――名前は平沢唯。職業は無職。

今の私を語るとしたらこの二言だけで片付いてしまう。

年齢は……無職になってから数えていない。数えることに意義が見出せない。
学歴? 大学は中退したから高卒扱いだろう。
職にも就かず何をやっているかといわれると、行き当たりばったりでやりたいことをやっている、と答える。
古本屋で立ち読みだけで一日を過ごすとか。ネットカフェで24時間過ごすとか。公園や駅前でギターを弾いてみたりとか。
行くアテもないのに寝る場所が欲しいだけの理由で夜行列車に乗ったこともある。自転車で日本一周とかも考えたが隣県で諦めた。さすがに体力が落ちすぎていた。
いろいろやって、結局のところダラダラとギターをかき鳴らしているのが性に合っていることに気づけたのは大きい。

定期的にお金をせびりに実家に戻る。実際定期的かどうかは曜日の感覚もなくなってから久しい私には正確にはわからなかったが、今回実家に戻ったところを玄関前でかつての仲間達に取り押さえられて今に至るのだから案外正確だったのだろう。


――これは、私達の未来に光も闇も無かった世界のお話。


律「――よう、駄目人間」

唯「照れますなぁ、イケメンさんに言われると」

澪「……さすがにツッコミづらいな、この歳になってもそんなこと言ってると」

唯「澪ちゃんは美人さんになったね。オトナの女って感じ?」

紬「……唯ちゃん…」

梓「………」

唯「ムギちゃん梓ちゃん、最近どう? まぁ二人の名前は無職の私でもそこそこ聞くけどね」

梓「っ………」

ムギちゃんの家はあんなんだし、仮に職種『家業手伝い』でも将来は約束されたようなものだ。もちろん実際はちゃんと就職してるけど。
あずにゃんはサラブレッドのギタリスト。親のツテやコネもあり、それ以上にあずにゃん自身の実力もあり、音楽業界では一流ギタリストとして名を馳せかけている。
……かけている、というのはやはり若さから来る古参のやっかみからか。ともあれ、雲の上の存在となったあずにゃんを、私みたいな無職があだ名で呼ぶことは最早許されない。

唯「憂が出版社に就職したらしくてね。二人はよく話題になるよ」

律「その憂ちゃんが困ってるって言うから、私達は集まったんだぞ」

唯「それは黙っておくべきだったよ、りっちゃん。聞いちゃったからには私は明日、憂を問い詰めなきゃいけない」

澪「……あまり憂ちゃんに迷惑をかけるな、唯」

唯「それも含めて、だよ。迷惑なら迷惑って私に直接言えばいいのに」

どうして私ではなくみんなに言ったのか。
おそらく憂はただの相談のつもりだったんだろう。ただ相談した相手が悪かった。
相談相手は、憂のことも、またその憂の悩みのタネである私のことまでも心配するくらい優しい。優しすぎる。優しすぎて、感情的で、直情的すぎる。
……この時代、この世界では、もはや絶滅危惧種といっても過言ではないくらい、純粋だ――



――街行く人々は、隣に誰が歩いているのか知ろうともしない。ふらりふらりと、自分のことだけを考えて歩き、他の人のことにはそ知らぬ顔。
たまに他人のことを考えてみたら、その人からいかにして美味しい蜜を吸えるか。そんなことしか考えない。

口を開けば他人を貶し、陥れ、傷つけて。
口を閉じれば他人の欠点を探し、弱い者には喰らいつき、強い者にはつけ入ろうと跳ねまわる。
そして、いずれは人の上に立ち、弱者も強者も見下せる立場になることを夢見る。

そんなことに一生を使う人間達。彼らを、貴方達は何と表現する?

私なら……それこそが『ひと』なのだと、それ以上の言及はしないだろう――

澪「――わかった。いい機会だ、憂ちゃんも一緒に話をしよう。家にいるんだろ?」

唯「さぁ? 憂の予定なんて知らないよ、いなかったら夜にまた来るし。それよりみんな、よく集まれたね?」

律「…今日は日曜だぞ」

唯「あぁ、そうなんだ。じゃあ憂もいるんじゃない?」

紬「唯ちゃん…曜日もわからないような生活してるの?」

唯「知りたくなったら調べるよ? あらかじめ知っておく必要はない生活だけどね」

嘘だ。ただ単に、お嬢様育ちのムギちゃんにショックを与えたいから大袈裟に言っただけだ。
食べ物が安い日を知っておけば食費は浮くし、読みたい本ややりたいゲームが出る曜日は覚えている。
特に何もない一週間も稀にあるので、全てが嘘というわけでもないが。

ショックを与えたい、とは言ったが、ムギちゃんを嫌いなわけではない。こうして心配してくれるだけで充分すぎるほどありがたい存在だ。
ただ、無職の私と社会人の皆の間には目に見えない大きな溝がある。無職というのはそれだけで蔑まれる存在なのだ。就職しようとは思わないが、蔑みの視線は素直に受け入れようと思う。

働くことは義務であり、義務を果たさない人間は劣っている存在。

仕方ないのだ、そういう社会であり、みんながそういう教育を受けて育ったのだから。
しかし、そんな劣っている私に蔑みの視線ではなく心配の視線を向けてくれる人もまだいる。それは何物にも代えがたい幸せであると、それくらいは自覚している。
ただし、無職である以上、その幸せに何を返せばいいのか見当もつかない。普通なら就職することと言うのだろうが、私はその道を選ぶ気は無い。
だから、ショックを与えたり、心配をかけることしか出来ない。いつかみんなが愛想を尽かす、その時まで。

紬「……唯ちゃん、変わったね。笑わなくなった」

唯「そうかな?」

紬「ううん、笑うけど…笑顔度が足りない。6割くらいの笑顔」

とぼけたが、自覚はある。
というより、毎日のように蔑みの目線を向けられて笑顔でいられる人間がいるわけがない。ムギちゃんにはわからない世界だろうから、責めるつもりはないが。
……責めるつもりはないんだが、無神経な言葉は私の胸を抉る。私は全てを受け入れ、この道を選んだはずなのに、多少無理してでも皆と同じ道を歩むべきだったのか、という気持ちになる。

自分の意思というものを殺し、全てを諦め、皆に歩みを合わせるだけの人形として生きるべきだった、と。

もっとも、無職の私からすれば社会人というのは皆、心を殺しているようにしか見えない。

心を殺された。

それは果たして、どちらなのか。


律「――憂ちゃん、呼んでいいか?」

唯「いいけど……個人的には、ムギちゃんと梓ちゃんには帰って欲しいかな」

ムギちゃんとあずにゃんが青ざめた顔で息を呑む。私の拒絶と取ったのだろうか?
よく考えたらあずにゃんは私と会ってから一言も喋ってない。まぁ、そっちのほうが私には好都合だが。

紬「……ど、どうして?」

震える声でムギちゃんが私に問う。そういうつもりじゃなかったのだが。

唯「ムギちゃんは知らないほうがいい世界だよ」

澪「唯なりの善意だ、と言いたいのか? 心配する友人に帰れと言う事が」

唯「そうだよ。ムギちゃんは下なんて見てないで、もっと上を目指さないと」

無職の友人がいる、というだけでお嬢様的には汚点だろう。欲を言うなら、もう私の事など忘れて生きて欲しい。
口にすると、澪ちゃんかりっちゃんのどちらかから平手が飛んでくるだろうが。

紬「……私は、唯ちゃんを下に見たことなんてない」

唯「同格に見てくれてれば、そもそも心配なんてしないよ。久しぶりだねーって言いながらご飯でも食べに行って、世間話をして解散。それが正しい同格相手の接し方」

紬「そう…なの?」

律「安心しろ唯、私はちゃんと唯を下に見てる。引き上げるのは上にいる者の役目だ」

唯「開き直られても居心地悪いけどね……まぁ、だからりっちゃんと澪ちゃんには逆らわないよ」

梓「………私は、なぜですか」

ようやく口を開くあずにゃん。久しぶりに聞いた声は、あの頃と変わりなく。
そういえばあずにゃんは、テレビとかで見てもギターは弾いてるけど歌は歌わない。何故だろう?
まぁ、今となっては些細な疑問だ。私とあずにゃんにこれほどの差がついた今では。

唯「ムギちゃんには善意だったけど、梓ちゃんには私のワガママ。先輩として振舞ってた時期もあるんだし、カッコ悪いところ見せたくないだけ」

梓「……どうして、そんな過去のように話すんですか…」

唯「……実際過去じゃん?」

梓「違います! 私の中ではいつまでも『唯先輩』です! いつまでも!!」

唯「そうやって気にかけてくれてたのは嬉しいけどね…」

……はて、どうしたものか。誰一人として怒らせずに、この場を納めるのは意外と難しそうだ。
心配してくれていた皆に『心配するだけで行動してくれなかったくせに』と逆ギレするのも手だが、さすがにそれはこの後も話が続くりっちゃんと澪ちゃんに気まずい。
ならば『実は梓ちゃんのこと大嫌いなんだ』と個人攻撃するか……いや、結局気まずくなる気がするし、その一言であずにゃんを傷つけ、将来を奪ってしまう可能性もある。
『貴様の知っている唯先輩は死んだ』とジョークを混ぜながら言うのもいいが、ジョークが通じるかどうかは非常に分が悪い賭けだ。
ならば結局のところ、行き着くのはムギちゃん達と同じところ。


唯「ねぇ『あずにゃん』、年収いくらくらいなの?」

梓「……へ? 急になんですか…?」

唯「ん~? 別に? 聞いてみたいだけだよ?」

梓「え、えっと…」

唯「テレビに出てるくらいだし、儲かるんだろうね~? すごいねー『あずにゃん』」

澪「」イラッ

律「……もういい、行くぞ唯。梓は帰れ」

りっちゃんに思いっきり腕を掴まれる。少しわざとらしすぎたか。
っていうか痛い。結構本気で痛い。むしろ皆を同じところに行き着かせてしまったかもしれない。

梓「えっ? ちょっと律先輩、どうしたんですか?」

そして肝心のあずにゃんには通じてなかった。

律「澪、言っておけ。私と唯は先に行く」

澪「ああ」

紬「わ、私は?」

律「ムギも帰れ。唯の言うとおり、聞かないほうがいい」

納得いかなそうな様子のムギちゃんに、私はこれ以上言葉をかけることは出来なかった。
単にりっちゃんに引きずられ、家に放り込まれたからなのだが。


唯「いたたた…」

憂「お、お姉ちゃん!? ……と、律さん」

律「よ。元気にしてる?」

憂「は、はい、まぁ。っていうか、もしかして」

律「ああ、そこで捕まえた」

唯「ひどいなー、人を虫みたいに」

律「虫のほうがまだ立派に生きてるよ」

唯「私も虫も、やりたいことだけやって生きてるから違いはないと思うんだけどなぁ」

律「じゃあ虫扱いでいいな」

唯「……あれ?」

ハメられた。誘導尋問というやつか、これが。

憂「あの、とりあえず、あがってください」

律「あー、うん、ごめんな、お邪魔します」

憂に促されるまま居間に足を運び、腰を下ろして一息。
するとすぐに澪ちゃんも姿を現した。

律「……梓は?」

澪「腹を立てて帰っていったよ。『そういう目で見るなんて信じられない』だとさ」

唯「そっか」

どうにか上手くいったようだ。澪ちゃんには感謝しなければ。
これでもう二度と、あずにゃんに会うことはないだろう。
……物悲しさは否めないが、致し方ない。住む世界が違うのだから。

ただし、物悲しさを顔に出してはいけない。これがお互いにとって最善の方法なのだから。

憂「…お姉ちゃん、まさか梓ちゃんにお金を…」

澪「あー、ちょっと待って。その話はまだ――」

澪ちゃんが何故か憂を制止しようとする。その声と同時に背後に人の気配。

紬「……ごめん、澪ちゃん。聞いちゃった」

……ムギちゃん、帰らなかったのか。これは困った。厄介なことになる。

紬「唯ちゃん、お金に困ってるのなら相談してくれれば――」

律「そうやって――」

憂「そうやって甘やかしてもお姉ちゃんのためになりません!」

律「お、おおぅ…そうですよね」

澪「……でも、普段唯に金を渡してるのは憂ちゃんだろ?」

憂「……はい、そうです。でもそれは――」

澪「家族だから仕方ない、か? それも甘えだよ、気づいてるだろ?」

憂「…………」

ああ、面倒だ。ムギちゃんが来なければこうして憂が責められる事もなく、この無意味な会話もなかったのに。
ムギちゃんに悪意がないことはみんな知っている。でも、この場にムギちゃんはどう考えても不釣合いで、不要だろう。どうして澪ちゃんは帰らせなかった?

唯「……ムギちゃん、帰ってって言ったよね?」

紬「っ…!」

再びムギちゃんの顔が蒼白になる。言い方が悪かった? 何かに怯えているようだが、そんなに怖い顔なんてした覚えはないのだが。

唯「…聞かないほうがムギちゃんのためなんだってば。ね? りっちゃん?」

律「そうだな……どっちにしろ、聞かないほうがいい」

紬「どっち、って?」

律「唯を哀れむ結果になろうと、唯に失望する結果になろうと、だ」

私は後者を望んでいる。あずにゃんのように、早々に見限って、私のことなど忘れて社会で大成してほしい。
誰よりも何よりも大切な友達だから、幸せになってほしい。

唯「っていうか、未来のある人、あるいは今が幸せだと思ってる人には聞いて欲しくない。ムギちゃんは前者に当てはまる。りっちゃんや澪ちゃんも後者に当てはまるなら帰って欲しい」

律「別に私はどっちでもないな。レベル低い職場だし」

澪「律のところよりはレベル高いけど、幸せってほどではないな」

唯「そう? 澪ちゃんはなんか色気出てきたから、彼氏でも出来たのかなーと思ったんだけど」

澪「茶化すな。彼氏より友達を優先するぞ、私は」

唯「あれ、否定しなかったよ。実際どうなの? りっちゃん」

律「澪は唯を優先してる。それだけが事実だろ」

唯「ちぇー」

……真実はわからないが、澪ちゃんと縁を切る――否、澪ちゃんに縁を切られるべき時も、そう遠くはないだろう。
むしろ彼氏できて結婚までしてくれれば、私に構ってる時間もなくなるだろうが。

律「で、そこまで言われてもムギは帰らないのか?」

紬「唯ちゃんは…悩んでるんでしょ? 苦しんでるんでしょ? 私だって力になってあげたい…」

……ダメだ、最初から勘違いしている、このお嬢様は。
というか、それほどまでに想像のつかない境遇なのだろうか? 無職は。

唯「あのー、別に悩みとかないから、帰っていいよ」

紬「悩みがなくても、苦しんでるでしょ!? だって唯ちゃん、笑わないもの!」

その二度目の言葉に息を呑んだのは、一回目にその場にいなかった憂。

憂「お姉ちゃん…やっぱり一度、ちゃんと話そうよ。『あの時』のことから、私は聞きたいよ…」

唯「『あの時』? なんかあったっけ?」

律「…お前が大学を辞めた時だろ。私でさえ何事もなく卒業したのに」

唯「あー……」

唐突に大学を辞め、実家に戻り、自分のお金をかき集めて『遊びに言ってくる』とだけ言い残し、私はしばらく帰らなかった。
警察とか呼ばれても面倒なので、憂からの着信を無視するようなことはしなかったけど。とにかく、その時から確かに私は変わってしまったとは言える。いや、周囲の目にはそうとしか映らないだろう。

澪「誰一人として、お前が辞めた理由を知らない。誰一人として理解できていない。なぁ唯、何故なんだ?」

紬「何故、何の相談もしてくれなかったの?」

律「何かされたのか? 何かあったのか?」

そう怒涛の質問をされても、答えられるほど大きな理由はない。
かといって『疲れたから』とか答えても納得してはくれないだろう。
『気づいてしまった』とかなら少しカッコイイだろうか。


唯「まぁ、先のことを考えるのが馬鹿らしくなったっていうのはあるよね。無職やってるくらいだから気づいてるとは思うけど」

律「だから、何故そう思ったんだ? みんなそれが知りたいんだよ」

澪「大学でも…人気者だっただろ、お前」

唯「自分で言うのも何だけど、人気者だったからだよ。いろいろ見えちゃうんだよ」

紬「………!」

『ひと』というものは、汚く、狡賢く。狡猾で、残虐にして残酷。
他人を傷つける事を何とも思わず、むしろ傷つける事を正当化する理由を欲している。

大学で、大学程度でその事実に打ちのめされた私には、社会人として生きる道など選べるはずも無かった。

唯「まぁそんなワケだよ。それより憂、お金ちょーだい?」

律「そんなワケって…おい」

憂「そんな説明だけで…納得できないよ…!」

憂が苛立っている。まぁ仕方ないだろう、やっと姉が真実を語ってくれるかと思ったところにこの肩透かしだから。
私としては語る必要もないような事だと判断しただけだったのだが、苛立ってくれるなら好都合だ。
憂にも、早く私を見限ってほしかったから。両親のように、いないものとして扱って欲しかったから。

唯「語ったところでどうしようもないよ。何も変わらない。それよりも憂、今週いろいろあるんだよね~」

律「…いろいろってなんだよ」


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