外はまだ明るかったけど、11月の下旬ということもあって、マフラーを巻いていても肌寒かった。
校門を出るといよいよ私は申し訳なくなり、 歩みが止まってしまった。

梓「もう、何してるんですか」

梓ちゃんは私の右手をとって、歩き出した。

似てる。
私は梓ちゃんの手を握りしめながら、そう思った。

梓「なんですか?」

紬「梓ちゃん、なんだか唯ちゃんみたい」

梓ちゃんは怪訝な顔をして聞き返してきた。

梓「え……それ喜んでいいんですか?」

紬「うん。もちろん」

梓「どのへんが似てるんですか?」

私は梓ちゃんの手を握る力を強めて、答えた。

紬「暖かいところ、かな」

梓ちゃんは、ぷっ、と笑ってから言った。

梓「なんですかそれ。ムギ先輩こそ唯先輩みたいですよ」

梓ちゃんも私の手を強く握り返した。

梓「ていうか、ムギ先輩の手のほうが暖かいんじゃないですか?」

前に唯ちゃんに、手も心も暖かいと言ってもらった事を思い出した。

私達はそのまま手を繋いで帰った。



いつもは途中で別れるけど、この日は梓ちゃんが駅まで見送ってくれた。

駅に着いても、私達はしばらく立ち話をした。
その間、電車が何本か通り過ぎていったけど気にしなかった。

繋いだままの手からはお互いの体温が伝わり、どっちが暖かいのかなんてわからなくなった。

一時間くらいしてから、どちらからともなく別れる事にした。

紬「じゃあね梓ちゃん。また明日」

梓「はい。失礼します」

でも梓ちゃんはその場から離れようとしなかった。

紬「どうしたの?」

梓「いや、手を繋いだままじゃ私帰れないですよ」

紬「あっ!ごめんね。そうだよね」

そう言っておきながら、私は手を離せなかった。

梓「あの~……」

紬「う、うん」

私はゆっくりと手を離した。

梓「もう。本当に唯先輩みたいじゃないですか」

私はえへへ、と笑ってから、小さく手を振って梓ちゃんと別れた。

電車に乗ると、私はつり革に掴まりながら指をこすり合わせて、さっきの熱が逃げないようにした。

次の駅で目の前に座っていたおじいさんが降りたので、私はそこに腰掛けた。

ふいに眠気が襲ってくる。
私は膝のあたりで手をぎゅっと握って目を閉じた。

瞼の裏に最初に浮かんだのは、梓ちゃんの曇った顔だった。



家に着いて夕食を済ませると、私は自分の部屋に入り、机に向かった。
しばらく勉強をしてから、携帯電話を開いた。

壁の時計を見てまだ0時前である事を確認してから、私は梓ちゃんに電話をかけた。

梓「はい、もしもし」

紬「今大丈夫?」

梓「はい」

紬「えっと……あの……」

私は少し言葉を探した。

なんで今梓ちゃんに電話したんだっけ。

梓「どうしたんですか?」

紬「あの……今日はごめんね。お菓子用意できなくて……」

梓「そんな事ですか?気にしなくていいですってば」

紬「でも梓ちゃん、ガッカリしてたみたいだし」

梓「え?そ、そうでしたっけ……あはは……」

紬「明日はちゃんと持っていくね」

梓「あー……はい。ありがとうございます」

紬「えへへ」

梓「何かおかしな事言いました?」

紬「私、仲直りって初めて」

梓「いやそもそもケンカしてないじゃないですか!どんだけ心が狭いんですか私は」

電話越しに梓ちゃんの笑い声が聞こえた。

紬「じゃあ、また明日ね」

梓「はい。ムギ先輩、お休みなさい」

私は梓ちゃんが電話を切ったのを確認すると、携帯電話を閉じた。



その時、私はふと思い付いた。
なんでそんな事を思い付いたのかはわからなかった。
でもその思い付きはすぐにアイディアに昇華され、私の明日の予定になった。

私は右手の指をこすり合わせながら呟いた。

紬「明日もケーキを落とさなきゃ」



【平成23年 10月28日】

金属の擦れ合う甲高い音がして、電車は駅に止まった。
停車の勢いでバランスを崩した澪ちゃんがりっちゃんにもたれかかり、りっちゃんはそれを肩で押し返した。

隣にいたサラリーマンと、目の前に座っていた二人組の男女がそこで降りて、二人分の座席が空いた。

律「よし、ジャンケンで座る人決めよーぜ」

澪「いいよ私は。あと一駅なんだし」

紬「私も大丈夫だよ」

律「そう?じゃあ私すーわろっと」

そう言うとりっちゃんはどかっと席に座った。

紬「澪ちゃんも座ったら?」

澪「平気。ムギ座りなよ」

もう、澪ちゃんなら座っていいのに。
澪ちゃんは梓ちゃんじゃないんだから。

澪「ってなんで残念そうな顔してるんだ」

紬「えっ……うそ?私そんな顔してた?」

律「澪がムギの気遣いを無下に断るからだぞー」

澪ちゃんは頬を指先でちょっと掻きながら、

澪「じゃあ、お言葉に甘えて」

と言って座席についた。

電車はまた動き始めた。

途端に私は怖くなった。
しがみつくように、つり革を握る力を強めた。
そうしていないと電車から振り落とされる気がした。

電車は前にしか進まない。
一度振り落とされたら、もう置き去りにされたままになっちゃう。

律「ん?どした?」

紬「ううん、なんでもない」

ゆったりと座っているりっちゃんと澪ちゃんを見て、どうしてそんなに落ち着いていられるのか不思議に思った。
それから、この二人に置いていかれるのでは、という懸念。
私はことさら強くつり革を握りしめた。

私は横を向いて、後ろの車両に目をやった。

桜高の制服を着た女の子がいた。

私はつり革に掴まっているのがやっとだったから、今度は手を振らなかった。




【平成22年 11月24日】

音楽室に入ると、私はすぐに梓ちゃんに伝えた。

紬「唯ちゃん達は今日も来ないって」

梓「そうですか。仕方ないですよね、受験生ですし」

梓ちゃんは唇をきゅっと結んだ。

紬「今日はちゃんと持ってきたよ」

私はそう言って、ケーキの入った箱を見せた。

梓「ありがとうございます」

紬「じゃあ早速食べよっか」

途端に私の鼓動が速くなる。

今。今やらないと。

やめればいいだけなのに、私にはそれが義務か、ひょっとしたら使命めいたものに感じられた。

紬「あっ」

私はわざと手の力を緩めた。
ぐしゃっと音を立てて、箱は地面に落ちた。

紬「落としちゃった」

梓「もう……ムギ先輩も意外とおっちょこちょいで すね」

梓ちゃんはすぐに箱を拾った。

梓「ほら、大丈夫ですよ。中身は無事です。ちょっとだけ崩れちゃいましたけど、これなら全然食べられますよ」

梓ちゃんはそう言って箱の中身を私に見せた。

紬「そう。良かったわ~」

ケーキを食べ終えると、私は受験勉強を、梓ちゃんはギターの練習を始めた。
私の勉強が一段落すると、私は作曲のコツを梓ちゃんに話した。
梓ちゃんは何度も感心しながら、私の話を聞いてくれた。



その日も、私と梓ちゃんは手を繋いで帰った。



家に着き、 夕飯を済ませると、私は机に向かう前に梓ちゃんに電話をかけた。

梓「はい、なんですか?」

紬「梓ちゃん、ごめんね」

梓「え?」

紬「私、今日もケーキ落としちゃって……」

梓「ああ。大丈夫ですってば。普通に食べられたんですし」

紬「ごめんね」

梓「そんな事で謝らないで下さいよ。私はそこまで短気じゃないです」

紬「良かった」

梓「律儀ですね、ムギ先輩」

紬「えへへ。あ、ごめんね。それを言いたいだけだったの」

梓「そうですか。じゃあまた明日。……あ、ムギ先輩は部室に来ても大丈夫なんですか?勉強は……」

紬「ちゃんとやってるから大丈夫!」

梓「ですよねー。じゃあ、お休みなさい」

紬「うん、お休みなさい。明日、ギター教えてね」

梓「はい!それじゃ失礼します」

電話を切ると、私は胸の中に広がる暖かいものを堪能する一方で、明日やるべき事を考えた。



【平成23年 10月28日】

澪「おーいムギー。もう着いたぞ」

澪ちゃんの声で、私は我に返った。

澪ちゃんもりっちゃんも先に電車を降りていて、ホームから私を見ていた。
私は慌てて電車を降りた。
二人に駆け寄って、私は甘えた調子で言った。

紬「ぼーっとしちゃってた」

律「危うく乗り過ごしちゃうところだったじゃん」

澪「もしかして寝不足?」

紬「物思いにふけってました~」

私がふざけてそう言うと、りっちゃんと澪ちゃんは顔を見合わせて、気まずそうな表情になった。

紬「あ、ごめん。そうじゃないの……。違うの」

違くなかったけど、その場を取り繕うために私は嘘をついた。

律「ん、まぁいいけどさ。しんどいのはみんなもなんだし……なんていうか……」

澪「そう。何かあったら私達に頼っていいんだぞ」

りっちゃんと澪ちゃんは真剣な顔で言った。

紬「本当に違うの。あ、ほら、早く唯ちゃんの家に行きましょう?」

私が促すと、二人は前を向いて歩き出した。

私は後ろを振り返り、動き始めた電車の中にさっきの桜高生を探した。
車両の中はよく見えたけど、その子は見当たらなかった。

腕時計に目をやると、短針が6時を指していた。

私は前に向き直り、りっちゃんと澪ちゃんを追った。



唯ちゃんの家は駅からすぐだったけど、私達は先にコンビニに寄って唯ちゃんに頼まれたお酒とおつまみを買う事にした。

律「じゃあ澪、たのむわー」

澪「また私か」

律「だって私だと店員に年齢確認されちゃうし、ムギはいまだに酒選ぶ時にはしゃぐからやっぱり年齢確認されるじゃん」

澪「やれやれ……。ていうか、こう毎日ここで私が買ってると、店員さんは私の事とんでもない酒好きだと思っちゃってるんじゃないか?」

律「えっ?そ、そお?そんな事ないと思うぞー?な、ムギ!」

紬「う、うん!店員さんもお客さんの一人一人なんて覚えてないだろうし!」

澪「ならいいけど……」

律「あーほら早くしないと!唯が待ってるから!」

澪「はいはい。じゃあ行ってくるよ」

澪ちゃんがコンビニに入ると、りっちゃんはすぐに私に耳打ちしてきた。

律「さっきはああ言ったけどさ、やっぱり店員さんももう澪の顔覚えてるだろうな」

紬「うん。澪ちゃん可愛いし……」

律「ややっ?この子は一体なぜこんなに酒を……?はっ!もしかしてフラれたのか?よし、ならばこのしがないコンビニ店員が慰めてあげようじゃないかっ!」

紬「ぷっ」

律「すまん澪!お前の犠牲をムダにはしないから!店員さんとお幸せに!」

紬「ふふっ」

私が笑うと、りっちゃんはほっとしたような顔をした。
その顔を見て、私は自分が気を遣われている事に気付いた。

そんな事しなくてもいいのに。

紬「りっちゃん、私本当に大丈夫だから」

だって私は、そもそもりっちゃん達みたいに悲しんでないんだもん。

律「ん、そっか。なら安心だ~」

りっちゃんはそう言いながら私から視線を逸らした。

私はブーツの踵で地面に小さく円を書きながら、店内の様子を伺った。

澪ちゃんはレジに大量のお酒を持って行っていて、店員が機械でそれのバーコードを読んでいる。
他の店員がそれを見ながら何かひそひそと話しているのを見て、私は申し訳なくなった。

澪ちゃん、今度お酒を買うときは、私が行くからね。



澪「お待たせ」

澪ちゃんはパンパンになった袋を両手に持ちながら、コンビニから出てきた。
綺麗な女の子が毎日これだけのお酒を買ってるんだから、やっぱり店員さんも……。

律「覚えちゃってるだろうなぁ」

澪「え?」

律「なんでもないよーん。さ、行こーぜ」

私が澪ちゃんに袋をこちらに渡すよう促すと、澪ちゃんはありがとうと言って、ひとつだけ私に預けた。

りっちゃんも澪ちゃんからひょいと袋を取り、私達は唯ちゃんの家に向かった。



唯ちゃんの部屋は川沿いのマンションの五階にある。

一応デザイナーズマンションらしく、シャープな外観と、楽器もある程度演奏できるくらい防音のしっかりした部屋をウリにしていた。
入居したての頃の唯ちゃんは、「もっと可愛いところにすればよかったなぁ」とボヤいていたけど、最近は川沿いにあるガス灯が置かれた公園を気に入ったらしく、そういう事を言わなくなった。

りっちゃんがエレベーター前のインターフォンを鳴らすと、すぐにドアのロックが解除された。

澪「確認もしないで開けたら、セキュリティの意味全くないな」

澪ちゃんが呆れたように言った。

紬「唯ちゃん、セールスとかに引っかかってないかな……」

律「大丈夫大丈夫。ベルが鳴っても唯なら起きないから」

私達はそのままエレベーターに乗り、五階に向かった。

唯ちゃんの部屋の前まで行き、ベルを鳴らす。
玄関の前に山積みになった新聞紙を見て、りっちゃんは言った。

律「あいつ、絶対新聞なんて読んでないぜ 」

ドアが軽い音をたてて開く。

パジャマを着て寝癖をつけたままの唯ちゃんが、携帯電話を片手に持ちながら出てきた。

律「おーす、買ってきたぞ」

紬「お邪魔しまーす」

唯ちゃんは、にっこり笑って言った。

唯「はいはーい。どうぞ~」


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