『屋上の鍵』



姫子「おっす、平沢さん」

唯「あ…た、立花…さん…」

いつものように昼食をトイレですませようとしていた私に、クラスメイトの立花姫子ちゃんがにぱっと人なつっこそうな笑みを浮かべ声をかけてきた。

姫子「私、いいものもってるんだ、一緒にくる?」

姫子は、そういうとへへへと笑い、右手に持っていたものをぷらぷらさせる。

唯「…鍵?」

姫子「行こっ!」

唯「あっ!」

言うより早く姫子は唯の手を取り走りだす。

唯は昨日までの退屈退屈でつまらないだけでしかなかった日常が、今日からがらりと変わる予感がした…


姫子「ここ来たの、初めて?」

唯「う、うん……」

姫子「まぁ、普通はそうだよね」

唯「……」

姫子「ん、どうしたの?」

唯「屋上って、入っても大丈夫なの?」

姫子「あー、本当はダメ」

唯「えっ?」

姫子「バレたら先生に怒られるかもね、あははっ」

姫子「ほら、こっちにおいでよ。ここに座ろ」

唯「う、うん……」

姫子「あっ、ハンカチ敷いた方がいいかも」

唯「えっ、あっ……そうだね」

姫子「制服のスカートのまま直に座ろうとするなんて、ワイルドだなぁ」クスクス

唯「……ごめん」

姫子「えっ?」

唯(また私、変な事しちゃった。せっかく立花さんが誘ってくれたのに、嫌われちゃう)

姫子「どうしたの、座らないの?」

唯「あっ、ごめん、座るよ……」

姫子「なんで謝るの?」

唯「えっ、あっ、その……」

姫子「別に何も悪くないんだから、謝らなくていいじゃん」

唯「う、うん……」

姫子「……まぁ、いいや。早く昼ご飯食べようよ」

唯「そ、そうだね。立花さん」パサッ

姫子「あっ、お弁当なんだ」

唯「うん」

姫子「もしかして自分で作ってるとか?」

唯「……えっと、ごめん」

姫子「ん?」

唯「妹に、作ってもらってるんだ」

姫子「へぇ、妹に!」


唯「私の妹……憂っていうんだけど、毎日お弁当を作ってくれるの」

姫子「毎日!?」

唯「う、うん……」

姫子「いいなぁ、本当うらやましい。私なんて、いつも購買のサンドイッチだよ」

唯「そうなんだ……ごめん」

姫子「……だーかーらー!」

唯「ひゃっ!」ビクッ

姫子「なんで謝る必要も無いのに、ごめんって言っちゃうの?」

唯「あっ、その……」

姫子「口癖になっちゃってるの?」

唯「そう、かも……」

姫子「そっか。じゃあ今から『ごめん禁止タイム』ね」


唯「……えっ?」

姫子「これから平沢さんがごめんって言う度に、罰ゲームね」

唯「ば、罰ゲーム……?」ビクッ

姫子(……あっ、しまった)

唯「罰ゲームって、何を……」

姫子「やっぱりやめた、罰ゲームは無し!」

唯「えっ?」

姫子「罰ゲームはないけど、とにかく『ごめん禁止タイム』だから、むやみに謝っちゃダメだよ」

唯「う、うん……」

姫子「何か質問は?」

唯「えっと……」

姫子「はい、何でしょう」

唯「『ごめん禁止タイム』は、いつ終わるの?」

姫子「んーと、私が終わりって言うまで」ニコッ



お弁当を誰かと一緒に食べるなんて、いつ以来だろう。
もう半年くらい前かな、思い出せないや。

友達のいない私にとって最も苦痛なのは、お昼休み。
女子高の教室には、幾つかの仲良しグループがある。
4時間目の授業が終わると、みんな机を動かして、そのグループごとに集まって昼ご飯を食べる。
そんな教室の中で、ひとりで弁当箱を広げるのは、あまりにも惨めだった。

私は、教室の外で昼ご飯を食べる事にした。
ほんの少しだけ、憂と一緒に食べようかなんて考えたけど、すぐに止めた。
下の学年の階に行ったら、あずにゃんに会っちゃうかもしれないし。

お弁当をひとりで食べているところなんか、誰にも見られたくない。
でもお昼休みは、校内のどこに行っても人目についてしまう。
非常階段、裏庭、理科室……全部、ダメだった。
だけど一ヶ所だけ、絶対に誰にも見られない場所があった。

それが、トイレの個室だった。



あー、なんで私、こんな事になっちゃったのかな。
軽音部にいた頃は、こんな事になるなんて、思いもしなかったよ。


唯「えっと、立花さん」

姫子「何?」

唯「立花さんは、屋上によく来るの?」

姫子「そうだね、昼休みはほとんど毎日ここにいる」

唯「えっ……」

姫子「あっ、意外だって顔してる」

唯「だって立花さん、休み時間はいつも誰かと話してるし……」

姫子「あー、まぁ確かにそうだね」

唯「みんなと一緒に、お昼、食べないの?」

姫子「うん、みんな仲のいいグループだけで食べるみたいだし」

唯「えっ?」

姫子「私は八方美人なだけで、どのグループにも入ってないからね」

唯「そ、そうなんだ……」

姫子「昼休みなんか、行き場がなくなってあぶれちゃうから、ふらっと屋上に来てる」


立花さんとは、3年生で初めて同じクラスになった。
席は隣だったけど、ほとんど話さないから、名前くらいしか知らなかった。
端から見て何となく、社交的な人だな、と思っていたけど。
本人いわく、それはただの「八方美人」だったみたい。

それまで何も知らなかった立花さんの事を、その時色々知った。
週5でアルバイトをしている事。
アルバイト先には、同年代の友人がいない事。
両親が共働きで、帰宅が夜遅くになる事。
アルバイトが無い日は、よく自分の部屋で音楽を聴いている事。

……そんな生活、寂しくないのかな、と思っちゃった。
私なんて、憂くらいしか話し相手もいないくせに。

話しているうちに、チャイムが鳴り出した。
昼休みって、こんなに短かったっけ。
トイレでやり過ごす50分は、死にたくなるほど長いのに。

そう言えば『ごめん禁止タイム』は、まだ終わらないのかな。
立花さんが終わりと言ってないから、きっと終わってないんだろうな。



ワイワイガヤガヤ

律「澪、頼むよ~」
澪「だから嫌だって。自分でやれ!」
紬「あははっ。諦めるしかないわね、律ちゃん」
和「もう5時間目が始まるわよ。机を戻さないと」

ガラッ

紬「あっ」
律「ん?」チラッ
和「……」
澪「……なんだ、唯か」ボソッ

唯「……」スタスタ

紬「それで結局、律ちゃんはどうするの?」
律「澪がはいと言うまで、何度でも!」
澪「何回頼んでも無理だからな」
律「ひどいぜ、澪……」グスッ

姫子「あっ、琴吹さん」

紬「どうしたの?」

姫子「修正液、持ってたら貸してくれない?」

紬「いいわよ、はい」

姫子「ありがとう、すぐ返すよ」



……

憂「お帰りなさい、お姉ちゃん」

唯「ただいま」

憂「……何か、いい事あったの?」

唯「……えっ、なんで?」

憂「なんだか、すごく嬉しそうな顔してる」

唯「そ、そうかな?」

憂「うん。最近いつも疲れた表情だったけど、今日はニコニコしてる」

唯「……そっか。あっ、憂」

憂「何?」

唯「いつも、お弁当ありがと。明日もよろしくね」

憂「どうしたの、急に?」

唯「別に、何でもないよ」

憂「ふーん、変なの……」


つい嬉しくて、顔がニヤニヤしてたみたい。
ニコニコ、なんて言ってくれたのは憂の気遣いだよね。
やっぱり憂には勝てないなぁ。きっと学校でも、友達がたくさんいるんだろう。
姉妹なのに、どうして私はこんなにダメなんだろうね。

澪ちゃん、律ちゃん、紬ちゃん。
なんで3人とも、私と同じクラスになっちゃったんだろう。さわちゃん先生の意地悪。
私が軽音部の仲間だったのは、みんなの友達だったのは、もう昔の話なのに。

幼稚園から一緒だった和ちゃんだけは、あんな事があった後も、私の味方をしてくれた。
けど、いつの間にか私に愛想を尽かしちゃったみたいで、最近は澪ちゃんたちと一緒にいる。

本当にもう、学校に行くのが苦痛で、そろそろ限界かな、と思ってた。
そんな時に、立花さんが屋上に誘ってくれたのが、すごく嬉しかった。

明日から、お弁当を持ってトイレに行かなくてもいいのかな。
憂のお弁当はとっても美味しいのに、トイレで食べると、何だか味気ないもんね。


姫子「昨日に引き続き、今日も屋上に来てくれてありがとう」

唯「お邪魔します……」

姫子「ははっ、別にここは私の部屋じゃないよ」

唯「あっ、そうだね」

姫子「平沢さん、面白いね~」

唯「えへへ……」

姫子「じゃあ、昼ご飯食べよっか」

唯「うん。今日も立花さんはサンドイッチ?」

姫子「そうだよ。平沢さんは?」

唯「私は今日もお弁当」

姫子「また妹が作ってくれたのか、羨ましいな」

唯「うん、憂だけが私の自慢だよ」

姫子「そっか……。じゃあ、いただきます」

唯「いただきます!」

姫子「ところで、さ」

唯「うん?」

姫子「平沢さんって、軽音部に入ってたんだよね」

唯「……うん」

姫子「……あぁ、ごめん。触れられたくない話だったかな」

唯「……立花さん」

姫子「えっ?」

唯「ごめん禁止タイム」

姫子「……あっ」

唯「謝っちゃいけないんじゃなかったっけ?」

姫子「いや、あれは平沢さんだけ。私は対象外」

唯「えーっ、ずるい!」

姫子「ずるくない!」

唯「むぅ~」

姫子「もう、むくれないでよ~」

姫子「実はさ、ちょっとギターに興味があるんだ」

唯「えっ、そうなの?」

姫子「うん。家の近くの駅前で、よくギターの弾き語りをやってるんだけど、それが格好よくてね」

唯「わかるわかる。かっこいいよね!」

姫子「それで平沢さん。良かったら、私にギターを教えてくれない?」

唯「えっ……」

姫子「……迷惑、かな」

唯「ううん、そんな事ないよ!」

姫子「じゃあ、教えてくれるの?」

唯「だけど私、もう半年も弾いてないし、忘れちゃってると思うよ?」

姫子「軽音部にいた頃は、文化祭でライブにも出てたんでしょ?」

唯「そ、そうだけど……」

姫子「それなら大丈夫。ちょっと忘れちゃってても、私に教えるうちに思い出すよ」ニコッ



そんな訳で、立花さんにギターの弾き方を教える事になっちゃった。
家に帰ると、急いで押し入れの奥からケースを取り出す。

……半年ぶりだね、ギー太。
軽音部を辞めてから触りもしなかったケース。埃まみれになっていたけど、中にいるギー太は、何も変わっていない。
チューニングを合わせて、弦をピックで弾いてみると、昔と同じ音がした。

あの頃に、戻ったみたい。
私は夢中でギー太を弾いた。
一曲弾き終えて、ふと後ろを見ると、憂が驚いた表情で立っていた。

どうして、と憂が聞くので、私は立花さんの話をした。
良かったねお姉ちゃん、と言って憂が涙をこぼした。
なんて姉思いの妹なんだろう。私にはもったいないくらい。



とにかく、明日から立花さんの先生になるんだから、しっかり練習しておかなきゃ。




翌朝、憂に起こされて目を覚ますと、ギー太と一緒に眠っていた。
懐かしいなぁ。軽音部にいた頃は、練習しながら寝ちゃう事も多かったよね。

朝ご飯を食べて、お弁当をもらって、制服に着替えて。
スクールバッグを手に取って、それから、ギー太を肩にかけて。



なんだか楽しくなっちゃって、鼻歌を歌いながら学校への道を歩いていく。
もうすぐ学校に着く、ってところで、そんな楽しい気分は一瞬で吹き飛んじゃった。

こんな朝に限って、一番会いたくない人と、バッタリ会っちゃうなんて。


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