しばらくして純ちゃんはお手洗いに立った

その間に、アイスティーが4つ運ばれてきた。さっきむぎが注文しておいたようだ

こんな時でも冷静に心配りができるむぎに、私は感心すると共に、いくらかの怒りもまた覚えたのだった

純ちゃんが戻ってきた。髪の毛が若干濡れている。顔を洗ったのだろう。涙はもう止まったようだ

「すみません、お待たせして…」

開口一番、純ちゃんはそう言って頭を下げた

「気にしないでいいよ。今一番つらいのは純ちゃんだ。話せるようになったら話してくれればいいから」

律が優しくいたわった。どうやら律も落ち着いたようだ

私は…どうだろう

「あの、掻い摘んで話してもいいですか?その、詳しく話すと…また泣いちゃいそうだから…」

私たちは小さくうなずいた

「それで、梓も唯先輩も立ち尽くしちゃってたから、とりあえず憂に声をかけたんです。
 でも中々反応しなくて、ほっぺたを軽く叩いたり、軽く揺さぶったりして、それでなんとか気がついたみたいで…。
 そうしたら…唯先輩がいるのに気付いたんですね、憂…凄く取り乱して、凄く泣いて…それを見た唯先輩も泣き出して…」

純ちゃんの目に再び涙が浮かびだした

私は正直言って、もうこれ以上聞きたくなかった。すぐにでもお店を飛び出してしまいたかった

こんな、こんな残酷な話…あっていいわけがない…

「それで私、詳しいことはわからないけど、早くここから離れたほうがいいと思いました。
 憂、ほとんど裸で、制服は上も下もボロボロだし、ショーツも見あたらなかったから、梓に怒鳴りつけて、とりあえず必要な服を買ってこさせました
 梓が戻ってきても二人とも泣きっぱなしで…なんとか落ち着かせて、服を着させました。それで…タクシーを拾って、二人の家に行きました」

純ちゃんはそこまで語り終えると、アイスティーをぐい、と飲み下した

「それから?」

むぎが尋ねた

「それから…傷の手当てをして、梓にはコンビニで食べるもの買ってこさせて…帰りました」

「え?…それだけ…なのか?」

私は思わず声を上げてそう聞いた。色々とやるべきことがまだあるはずじゃないか…

「警察は?被害届けとか…そういう」

律も私と同じ気持ちだったようだ

「私だって、凄く心配でしたよ…でも、憂も唯先輩も、もう大丈夫だから、の一点張りで・・・
 それに憂が、警察には絶対に連絡しないで欲しいって言ったんです」

純ちゃんは少し語調を強めて反駁した

「連絡しないで、か…」

確かに、レ○プ被害者はレ○プに遭ったことを訴え出ないことも多いと聞く。恥になるからだ。それゆえにレ○プ被害が減りにくいのだという

私は純ちゃんに詫びた

「ごめん、純ちゃん。そうだよな…憂ちゃんが嫌だと言う以上は…」

「いえ、いいんです。すみません。それで、憂の家を出て…梓と喫茶店に入りました。少なくとも一番情報を持ってるのは梓だから」

梓か…梓は大丈夫だろうか

「でも結局、梓も詳しく説明できるほどの情報は持っていないみたいでした。何となく路地裏にまわったら…その…
 男が…4人…憂を…それで、梓大声をあげたって…それで、男は逃げて、どうしたらいいかわからなくなって唯先輩に電話したんだ、って」

「4人も・・・畜生!」

律が、固めた拳をテーブルに叩き付けた。倒れそうになった律のグラスをむぎが支えた

「それで結局、明日また一緒に憂のところに行こうって約束して、別れました。でも、次の日も、その次の日も、憂には会わせてもらえなくて」

「唯が…会わせなかったのか?」

私は尋ねた。純ちゃんが答える

「…はい。『大丈夫だから、しばらく放っておいて』って。…私も梓もその言葉に従いました
 でも、やっぱりおかしかったんです、いくらメールしても返信こないし、電話しても出なくて…そしたらぁ…!」

テーブルの上に落ちていくたくさんの雫

「憂…死んじゃった…!」

純ちゃんは、声をあげて、泣いた

むぎは、グラスを握り締めたままうつむいている

律は、背もたれにもたれて、両腕をだらりと下に伸ばし、天井を見つめている

私は…どうしたらいいのだろう

「ぜんっ…ばい…!…わ、わた…し…どうじてたら…いっ、よかっ、たん、ですか…!?
 だっ、だれっ、かに…うぁっ!そう、だん…しと…けば、うぐっ、よかった…
 む、むむむりに、でも、うい…会って、お、おけ…ばぁっ!よかったんです、か!?うあぁっ!!」

純ちゃんは泣きながらも語り続ける。問いかけ続ける。誰も、答えない。

答えられるものか

どうしたら良かったかなんてわかるものか

今さら何を言ったって、無駄なのだ

私は席を立って、お手洗いに入った。そして、また、吐いた

泡だったアイスティーだけが排水溝を流れていった



その日は結局、それ以上の進展はなかった

純ちゃんが泣き止むのを待って、それから、わずかに話し合った

後日、唯と梓が落ち着いたら、あらためて話をしようということ

憂ちゃんがレ○プされたこと、そしてそれを苦に自殺したのであろうということは、口外しないよう約束しあった

憂ちゃんがそれを望んだ以上は、そうするべきだろう

帰り道…私も律も黙ったまま歩き続けた。口を開いたところで、どうせ益体もない言葉しか出なかったろうが

ただ、別れる時に律が「澪、大丈夫だからな」と言った。言葉の真意はわからないけれど、少し安心できたのは確かだ

帰宅した私はお風呂に入り、大音量の流れるヘッドホンをしたまま床についた

何も考えたくなかったから

その夜、私はきっと嫌な夢を見た



梓は、それから二日ほどして、学校に来るようになった

でも、傍目にはっきりとわかるほど憔悴していた。今の梓に憂ちゃんのことを聞くのは酷だろう

とりあえず私たちは、純ちゃんにあらかたのことを聞いた、と話し、落着いたらでいいから梓にも話を聴きたい、と伝えた

梓は目を伏せて

「すみません」

と一言謝ったきりだった

私はそれでも、梓は何とか大丈夫だろうという、根拠のない確信があった

問題は…唯だ

唯はあの日から一週間以上たっても学校に来ず、連絡も一切とれなかった

「それがね…憂ちゃんのことがあってから…様子がおかしくなってるみたいね…」

さわ子先生はそう言うと人差し指で眼鏡を上げた

「…先生は、最近唯には会ってるんですか?」

「お家のほうには何度も行ってるわ。でも、唯ちゃんに会えたのは2回だけ。本人は気丈そうにしてたけど…強がってるだけね」

「会えない日も多かったのか?」

「会えない日のほうが断然多いわよ。ご両親に伺っても、『出掛けているみたいです』って答えしか返ってこなかったわ」

さわ子先生はそう言って深くため息をつき、それから私たちにも尋ねた

「ねえ、あなたたちは唯ちゃんに会ってないの?それに何か…憂ちゃんのことで聞いていることとかは…?」

律が私のほうをちらりと見た。わかってるよ、律

「いえ…私たちも全然会ってないし…何も、わかりません」

私はそう答えた

「そう……私もね、しばらくの間は様子を見ていたほうがいいかな、とは思うんだけど…唯ちゃんもご両親もかなり憔悴しているわ…
 だからね、あなたたち、唯ちゃんに何かあったら、ぜひ力になってあげて欲しいの。正直言って、私では力不足だから…」

さわ子先生は、膝の上で拳を握り締めていた

「わかりました」

私たちはそう答えた。言わずもがな、だ



しかしその後も、結局唯とは会えない日が続いた

学校にはまったく来ない。先生も、私たちも、和も、今唯がどこで何をしているのかわからなかった

家に何度行っても、ご両親からは『出掛けている』の一点張りだった

唯のご両親は初めてお通夜で会ったときよりもずっとやつれて見えた

電話も繋がらない。メールの返信も来ない

そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていく…



夏休みが目前に迫ったある日のこと

「澪、ちょっといい?」

私の席の後ろ、中島信代が声をかけてきた

「唯のことなんだけどさ…」

私は信代に言った

「あぁ、ごめん、私も唯とは全然連絡がとれなくて…」

「いや、そうじゃなくてさ…私、見たんだ、唯」

心臓の動きが早くなるのを感じた

「見た!?ど、どこで!?あ、あの、あのさっ!」

我知らず取り乱す。冷静に私を抑える信代

「落着きなって…やっぱり、ここじゃない方がいいかな…放課後、軽音部の部室で、ってことでいいかな
 そっちも、律とかムギとかと一緒のほうがいいだろ?」

「あ…うん、それは…そうだな…わかった。じゃあ、放課後に音楽室に来て」

「了解。……あのさ」

信代は少し表情を曇らせて言った

「期待しないほうがいいから」



放課後。私と律、むぎ。それから、梓と純ちゃんが揃っている

梓と純ちゃんに声をかけるべきか否かは悩んだものの、3人で相談しあった結果、呼ぶべきだということになった

梓は、だいぶ落ち着きを取り戻したように見える。以前の梓と見た目はそう変わらない

純ちゃんは…こんなに眼差しの強い子だったろうか…

私はみんなに向かって、言った

「これからみんなが聞くことは、おそらく悪いニュースだ。そのことは…覚悟しておいてもらいたい」

律とむぎ、純ちゃんが小さくうなずく。梓は…手元のティーカップに視線を落とした

心臓のばくばくいう音が止まらない。不快な緊張感が全身にまとわりつく

ほぅ、とため息をついたその時

扉がゆっくりと開き、信代が現れた

「遅くなってごめん。…これで全員でいいのね?」

律が生唾を飲み込む音が…聞こえた気がした

信代が席に着く。普段なら唯がいるところだ。むぎが紅茶を淹れて信代の前に置く

信代はむぎにありがとう、と言うと、話し始めた

「私の実家は酒屋なんだけど、私、時々家の手伝いをしてるんだ」

その話は聞いたことがある。卒業後は家業を継ぐのだ、とも言っていた

「まあ普段は店先で荷物運んだり、店番したりってのが多いんだけど、たまに配達の手伝いなんかもするんだ
 それで、昨日の夜…9時半ぐらいだったかな。お得意さんのスナックのほうから急な注文があったんだ
 ちょっとしたトラブルがあってお酒が足りなくなったから、急いで持ってきてくれないか、って
 まあ店はもう閉めてたけど、お得意さんだし、だいぶ困ってるみたいだからってことでオーケーしたみたい」

そこで信代は紅茶で口を湿らせた。「美味しい…」と小さく呟いて、また話し出す

「荷物を下ろしたりするために、私も同行することになった。お酒を車に積んで、出発した
 そのスナックは…まあその、いわゆる歓楽街の中にあって。いや、そのお店自体は普通の健全なお店なんだけど
 ああ、まあ、それはいいか。それで…お店ところでお酒を下ろしてる時に・・・見たんだ」

「唯先輩をですか!?」

「うん…あれは……間違いなく唯だった」

「唯は、唯は何て言ってた!?」

律が信代に詰め寄る。信代はその迫力に気圧されたようだ

「ご、ごめん…話、してないんだ…声、かけてないから…」

律が立ち上がって益々詰め寄る。イスがガタン、と倒れた

「はあ!?何だよそれ!?わかんねえ!クラスメイトだろ!?心配じゃねえのかよ!!」

「りっちゃん!落着いて!最後まで話を聞いて!」

むぎが律を抑える。おびえる梓。純ちゃんは俯いて何か考えているように見えた

むぎのおかげか、律は平静を取り戻したようだ。信代に「ごめん」と詫びると、イスを起こして腰掛けた

信代も少しおびえているようだった。律に「うん、大丈夫…」と声をかけると、小さく深呼吸をした

「私もね、声、かけようと思ったよ。でも…私には…無理だった…」

「無理って…何でだよ?」

信代は言うのを躊躇っているようだった。しばしの沈黙の後、意を決したように言い放った

「唯……知らないおじさんとラブホテル街に入っていったから…」

「ラブ…ホテル…」

「…それって…まさか」

「うん…多分、援助交際だと思う」

律がイスから立ち上がる。机に置いた両手が震えている

むぎは口元に両手を当てて固まっている

梓はぽろぽろ涙をこぼしている

純ちゃんは…やっぱり何か考えてるようだった

私は体中の力が抜けてしまって、しばらく声も出せなかった

長い長い沈黙のを破ったのは純ちゃんだった

「あの…そのおじさんってどんな感じの人でした?それにどんな風にしてその…ラブホテル街に入っていきましたか?」

信代はあごに手を当てて、少しの間記憶を反芻した後、説明をし出した

「普通のサラリーマンだったと思う。年は…50歳以上には見えた。髪の毛が薄くて、太ってた」

「……唯先輩のお父さんでは、確実にないわけですね」

「それから、唯は男の人の腕に、こう、抱きつく感じ?で…ちょっとふらふらしながら歩いてたよ
 後は…わからない。私が持ってる情報は、これで全部だと思う。ごめんね」

いい終えて信代は、冷めた紅茶を飲み干した

「いえ、ありがとうございます。助かりました」

純ちゃんがお礼を言った。間髪入れずに今度はむぎが懇願した

「信代ちゃん、唯ちゃんを見かけた場所、教えてもらえないかしら」

「それは構わないけど・・・まさか」

「身勝手かもしれないけど、それ以上は聞かないで。お願い」

私はこんなに力強い瞳をしたむぎを初めて見た

信代は手帳を1ページ破くと住所を書き付け、むぎに渡した

むぎはそれを受け取りながら

「ありがとう。…それから、もう一つお願いがあるの。信代ちゃんが見たこと…他の誰にも言わないで貰いたいの」

と、さらに懇願した。純ちゃんも

「私からもお願いします。先生にも、まだ言わないで欲しいんです…責任は、すべて私たちが取りますから」

むぎと純ちゃんが頭を下げた。私も「頼む!」と言って頭を下げる

信代は目を瞬かせながら、私たちを見ていた。そうして

「……わかった。誰にも言わないよ、約束する。ただし…絶対に無茶はしないこと。わかった?」

と言って、微笑んだ



信代が帰ってから、しばらくの間は沈黙が続いていた

むぎが淹れなおしてくれた紅茶を飲みながら、私は唯のことを考えていた

憂ちゃんが自殺したことは、きっと私たちには想像できないほどショックだったんだろう

でも、それと援助交際(まだ、そう確定したわけではないが)とはどう繋がるのだろうか

自暴自棄になってしまったのか

寂しさを埋めるために、男性を求めたのか

それとも何か、別の目的があるのだろうか

わからない。所詮は机上の空論だ。唯の本当の気持ちなど、想像したってわかるはずがない

……そうだ。わかるはずがないんだ、私たちは唯ではないのだから

唯の気持ちがわかるのは、唯以外にはいないのだ

ならば…!

「行こう、唯に会いに」

私は、そう言って顔を上げた


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