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舞台は、3週間前。ムギたちの世界の、軽音部室。

紬(……また部室一番乗り…)

紬(このルーティン、まだ止められないわ……)

紬(癖になってるのかも知れないけど、けどお茶とかお菓子の用意もしなきゃいけないし)

紬(……まだ怖いのかしらね、あの穴が)

紬(でも、この3カ月間、誰一人として来てないってことは、もう誰も来ないんじゃないかしら……)

紬(でも、仮に誰かがあっち側から来たら、他の部員のみんなは驚いちゃうだろうし……)

紬(穴を塞いだら良いんだろうけど、塞ぐと言っても、限界があるわ)

紬(それに……)

瞬間、準備室から、物音。

紬「!?」


扉が、開く。開くはずのない扉が、開く。

?「……うわ、全く同じ」

紬「ちょっと待って。動かないで」

?「え? う、うわ!!」

私は、いきなり出てきた誰かさんを、準備室へ再びおしこんだ。そして、私も準備室へと入り、扉を閉める。

紬「頼むから、あと3時間くらい、私が次に良いよって言うまで、ここから出ないで」

?「………………うぅ……」

紬「あ、ごめんなさい、びっくりさせちゃったみたいで……って、梓ちゃん?」

梓「…………あなたは………」

紬「私が誰か、分かる?」

梓「……………いえ……」

紬(こっちの梓ちゃんじゃない……『あっちの』梓ちゃんって訳ね…)

紬「私が次良いよって言うまで、ここから出ないで、じっとしてて。もしくは、あっちの世界に帰って頂戴」

梓「い、いえ……でも、私、やりたいことが」

?「むーぎちゃーん! ……って、アレ? 誰も居ない?
ねーりっちゃーん、むぎちゃんまだ来てないみたいだよ?」

?「そりゃ珍しいな……いっつも先に来てるのに」

紬「りっちゃんと唯ちゃんが来ちゃったわ。帰るか、大人しくしてて頂戴」

梓「……は、はい……」


・・・・・・・・・・・・・・・

紬「こんな感じで、私と梓ちゃんは出会ったの」

律「ムギ……こんな感じの、臨場感溢れる台詞を、交互に語ってくのか」

紬「えぇ、そうよ。時間もあるし、良いと思わない?」

律「……出来れば、簡潔に話して欲しいんだけど。色々と考えなきゃならないこともあるから」

紬「うーん……じゃ、大切なところだけ台詞で話して、他は要約して話すわね」

律「そうして頂けるとありがたいっす」


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ムギと私の世界の梓は、こんな感じで出会った。
梓は結局3時間部室に待機していた。
部活が終わって唯や(私じゃない)律等の他のメンバーが帰ってから、ムギが梓に声をかけるまで、ずっと準備室で待っていた。

ムギは梓に、真っ先にこちらの世界へ来た動機を聞いた。
これは、別の世界のムギがムギを殺そうとしたように、梓もこっちの世界の梓を殺しにきたのか、確認したかった為だ。

そして、どうやら違うらしい。梓は、ただ「逃げてきた」と言った。
誰から逃げてきたのか? その時点で、梓はムギにそのことの詳細について告げなかった。
ただ「あっちの世界から逃げてきた」と言った。

「これからどうするつもりなの?」
と、ムギは梓に問う。

「決めてません……ただ、あっちには居たくなかったんです」
と、梓はムギに返す。

とは言うものの、女子高生が一人でこっちの世界に居続けられる訳もなく。
そんなことは、法治国家日本でも危険極まりない話で。
最初ムギは自分の世界へ帰ることを強く梓に勧めたが、梓は聞く耳を持たない。


結局、ムギは自分の家に梓を泊めることにした。
使用人や親には、遠くから来た友人が、はるばる遊びに来た、ということにしておいた。
認められるか、ムギは内心ドキドキだったが、変なところで放任で自由なムギの両親は、あっけなくそれを認めた。
そこから、ムギと梓の共同生活が始まる。

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律「共同生活って、何だよ?」

紬「私と梓ちゃん、今日の今まで一緒に住んでるの」

律「ふーん……って、マジで?」

紬「本当よ。嘘はついてないわ」

律「あ、それと、何で自分が別の世界の自分が自分を殺そうとしてた、って断言できたの?
もう一人の自分とも会って、死闘でも繰り広げた訳?」

紬「いえ。ただ……、夢を見たから」

律「例の、夢ですか」

紬「その話についても、いずれ話さなきゃならない時が来ると思う」

律「……そうだな。ムギとは、まだ話さなきゃならない話が一杯残ってる」

紬「そして、梓ちゃん関連の話は、これでほとんど終わり」

律「………3週間前から、梓とムギはずっと一緒に共同生活を送ってました……って待てよ。
それなら、梓の親はどうなるんだ?」

紬「それは………」

律「?」

紬「……………………」

律「親が、居ない、とか?」

紬「その方がまだ良かったかもしれなかったわね」

律「………まさか」

紬「ねぇりっちゃん。私ね、最近思うの」


紬「何で、私たちの軽音部メンバーは、こんなに幸せなんだろうって。
毎日楽しく部活して、みんな仲好しで、誰一人欠けることもなく、大した努力をすることもなく、それを保つことが出来る。
仮に近い将来、物凄い不幸が私たちを襲ってくるかも知れない。だけど、今に限って言えば、幸せの渦中に居ると思う。
いじめられもしないし、違う世界に行きたいとも思わない。クラスで孤立もしていないし、引きこもってもいない。
人に殺されないし、殺す必要性もない。身内が人殺しでもない。
まるで満月のような幸運。それが、私たちなの」

律「…………」

紬「これはあくまでも私の考えなんだけど」

紬「夢で見る世界、即ち私たちお互いの世界は、それぞれの世界の『可能性』だと思うの」

律「かのう……せい?」

紬「えぇ。こうあったかも知れない、っていう『可能性』。
私たちはどこかで道を踏み外したかも知れない。けれど、物凄く上手に世界を渡って行くかも知れない。
相互の世界の舞台も人間も同じ。だけど、それぞれの境遇は全然違う。
おかしいよわよね……あっちの世界の私なんて、目も当てられないくらい、ひどいいじめっ子だったのよ?」

律「……はぁ。そうなんだ」

紬「兎に角、最低限の情報は話したつもり。次は私がりっちゃんに聞く番」

律「……わかった。私の世界のことで、話しといた方がいいかな、ってこと全て話すよ」


私がムギに話したのは、以下のようなことだ。
現在の軽音部メンバーは、私、澪、梓、憂ちゃん。
最初は唯も加入する予定だったが、軽音部結成1週間後に、琴吹紬殺害容疑で逮捕された。
唯は容疑を認めている。
唯の裁判は、もうそろそろ行われるらしく、憂ちゃんは拘置所に週一で面会に行っている。
それが原因で、憂はひどいいじめを受けるようになった。
殺人者の妹、みたいな感じで。

唯が1年の時に、ジャズ研とクラスでいじめられて登校拒否になったというのは、案外有名な事実だったらしく(私は知らなかった)、
そのいじめられっ子の妹という事実が、さらに憂のいじめを加速することになった。
そして、そのいじめの勢いは緩まらず、今に至る。

澪は、文芸部を辞めた(と、つい最近聞いた)。
その他は、いつもと変わらないように見える。
それにしても、文芸部辞めたからって私のクラスに来るってことは、あいつも昼飯食べる奴居ないのかな?

梓は、謎が多い。
たまたま夢関連でしつこく誘ったら、外バンと掛け持ち可という条件でOKをくれた。
最初は週に1回来れば良い方だったが、この頃は毎日練習には来ている。ただし、外バンとは上手く行ってないように思える。
口数は多くないが、憂ちゃんとは仲が良いみたいだ。


律「まぁ、こんな感じ」

紬「…………どこからコメントしていいのか、ちょっとわからないけれど…」

律「いや、いいよ。コメントとかは。こんな感じのことしか話せないけど、他に聞きたいこととかある?」

紬「梓ちゃんの両親について、何か知ってることはある?」

律「残念ながら、ないんだな。梓、あんまあたしと話してくれないんだ」

紬「……そっか。それは残念」

律「梓の両親って、恐らく……」

紬「えぇ。梓ちゃんの体のところどころに、痣が散見されるわ。きっと、梓ちゃんはそこから逃げてきたのでしょうね。
毎日私の家からそっちの学校に通ってるわ」

律「…………そう、なんだ」

紬「色んなこと話しすぎたわね。お互い、頭整理する時間が必要かも知れない」

律「……そうだな。ちょっと、その辺りぶらぶらしてくる」

紬「まぁ、りっちゃん達は旅行行ってるから別に良いけど……
あまり出歩かない方が安全だと思うわ」

律「はいはーい。でも、何か外歩きたいなー、と思って」

紬「……わかったわ。で、りっちゃんがこっちにきた目的って、一体なんなの?」

律「あたし? まぁ……梓が梓を殺さないように、説得しに来た」

紬「!?」

律「てな訳で、ムギ、ちょっと梓見ておいて下さいな」

紬「ちょ、ちょっとりっちゃん、詳しく」

律「ごめん、ちょっと色んな話聞いて頭ごちゃごちゃだから、少し整理したいんだ。午後6時に校門前で、また会おうぜ」



と、逃げるように部室から駆け出して、桜高から外へ出た。
ひとまず、いつものハンバーガー屋でも入りますか
(ハンバーガー屋って呼称に違和感を感じるが、これ以外のどの呼称もおかしいと感じるから)。

さて。
モノクロの冬道を歩きながら、疲れた頭をフル稼働させる。

本当に色んな情報を聞いたが、最も重要なポイントは、

  • 私たちの世界の梓は、両親に虐待されている確率が高い

だろう。だとしたら、これが梓が梓を殺す強い動機になり得る。


そして、また、興味深いのが、

  • こっちの世界のムギは、別世界のムギが自分を殺そうとしていることに気付いていた。

すなわち、

  • こっちの世界のムギは、「夢」で別世界のムギが自分を殺そうとしていることに気が付いた。
(夢の中で、別世界のムギが自分を殺す計画を練っている、もしくは計画を練っていなくとも
殺そうとしていることに気がついた)
もしくは、
  • 実際にこちらの世界で、ムギはムギに殺されかけた

ここからさらに情報を抽出すると、


  • こっちの世界の人間も、私たちの世界の夢を見る

………だからどうって訳でもないけれど。
ということは、こっちの世界の私も、私の夢を見てるのかな?


何て考えてる内に、例のハンバーガー屋にたどり着く。
取り敢えず、ポテトのSとハンバーガーを仏頂面の店員に注文し、席につこうとする。

?「あー、律先輩じゃないですか」

こんな時に限って、災いってものはやってくるんだよな。

完全に目があってしまった。
隅の席に座って談笑していた、憂ちゃんと……名前忘れた、鈴木何とかさん。

純「あー、律先輩、また私の名前忘れましたね?」

律「いやいや、別にそういう訳じゃないんだけど」

憂「あれ? 律さん、お姉ちゃん達と軽井沢に行ったんじゃなかったんですか?」

律「い、いや、ちょっと私今お金が無くってさ。だから、急遽行けなくなっちゃって……」

この糞寒い時期に軽井沢って……お宅のお姉ちゃんは何考えてるんですか、とは言わない。
多分ノリだろう。中学時代の私なら、やりかねない。

憂「どうぞ、ここ座って下さい」

律「え、いいの?」

純「勿論です! むしろ律先輩と話せるなんて、光栄中の光栄です!」

律「あ、そっか……じゃ、御一緒しちゃおっかな」

と、また流されるがままに座ってしまった。前回も、同じような経験をした気がする。

憂「律さん、少し顔色悪くないですか? 少し痩せたみたいですし……風邪ですか?」

律「あ、そ、そうそう、ちょっと風邪っぽくてさ。まったく、冬風邪は長引いて駄目だよねー、面倒だよねー」

因みに、風邪でも何でもない。元気そのものだ。……私は、素で不健康ってことですか。

憂「お姉ちゃんも、この前風邪引いちゃって、その時看病大変だったんです」

純「そうそう、憂ったら、休み時間の度に、お姉ちゃん大丈夫かな、寂しくしてないかな、
氷枕溶けてないかな、お腹空かせてないかな、って、まるで赤ん

坊が熱出したお母さんみたいに、心配するんですよ」

憂「だって、お姉ちゃんが風邪引いたんだよ? 心配になるのも仕方ないよ」

純「それだって、憂のシスコンぶりは半端じゃないからな……」

憂「ははは。いいんだ、シスコンだって。だって、お姉ちゃん、可愛いんだもん」

純「………最早、痛い子を超えているよこの子……」

と、付け入る隙のないトークが展開されていく。
少しだけ気まずい。ただ、ポテトを頬張るくらいしかやることがない。

憂「律さん」

律「は、はい、なんでございませう」

憂「軽音部でお姉ちゃん、元気にやってますか?」

律「う、うん! そりゃもう、いつも通り元気にやってるよ! 元気過ぎて、たまにあたしもついていけないくらいだよ!」
(夢の中で見てる唯なら、そんな感じだよな……拘置所に居る唯じゃなくて)

憂「そうですか……それは良かった…」

憂ちゃんは、目を背けたくなる程眩しい笑顔を私に向けた。

憂「お姉ちゃん、たまにみんなに合わせられないことがあるから、クラスや軽音部の皆さんと上手くやってるか心配で……」

律「そうなんだ……憂ちゃんは、姉思いなんだな…」

憂「はい!」

私は、何とかさんと顔を見合わせて、苦笑いする。
しかし、その苦笑いは、決して悪意のこもったものではなくて。
むしろ、憂ちゃんの発言に対する「お決まり」の反応というか、そんな感じだ。
憂ちゃんが本心からそう思ってるのは、憂ちゃんの無垢で素朴な反応を見ていれば分かるから。
そして、そんな憂ちゃんは、可愛い。いや、変な意味じゃなく。
私は、聡のこと、憂ちゃんの唯に対する思い程深く思えないんだろうな……悲しいことではありますが。

ふと、素朴な疑問が頭に浮かぶ。

律「ねぇ、憂ちゃん」

憂「何ですか?」

律「今からの質問は、あくまでも仮の話だから、そんなに重く考えないでね。
ちょっと同じ質問を文芸部の奴に頼まれててさ。作品の構想に使うらしくて」

憂「?」

あまりよろしくはない質問だ。けれど、この質問は、今後「憂ちゃん」に接していく鍵となるかも知れない。


律「もし、唯が殺人を犯して、逮捕されて、刑務所に入れられるとするだろ。
んで、一審でも二審でも最高裁で有罪受けて、死刑判決受けるとする」

純「ちょ、ちょっと律先輩!」

律「あ、ごめんごめん、あくまでも『例え』の話だから。こんなこと唯がしないの、あたしが一番よく知ってる」

憂「………」

あたしが一番よく知ってる、だって。なんて空虚で、嘘に満ちた言葉。

律「そしたらさ、憂ちゃんは、どうする?」

憂「……………」

憂ちゃんは、視線を下に落としている。先程のきらきらと輝いた顔は、
その横で、何とかさんが私の方を怖い顔して見ている。少し……いや、大分悪い質問してしまったかな、と思う。

律「……………ごめん、抽象的だし、かなり酷い質問だよね」

憂「……いえ、良いんです。ただ、そんなことを考えると、何か、その、」

一瞬の沈黙。

憂「………何か、悲しくなるんです。おかしいですよね」

律「ごめんごめん。本当に、ごめん。私もそのことについて考えてみてさ、そんで」

憂「でも」

私の言葉をさえぎるように、憂ちゃんは言う。涙声で、でも、はっきりとした声で。



憂「いつ、どこで、どんなことがあっても、お姉ちゃんが何をしたとしても、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんです」

憂「世界中の人がお姉ちゃんを許さなくても、それ程ひどいことをお姉ちゃんがしたとしても、私はお姉ちゃんを許します。
お姉ちゃんが酷い目に遭っていたとしたら、私はどんなことをしたとしてもそれを止めたいと思います。
逆に、お姉ちゃんがどんなに酷いことをしても、私はそれをお姉ちゃんと一緒に償っていきたい。
何故なら、私はお姉ちゃんの妹で、お姉ちゃんは私の妹だから」

涙声で、鼻水声。それなのに、笑顔。
無垢で、罪のない、笑顔。
全てを許し、全幅の信頼を置いていることの、証。


それに、私、お姉ちゃんの為なら、どんなことでも、頑張れますから。

あの時も憂ちゃんは、笑顔でそう言った。言い切った。



律「………わかった」

席を立つ。


律「ごめんな、憂ちゃん」
そして、歩き出す。

後ろで憂ちゃんが何か言っているのが聞こえるが、振りむかない。
ただ、手だけヒラヒラと振ってみる。

私は、何度も気づかされてきた。
唯に、梓に、こっちの軽音部のみんなに。
そのたびに、忘れてきた。何を気付かされたかを。

そして、今。また思い出した。私が、何に気付かされたかを。


律「……もしもし、梓か」

梓「………………」

律「今から、会えないかな。どこかで」

梓「……嫌です」

律「………そっか」

梓「……御用件は、何ですか。私は、入口を塞ぐことだけお願いしたはずですが」

律「いやー、ただ単に、梓と話したいなー、と思ってさ」

梓「………………嫌です。もうあなたと話すことは、ありません」

律「………まだあたしたちには、頑張れる余白みたいなものが、残ってるんじゃない?」

梓「…………流石、傍観者ですね。まだそんな白々しい台詞が吐けるんですか」

律「……………もう、あたしは傍観者にはならないから」


梓「……うるさい、です。良いんです。もう私は、決めたんです。幸せになるって」

律「だから、これから一緒に頑張って、幸せに」

と、私の台詞を遮るかのように、電話は切れた。
どうやらあちらに止まる気は、ないらしい。

律(……前と、全く同じパターンだよ…)

律(ま、恐怖のメール送られてきてなかっただけ、まだマシか……)

律(はて、どうしたものか………)

律(取り敢えず、ムギに会いに行こう。話はそれからだ)



午後5時45分。ムギはもう校門前に来ていた。
桜高の制服にコートを羽織って、可愛い手袋まではめている。
私はと言えば……制服のみ、という、何とも寒々しい格好。制服のボタンは開けっ放しだし。そりゃ、寒くもなるわ。


律「おっすムギ。6時って言ったのに、随分早いね」

紬「えぇ。やることもなかったから、あれからずっと部室に居て、今丁度来たところなの」

律「……そっか。で、どうする? 立話も何だから、どっか店でも入る?」

紬「いえ、私の家にご招待するわ」

律「え、マジで? 悪くないのかよ、そこまでしてもらって」

紬「だって、りっちゃんと一緒に町に居て、誰か知りあいに見られたら、説明するの面倒でしょ?
ましてや、憂ちゃんや純ちゃんに見られたら、困ったことになっちゃうわ」

律「……………」

紬「じゃ、あそこの車に乗って」

律「あそこの車って……うお、これまた随分大きくて長い車……なんだっけ、こういうの…リム……リムなんちゃらじゃん!」

紬「行きましょ」


そして、ムギの家に車に乗り(もんのすごく快適だった、逆に快適すぎて落ち着かなかった)、20分程度。
車から降ろされ、ムギの家……豪邸に到着。
敢えてその外装や内装には言及しないけれど……うん、今シリアスな状況に居なかったら、何十分でも語り続けてるだろうな。
わかりやすく言えば、私の家とは格が三段、いやそれ以上に違った。

そして、ムギの部屋へ通される。
ここも……うん、もうやめておこう。羨みは悪い感情よ、何も生み出さないわよって、澪の友人の生徒会役員がいつか言ってた気がするから。

ムギのベッドに埋もれながら(ふかふか過ぎて1mくらい沈みこむかと思った)、取り敢えず口を開くことにする。

律「ねぇムギ、梓ってこの屋敷に居るんだろ?」

紬「あ! そうね。りっちゃん、梓ちゃんと会いたいんでしょ?」

律「ご名答です、お嬢様。それにしても、よくわかったな……」

紬「りっちゃんが、梓ちゃんのこと知りたい、って言ってたから」

律「……そういや、そうだったね」

紬「ちょっと呼んでくるわ。この部屋の丁度隣の部屋が、客室なの」

と言ってから、ムギは部屋から出ていった。

ひとまず、梓と会ったら、どんなこと話そうか。
私が何を言っても、説教臭くなってしまうだろう。
そんな言葉に、人の心は動かされない。
私と唯の心が、軽音部の演奏によって動かされたように、大事な局面で、人の心は、言葉によっては動かない。
ならば、どうやって思いとどまらせれば良いんだろう。

どんな人間にも、幸せを追求する権利がある。
それは人を殺してでも奪い取って良いものかは甚だ疑問だが、2つの世界を上手く活用すれば、完全に自分を「幸せな世界」へとシフトさせることは、可能だ。

しかし、それが本人にとって、本当に幸せな世界なのだろうか。
他人の居場所を奪ってまで、他人に成り変わってまで、手に入れた「居場所」で、人は本当に幸せになれるのだろうか。


紬「りっちゃん!」

ドアが騒々しく開けられる。
ムギが、柄にもなく大きな声を出している……これが意味するのは。

律「ど、どした」

紬「梓ちゃんが!!」

背筋がゾクリとした。体中から、力が抜けていく。
嫌な予感しか、しない。

紬「………梓ちゃんが……部屋に居ない」


律「………………そ、そっか」

何故か、少しだけ安堵する。
一瞬、私の脳内では、梓が血まみれのベッドの上で息絶えている映像が流れたからだ。
そして、仮に今会ったとしても、何を話せば良いかはわからない。そういう種類の安堵でもある。

しかし、状況が悪くなったのに、変わりはない。

いや、これが意味するのって、もう既に梓が、事に及び始めてるってことなのか?

紬「ど、どうしよう、どうしよう、りっちゃん?」

律「取り敢えず、執事とか家の人に、梓がいつ出てったか、分かる人は居ないの?」

紬「えぇ、後でみんなに話を聞いて回ってみる! でも、どうして私に何も言わずに……」

律「……………ねぇ、ムギ」

紬「な、何」

律「今、『ここの世界の梓』って、軽井沢へ旅行に行ってるんだよね?」

紬「えぇ、そうよ。今日の朝から、明日の夜までは戻らないわ」

律「そのこと、梓は知ってるの?」

紬「うん、知ってると思う。今日の朝に、私が梓ちゃんには言っておいたから」

律「? だとしたら、少しおかしいな……」

紬「どうして?」

律「だって、梓は梓を殺す為に、こっちに来た訳だからさ。
でも、『ここの世界の梓』は、まだ帰ってきては居ない……」

紬「……そのことを、詳しく聞きたかったの。何故、りっちゃんは、
梓ちゃんは梓ちゃんを殺そうとしている、と思うの?」

律「いや、梓は幸せになりたいって言ってたからな。それって、こっちの梓と入れ替わって幸せな生活を送るってことと同じ意味じゃん?
それに、唯だってムギだって、そういう思考に及んだからさ」

紬「梓ちゃんはそんなことしないと思うわ。あの子に、そんなことが出来る訳ないもの。
3週間、私は梓ちゃんと一緒に生活してるのよ。だから、わかる」

律「私は、こっちの世界の自分を殺そうと思ってた」

紬「!?」

律「自分だけ報われないその気分。どうして自分だけ。あっちの世界の自分は、見るからに毎日を楽しんでる。自分とは雲泥の差。
それに対する、羨望、嫉妬、嫉妬、嫉妬、憎悪、そして、殺意」

紬「…………」

律「一度それを感じたから、分かるんだ。自分を殺したくなる心理。
『自分』を殺して、新しい『自分』を手にいれたくなる、その心理が、さ」

紬「……で、でも………私には…信じられない」

律「あたしだって信じられないし、信じたくもない。けれど……多分、そんな心理なんだと思う」


紬「……………わかったわ。私たちの世界の梓ちゃんを、家のものに見張らせましょう。
これで、仮に梓ちゃんが梓ちゃんを殺そうとしていたとしても、成功することはないでしょう」

律「ありがとムギ………って、それ本気で言ってるの?」

紬「えぇ。私は嘘は言わないわ」

律「……うん、ありがと。これで後は、梓をここで待つだけ……で良いのかな?」

紬「そうね……りっちゃんが動き回るだけで、リスクがあるし」

律「……………了解。じゃ、今夜は泊らせてもらっても良いのかな?」

紬「えぇ。勿論よ」


そして、それから。
それから、どうなるのか。


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