「憂ちゃんが死んだ」

私が律からそう聞かされたのは、まだ梅雨も明け切らぬ7月の頭ごろだった

初めは、いつもの性質の悪い冗談だと思った

しかし、律はそんな悪趣味な冗談は絶対に言わない、そう気付いて、しばし呆然としたのを覚えている

「・・・どうして」

律に問い掛けたその声は、確かに掠れていたと思う

それでも律は、私の求める答えを返してくれた。微かに嗚咽の混じった声で

「・・・・・自殺だって」

紫陽花の葉から大きなかたつむりが落ちるのを、私はその瞬間、窓越しに見た

「・・・・・・唯は」

私は律に尋ねた。携帯電話が濡れて持ち辛い

「わからない・・・私もさわちゃんに聞いただけだし・・・電話しても繋がらないんだ」

「・・・そうか、ありがとう」

律は、お通夜の日時と場所、それから他の部員にはもう連絡が行っていることなどを手短に話すと、電話を切った

私は携帯電話を机に投げ出すと、ズボンで手を拭い、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ

「憂ちゃん・・・」

呟いたその時、私の目からようやく涙が流れ落ち始めた



「ありがとう・・・ごめんね、私は大丈夫だから」

お通夜の席で、唯はそう言って微笑んだ。まぶたが赤く腫れている

唯の隣には、初めて出会う、唯のご両親がいた

お父さんは毅然とした態度、でも、歯を食いしばっているのがよくわかる

お母さんは前後の見境もなく泣きじゃくっている

最悪の、初対面

私は挨拶を済ませると、逃げるように式場を出た

そして、道路脇の側溝の上で、吐いた

「澪…」

律の手が、私の背中をさすっている

ふり返る勇気はなかった

「澪ちゃん・・・大丈夫?」

むぎがハンカチで口元を拭ってくれる。シルクの肌触りが妙に気持ち悪かった

「澪先輩、これ、どうぞ・・・」

純ちゃんがお茶のペットボトルを差し出した。ひんやりと冷たい。わざわざ買ってきてくれたようだ

「ありがとう・・・ごめんな、みんな・・・」

涙が止まらない。顔が上げられない

律も、むぎも、純ちゃんも泣いている

みんな、声を出さずに、泣き続けた



結局私たちは式場に戻ることが出来なかった

家に帰ろうとした私たちを引き止めたのは純ちゃんだった

「先輩方に、少しお話したいことがあるんです・・・付き合っていただけますか?」

今までに見たことのない、真剣な眼差し。ああ、この子はこんなに美人だったんだ、そんなことをふと思う

いつもの喫茶店。ただし、唯と梓の姿はない

「そういえば梓は・・・?」

アイスティーを見つめながら私は誰にともなく尋ねた

「・・・まだ、無理みたいです。出掛けに寄ったんだけど・・・」

純ちゃんが答えた

梓・・・唯・・・憂ちゃん・・・

どうして、こんなことになってしまったのだろう

そうだ、どうして憂ちゃんは自殺なんか・・・

そう思ったとき、純ちゃんが言った

「落ち着いて、聞いてください」

力強い声だった

「皆さん・・・憂が何で自殺したか、聞きましたか」

小さいけれど、はっきりとした口調だ

私は答えた

「私は・・・聞いてないな」

「私も知らないわ」

むぎも答える

私はちらりと律に目をやる

「一応、今日、さわちゃんに聞いた。遺書が残ってて勉強や将来のことに悩んだ結果・・・って」

勉強?将来?あの憂ちゃんがそんなことを悩んでいたなんて・・・

私は大きな驚きと、そしてもっと大きな違和感を感じずにはいられなかった

純ちゃんは律の話を聞くと

「そっか・・・・・・憂らしいや・・・」

と軽く笑った。私にはその言葉の意味がわからなかった

「憂ちゃんらしいって・・・?」

私は率直に問い掛けた

「あの子が・・・そんな理由で自殺するわけ・・・ないじゃないですか」

純ちゃんが答える。哀しい目で、笑っている

「いかにもな、それでいて周りに迷惑をかけないような理由を考えたんでしょうね、憂」

「考えた・・・?」

ますますわからない。

「考えた、というのはつまり・・・」

「はい。嘘の理由です。自殺した本当の理由は・・・他にあります」

アイスティーの氷がカランと音を立てた

「本当の・・・理由・・・?」

律が尋ねる、声が震えている

「はい。さっきも言いましたが、多分残されていた遺書は周りに迷惑をかけないためのフェイクです」

「純ちゃん・・・詳しく説明して」

むぎが言う

「はい。ただし、これはあくまで私が推測したことです。真実だとは断定できませんし、穴も多いと思います。それでも、構いませんか」

純ちゃんは私たちの顔を見ながらそう言った

「ああ、頼む・・・教えてくれ」

律がそう言った。私もむぎも、小さくうなずいた

「・・・わかりました。このことは他言無用でお願いします、憂のためにも」

純ちゃんは氷の溶けきったコーラを一息に飲み干した

「この間の金曜日のことです」

純ちゃんは、ふぅ、短く強く息を吐いた後、訥々と語りはじめた

「あの日、軽音部は部活がなかったんですよね?」

確かにその日は練習を無しにしたのだ。私も、律もむぎも、学校に居残ってやることがあったから

「その日はジャズ研も部活がなくて、だから私たちと、暇してた唯先輩の4人で買い物に行ったんです」

初耳だった。何か事件が起きたのはその日、その時ということか…

「それで、商店街をぶらぶらして、お茶したり服を見たりしてたんです。でも…」

「でも?」

「憂が、急にいなくなったんです」

「いなくなった?」

「はい。気がついた時には私と梓と唯先輩だけでした」

純ちゃんはうつむき加減で語る。心なしか声に力がなくなっているように思えた

「電話してみたけど全然出なくて、10分くらいその場で待ってたけど来なくて。・・・普段の憂ならこんなことはまずありえないのに、と思いました」

「それで・・・?」

律が身を乗り出す。私は左手でそれを制する

「3人で手分けして、探すことにしました。30分したらまたここに戻ってくる、ってことにして」

純ちゃんはそこで、またふぅ、と息をついた。お冷を飲み干す

「25分くらい探したけど見つかりませんでした。そこでたまたま同じところを探しに来た唯先輩と合流して…その時でした」

私は嫌な予感が全身を突き刺すのを感じた。きっと今から私は絶望する、そんな確信があった

「唯先輩に電話がかかってきました。…梓からでした」

「憂ちゃんが見つかったのか!」

律が叫ぶ。声が大きい。むぎが人差し指を口に添えて制した

「…はい。でも電話の向こうの梓はひどく混乱していたみたいで、唯先輩が何度も『落ち着いて!』って叫んでました」

いつの間にか純ちゃんの目にはうっすらと涙が浮かんでいる

「私は唯先輩に電話を代わってもらって、梓を落ち着かせて、梓が今いる場所を聞きました。商店街の裏の、ほとんど行ったことがないような路地でした」

「路地…裏…」

「私たちは走って、走って…梓が言った場所に着きました。そこには」

純ちゃんはつばを飲み込んで、こう言った

「呆然と立ち尽くす梓と、体中擦り傷だらけで、ほとんど裸と同じ格好の憂が・・・いました」

「それ…って…」

律が声を絞り出すように漏らした

「……強姦」

むぎのその言葉で、とうとう純ちゃんに限界が来た。ぼろぼろと零れていく涙…

「うっ、ういっ、ういが、ういがあっ!よ、呼んでも、へん、へん、じ、しっ、しなくってっ!」

嗚咽を漏らしながらも純ちゃんは語ってくれようとする。見ていられないよ、こんなの

「純ちゃん、大丈夫だから、少し落ち着いて、な?少し休もう、ほら、息を整えて…」

私には、純ちゃんの涙をハンカチで拭うことしか出来なかった

お店の人がいぶかしげにこっちを見ている。むぎが、席を立ってお店の人に話をしに行った

私たちの席にはそれからしばらくの間、純ちゃんのむせび泣く声だけが響いていた


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