おデコの部屋に入ると女学生らしいものは何も無かった。


「驚いたか?」

「…うん、なんなんだあれは?」


「親父がやったのさ。」

「酒飲んでは暴れるんだ、お袋もとうとう家を出ちまった。」

「さっさとくたばればいいのに。」


「お前はいいな、出来の良い妹がいて余計な奴もいない。」

無神経な言葉が癪に障ったが返す言葉が見つからない。


おデコは扉を開け叫んだ、さっきの男の子を呼んだようだ。


「弁当三つ買って来い、あとビールはツケでな。」


「弟か?」

「あぁ、あいつはほとんど外に出なくなってな。」

しばらくして弟が弁当とビールが入った紙袋を置いてまた下に戻って行った。


「飲め飲め。」


「毎日こうなのか?」

「何が?」


「毎日酒飲んでるのか?」

「そうだよ、やってられるかよ、文句あるのか?」


さっきの仕返しをしてやろうとしてしまった。

「親父さんと同じじゃないか?」

「なんだと?」


「君まで酒に溺れて駄目になってどうする。」

「こんな事じゃあ弟と一緒に破滅するだけだ。」


妹の事を考えると、自分はどの口が言えるのだろうと思いかけた後に刺さった。


「優秀な妹に世話されて飼い犬みたいに生きてるお前に言われたくないよ。」

仕返しなど止めておけば良かった、がもう後に引けない。

じゃあ勝手にしろと私は出て行こうと扉を開けようとした時、小さな声が聞こえた。


「待てよ。」

「悪かったよ、せめて弁当食って行ってくれ。」


おデコはうつむき、元々小さな身体が更に小さく見えた。


私が鈍感なのか、おデコが悩んでいる素振りなど見た事が無い。
学校やクラブでの活発さは造り物だったのだろうか。


なぜ彼女は誰にも見られたく無いであろう現状を私に見せたのだろう。

「なぁ、唯。」

「なんで私はこんな所へ生まれて来たんだろうな。」


「紬みたいな家に生まれていたら幸せだったのかな。」

「たぶん…そうだろうね。」


世の中は不公平だ。
だがそれを言った所で何も変わりはしない。

いや、私はもう変わる事さえ諦めているのだ。


「澪はまだ怒ってるのかな…」


私は泊まる事なく夜遅くに家に帰った。


次の日、部室には澪だけがいる。

澪は感傷的になってすまなかったと謝罪する。

おデコも気にしていた事を伝えると「そうか…」と床を見つめる。


澪は眠れなかったのか酷い隈を作りしんどそうにしている。
小刻みに震えているようだ。


調子が悪いのかと尋ねようとした時

「ちょっと。」と部室から出る。
便所に行ったようだ。


少しすると戻って来たが顔が先ほどより赤くなっている。
震えも無い。


私はハッとし聞いた。

「君はヒロポンをやってるのと違うか?」


澪は目を閉じ黙っている。


「私も数年前一度だけやった事があるが二日寝ずとも、なんともなく活気が溢れた。」

「その後凄まじい疲労感がありもう一度と躊躇ったが切りがないと止めたんだ。」

「あれは続けちゃいけない、廃人になる。」


澪は苦笑いの後、「そんな物やってないよ。」とイスに座った。

「それより律は大丈夫かな、昨日喧嘩したから訪ねに行き辛い。」

「律はああ見えて気が弱いんだ、昔から。」

「小さい頃は家から追い出されて弟を連れよく家に来てたもんだ。」


「昨日彼女の家に行ったんだ、初めて知った。」


「そうか… 酷い親父さんでさ、母親が逃げ出してからあいつは変わってしまったよ。」

「昔はもっと素直で優しい奴だったんだよ。」

「律は私がいないと駄目なんだ。」



逆だ、律がいないと駄目なのは君の方だ。

口には出す事が出来なかった。





その夜、律は自殺した。


私はその事を次の朝、学校で担任に聞いて初めて知った。

澪も紬もそうだ。

澪は放心状態で青ざめ震えていた、
その後倒れ病院へ運ばれた。


律は昨日の夜、寝ている父親の首を包丁で刺し殺し、その後自分の首を刺した。


後日彼女の親戚であろう人が通夜、葬儀を行った。

自宅にはまともな写真が無かったらしく遺影は担任が用意した入学式の写真。

棺は開けられる事が無く彼女を見る事は出来なかった。


部屋から出て行く私を呼び止めた時の、あのなんとも言えない表情が浮かぶ。

紬は意外と気丈で涙を流さない。
いや、私と同じで実感が無いだけだろうか。


帰宅後慣れない酒を飲み過ぎ次の日の葬儀には出席できなかった。


ごめんなぁ、律。
こんな時にまでどうしようもないな、私は。



部室、数年の馴染みがあるのに全く違う部屋に入ったみたいだ。

紬がこちらを向き少し微笑む。

「葬式に出なくて悪い事をした。」

「仕方無いわ、お茶煎れるわね。」


もう、部で話が出来るのは紬しかいなくなった。


「一昨日彼女に泊まって行けと言われたのに帰ってしまったんだ。」

「あの時泊まっていたら変わったのかな。」


紬はついていた頬から手を離す。

「変わらないと思うわ、三日や四日の出来事での結果ではなかったんでしょう?」

「…だけど、」

「皆、駄目になってしまったな。」


「皆?あなたは駄目になったの?」


「駄目だよ、見れば分かるだろう。」


「私は駄目になんてなってないわよ?」

「自分が駄目なのを人のせいにしちゃいけないわ。」


頭に血が昇る。


「君はお嬢様だもんな、何不自由なく生きてきたんだ。」

「それがどうしたの?」

「誰があなたを駄目にしたというの?」


「金持ちには分からないさ。」


「お金があれば悩む事が無いとでも思ってるの?」


「あぁ、人間の悩みの九割は大金があれば解決するだろうよ。」

「律だって金があればあんな事にはならなかった。」


紬は溜息をつく。


「そうかもしれないわね、それじゃこれで帰るわ。」

紬は鞄を持ち扉に向かう。

「この前聞かれた事を答えて無かったわね。」


「お嬢様は辛いわよ。」

「駄目になったなんて感傷に浸ってる余裕なんて無いの。」

「どんな人間も、悩みも辛さも無くしたいなら消えるしかないのよ。」


「さよなら。」



追おうと立ち上がったが足が進まない。


数十分ほどその場に残り帰途につく。


余計な事を言わなければ良かった。
謝罪の言葉も見つからない。

今、唯一まともに話が出来るのは彼女だけなのに。


家の近くでふと気づくと、男の子がこちらを見ている。

どこかで見覚えのある顔が頭を下げる。

「こんばんは。」


ああ、律の弟だ。


「大変だったね。」

「はい…」


「私に何か?」

「これを。」


唯へ、と書かれた茶封筒を渡される。


「姉が死ぬ前、あなた宛に書いた物みたいです。」

「それでは失礼します。」


「あ、」

「君は今どこで。」


「施設に行く事になりそうです。」


「…そうか。」

彼は一礼して去った。



私は部屋に入り封筒を開ける。

惨劇の直前に書いた物なのだろうか、字が乱れている。


読むのが怖いが彼女の最後の言葉だ。

私宛の遺書。




お前にも迷惑かけてるんだろうな。
すまん。

もう耐えられない。

私を女郎にして売ろうとしてやがった。


どの道私にはもう先が無い。
何もかも終らせようと思う。

親父も最初からああじゃなかったと思うが、
こうなっちまったんだからしょうがないよな。


いっそお前みたいに姉妹二人なら良かった。
弟の事が気掛かりだ。

後、澪の事も。


唯、
やっぱり最後まで駄目だったな。

先に逝くよ。


さようなら。



腹の底に重い物が伸し掛かったような気分だ。

吐き気もする。


私がもっと早く気づいてやれば。

いや、気づいたとしてもどうしようもなかった。
私は何の力も無い貧乏人。


そもそも他人が人の家庭を変えられる事なんて出来る訳が無い。

彼女がいつも見せていた虚勢の意味が少し分かったような気がする。


気分が悪くなり伏せる、そのまま二日も横になっていた。


澪は今頃どうしているのだろう。


この気分は彼女としか共有出来ないのかもしれない。

澪の家に向かう。


初めて訪れたが、私や律の家より遥かに立派だった。

玄関を叩くと母親らしき人が出て来た。

同級生だと告げると中に入れてくれた。


「今、あの娘と会わない方がいいと思いますが。」

「どうか、お願いします。」


澪の部屋の戸を叩き中に入る。


中にいた娘はもはや澪では無かった。

綺麗だった髪はボサボサで鳥の巣のよう。
肌も蕁麻疹のような物が出てボロボロだった。

それ以前に食事もろくに摂って無いのか端整だった顔も骸骨のようだ。

「なんだ、お前か、どうした?」
覇気の無い声。


「なんて姿だ…」

もはやヒロポンの注射器も隠さず転がっている。


「やっぱり続けてたのか。」


「それがどうした。」


「律は最後まで君を心配していたみたいだぞ。」


「黙れ!」

「あいつの事は口に出すな!」

「あの馬鹿が、何が心配だ…」

「悲しい事を言うなよ。」

「お前にあいつと私の何が分かる。」


「あいつは私を裏切っ・・」

澪は乾いた咳をゴホゴホと、苦しそうに吐く。


背を摩る。

「大丈夫か?肺も痛めてるんじゃないのか。」


「…私がもっと、もっと気をつけるべきだったんだ。」

「あいつは私がいないと駄目だったんだよ。」

「私のせいだ。」


「もうやめとけ、今更何を言っても返っては来ないよ。」


澪は壁に背をもたれかける。

「君は私や律と違ってまともな家庭じゃないか。」

「薬さえ止めれば普通に生きていける。」

「いつまで律に甘えるつもりだ?」


澪は驚いたような表情を見せる、が、
直ぐ様こっちを睨めつける。

「うるさい!」

「あいつといつも怠けた生活をしてたお前なんかに説教されたくない。」

「出て行けよ。」


「…分かった。」

「でも、君はまだ幸せだぞ。」

「私と律とは違ってな。」


澪は表情を緩めうつむく。


「じゃあな。」

「…唯。」

うつむいたままで呟く。

「すまなかった。」


ああ、そうか…


「私は勘違いしてた。」

「君と律は何もかも正反対だと思っていた。」


「君達は誰よりもそっくりだ。」


澪は目を合わさないが少し顔を上げる。


母親に挨拶し彼女の家を後にした。

ああは言ったものの、もう駄目だろう。

やり切れない感情で怠くなる。

そのくせ私はずるいから、
自分より不幸な人がいる事に少し安心していた。


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