【平成23年 9月10日】

梓ちゃんと別れた後、私はアルバイトに行った。
私が家に着く頃、もう日付は変わっていた。

私は急いで梓ちゃんに電話をかけた。

紬「もしもし梓ちゃん?」

梓「こんばんは」

紬「梓ちゃん、ごめんね」

梓「はい」

紬「本当に悪いと思ってるの」

梓「わかってます」

紬「ごめんなさい……」

電話の向こうが少し騒がしい。

紬「今外にいるの?」

梓「はい」

紬「まだ帰ってないの?」

梓「いえ、一度帰りました」

紬「夜道は危ないわ。私、梓ちゃんに何かあったら悲しいよ」

梓「はい」

紬「気をつけて帰ってね」

梓ちゃんのまわりが更に騒がしくなった。

梓「ムギ先輩。今日の事も、今までの事も、私達だけの秘密ですからね」

紬「内緒話?」

梓「はい、内緒話です」

紬「えへへ」

梓「ムギ先輩」

紬「なあに?」

梓「私はムギ先輩の事、絶対に嫌いになりません。ムギ先輩は私の大事な先輩です」

紬「うん、ありがとう。私も梓ちゃんの事大好きだよ」

梓「はい。じゃあ失礼します」

一際大きな騒音がして、電話は切れた。
電話の後、私はシャワーを浴びてすぐにベッドに入った。
朝になって目が覚めても、何もする気になれなかったから、私は澪ちゃんに借りた小説を読んで時間を潰した。
夕方になってから、唯ちゃんの家に行った。
駅で澪ちゃんと合流した後、コンビニでお酒を買おうとしたけど、私がはしゃいだせいで怪しまれたのか、店員さんに年齢確認をされてしまい、少し離れた別のコンビニで買う事になった。

そのせいで唯ちゃんの家に着くのが少し遅れたけど、りっちゃんはまだ来てなかった。

冷房が苦手な唯ちゃんは窓を開け放していたから、夏虫の声が部屋によく響いた。

唯「私レモンティーね!」

澪「じゃあ、アイスティーで」

紬「はーい」

私は流し台の横でお茶を淹れ、テーブルの上に運んだ。

唯「りっちゃん遅いね~」

澪「どこで油売ってるんだろうな。電話しても出ないし」

お茶で喉を潤しながら、澪ちゃんは腕時計を見た。

唯「先に始めちゃおっか」

澪「そうだな」

私達はりっちゃんを待たずに、お酒の缶を開けた。

唯ちゃんが乾杯の音頭を取ろうとした時、唯ちゃんの携帯電話が鳴った。

唯「かんぱーい」

澪「乾杯……ってまず電話出なよ」

唯「えへへ。先に飲んでていいよー」

そう言って唯ちゃんは電話に出た。

唯「もしもーし。あ、憂。どうしたのー?」

私と澪ちゃんは声を潜めて「乾杯」と言った後、お酒を一口飲み、小声で話した。

澪「全く、律も遅れるなら連絡くらいしてくれればいいのに」

紬「寄り道してるんじゃないかしら?」

唯「え?なに?よく聞こえないよー」

澪「今頃コンビニでマンガでも読んでるのかな」

紬「そうかも」

唯「ういー、落ち着いて話してよ。何言ってるかわかんないよー」

紬「そう言えばおつまみないね。りっちゃん、買ってきてくれるかな」

澪「いや、ないな。律に限ってそれはない」

唯「うん、うん。それで?」

澪「大体、あいつもうバイト代使いきっただろ」

紬「え?こないだお給料貰ったばかりよ?」

澪「CD買いまくってたからな。あと服も」

紬「りっちゃん、最近どんどんおしゃれになっていくよね」

澪「それはいいんだけどさ。宅飲みで私にお金借りるってさすがに使いすぎだろ」

紬「そう言えば、澪ちゃんとりっちゃん幼なじみなんだし、お揃いの服着たりしないの?」

澪「するわけないだろ……。そもそもサイズが全然違うし」

紬「そっか、残念」

澪「なんでムギががっかりするん……」

言いかけて、澪ちゃんの顔が強張った。
澪ちゃんは唯ちゃんの顔をじっと見ていた。

釣られて私も唯ちゃんの顔を見た。

唯ちゃんは電話を耳にくっつけたまま、無表情になっていた。

悲鳴はその人の恐怖をよく伝えるって言うけど、沈黙はそれ以上の効果をもたらした。

私と澪ちゃんは顔を見合わせた。
それから私はまた唯ちゃんを見た。

唯「うん、わかった。すぐ行く」

唯ちゃんは電話を切った。

澪「唯、どうしたの?」

澪ちゃんが訊ねた。

唯ちゃんは何も言わず立ち上がり、財布と携帯電話をポシェットに入れた。

紬「え、唯ちゃん出掛けるの?」

唯「うん」

澪ちゃんが唯ちゃんの腕を掴んで言った。

澪「待ちなよ。何かあったの?」

唯ちゃんは澪ちゃんをちらっと見た後、私に視線を移した。
それから手を差し出した。

唯「一緒にいこ」

澪「は?どこに?」

唯ちゃんは説明したくなかったらしく、一人でさっさと部屋を出ていった。



唯ちゃんがいつになく深刻な顔をしていたから、取り残された私と澪ちゃんは不安になった。

澪「どうしたんだろう」

紬「わかんない……。とりあえずここで待ってたほうがいいかな」

澪「そうだな。律もそろそろ来るだろうし」

澪ちゃんの携帯が鳴った。 澪ちゃんはサブディスプレイを私に見せた。

澪「噂をすれば」

りっちゃんからだった。

澪「もしもし、律?なにやってるんだよ、もう始めちゃってるぞ」

話す相手のいなくなった私は、所在なく部屋を見渡した。
大きなフォトフレームの中に、私達の写真が何枚も飾ってあった。

澪「え?うん、何?早く言いなよ」

それから私は、指先を弄った。

澪「はぁ?なんだそれ。全然笑えない。ていうか不謹慎だぞ」

私はスカートの裾の乱れを直し、足を伸ばした。

澪ちゃんの声が止まった。

私は澪ちゃんの顔を見た。

まだほとんどお酒を飲んでいないはずなのに、澪ちゃんの顔は色を失っていった。

澪ちゃんが携帯電話を落としたから、私はすぐにそれを拾った。

紬「もしもーし、紬です」

律「ムギ」

紬「りっちゃん、今どこにいるの?」

律「梓が死んじゃったんだって」

紬「え?」

それからりっちゃんは、電話の向こうで大声をあげて泣き出した。



9月10日。

夏虫の最期の大合唱の中、電話越しの泣き声。
澪ちゃんはそれを聞きたくなかったのか、両手で耳を塞いでいた。



【平成23年 10月28日】

私は財布を忘れた唯ちゃんが戻って来るのを待った。

りっちゃんも澪ちゃんも寝ちゃってるから、ちょっと退屈。

そう言えばあの時も私だけ話し相手がいなかった。

私は指先を弄った。

あと10分もしないうちに日付は変わる。

退屈。

紬「よし」

私は唯ちゃんの財布をひっつかむと、部屋を出た。

私は唯ちゃんを追いかける事にした。

唯ちゃんに財布を渡して、一緒にお酒を買うの。
今度ははしゃがないように気をつけなきゃ。



【平成23年 9月12日】

幸か不幸か生き残ってしまった蝉がけたたましく鳴いていた。
残暑の日差しは、喪服の上から照りつける。
お日様が容赦してくれなかったから、私は背中にかいた汗を何度も拭き取る事になった。

玄関で香典を渡した後、喪主の梓ちゃんのお父さんに挨拶を済ませると、私は梓ちゃんの家の中に入った。

中は梓ちゃんの親族や学校のクラスメイトと関係者、中学の同級生でごった返していて、香炉の中で燻るお香と参列者の香水の匂いで、私はくしゃみが出そうになった。

お葬式に香水なんてつけてくるものじゃないのに。
そうやって自分を実物以上に見せるのは、とても下品な事なのに。

和「ムギ。久しぶり」

和ちゃんは泣き続ける憂ちゃんの頭を撫でながら言った。

紬「うん。和ちゃん、眼鏡やめたんだ」

和「お葬式で赤いフレームなんて場違いでしょ。だから今日はコンタクト」

りっちゃんと澪ちゃんは喪服を持っていなかったから、私が貸してあげた。
りっちゃんにはパールの一連ネックレス、澪ちゃんにはオニキスのネックレスをそれぞれあてがった。

唯ちゃんは和ちゃんの隣で、憂ちゃんの背中をさすっていた。
唯ちゃんはおばあちゃんに借りた和喪服を着ていて、とても綺麗だったけど、どこか似合っていなかった。

さわ子先生も純ちゃんも、みんないたのにちっとも楽しそうじゃなかった。

お坊さんが上げるお経も音の起伏がなくて、面白くない。
唯ちゃんならもっと可愛くやってくれそう。

木魚の音より、私はりっちゃんのドラムが好き。

お経の中身も澪ちゃんに書いてもらえばずっと良くなるのに。

飾りのお花だってヘン。

こういうのは私達に任せてくれればよかったのにな。

梓ちゃんなら、きっと笑って頷いてくれるはず。

何枚も並んだ座布団の上に色んな人が座り、順番に梓ちゃんの前で手を合わせた。

あの日、梓ちゃんは私との電話を切った後、唯ちゃんの家の近くの駅のホームから線路に落ちて、電車に轢かれて死んじゃったらしい。

だから私が壊したギターも、叩いた顔も、切った髪も、全部めちゃくちゃになってわからなくなった。

まず、部長だったりっちゃんにさわ子先生から連絡が入り、その後梓ちゃんと親しかった憂ちゃんと純ちゃんにも知らされたらしい。
それからりっちゃん経由で訃報は私達の知るところとなった。

遺書のようなものは何一つ残されてなかったから、警察も事故なのか自殺なのかわからないままだった。

このお葬式の後に私達は警察に色々聴かれたけど、梓ちゃんとの事は内緒話って約束してたから話さなかった。

私は梓ちゃんが死んだ事に何の実感もなかったけど、梓ちゃんに嫌われたと思って悲しくなった。

唯「ムギちゃんの番だよ」

焼香を終えた唯ちゃんが、私に声をかけた。

私は立ち上がり、ゆっくりと梓ちゃんの方へ歩いていった。

私は梓ちゃんが大好きだから、梓ちゃんの寝顔を見たかったけど、棺桶には蓋がしてあって見る事が出来なかった。

前に親戚の葬式に出た時は、棺桶に蓋なんてしてなかったのに。

梓ちゃんは天使みたいに可愛い。
その梓ちゃんをみんなにも見てもらいたいのに、どうしてこんな事をするんだろう。

私は祭壇に向かって一礼をすると、焼香台の横からお香を摘まみ、胸のあたりでそれを潰して、香炭の上に乗せた。
作法通りに何かお別れの言葉を思い浮かべようとした。

でも、お別れとは思えなかったから、何も浮かばなかった。

従香をして、今度は「天国に行けますように」と念じたけど、それもかなり嘘っぽかった。


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