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律「おーっす、梓! 何でそんなとこ座ってる訳よ! 風邪引くぞ!」

梓「あ、律先輩。ちょっと、考え事してたんです」

律「かんがえごと?」

梓「はい。もし、私が軽音部に入ってなかったら、一体どうなってたんだろう、って」

律「……旅行先で考えるようなことか。折角ムギが行って来いって、宿まで提供してくれたんだから。
余計なこと考えずに、楽しもうぜ」

梓「………わかってるんです。わかってるんですけど。
けれど、どうしても考えてしまって」

唯「あずにゃんは、どこへ行ってもあずにゃんだよ」

律・梓「うわ、びっくりした!!」

梓「唯先輩! いつの間に」

唯「へへへ、さっき来たんだよ」

唯「月が綺麗だね」

律「……月なんて気にする前に、まず寒くないのかよ、あなたさんがた」

梓「………律先輩、唯先輩」

律「ん」

唯「何? あずにゃん」

梓「私、軽音部に入って本当に良かったと思ってます」

律「何をいまさらー、夜だからって恥ずかしいこと言っていいだなんて、
誰が言った~、このこのー!」

梓「べ、別に恥ずかしいこととかじゃなくて、本当のことを言っただけです!」

唯「わたしなんて、軽音部のけの字も入学前は考えてなかったからねー」

唯「そう考えると、奇跡だよ! まさしく!」

律「まぁ、唯みたいな奴が入ってくるとは、あたしも夢にも考えてなかったよ」

梓「……人生って、わからないものですね」

律「確かに、それは言えてるな」

唯「あずにゃんみたいな、かわいい後輩が入ってくるなんて、わたしも思ってなかったし」

律「……あれ? 梓、今日は唯が抱きついても怒らないんだ?」

梓「………だって、今日は旅行ですもん」

唯「そうだねー、旅行だもんね」

律「……そっか、旅行だもんな! よっしゃ、ちょっくら澪起こしてくる!」

唯「ムギちゃんも来れればよかったのになー」

梓「本当ですね……残念です」

律「ほら澪! 起きろ! 真冬の怪談大会やるぞ!!」

澪「……うーん、うっさいな、今何時だとー」

律「うわ、澪後ろ、雪女!」

澪「うわぁ!!! やめてくれ、そういうの!!」

唯・梓「ははははは!」



―――
――

ムギの家に一泊した、翌日。物凄くふかふかなベッドで目覚める。

寝ぼけ眼で、携帯の時計を見る。午前9時、ちょっと前。
随分静かな朝だった。そう言えば、昨日は疲れててあまり気にしなかったけれど、これ、梓が昨日まで寝ていたベッドなんだな。
梓は、昨夜は一体どこで寝ていたんだろう。そんなことを、少しだけ考えてみる。

それから。
ムギの部屋に行ってみると、ムギはもう居なかった。
机の上に、高級な便箋に書かれた置手紙が一枚。丁寧でケチのつけようのない字で、こう書かれていた。

「昨夜から今まで、私の世界の梓ちゃんの身には、何一つとして異常はありませんでした。
今日の午後5時に町に帰ってくるまで、引き続き見張りをお願いしています。
私は、ピアノのレッスンがある為、正午までは帰ってきません。
この家に居て頂いても、外出して頂いても結構ですが、くれぐれも気をつけて下さい」


また少しだけ、安堵する。
この手紙に書いていることが本当なら、こっちの世界の梓の身は、今日は無事だ。
そして、私に勿論こちらの世界の扉を閉めるつもりもない。

そして、残る仕事は、梓を説得することのみ。
梓を無事、私の世界に連れて帰ることが出来れば、私の仕事は、終わる。

電話口に出ることは期待していなかったが、一応ダイアルしてみる。
今回は、10秒とせずに繋がった。

梓「もしもし」

律「……お、今回は出るの速いな」

梓「………で、要件は何ですか」

律「梓、お前と話がしたいんだ」

梓「……良いですよ」

律「え、良いの?」

意外だった。十中八九、拒否されると思っていた。


梓「………はい。但し、場所はこっちで指定させて下さい」

律「場所? ん、別に良いけどさ」

微かな違和感は感じた。だが、ここでは大してそれを気に留めることもなかった。

律「どこだ? その場所は」

梓「こっちの世界の、音楽室です」

律「音楽室ってことは……軽音部の部室ってことか?」

梓「はい。そこで、午前10時に、お会いしましょう」

律「……案外すぐなんだな。わかった」


と、電話が切れる。
必要なことしか話さない子だな。
唯と話した時は、もっと脅し文句とか色々余計なことも付け加えてきてたっけ。
何と言うか、実務的というか、無感情というか。

梓に促されるがままに、桜高へと向かう(桜高までは、またムギの家のリムジンで送ってもらった)。
日曜日からかなのか、土曜日よりもさらに人はまばらだ。
吹奏学部の練習の音と、ソフトボール部の練習の掛け声。
その他の音は、何も聞こえない。

校舎内も、足音一つしない。不気味な空間だ。
朝なのにもかかわらず、まるで夜の学校みたいだ。
自分の足音が、廊下に響く。自分の鼓動まで聞こえてくるみたいで。


何か、おかしい。
何かが、おかしい。
歯車が、上手く噛み合い過ぎている。

何故こんなにも苦労せず、すいすいと事が進む?
こっちの世界の梓の生命は保障されており、私は目的である梓と会うことが出来る。
それは、良い。不自然だが、納得出来る。

しかし、何故梓は、前日から出歩いていたんだ?
今日はこっちの世界の梓が居ないということが、分かっていたのに?
それならば、他の日、ありふれた平日にでも、普通に部室で待ち伏せして、殺して、違う世界に運んで、終了のはずだ。

なのに、何故梓は、昨夜外出したんだ?


軽音部の部室の扉を、そっと開ける。ドアが軋む音が、やけに響く。

そこには、誰も居ない。
昨日見た通りの光景。一厘たりとも変わっていない、夢で見慣れた光景。

中に足を踏み入れる。
頭の中で、違和感がグルグル回って。
目的は達成されているのに、何故こんなにもしっくりこないんだろう。

まるで、誰かの手の中で、踊らされているみたいな。


突如、鋭い痛み。
全身を駆け巡る、衝撃。
足から、崩れ落ちる。

……やばい、意識が。
視界に靄がかかる。何だ、これ。

「先輩」

梓の声だ。微妙に、視界の中に、梓の輪郭が見える。
ツインテールの日本人形。その手には………あれは、何だろう。
見覚えのないものが、握られているけれど。





「私は、傍観者なんかじゃない。先輩とは、違う人間です」





目を覚ます。まだ視界に靄がかかっている。
薄暗い。そして、まだ体が痛い。
起き上がるのも、やっとだ。

辺りを見渡す。ここは……軽音部の、部室だ。
私たちの世界の、軽音部の部室だ。
机と椅子、私のドラムセットしかない、殺風景な教室。
不自然なくらい奥行きがある、教室。
その不自然さは、物がないことに由来するものだろう。

梓が持っていたものは……、刃物ではなく、それでいて私を気絶されられるもの。
どこで手に入れたのか甚だ疑問だが、スタンガンかそれに類するものだろう。
スタンガンという単語を、初めて実際の文脈で使ったのだが、それに驚きもしない。

部室の時計が目に入る。
現在、午後5時半過ぎ。もう部室はすっかり暗くなりかけていた。

待てよ。
こっちは、「私の世界」の部室だ。
今まで私は、「あっちの世界」の部室に居たはずだ。


咄嗟に起き上がり、音楽準備室を開ける。
そして、穴を探す。勿論、光はなく真っ暗なのだが、そこに何らかの「輪郭」は見いだせるはずだ。
しかし、そこに、輪郭こそ見いだせるものの、奥行きはまるでない。
ただの、穴の「形」がそこに残っている。

「……畜生」

何度もその穴の輪郭を蹴ってみる。ただし、それはもはや壁と化している。
とても重く、とても固い質量のある何かで、穴は塞がれていた。
蹴れども殴れども、ビクともしない。

……これは、もうあちらの世界には行けない、ということか。

更には……出入りが不可能、ということだから……
入れ替わりは、不可能、ということ。

でも、『あっちの世界の梓』は、ムギの家の人達によって見張られている。
即ち、安全の保障がある、ということ。
少なくとも、それは午後5時までは確実。
今は5時半だから、そんなに短時間で作業することは不可能……

なのに何故、穴は塞がれて居るんだ?


悪寒。

嫌な感触。小さな気持ち悪い虫、ヤスデやムカデやゴキブリが、私の身体をぞろぞろと這い上がっていくような感触。

そして、嫌な予感。

梓に会いに行く前の、あの疑問が、再び頭をよぎる。


何か、おかしい。 
何かが、おかしい。
歯車が、上手く噛み合い過ぎている。

何故こんなにも苦労せず、すいすいと事が進む?
こっちの世界の梓の生命は保障されており、私は目的である梓と会うことが出来る。
それは、良い。不自然だが、納得出来る。

しかし、何故梓は、前日から出歩いていたんだ?
今日はこっちの世界の梓が居ないということが、分かっていたのに?
それならば、他の日、ありふれた平日にでも、普通に部室で待ち伏せして、殺して、違う世界に運んで、終了のはずだ。

なのに、何故梓は、昨夜外出したんだ?



なのに、何故梓は、昨夜外出したんだ?
なのに、何故梓は、昨夜外出したんだ?
なのに、何故梓は、………………


あっちの世界の梓と一緒に、澪や律(私じゃない方)、そして唯も旅行に行ってるよな。

ということは、






あ。









そうか。









準備室から、出る。
あの窓の方向に、目をやる。
3ヶ月前、生々しい血痕がついていた、あの窓に。

そして、また、あの窓の下には、ああ、ついてる、ついてる、壁とは明らかに馴染まない、


異質な、黒いものが、べったりと。


駄目だ。その下を見ては駄目だ。
分かってる。そんなこと、分かってるのに。


何故、歩く? 何故、窓の下を覗こうとする?
それを見ても、何も起こらない。何も変わらない。
変わることなんて、有り得ないのに。



その下に居るのが、憂ちゃんだってことは、もうわかっているのに。






ほら。






やっぱりね。










だから、やめといた方が良いって、言ったのに。




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