「お待たせ、いちご」

後ろから声がした。
私はわざと気付かない振りをして、後ろを向いたままでいると、
「いちご」ともう一度名前を呼ばれて腕を引かれた。
すぐそこにある和の顔は困り顔。

「怒ってるの?」
「べつに」
「そう?」

和は僅かに首を傾げると、私の手を握って「帰りましょう」と笑った。

和と『友達』になってもう数週間経つ。
あの日から、私たちの関係はまだ一歩も進んでいない。
お互い、何も言わないし、何も触れない。何となく、怖かった。

「今日は一段と寒いわね」
「うん……」

外に出ると、和は身震いして呟いた。
もう冬も近い。和の吐く白い息を見ながら、私はそういえば、と思った。

和はどこの大学に行くんだろう。

気になったけど、私は聞けなかった。
和が先に口を開いたから。

「いちご、マフラーは?」
「あ、忘れた」
「どこに?教室?取りに帰る?」
「ううん、いい」

「けど、寒いわよ?」
「うん。だから和のマフラー、貸して」
「え?いいけど……」

やっぱり和は賢いのかバカなのかわからない。
それともただの天然なのかへたれなのか。
私は和に渡されたマフラーを自分の首に巻くと、余ったマフラーを和の
首にも巻いた。

「これならお互い、あったかいでしょ」
「……えぇ、そうね」

自然と距離も近くなる。
私たちは今にも泣き出しそうな空の下、寄り添うようにして歩いた。

「それじゃ」
「うん」

別れ道が近付いてきて、私たちの足は自然と止まった。
和はマフラーを外すと、余ったマフラーを私の首に巻いてくれた。

「風邪引いちゃいけないから」
「でも和だって寒いでしょ」
「大丈夫よ、家、すぐそこだし。また明日返してくれればいいわ」
「……わかった」

頷いて、背を向けようとした私の手を和は突然掴んで引き止めた。
いつもならこのまま、何も言わずに別れるのに。

「和?」
「ごめんなさい、何でもないわ」

和は苦笑しながら手を離した。
自分でもなんでこんなことをしてしまったのかわからない、
というように。

「いちご、寄り道しないで帰ること。寒いんだから早く家に……」
「お母さん?」

背を向けた私を追いかけるように言う和に思わず振り向いて笑うと、「本当ね」と
和が肩を竦めた。

――――― ――
携帯が震えている。
私は着替えるのが面倒で、制服のまま勉強していた手を一旦休めてポケットに
入ったままになっていた携帯を取り出した。

和かな。
そう思いながら開いてみると、思ってもみなかった人からだったので少し面食らった。

「律……」

最近、律とはあまり話をしていなかった。
教室で挨拶を交わす程度で、私はほとんど和と一緒にいたし、律も律で
軽音部のメンバーのところにいたので以前の様に頻繁に話をしていなかった。
メールだってあの日以来、一度もしていない。

だからよけいに驚いた。

メールを開けてみると、ただ三文字、『元気?』だった。
何かあったのかと思った自分がバカらしくなる。

私は無視して携帯を閉じようとした手をふと止めた。
まだ下に続きがある。

『大学、どこに行くんだっけ?』

私はそれを見て首を傾げた。
律はこんなふうにわざわざ面倒臭い感じのメールは打たない。
率直に用件を伝えてくるタイプだから、こんなメールを送ってくるということは
やっぱり何かあったのだろうか。

とりあえず、私はメール画面を開けると『F大』と打って送った。
返信はすぐに来た。

『今から電話していい?』

別に構わないけど、と打とうとしたとき、まだ了承も得ていないのに
携帯が震えた。

私は溜息を吐くと、通話ボタンを押して電話に出た。

『いちご、久しぶり、だよな?』
「うん」
『急にごめんな』
「べつに」
『あのさ……』

突然、律が言い難そうに言葉を切った。
しばらくの間、電話の向こうは律の息遣いしか聞こえなかった。

「なに?」

痺れを切らして訊ねると、『和から聞いた?』と律の小さな声が逆に私に聞いた。

「なんの話?」

律の口から和の名前が出て、私の声が少し尖ってしまったらしい。
『いや……』と律が口篭った。

『何にも聞いて無いんならいいんだけどさ。ただの噂だし……』
「噂ってなに」
『いちごが気にすることはねーよ、ごめんな、変なこと言って!』
「あ、律……」

半ば強引に電話が切られた。
私は急に不安で仕方なくなって、携帯を握りなおした。

最近教えてもらった和のアドレスを呼び出した。
けど、私の手はそこで止まってしまった。

私は一体、和にメールして何を聞こうとしてるんだろう。

もしかしたらさっきの律の電話、和のことじゃないかも知れない。
仮に和のことだったとしても、噂だって言ってたし、何も気にすることはない。
それなのに何でこんなに不安になるのか、自分でもよくわからなかった。

「和のせいだ……」

私はふらりと立ち上がってベッドに寝転ぶと、置いてあった和のマフラーを
ぎゅっと握り締めた。
今日の和が、いつもと少し違ったから。
もうマフラーには、和の温もりは、残ってなかった。

――――― ――
「おはよう、いちご」

朝、家を出ると和が待っていた。
ここ最近、和と登校することが多くなっていた。
けど、それはたまたまであって、こうして和が待っていたことは一度もない。

「……おはよう」
「驚いた?」
「……うん」

私が頷くと、和は「でしょうね」と笑って近付いてきた。

和は、思わず身構えてしまった私の首元に触れた。

「マフラーは?」
「昨日学校に忘れてきたからない」
「そう」

私はそこで思い出した。
よく見ると、和だってマフラーをしていない。
私はカバンから昨日借りたマフラーを取り出した。

「これ」
「ありがとう」

和は躊躇うこともせずに受取った。

「あ……」
「はい」

そして、いつのまにか、和と私はマフラーで繋がっていた。

「こうしたら寒くないわよね」
「……私、毎日マフラー忘れちゃうよ」
「悪くないかもね」

和はそう言って微笑んだ。
昨日の不安が、嘘のように消えていった。

――――― ――
「おっす、いちご」

教室で机の整理をしていると、いつもより早く登校してきたらしい律が
声を掛けてきた。

「うん」
「ごめんな、昨日。変なこと言っちゃってさ」
「べつにいいけど」

せっかく忘れていたもやもやがぶり返す。
わざとじゃないのかって思うくらい、律は深刻そうな顔をしているから
昨日の電話のときより一気に私の不安を倍増させた。

「……噂、ってなんなの」
「え?あー、だから気にすることないって。な?」
「意味わかんない」

律から顔を逸らすと、律は「いちごを傷付けたくないんだよ」と呟いた。

傷付くようなことなんだろうか。
どんな噂にしろ、私が和を嫌うことはないけど。
もし傷付くような内容なのなら、聞きたくない。

だけど。

「良いよ、話してよ」

「……いちご」
「律」

私がぐっと律に近付くと、律は「わかったよ」と顔を逸らした。
その時、予鈴のチャイムが鳴った。

「……タイミング悪」
「仕方ねーな」
「律」
「わかってるって。放課後にちゃんと話すから」

何で放課後?
思ったけど口には出さなかった。ふと後ろの席を見ると、和と目が合った。
先に目を逸らしたのは和だった。

何か、隠してるの?

授業なんてほとんど上の空だった。
もうすぐで大学受験なのに。
そう思いながらも、律の言葉が気になって仕方なかった。

朝の和の笑顔を思い出したって、もう不安が消えることはなかった。

昼休みが終わり、午後の授業が始まってもそれは同じだった。
やっとの思いで放課後になると、私はカバンに荷物を詰めて立ち上がった。

「いちご」

名前を呼ばれた。和がカバンを持って立っていた。

「今日、用事があるから先に帰って」
「え、そうなの?」
「うん」

私が頷くと、それを見計らったかのように律が私たちの元へ割り込むように
入ってきた。

「和、ちょっといちご借りるぜ」

律はそう言うと、私の手を掴んで引っ張った。
どこに行くつもりなのかわからないけど、私はそれに着いて行くしかなかった。
ふと後ろを見ると、唯が和と一緒に居るのが見えた。

唯と一緒に、和が私に背を向けた。
少しだけ、嫌な気持ちになった。

律に連れて行かれた場所は、非常階段の踊り場だった。
その場所に着くと、律はやっと手を離してくれた。

「はい、これで私の仕事は終わり」
「……え?」

律は手を離しながら、確かにそう言った。

「どういうこと?」
「後は和といちご次第だよ。唯が上手く和を連れて行ってくれたし」
「……意味わかんないんだけど」


未完