それからは学校にも行かず一日中家の中で寝てばかりいた。

それ以外は酒を飲む。

酒を買いに行きそのまま酒屋で眠り込み警察のお世話になる。
そういう時はいつも妹が引き取りに来る。


それでも一度も怒る事は無い。


私の身体を心配してくれているようだ。


今まで以上に迷惑をかける。


冬の夜、飲屋の帰りにしゃがみ込んでしまう。


胸が刺すように痛い。

酷い咳が何度も続く。


立ち上がり歩き出すと口に鉄の味が広がる。

灯りのある所で手を見ると血に塗れていた。


驚きよりも、「ああ、来たか。」という感情だ。

肝臓がやられたか。


それ以来酒を飲む量が減った。

その代わりヒロポンに手を出すようになった。


酒より何倍も高額な為、家の物を質に入れる。
妹からなけなしの金をせびる。

少し痩せたな。
食欲も無い。

たまに飲屋と薬屋、質に出るだけでほとんど外に出なくなった。


妹は卒業し働き始めた。

ますます居心地が悪い。
「すまないな。」と言えど責められもせず。


こうなると開き直るしかなかった。


一度、紬にあの時の謝罪の手紙を書いた。
しかし返事は一向に来なかった。


そりゃあお嬢様だ。

今頃いい所のお坊ちゃんとでも所帯を持っているだろう。


違う世界の人間だ。

私の事など、
いや、私達の事など触れて欲しくない過去に過ぎまい。

最近は眠剤無しでは眠りつけなくなっていた。

苦いな。


久々に律の夢を見た。


「お前なにをやってるんだよ。」


「君が死んでから、なにもかもが狂ってしまった。」


「私のせいかよ。」

「お前もこっちに来るか?」


「それもいいかもなぁ。」


「バーカ。」



律が死んで三年が過ぎた。


質へ行く為、外へ出るが日が眩しい。
歩くのもしんどい。

休み休み歩くしかない。


質屋から逃げるように外に出る。


ふと気づくと長い黒髪の女性がこちらを見ている。


どうして…


そんなはずは無い、だがそこにいる。


部活をしていた頃となんら変わらない姿の澪が立っている。

「久しぶりだな。」


「…本当に君なのか?」


澪は微笑む


「幽霊でも見たような驚き方だな。」

「少し時間がかかったけどな。」


私はこの時どんな表情をしていたのだろうか。


「あそこから立ち直ったのか……」

「…凄いな、君は。」


下を向かずにいられなかった。


「今、君は何をしているんだ?」


「結婚する事になったんだ。」


驚き顔を上げる。


「飲食店の経営者をしている。」

「上京する事になったんだ。」


「…そうか、おめでとう。」、声が震えているのが分かる。


「余計な事のようだが金に困っているみたいだな。」

澪は鞄から財布を出し5000円を私に握らせた。


「これは返さなくていい。」

「あの時、来てくれて有り難かったよ。」

「お前は友達思いのいい奴だ。」

「それじゃあ元気でな。」


彼女が遠ざかっていくのに言葉が出ない。



違う… 私は。

君の事を見て、優越に浸っていたんだ。


悔しいと言うより自分が惨めで仕方が無い。

自分が世界で一番不幸な人間に思えてくる。


唯一勝っていると思っていた者が、気づくとずっと先を進んでいた。

かといって負けるかと立ち直ろうとする私ではない。

つくづく駄目だ。


彼女は思っていたより遥かに強い人間だった。


「小心者、臆病。」、嘘。



ヒロポンの量が増えた。


夕方薬屋から帰ると妹が大きな荷物を二つ用意している。

「これはなに?」


少しの間黙っていたが小さな声で返事をした。

「私、家を出ます。」

「ごめんなさい。」


言ってる事が理解出来ない。

「どうして?」


妹は私を見つめ、「友達と九州に行ってお仕事をします。」と小さな声で言う。

「前から誘われていたんです。」


呆気にとられる。


「なんの相談も無かったじゃないか。」


「相談出来るような状態じゃありませんでした。」


「私がだらしないから?」

「だから出るの?」


声が大きくなる。


「…今、すぐ出るの?」


妹は小さくうなずいた。


「いつかは気づいてくれるかと思ってたんです。」


「何年も待っていました。」

「間違いでした。」


「でもあなたの事を嫌いにはなれませんでした。」


「だから、私が耐えられなくなるまでに死んで欲しいと毎日願っていました。」


「さよなら。」


「私、この家の生活が嫌でした。」




笑顔。


魂が抜けたとはこういう状態を言うのだろう。

予測も出来なかった。


いや、こうなる事くらい分からなかった私が馬鹿なのだ。

今までどんな気持ちで何年も待っていたのだろうか。


妹の笑顔が頭から離れない。


あれは私に向ける為の笑顔ではなく、自分の憤りを隠す仮面だったのだ。



みんなが私の前から消えていく。


何もする気力が無く数週間が過ぎる。

このまま生きていても仕方が無い。


首を吊るか。

細いロープを用意し吊す場所を探す。
実際、家には高い場所に引っかける所が無い。

首吊りは足が着く状態でも成功すると聞いた事がある。

ロープを扉の把手に引っかけ、片方を首に掛ける。


死ぬ前にしては不思議と落ち着いている。


残す言葉も無い、これで体重を掛ければお終いだ。

瞬時に気を失い死に至るらしいが。


膝を折り前のめりに傾け体重を掛ける。


「!」

慌てて膝を戻し首からロープを外す。
その場にへたり込む。

全身の血液が頭に昇ったみたいだ、顔が熱い。
耳鳴りもする。

心臓が裂けそうだ。


「これは駄目だ…」


恐ろしい。


なんて事だ、未遂にすら至っていない。

「ハハ…」


あまりの情けなさに泣く気にもなれず笑いが漏れる。


律、大したもんだ君は、
人も自分も殺せたんだからな。


もう死ぬ事もできない。

人間でも死骸でもない。

私はなんなのだろう。


もうヒロポンの効き目は無くなっていた。

飲屋で見るからに堅気ではない男にモルヒネを勧められた。

勧められたそれと生活費をその男に借りた。


分かり切っている事だが返す当てなど無い。

しかしモルヒネの量は増え借金も膨れあがっていく。

借金取りが頻繁に押し掛けてくる。
何度も殴られ蹴られる。

もうどこかに売られるしかない事は分かっていた。


どうでもいいな…もう。

朝、玄関の戸を叩く音が聞こえる。

覚悟はしていた。


しかし耳を澄ませると女性の声がする。


妹。

私は縋るような気持ちで戸を開けた。



「何年ぶりでしょうね。」


私の家を訪ねるには不相応な美しい大人の女性。
しかしまだあの時の面影が残っている。

お嬢様。


私の姿を見て目を伏せる。


「本当に駄目になったみたいね。」


「…どうしてここに」


「手紙の返事を返せなくてごめんなさいね。」


「…許してくれたの?」


彼女はあの時と同じ溜息をついた。


「薬漬けね。」


「哀れな姿。」


「そのぶんだとかなりの借金があるんでしょう?」

「立て替えるわ。」



誰が金持ちなんかに…

お嬢様なんかに…





「……お願いします。」

「助けてください…」


何もかも失っても泣かなかった。
どんな時もでも泣いた事が無い私が。

涙が止まらない。



もはや私のプライドなど塵に等しい物でした。


「当分入院しなさい。」

「私がしてあげられるのはここまで。」


「感謝します。」

私は深く頭を下げる。


「言われたのよ、私はここから離れるから気にしてやってくれって。」

澪…


「食事はどうしてるの?」


「饅頭や総菜を時々買ってきて…」


「感謝してるなら薬を抜いて身体も治しなさい。」

「酒も止めて一人で生きて行きなさい。」


紬は取っていた帽子をかぶる。

「明日病院から迎えが来るわ。」

「さよなら。」



私は涙を流しながら彼女の足に縋り付き「ありがとう、ありがとう。」、と繰り返す。


「甘えるな!」

今まで聞いた事が無い声で怒鳴り、私を払い除ける。


「……お嬢様に頼るくらいなら死にますぐらい言いなさいよ。」


私はへたり込む。


最後に私をきつい目で見てこう言った。


「あの二人がいなかったらあなたを助ける気なんか無かった。」

「結局最後まで駄目だったのはあなただけね。」


あの頃、微笑んで皆を眺めていた彼女はいなくなっていた。
お嬢様をとっくに卒業し、遥か遠くへ行ってしまっていた。



私は郊外の病院で一年ほど過ごした。


それから一年経ち、紬当てに一通の拙い文字で書かれた手紙が届いた。




紬様

突然手紙など送り申し訳ありません。

あなたはもう私の事など関わりたくもないという気持ちが分かっていながら敢えてお送りしました。
ご迷惑でしょうが私が立ち直るのにお世話になったあなたに、今のありのままの状況を伝えたいのです。

お許し下さい。


入院中に尋常でなく苦しみましたがモルヒネは身体から抜けました。

身体の方は腹部や背中に前より強い痛みがあり突っ伏してしまう事がよくあります。
喀血も少ない量ですがまだ、たまにあります。

どうしても寝付けないので今はブロバリンだけを寝る前に飲んでいます。

ただ酒は完全には止めてはいません。
ごめんなさい。

しかしなんとかたまに日雇いに出られるまでになりました。
頼りはないですが一人で生きていけています。

寸前の所で人に戻れました。


あなたのおかげです。
あの二人のおかげです。

ありがとうございました。


生き地獄のような人生でしたがなぜでしょうか、今は思います。


私は、死にたくありません。

死にたくありません。



もう暁です。

一日の始まりというのはなぜもこう気重なのでしょうか。

律が死ぬ前の日に言っていました。

運の悪い奴は最後まで悪いと。


彼女の言った事が正しいかどうかはまだ分かりませんが来年も生きています。
再来年も生きています。

次の年も、またその次も。


ああ、そうだ。
簡単な料理位なら作れるようになったんですよ。


それでは、お元気で。

ありがとうございました。


さようなら。