姉ちゃんが高校卒業したらどうやって生活するつもりなの?」
憂は珍しく私を本気で怒っているようだった。いつもならそこまで言わないのに…。
唯「だ、大丈夫だよー。私もやるときはやるもん!!だから高校卒業までは甘えさせてよ~」
スリスリと体を寄せていこうとした私を、憂は拒むように顔をそむけた。
なぜだろう?今まで憂が私を拒絶したことなんてないのに…
唯「憂?」
憂は何もしゃべらなかった。
時間にしてみれば3、4秒くらいだったのに
私の中では1時間とも思える時間が過ぎているようだった。
憂「…」
その沈黙が苦しくて、私は憂に話しかけるしかなかった。
唯「ねえ…、どうしたの?いつもの憂らしくないよ…」
憂「…こんなじゃ…だよっ…」
唯「え?なに?」
憂「こんなじゃ駄目だよ!!!」
私は憂の肩に置こうとしていた手を自分の胸の前まで引っ込めていた。
唖然とする私。周りの人が何事かとこっちを見ているのが分かった。
憂もそれに気付いたのか慌てて俯き、
そして一瞬だけこちらを見ると先に向かって走っていった。
唯「あ…」
私にはこんな声しか出せなくて。
憂を引き止めることもできなくて…。
唯「憂…」
やがて憂が見えなくなるまで私はそこに棒のように立ったままだった。
そこで私たち姉妹は生まれて最初の、そして最後になったけんかをした。
―――――
自宅から学校までがこんなに長いと感じたことはなかった。
それが憂がいないからなのか、それとも憂に拒絶されたからなのかは分からない。
帰り道もやっぱりそれは同じで、さっきからため息しかでていない。
唯「はあ~、帰ったらちゃんと憂にあやまろう」
この言葉を口にしたのは何回目だろうか。
ずっとあやまる言葉を考えているが、なかなかいい言葉が思い浮かばなかった。
そんなことを考えているうちにもう自宅の前に着いてしまった。
家は夕焼けの光を真正面に受けていて、驚くくらい赤かった。
唯「…よし!」
覚悟を決めて、家の玄関の扉を開ける。
唯「たっだいまー!おなかすいたよ~」
勢いよく入ったのはいいものの、返事がない。
憂の靴はあるから多分間違いなく家にはいるはず…
それでも返事がないのは嫌われてしまった証拠だろうか?
唯「う、うい~?」
さっきの言葉とは正反対の、弱弱しい音が家に響いた。最初にリビングを見る。
唯「…いない」
やっぱり自分の部屋だろうか?
そう思った私はとりあえずかばんを自分のへやに置き、
憂の部屋の扉の前まで行く。
なぜか緊張して、ずれていたリボンを直しちゃったりして声を発するのに時間がかかった。
唯「う、憂?いる?話があるの…」
しばらく待ってみたが返事がない。ううっ、そんなに嫌われちゃったかな…
唯「憂…、あのさ、仲直りしようよ…。今日は私が悪かったよ…。だからね…うい?」
…おかしい。いくらなんでも静か過ぎる。まるで中に誰もいないような感じがした。
唯「…うい?…開けるよ?」
不安が頂点に達したとき、私は憂の部屋の扉を開けた。
唯「う、うい?…」
カーテンが閉められ、暗いままの部屋。いつもと変わらない憂の部屋…。
そこに憂は……いなかった。
なぜか胸を撫で下ろす私。ふう、とだけ発すると私は憂部屋を後にした。
唯「はあ~。なんかすごく喉渇いちゃったよ。麦茶でも飲も~っと」
憂に謝っていないのに笑顔の私。
それにしても憂は何処に行ったんだろうと思いつつ、キッチンに足をはこぶ。
リビングからキッチンに入ろうとする。
そこは憂の部屋とは異なり夕日が直に部屋全体を包んでいる。
と、そこで私は初めて何かの食べ物のにおいがしていることに気付いた。
唯「この匂い…シチュー?」
キッチンにはシチューの匂いが広がっていた。
コンロの上ではずっとだろうか?火がなべ底を熱し続けている。
…おかしい。憂なら火には気をつけるはずだからこんなことはしないはず…。
私は何かとてつもない危機感を感じてすぐにキッチンの横に回りこんだ。
私がそこで見たもの。
真っ赤な夕日に包まれ、キッチンの床に仰向けに倒れている愛しい妹。
その口からは夕日の色よりもずっと濃い血が溢れ、憂のエプロンを真っ赤に染めている。
シチューを作っている最中に吐血したのだろうか?
真っ白なシチューの表面には憂の血がまるでシミのようになっている。
唯「う…い?…」
私が発した第一声はそれだった。
私の頭はこの状況を受け入れたくないという考えと、
早く何とかしなければいけないという考えの両方でグチャグチャになっていた。
心臓はバクバクと鳴り、全身から血の気が引いていく。
唯「あ…あ…」
もう何がなんだか分からない。普通だったら私は気絶しているかもしれない。
でも、憂の、かわいい憂のその口から出た大量の血を見て、私は必死に憂に呼びかけた。
私はすばやく憂にかけよると、体をそっと起こした。息はしている。
しかし頭と腕は力なくカクンと垂れ下がり、
エプロンにかかっている大量の血が私を不安のどん底へと突き落とす。
唯「ういいいいっ!!!ねえ!うい!!どうしたのっ!?返事をして?ねえ?…っ!!」
いくら呼び掛けても一向に返事をしない憂。もう、私の頭は不安と恐怖でパンクしそうだった。
唯「ど、どうしよう…。どうすればいいの…っ、憂ぃ?ぐすっ…」
こんな時でさえ憂に助けを求めてしまった自分が悔しい。
本当に今まで憂に頼りっぱなしだったと自覚する。
でも、今は私がしっかりしないと憂が死んでしまうかもしれない。
とにかく私はいつの間にか出てきた涙をぬぐい、慌てて携帯から119番に電話をかけた。
―――――――
「手術中」の赤いランプが灯る夜の病院。私はただそのランプが、良い意味で消えるのを
待っていた。
親が話しかけてくる。
もう帰りなさい。明日も学校でしょ。気持ちは分かるが。もうこんな時間だし。唯の体も心
配なんだ…。
親のどんな言葉も、私の中ではただ棒読みのように流れるだけだった。
今、私の心の中にあるのは不安、戸惑い、
そして、、、後悔…。それだけだった。
私がもっと早くに気付いていればもしかしたら
手術なんてしなくて良かったのかもしれない。
私が今日部活をやらずに憂と一緒に帰っていれば
こんなことにはならなかったかもしれない。
何かを考えようとしても、そんなことしか頭に浮かんでこなかった…。
最終更新:2011年05月06日 14:18