律「……」

♪~♪~

私の心の静寂を破るように携帯が鳴った。
着信音は唯が最近出した曲だ。
唯は音楽学校を出た後プロデビューし、そこそこヒットしていた。

携帯を見るとメールが届いていた。
彼氏からだった。

「今から会えない?」

胸にもやもやを抱えたまま会うのは気が引けたが、
独りでいても仕方がないし、
最近彼氏にずっと会っていなかったので、会いに行くことにした。

20分後、私は彼氏のアパートの前にいた。

彼氏「やあ」

律「会うの久々だな」

彼氏「うん、そうだね。
   とりあえず、入って」

彼氏は明るい気さくな人だ。
私と性格の相性が良く、大学時代から付き合いが続いている。

私は部屋に入った。
片付いてるのか散らかってるのかよく分からない部屋だが、
こういう部屋のほうが私としては落ち着く。

彼氏「……」

律「……ん?何?」

彼氏「いや、なんかいつもと違うから。
   何か悩み事でもあるのか?」

律「ん……実はね」

私は昔の友人がもう6年も引きこもっているということを話した。
梓のことは言わなかった。

彼氏「ふうん……じゃあ、会いに行ってみたらいいんじゃないか」

律「え?澪に?」

彼氏「ああ。とりあえずそういうときに必要なのは対話だよ。
   よし、今から行こう。善は急げだ」

律「え?え?今から?」

私は思いがけない形で、澪に会いに行くことになってしまった。

澪の家には電車を乗り継いで30分ほどで着いた。

インターホンを押すと、澪の母親が出てきた。
6年前とは比べ物にならないほど老けこんでおり、
顔にはいくつも深いシワが刻まれていた。

母「まあ……りっちゃん?」

律「お久しぶりです。澪に会いたくて来ました」

母「それが……澪ちゃん、部屋から出てこなくて」

律「はい、分かってます。上がらせてもらっても良いでしょうか」

母「ええ……澪ちゃんには会えないと思うけど」

律「会えないなら会えないでいいんです」

私は秋山家に足を踏み入れた。
澪の母親とともに澪の部屋に向かう。

澪の母親が扉をノックした。

コンコン

澪「ん?」

中から澪の声が聞こえる。
数年ぶりに聞く旧友の声だ。

母「澪ちゃん、お客さんよ。りっちゃんが来てくださったの」

私は澪の返事を待たずに部屋の扉を開けた。

律「入るぞ、澪」
ガチャ

澪「律……」

律「澪と会うのももう5年ぶりか~?
  はっはは、汚い部屋だな~」

色々と思うところはあったが、
とりあえず私は明るくふるまうようにした。

澪「……何しに来たんだ」

律「幼馴染に何しに来たんだ、はご挨拶だな。
  あ、タウンワークじゃん。ついに働くのか?」

澪「……」

澪が私に向ける表情に、もうあの頃の親しみは感じられなかった。

律「澪、家で毎日何してんだ?ずっと籠ってても暇だろ」

澪「そんなことないよ。
  インターネットでは毎日新しい情報が見られるし、
  そこに参加してみんなと一緒に楽しんだりできる。
  ゲームだって漫画だってあるし、たまにはベースも弾いたりするし」

律「ふうん」

澪「そういう律こそ何やってんだ」

律「あはは、私はハケンだよ」

澪「ぷっ、ハケンって……あはははははは」

律「な、なんだよ」

澪「ハケンって……低賃金でくだらん仕事させられて、
  用済みになったらポイだよ?使い捨ての存在だよ?
  まさに社会の奴隷って奴じゃん、あははははは」

律「……」

なぜか笑われた。ものすごくバカにされている。
私だってハケンが安定しない底辺の仕事だってのは分かっている。

澪「なんでハケンなんてやろうと思ったの?
  そんなんで将来どうすんのさ。
  新卒で正社員になれないとか人生積んだも同然じゃん。
  だいたい律は大学選ぶ時から……」

自分が低学歴なのも承知している。
それがコンプレックスになって、澪たちとの関係も断った。
でも、なぜ今、その澪本人からこうも嘲笑を受けなければならないのか。

なるべく明るく振舞おうと思ったが、
ここまであからさまに馬鹿にされると、それも無理だ。

律「お前には言われたくない」

澪「え?何?」

律「この数年間!働きもせずに!一日中部屋にこもりっきりで!
  親のすねをかじり続けてきたお前には言われたくない!!」

思わず感情に任せて言ってはいけないことを言い放ってしまったが、
澪はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべていた。

澪「おーおー、逆切れだよ。
  もっと論理的に話せないもんかね。
  これだから低学歴は困る」

律「おまえなぁ……」

私は呆れかえってしまった。
6年の引きこもり生活はこうも人を歪めてしまうものなのか。
もはやこれ以上何を言っても無駄かもしれない。

律「……もういい。かつての親友を心配してきてみたら……
  お前とは絶交だ。もう帰る」

澪「ああ、それで結構。
  お前みたいな低学歴底辺人間と友達なんて人生の汚点だからな」

律「そうかい。じゃあな」
ガチャ

律「はあ」

母「どうでした……?」

律「いえ……なんかもう、話を聞いてもらえない感じで」

母「そうですか……あの子、ネットの知識だけで頭でっかちになってて……
  私もろくに会話を成立させられない状態で」

律「そうなんですか……すみません、なにもできなくて」

母「いえ、またお暇なときにでも立ち寄ってください」

律「はい」

何しに来たのか自分でもよく分からないまま終わってしまった。
分かったのは、澪はもう心の拠り所なんか必要としていないのではないか、ということだ。
澪にはインターネットさえあれば、それでいいのかもしれない。
梓が相手にされなかったというのもよく分かる。
澪はもう、外界との生身の交流をまったく望んでいないのだろう。

私は彼氏と一緒に家に帰った。


翌日、会社で梓に昨日のことを報告した。

律「昨日、澪の家に行ったよ」

梓「!!……なんでそんなことを。
  律先輩にそんな資格はありません」

律「まあ、行っても相手にされなかったんだけどな」

梓「ふん、そりゃそうです。
  私ですら相手にされないんですから、
  低学歴ハケン社員の律先輩が澪先輩と話せるはずないんです」

なんだか梓と澪のペアならうまくやっていけるような気がした。

律「そうかい。まあ澪に認められるように頑張ってくれ」

梓「はい。もう律先輩はこのことに関与しないでください。
  これからは正社員とハケンの関係に戻ります」

そう言われて、いつの間にか梓から律先輩と呼ばれていたことに気がついた。
いつからだったのだろう。


そのまま2週間が過ぎた。

その間、私は澪のことを忘れて仕事に専念した。
小さな失敗をやらかして梓に注意されることもしばしばあったが、
順調に与えられた仕事を消化していった。





そして、ついにこの会社での仕事の最終日。
すべての仕事をやり終え、他のハケン仲間と談笑しながら帰り支度をしていると、
梓が切羽詰まった顔で私に詰め寄ってきた。

梓「律先輩!!!」

先輩という呼称に周りのハケンたちは困惑している。
私だってそうだ。正社員とハケンの関係に戻ったはずなのに、
今さら先輩などと呼ぶのは何故なのだろう。

梓「澪先輩に何したんですか!」

律「はあ?」

律「いきなりなんなんだよ」

梓「澪先輩が社会復帰したんですよ!!」

律「…………へ?」

梓「澪先輩がコンビニでアルバイトを始めたんです!」

律「……へえ、良いことじゃないか」

梓「律先輩が何かしたんでしょ!澪先輩に働けとかなんか言ったんでしょ!」

律「いや、言ってない」

梓「嘘ですよ!返してください!私の澪先輩を!」

律「……梓、お前、澪に引きこもっててほしかったのか?」

梓「そうですよ!だって、そうしたら澪先輩はずっとずっとあのままで、
  外にあるいろんなものに汚されることもなくて、私だけの澪先輩でいてくれて……」

最後のほうは涙声になっていた。


梓「私は澪先輩のために……やってきたのに……
  澪先輩を好きで……なのに……」

律「お、おい、梓……」

正社員の梓がハケンの私を先輩と呼び
そのうえ私に縋りついてむせび泣くという異様な光景を、
周りのハケンたちはただ茫然と眺めていた。

梓「澪先輩を返してください!!私の澪先輩を!!」

梓はいきなり暴れはじめた。
しかし、すぐに周りのハケンたちによって取り押さえられてしまった。

梓「離せぇぇぇ!!あいつが悪いんだあ!!律先輩が!!
  私の澪先輩を奪ったんだああああああああああ!!」

手足を押さえつけられてもなお必死にもがく梓。

私はカバンを手に取り、梓の叫び声を背にその場から走り去った。
やましい気持ちがあったからではない。
ただ梓のこんな姿をこれ以上見たくなかったから。


その後、私は梓に会うことはなかった。
風の噂で聞いたが、梓は仕事を辞めて引きこもっているらしい。
愛するヒキニート澪を養うという使命が無駄になってしまい、
気力が一気に失われてしまったのだろうか。



ある日、私は澪がバイトをしているというコンビニに行ってみた。

澪「いらしゃいま……ああ、律か……」

律「よう」

澪「……ごめん」

律「なにが?」

澪「ほら、この前、私の家に来てくれただろ。
  その時、色々と酷いことを言っちゃって」

律「いや、いいよ」

澪はネットの支配からも解放されたようだ。


律「私だって……」

澪「え?」

律「……澪が、良い大学行ったから。
  それに、引け目感じたというか……それで、連絡やめたりして、その」

言おうか言うまいか迷ったが、言ってしまうことにした。
澪が自分の暗部を曝け出してくれたのだから、自分もそうしないといけない。

澪「そうだったのか……もう、そんなこと気にしなくても良いのに」

律「うん……ごめん、ほんとに。
  ずっと、澪と一緒に居れば良かったな」

澪「ううん、もういいんだよ、過去のことは。
  いろいろと水に流しちゃってくれ」

律「ああ……そういえば、梓のことなんだけど」

澪「梓か。私が引きこもってたときによく連絡くれたけど、
  全部無視しちゃてたなあ」

律「あ、そうなの」

澪「今、梓はどうしてるんだ?」

律「あー、えっと……」

私が梓のことを言おうかどうか迷っていると、
店が混雑してきて、澪のレジにも列ができてしまった。

律「澪、今日は忙しいみたいだから帰るな。
  またあとで連絡する」

澪「うん……はい、いらっしゃいませー」

梓は澪にべた惚れみたいだし、
ちょっと澪が梓に声かけてやればすぐに社会復帰するんじゃなかろうか、
と考えながら私は帰路に着いた。


後で聞いたことだが、澪は唯に説得されて引きこもりをやめたらしい。
唯が6年も引きこもった人間を改心させるだけの言葉を吐けるというのが意外であったが、
プロのミュージシャンになって唯も人として成長しているのかもしれない。

澪は引きこもり生活から脱し、
梓も澪を養うために生きる、なんてバカな考えを改めるだろう。
過去を清算できたかは微妙なところだが、
とりあえず過去を引きずって生きるなんてことはもうなさそうだ。

私も澪と仲直りすることができた。
後は梓とももう一度ゆっくり話をして、また元の仲に戻りたい。

そして私も澪のように前に進んでいこうと思う。
梓が言うように私は社会の底辺かも知れないけど、
それでもやれることはあるはずだ。
自分なりに精一杯、頑張って生きていきたい。






             お          わ           り