家に着き、私は梓ちゃんに電話をかけた。
紬「梓ちゃん、ごめんなさい」
梓「はい」
紬「本当にごめんね……」
梓「大丈夫です。怒ってないです。私こそ泣いちゃってすみませんでした」
紬「私の事嫌いでしょ?」
梓「そんなわけないじゃないですか」
紬「大っ嫌いでしょ……」
梓「私は絶対にムギ先輩を嫌いになりません」
紬「梓ちゃん……もう酷いことしないから……。絶対にしないから嫌いにならないで……」
梓「なりません」
紬「……良かった」
私は安堵して、身体の力がふっと抜けてしまい、ベッドに倒れこんだ。
次の日からは毎日唯ちゃん達が部室に来たから、私と梓ちゃんが二人っきりになる事はなかった。
私はいつも通りに振る舞う事ができたし、梓ちゃんもいつも通りに接してくれた。
バレンタインには梓ちゃんがチョコレートケーキを持ってきてくれた。
梓ちゃんは私みたいに、箱を落としたりしなかった。
私達三年生は無事に大学に合格し、梓ちゃんのために曲を作る事にしたから、残りの高校生活も消化試合にはならなかった。
梓「アンコール」
卒業式の日、梓ちゃんはその曲を聴いた後、軽口を叩いてからそう言ってくれた。
この日梓ちゃんは泣いちゃったけど、私はそれを咎めなかった。
部活を引退したあの日、私の涙を拭ってくれたのは梓ちゃん。
梓ちゃんがいくら泣いても、私がそれを叱るなんて事があるわけない。
私の役目は、梓ちゃんを叱る事じゃなくて、涙を拭いてあげる事だもん。
私達は部室を出る前に、写真を撮る事にした。
唯「どのへんで撮る~?」
さわ子「黒板があるんだし、そこに何か書いてみんなその前に並んだら?」
澪「あ、それいいですね」
律「最後の最後でさわちゃんもやっといい事言うようになったかー」
さわ子「ちょっと!私はいつもいい事言ってるでしょ!」
唯「ねえねえ、何て書く~?」
私はチョークをとり、黒板に文字を書いた。
『きっと、ずっと、いっしょ!』
それから唯ちゃんが星やハートマークを黒板にちりばめ、澪ちゃんがウサギを書き、りっちゃんは自分の立ち位置に「ぶちょう!」と書いた。
最後に梓ちゃんが放課後ティータイムのマークを書いて、私達は黒板の前に並んだ。
唯ちゃんを真ん中にして、その左側に澪ちゃんとりっちゃん。
右側には私と梓ちゃん。
誰かが言うでもなく、私達は手を繋いだ。
私は梓ちゃんの右手をぎゅっと握った。
でも、梓ちゃんは握り返してくれなかった。
唯ちゃんと繋いだ梓ちゃんの左手は、お互いにしっかりと握られている。
みんなにとって梓ちゃんは、本当に天使だった。
でも、もしかしたら梓ちゃんの目に、私は悪魔として映っているのかもしれない。
私はまた不安になった。
あの時のがっかりした梓ちゃんの顔が過る。
私はまた、梓ちゃんと二人っきりになりたいと思った。
【平成23年 10月28日】
唯ちゃんは、時々携帯電話を弄りながら甘いカクテルばかりを飲み続けていた。
りっちゃんはいつもの調子で澪ちゃんを挑発し、それに引っ掛かった澪ちゃんと飲み比べを始めた。
りっちゃんは、
律「これはウーロンハイだから!」
と言いながらウーロン茶を飲み続け、澪ちゃんはひたすらオレンジを使ったカクテルを飲み続けた。
途中でりっちゃんの不正が発覚し、りっちゃんは買い置きの焼酎をラッパ飲みするハメになった。
11時を回る頃には、みんなかなりお酒も回っていた。
澪「唯~……唯は本当にいい子だよな~……」
りっちゃんはベッドの上で寝息を立て、澪ちゃんは首まで真っ赤にしながら唯ちゃんに甘えていた。
唯「もー、澪ちゃん飲み過ぎだよー」
唯ちゃんも相当ご機嫌になっていたけど、澪ちゃんほどじゃなかった。
澪ちゃんがこのテンションになった時は、大体三十分もしないうちにトイレに直行して、泣きながら戻すパターン。
澪「唯~、私、唯とバンド組めて本当に幸せなんだぞ」
唯「私もだよ澪ちゃ~ん」
私はその二人を眺めているだけでも楽しかったけど、やっぱり自分だけ酔えないのは寂しかった。
でもそのぶん、酔い潰れたみんなのお世話ができるからいいかな。
澪「ム~ギ~」
澪ちゃんは、今度は私にひっついてきた。
紬「きゃっ」
澪「ムギはほんっとうに、いい曲書くよね~」
紬「ありがと。でも澪ちゃん、それこないだも言ってたよ?」
澪「何度でも言うよ!私はムギの曲大好きだー!!」
紬「澪ちゃん、夜遅く騒いだらお隣さんに迷惑だからもうちょっと……」
唯「大丈夫大丈夫ー。ここ防音しっかりしてるから~」
私達がお酒を飲むと、この部屋はサーカス小屋みたいになる。
今まで苦情が来なかったという事は、本当にちゃんとした作りなんだんろうなぁ。
澪「ん、ムギ~」
澪ちゃんは私の膝に顔を埋めた。
紬「もう、澪ちゃん飲み過ぎよ~。お酒嫌いって言ってたのに」
澪「えへへ」
唯「澪ちゃんは甘えん坊だなぁ~」
ツッコミ役のりっちゃんがダウンすると、本当に収拾がつかなくなる。
澪「ムギ~」
紬「なあに澪ちゃん?」
澪ちゃんは顔を上げて言った。
澪「吐きそう」
いつもより大分早く、澪ちゃんの限界がきたみたい。
紬「澪ちゃん、トイレいこっか」
澪「う、うん……」
私が澪ちゃんの手をとると、唯ちゃんがそれを制した。
唯「あ、私が介抱するよ~」
紬「え?でも唯ちゃんも酔ってるでしょ?」
唯「私はまだ大丈夫だよ~」
紬「でも……」
唯「いざというときは私も澪ちゃんと一緒に吐きます!ふんす!」
紬「うーん……」
澪「は、早く……」
澪ちゃんの顔がみるみる青醒めていったから、私は問答を終わらせて唯ちゃんに任せる事にした。
紬「じゃあ唯ちゃん、お願いね。あとこれ、お水」
唯「はーい!ありがとー!ささっ、澪ちゃんいくよ~」
唯ちゃんは携帯電話をポケットに入れると、澪ちゃんを支えながらトイレに向かった。
少しして、トイレから澪ちゃんの戻す音が聞こえた。
私は新しい缶を開け、口の中を湿らせた。
どうやったらみんなみたいに酔っ払えるのかな。
私は缶を持ったまま、窓を開けてベランダに出ようとした。
律「全く、澪はしょうがないな~」
私はベッドに顔を向けて、窓を閉めた。
紬「りっちゃん、起きてたの?」
律「ん、今起きた」
紬「澪ちゃんお酒弱いんだから、あんまり飲ませちゃダメだよ」
りっちゃんは私に背中を向けたまま答えた。
律「だってああでもしないと澪は飲まないじゃん。飲まないと酔えないじゃん」
紬「そうだけど」
トイレから澪ちゃんの泣き声が聞こえた。
澪「う、ううう……もうお酒なんてヤダ……ゆいぃ……」
唯「大丈夫だよ澪ちゃん!頑張って吐いて!」
紬「やっぱり飲ませたら可哀想だよ」
律「酔えないほうが可哀想だって」
またトイレから声が聞こえる。
唯「ほら澪ちゃん吐いて!吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー」
澪「それはお産のときの……うっ、お、おぇ……」
りっちゃんはまだ私に背中を向けたまま、訊ねてきた。
律「ムギは平気なの?全然酔っぱらってないじゃん」
私にはその質問の意味がわからなかった。
またトイレから泣き声が聞こえた。
澪「ふっ……う、う……ムギ……りつ……」
唯「澪ちゃん、ほら吐いて」
澪「あ……ずさ…………」
りっちゃんの背中が震えている事に、私はやっと気付いた。
澪「ふっ、う、うぅぅ……梓ぁ………」
唯「澪ちゃん飲み過ぎだよ~」
澪「……梓に会いたい……」
それから澪ちゃんは、大声で泣き出した。
防音のしっかりした部屋じゃなかったら、お隣さんに怒られちゃうところね。
唯「澪ちゃん、泣いたらあずにゃんに笑われちゃうよ~」
りっちゃんは枕で顔を隠しながら、身体を震わせた。
言葉を見つけられない私は、りっちゃんの肩を撫でた。
りっちゃんは
律「ごめん、今だけだから」
と言ってから、枕をぎゅっと握り、また身体を震わせた。
私は肩を擦りながら、あやす様に言った。
紬「りっちゃん、大丈夫。きっと飲み過ぎたのよ」
しばらくして、りっちゃんはまた静かに寝息を立て始めた。
澪ちゃんは泣き止まなかった。
時計に目をやると、もう11時30分を過ぎていた。
りっちゃんが眠った事にほっとして、私は泣き続ける澪ちゃんの様子を見に行こうと思い、部屋を出た。
私がトイレのドアノブに手をかける前にドアが開いて、唯ちゃんが出てきた。
唯「お酒買ってくるね」
紬「えっ?今から?」
澪ちゃんの泣き声が止んだ。
唯「今度は平沢セレクションで買ってくるよ~」
紬「でも、澪ちゃんもりっちゃんも潰れちゃってるし……」
唯「えへへ~澪ちゃんのことよろしく~」
そう言って唯ちゃんはふらふらと外に出ていった。
私がトイレを覗くと、澪ちゃんは泣き疲れて眠っていた。
私はそのままにしておいてあげたほうがいいと判断して、部屋に戻った。
ソファーに座り、クッションの感触を確かめてから、それを抱き締めた。
それからテーブルの上の缶を取り、口をつける。
私は座椅子を倒して、身体を横たえた。
左耳のピアスがかちゃんと音を立てて床に触れた。
視線の先にある物を見て、私は呟いた。
紬「唯ちゃん、財布置きっぱなし……」
最終更新:2011年05月05日 18:35