【平成22年 11月25日】

次の日は唯ちゃん達も部室に来た。

唯「は~部室はやっぱり落ち着くね~ 」

私はいつも通りにお茶とお菓子を用意した。
お菓子を壊す必要はなかったし、そうしようとも思わなかった。

みんなは勉強をするふりをしながらクッキーをつまみ、普段通りの会話をした。
普段通りなのに、梓ちゃんは普段よりもよく話し、よく笑った。
その事に気付いたりっちゃんが、いたずらな笑顔を浮かべながら言った。

律「梓~良かったな、私達が来て」

梓「えっ」

唯「やっぱりみんな一緒じゃないとさみしいよねー」

梓「なっ……。そ、そんなことないです!えーと……あ、ムギ先輩が来てくれてましたから!」

梓ちゃんは慌ててそう返した。

唯「まあ!いいなぁ。私もムギちゃんと二人っきりでお話したいなぁ」

澪「唯はお菓子独り占めしたいだけだろ」

唯ちゃんはそれを必死に否定したけど、その様子が可笑しくて、部室に笑い声が響いた。

梓「あ、でも」

梓ちゃんが思い出したように言った。

梓「ムギ先輩って意外とおっちょこちょいなんですよ」

唯「え?なになに?」

途端に私の体は強張った。

みんなには絶対に知られたくないと思った。
知られたら、これからの楽しい未来が全部駄目になる気がした。

紬「梓ちゃん」

澪「ムギがどうかしたの?」

紬「梓ちゃん待って」

梓「昨日……あ、一昨日もなんですけど、ムギ先輩が」

紬「梓ちゃん!」

私は立ち上がり、声を張り上げて梓ちゃんを制した。

みんながきょとんとした顔をして私を見た。
その視線を受けて、私のまわりだけ重力が何倍にもなったように思えた。
重くなった身体から、ねばついた汗が噴き出す。
口の中は乾上がり、鼻の奥に酸っぱいものが込み上げてくる。
私は舌を動かして口内を湿らせる。
私の唾液ってこんなに苦かったっけ。

律「おーいムギ。どうした?そんな怖い顔するなよ」

紬「あ……」

唯「まあまあムギちゃん、座ってお茶でも飲むといいさ。ほれ、お菓子をあげよう。おいしいよ~」

紬「……うん。ありがとう唯ちゃん」

唯「お母さんにはナイショだよ」

澪「なんだその田舎のおばあちゃんがお小遣いくれる時みたいなノリ」

澪ちゃんが突っ込むと、唯ちゃんとりっちゃんが笑った。
私もそれに合わせようとしたけど、まだ強張ったままの表情筋は歪な笑みを作り出した。

梓ちゃんは手を指先を弄りながら、俯いていた。

結局それ以降、昨日の私の話は出て来なかった。



その日の夜、勉強に区切りをつけた私は携帯電話を開いた。

梓ちゃんに電話をしようと思ったけど、特に用事があるわけじゃない。

用もなく電話をかけたところで、軽音部のみんなは怒ったりしない。
むしろみんなも用もなく私に電話をかけてくる事はあるし、私も同じ様にみんなに何度か電話をしてきた。

それでも私の指は、携帯電話のボタンを押す事を躊躇う。

私が小さな液晶画面をぼんやり眺めていると、不意に着信が来た。

私はすぐにその電話に出た。

紬「は、はい!」

梓「はやっ!」

紬「今ちょうど携帯触ってたの」

梓「そうでしたか。あの、ムギ先輩」

紬「なあに?」

梓「なんていうか、すいませんでした」

梓ちゃんが何の話をしているかはすぐにわかったけど、私は気づかないふりをした。

紬「なんのこと?」

梓「えっと……昨日の話、あんまりされたくなかったんですよね?」

私は何も答えなかった。

梓「すいませんでした。でも、そんなに気にする事ないと思いますよ」

紬「うん。そうだよね」

梓「まぁそのへんは人それぞれなのかもしれないですけど」

紬「うん」

梓「あ……それだけです。勉強の邪魔してすいません。それじゃ失礼します」

紬「待って、まだ切らないで」

私はベッドの上で膝を抱え、電話を持ち直した。
左耳に電話を押し当てて、私は話し始めた。

紬「もう今日のぶんの勉強は終わったから全然平気!それより梓ちゃん、明日何か食べたいお菓子ある?」

梓「え?そうですね……チョコレート、とか」

紬「うん、わかった。じゃあ持っていくね」

梓「はい!楽しみにしてます」



それから私達は延々と話を続けた。

梓「子供の頃、ですか?」

紬「うん。どんな事して遊んでたの?」

梓「普通ですよ。鬼ごっことかかくれんぼとかなわとびとか。あ、小4からはギターいじったりもしてましたけど」

紬「いいなぁ」

梓「それも夢だったりするんですか?」

紬「うん」

梓「唯先輩と律先輩なら付き合ってくれそうじゃないですか?」

紬「梓ちゃんは?」

梓「私はそういう遊びは卒業しました」

紬「え~?面白そうなのに」

梓「ていうか、かくれんぼにあんまりいい思い出ないんですよね。押し入れの中に隠れた事があって、でられなくなっちゃって。あれ以来、狭いところはちょっと苦手なんです」

紬「そっかぁ。じゃあかくれんぼは諦めなきゃダメね」

梓「もう子供じゃないですからね」

紬「じゃあ大人の話しよっか。梓ちゃんどうぞ 」

梓「あはは、そうですね。うーん……大人の話……。あ、そうだ、ムギ先輩に前から聞きたい事があったんですけど……」

紬「なあに?」

梓「ムギ先輩って彼氏とかいないんですか?」

紬「え?いないよ?」

梓「そうですか……。いや、軽音部の中だったら、ムギ先輩ならいそうだなって思ったんですけど」

紬「うーん、まだそういうのはわからないわ」

梓「私もです……。でもクラスの中にはもう彼氏がいる子もいるんですよね。私って子供なのかな」

紬「じゃあ私達みんな子供ね~」

梓「ふふっ、そうですね。それで、彼氏がいる子って……えーと、その……やっぱりそういう事もあるんですよね……」

梓ちゃんが言おうとしてる事はなんとなくわかった。

紬「なんだか今日の梓ちゃんは大胆ね」

梓「う……すいません。忘れてください……」

紬「ねえねえ、これって恋バナだよね!」

梓「あ……はい。多分」

紬「ふふ、今夢が叶っちゃった」

梓「ぷっ!ムギ先輩、ほんと面白いですね」

紬「それで?梓ちゃんはそういうのをどう思うの?」

梓「えっと……漠然となんですけど」

紬「うんうん」

梓「怖いなって思う一方でちょっと憧れてたりもするんです。ムギ先輩はどうですか?」

紬「私は……やっぱりわからない、かな」

梓「あ、あー……。ですよね」

紬「梓ちゃんがこんな話するなんて珍しいね」

梓「深夜だからつい……。ほんとに忘れてください!他の先輩方にも内緒で……あ、特に律先輩には」

紬「りっちゃん可哀想」

梓「え?あ、そういうわけじゃなくて……あー!とにかく内緒にしてくださいね!」

紬「うん。わかった。内緒話!私、内緒話するのが」

梓「夢だったんですね?」

紬「うん!」

時計に目をやると、もう0時を回っていた。
でも私は電話を切ろうなんて気持ちにはちっともならなかった。



【平成22年 11月26日】

それから、次に作るとしたらどんな曲がいいかについて話していると、梓ちゃんが一旦それを止めた。

梓「あ、すいません。充電切れそうなんでちょっと待って下さい」

電話の向こう側で、梓ちゃんが充電器を探す音が聞こえた。

梓「はい、もう大丈夫です。で、なんでしたっけ。あぁそうそう、それで、やっぱり私はあんまり暗い曲はやらなくてもいいと思うんです」

紬「どうして?」

梓「バンドのイメージじゃないっていうか

紬「うん」

梓「曲調の幅があるのも悪くないんですけど、私達には明るい曲が合ってると思います。えっと、そのほうがコンセプティブな感じがしますし」

紬「そっか。じゃあ今の調子で作っていって大丈夫だね」

梓「はい。今のままが一番です!」

紬「うん!」

梓「って、ちょっと熱く語りすぎましたね私……」

紬「ふふっ」

梓「……ていうかもうこんな時間!すいません、長々と話しちゃって」

紬「ううん、楽しかったよ」

梓「私もです。じゃあムギ先輩、おやすみなさい。また明日」

紬「うん、またね」

それから数秒、私達は無言になった。

梓「もう切りますよ」

紬「はーい、おやすみ」

また沈黙が訪れる。

梓「切らないんですか?」

紬「じゃあせーので切ろっか」

梓「はい」

紬「せーの」

私は電話を切らなかった。
梓ちゃんも切らなかった。



梓「もう、なんで切ってくれないんですか」

紬「梓ちゃんこそ」

梓「だって……」

紬「じゃあもうちょっとだけお話する?」

梓「……はい」

顔は見えなかったけど、梓ちゃんが電話の向こうで恥ずかしそうにしているのがなんとなくわかった。

梓「そう言えばムギ先輩、この前言ってましたよね。楽しい時に曲が浮かんでくるって」

紬「うん。今みたいに、楽しい時と嬉しい時に浮かぶよ」

梓「今はどんな曲が浮かびですか?」

私はそっと目を閉じた。

紬「今だったら……こんな感じかしら」

私は鼻歌で、頭に浮かんだメロディを梓ちゃんに伝えた。

梓「綺麗……。それに、なんだかホッとします。この前のとちょっと似てますね」

紬「ご静聴ありがとうございました」

梓「あ、今なら気持ちよく電話切れそうです!」

紬「じゃあもう寝よっか」

梓「はい。せーので切りましょう。今度はちゃんと切りますからね」

紬「うん、じゃあ……せーの」

私達は同時に電話を切った。



携帯電話を閉じると、ずっとそれを押し当てていた左耳が疼いた。
繋いだ手と同じくらい暖かくて、嬉しい痛み。

私は寝る前に軽くシャワー浴びた。

ドライヤーで髪を乾かしていると、私の頭の中で、梓ちゃんとした交わした言葉のひとつひとつがランダムに再生された。

私はこの上なく幸せな気持ちでベッドに入り、目を閉じた。

そして、やっぱり瞼の裏には梓ちゃんのがっかりした顔が張りついていた。



翌朝、私は鏡の前で中々纏まらない髪と格闘しながら、斎藤を呼んだ。

紬「チョコレートのお菓子って余ってない?なるべく古いのがいいの」


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