――
―――


澪「律ー」

律「……ん、澪か。どしたん?」

澪「いや、律が柄にもなく険しい顔してるからさ。何かあったのかな、と思って」

律「…………まぁ、あったと言えばあったんだけど。別に大したことじゃないからな」

澪「そう言われると、気になるな」

律「……実はさ」



澪「へー、そんなことが」

律「何か、不気味じゃん? 別に大問題でもないんだけど、むしろどうでも良いんだけど、釈然としないと言うか……」



澪「……確かに。律が言ったことも本当で、梓が言ったことも本当ってことは、有り得ないしな」

律「でも、梓が嘘をついているようにも見えないんだ。それに、梓は途中まで唯と帰ってるから、唯と別れてから逆方向に向かうとは考えづらいし」

澪「うーん…………不思議だな…」

律「……ま、別に実害はないから、どうでも良いんだけどさ」


―――
――



律(………梓が、ねぇ)

律(…………)

律(……おいおいおいおい、ちょっと待ってくれよ)

律(………ここ3日間の夢って、もしかして)

律(……………もしかして、もしかしちゃうのか?)

律(……これって、ヤバい?)



昼食時

律(C組だったっけ、梓のクラス)

律(あ、良かった、居る……)

律(成る程、梓には友人も居る訳ですね、わかります)

律(いつもの可愛いあずにゃんだ…)

律(あっちの世界の唯の口癖が移ってる……)

律(じゃ、自分のクラス帰るか……)

律(……と、ちょっと待て)

律(……………)

律(………何だよ、あれ)



目を疑った。疑うしかなかった。
憂ちゃんが、教室の隅に居る。隅で小さくなっているように見える。
彼女の傍には、誰も居なかった。まるで彼女を避けるかのように、昼食の机が組まれている。
憂ちゃんの全身は、びしょびしょに濡れていた。まるで頭上から水でも浴びせられたかのように。
今、季節は冬だが、雲一つない快晴。勿論、雨に濡れる訳もない。
そして、机が、薄黒い。通常、机の色は白っぽい灰色なのだが、憂ちゃんの机だけ、黒に近い。

さらに。
憂ちゃんの机の周囲に、紙屑、が散乱している。
紙屑? …………違う。
表紙で判断出来る。
これは、教科書だ。私が昨年使ったものと同じ。
世界史Bと、数学?の教科書。が、これでもかという程、ビリビリに割かれて憂ちゃんの机の周囲に放置されていた。

そして。
当の憂ちゃんは。
当の憂ちゃんはと言えば。
ただただ、そこに座っているだけ。
空虚な目をして。顔を歪ませもせず。憎悪に歪ませることもなく。
表情には、何も堪えず。

ただ、そこに、ポツリと、座っているのだ。



「梓!!」

叫ばずには居られなかった。
考えるより、体が先に動いていた。
シンと静まり返る教室。
梓が狐につままれたような表情で、こちらを見ている。
一直線に、梓へ歩み寄る。周囲の2年生が、怯えたように道を空ける。

何故、お前。こんな状況を目にしても、何もしてやれない?
歩みよってやるだけでも良い。近くにいてやるだけでも良い。
お前、憂ちゃんは軽音部の仲間だろ? いつも憂ちゃんと、普通に話してるじゃんか。
軽音部で、いっつも普通の友人みたいに話してるじゃんか。
それなのに、何で。何で……

「何もしてねぇんだよ!!」

梓の胸倉を思い切り掴む。そして、拳を振り上げる。

何で、助けて、やらねぇんだよ。
何故、助けて、やれなかった?
何で、ここまでなるまで放っておいたんだ?

下手に干渉されると、プライドが傷つくから。
同情ほど、辛いものはないから。
良いじゃん、個人の裁量に委ねとけば。
居場所だけ、作ってやれば、良いんだよ。

私たちには、何もできないんだ。



……私だ。
……………今まで何もしてこなかったのは、私だ。

「ありがとうございます」

振り上げた拳を、柔らかな手が、しっかりとした力で、押さえつける。
誰かは、振り向かなくても、分かる。

「……私は、大丈夫ですから。律さん、ありがとうございます」

「………憂ちゃん」
視線だけ後ろにやると。
微かに微笑んだ憂ちゃんが、そこに立っている。

その笑顔を守れなかった。
その笑顔を、守ってやれなかった。

「……誰も悪くなんかないんです、誰も」

梓は、涙ぐんでいた。
憂ちゃんは、空虚な笑みを浮かべていた。

「それに、私、お姉ちゃんの為なら、どんなことでも、頑張れますから」

私は、どんな顔をすれば良いのか、わからなかった。


ただ、その場から、逃げ出すことしか、出来なかった。


最低だ、私は。
憂ちゃんの為だとか言って、ずっと問題から目を逸らし続けてた。
私は、ただ皆から孤立しているだけだった。いじめられている訳ではなかった。
むしろ、私自ら孤独を選んでいるきらいがあった。

しかし、憂ちゃんは違う。
あれは、いじめられているんだ。
暴力。精神的にも、肉体的にも、苦しめられている。
それじゃなくても憂ちゃんは唯のことで、疲労しているのに……


私は、最低だ。



その日、私は部活を休んだ。




――
―――

唯「ムギちゃん」

紬「なーに、唯ちゃん」

唯「ムギちゃんって、いつもわたしたちより最初に部室来てるよね」

律「言われてみれば、ムギが後からくるの、見たことないな」

紬「それは、お菓子とお茶を用意する為よ~」

唯「あ、そっか! ムギちゃん居ないと、みんなお茶もお菓子も食べられないもんね!」

澪「いつもごめんな、ムギ」

梓「私たちも手伝った方が、良いんですかね?」

紬「全然! 私、こういうの準備するの好きだから!」

唯「ムギちゃ~ん、いつもありがとね!」

律「ムギが居るからこそ、この部活があるってのは絶対あるよな!!
なんてったって、放課後ティータイムだし!!」

澪「……意味わからん」

紬「ふふふふふふふ」

―――
――



律(ムギ……か)

律(こっちの世界には、もう居ないんだよな……)

律(ムギが居たら、私たちの軽音部も、もうちょっと良くなったかな)

律(……唯もムギも居ないんじゃ、上手くいくはずないのか)

律(で、でも! こっちはこっちで独立した世界だし、
あっちの軽音部メンバーとこっちのメンバーは、名前や外見同じでも人格は全く違うし!!)

律(……………)

律(……うまくいかねーな、何もかも)



今日は土曜なので、学校は休み。
1日中部屋でダラダラするつもりだった。
こんな日くらい、喧騒から逃れて一人で音楽聞きながら漫画でも読むのが、いいかな、と思ったりもした。

けれど、頭の中では、憂ちゃんの件に関する自己嫌悪や、梓や澪のこと、
そしてあっちの世界のことなんかがグルグル回って、何も考えられない。
しかし、寝るとまたあの夢を見てしまって、頭の中がさらにグチャグチャになってしまう。

……琴吹紬、もといムギ。

そういえば、私はムギに一度だけ会ったことがある。
私が初めてあっちの世界に、文字通り首を突っ込んだ時。
彼女は、言った。私は、あっちの世界のムギだと。

そして、彼女は2つの世界が存在することを、知っている。


何か、というのは、夢や2つの世界の仕組み、そしてあわよくば、どうやったら私たちの世界を「良い」ものへと組みかえていけるか。
最後の望みは、冷静に考えれば詮のないものということは、誰でもわかる。
もしこっちの世界とあっちの世界が完全に独立したものであれば、こっちで私が幸せだろうがどうだろうが、それは一切関係のないことだ。

律(……それでも)

今の状況は、どうにかして打破しなければならない。
しかし、私の頭に思い浮かぶ限りでは、突破口は見当たらない。
だんだんと、夕闇が漆黒に変化していくように、わたしたちの状況は悪くなっていく。

律(……何か、手掛かりが見つかるかも知れない)

もう二度と行かないと誓ったあの世界に、もう1度行く必要があるのかも知れない。


聡「おねえちゃーん」


律「? どした、聡」

聡「お友達が来てるよー、珍しいね、澪さんじゃないみたいだし」

律「澪じゃない? じゃ、誰が……」

聡「中野梓って人だよー」

律「!? 梓、が……」


梓「律先輩、朝早くすみません」

律「……梓、何故あたしの家を知ってるんだ?」

梓「澪先輩に聞きました」

律「そっか、まぁそれは良いけど……」

梓「……………」

律「………………」

梓「………」

律「…………(気まずい……)」

律「あ、あがってく?」

梓「…………はい」


律「……はい、お茶。麦茶だけど」

梓「………ありがとう、ございます」

律「…………」

梓「………………」

律「……昨日は、ごめん」

梓「………いえ、律先輩の、言った通りですから」

律「………あたしは、ただ逃げてただけだからな」

梓「……でも、同情されるのも、辛いと思います」

律「………あたしもそう思ってた。けど、あの状況は訳が違う」

梓「律先輩」

律「?」

梓「だからと言って、律先輩に、身を呈して憂を守る覚悟はありますか?」

律「そ、それは……」

梓「憂の代わりに、肉体も精神も、ズタズタに裂かれて、蹂躙されて、これ以上ないくらいの苦痛を引き受けられますか?」

律「………」

梓「……そういうことです。私たちは、私たちのできることを淡々とやるしかないんです」

律「でも、そんなの間違ってるだろ!」

梓「じゃ、先輩が守ってくださいよ! 手段なんて、いくらでもあるでしょう!!
自分の手を汚さずに、相手を守るなんてこと、出来る訳ないんです!
みんな、手頃な言い訳見つけて、善人ぶって保身に走るんだ!
先輩は、単なる偽善者です。いや、偽善さえ為せていない、傍観者です!!」

律「………っ……」

梓「…………………」

律「…………」


梓「………ごめんなさい。要件だけ言って帰ります」

律「……………」

梓「明日の午後8時までに、音楽準備室のあの穴を塞いで下さい、もう誰も入れないように、そして、出られないように」

律「!?」

梓「それだけです。それでは、失礼します」

律「ちょっと待て梓! お前、何する気だ? 何故、穴のことを知ってる?」

梓「……それは、律先輩が穴を知っている理由と、同じだと思いますよ。それでは」

律「待て、梓!!」

律「………………」

律「…………」


これから、どうする?
梓は、あの穴のことを知っている。
まぁ、夢はそのことを暗に示していた訳だから、それにはさして大きな驚きもない。
しかし、疑問点はいくつか存在する。
一番大きな疑問は、何故梓は私に穴を塞ぐことを依頼したのか。
これ対しては、様々な答えが考えられるが、一番有力なのは……

律(唯パターン、か……こりゃ、まずいかもな…)

そして、2つ目の疑問は、何故私が穴の存在を知っていることを承知していたのか。
……これは、わからないな。何故なんだろ。
私は、梓に対して夢のことは一言も話してない、はずだ。

他にも様々な疑問は存在するが、多くはわからないことだらけだ。
今すべきことは……唯の時と同じことか。

律「行きますか。気は進まないけれども」



土曜日の昼下がり。
色んな部活が練習こそしているものの、平日より人はまばら。
簡単に部室へは行くことが出来た。

律(梓に電話しても、つながらないし)

律(メールも送れない)

律(……もう既に外の世界に行ってるなら、繋がらなくて当然、なのかも知れない)

律(………唯の時は繋がったんだけどな…けどあれは、同じ世界に居たからな……仕組みがよくわからん)

律(……じゃ、行きますか)

今回の目的は、梓が梓を殺さないようにすること……ですか。
前回とほぼ同じ。いや、前回は唯の殺人をサポートしようとしてたんだけどさ、当初は。
それにしても、どうやってあっちの世界の梓を守ろうか。
また説得か? 前回の学祭ライブみたいには行かないぞ?
やっぱここは、梓を自分の部屋に監禁でもして、説得でもするべきだったか。
……でも、あまりにも梓の意図が不明確すぎる。
そんなにあいつ、そんなに不幸だったか? 異なる世界に行きたくなるほどに?


外バンと上手くいかないとか言ってたけど、あの頃の唯や今の憂ちゃんに比べりゃ、随分と幸せだろうに。

律(……あー、もうわかんねーわかんねー、とことんわかんねー!!)

律(……行ってから考えるしかないか)

それに、私自身も、色々なことを知りたい。別世界のこと、向こうのムギのこと、そして、幸せな生活の「ヒント」のようなもの。

音楽準備室のドアを開く。
3ヶ月前と、全く変わらない状況。
古ぼけた楽器や段ボール類。埃っぽい臭いが鼻をつく。

律(変わんねぇな、ここも……)

律(確か穴は……お、あったあった)

部屋の隅に存在する、穴。
そこからは、微小な光が漏れており、穴の輪郭が浮かび上がっている。
しかし、注意して見ないと絶対に分からないであろう。それくらい、微小な光だ。

そして、今回、穴は塞がれていなかった。
少々のためらいはあったが、意を決して、穴へと向かう。


?「やっぱり来ましたね」

律「ひぇ!! 」

突然の声に驚いて、頭を穴の淵に思い切りぶつけてしまう。

律「い、痛っ、だ、だ、誰?」

?「誰って、私ですよ、私」

穴に入る前の準備室(つまり、私たちの世界の準備室)にて、私はその人物と対面した。

?「久しぶりですね、りっちゃん」

律「……ム、ムギ、さん?」

紬「ムギって呼んで下さい。その方が自然じゃないかしら」

薄暗くても、その顔ははっきりと拝むことが出来た。
ブロンドと白髪の中間色を持つ髪、白い肌、綺麗な顔立ち、少々太い眉。
それは、一時期新聞やニュースでで何度も何度も見た、あの殺された琴吹紬の顔と、全く同じだった。


紬「驚かせてごめんなさい。時間がなかったものだから」

律「……………こうして会うの、2回目ですよね、ムギさ……じゃなくて、ムギ」

紬「えぇ、そうね。2回目ね。毎日会ってるような気もするけれど、2回目ね」

律「……まぁ、それは良いんだけど。んでもって、」

紬「梓ちゃんのことかしら?」

律「……エスパーかい、あんたは」

紬「ふふふ、エスパーよ、私は」

律(どうにもやりづらい、この人は)

律「で、何で知ってるの? そのこと?」

紬「知りたい、りっちゃん?」

律「そりゃ知りたいよ。その為にこっちに来たんだから」

紬「じゃ、条件があるわ」

律「? な、何だよ」

紬「あなたたちの世界のことについて、教えて欲しいの」

律「……………べ、別にいいけどさ」

紬「交渉成立ね。じゃ、こっちの部室に来てくれる?」


また目にする、こっちの部室。作りは私たちの世界の部室と全く同じなのだが、細部は完全に違う。
私のドラムはあんなに立派じゃないし、落書きで一杯のホワイトボードもない。
5人掛けの机の上には、ティーセットが置いてあって。
ご丁寧にカップが二つ置いてあるのは、私の分とムギの分ってことだろう。
極めつけには、ケーキまである。ここ本当に、軽音楽部の部室なのか。

紬「お茶をどうぞ」

律「あ、ありがと……」

紬「ショートケーキとモンブラン、どっちがいいかしら?」

律「じゃあ、ショートケーキでお願いします」

紬「どうぞ」

律「どうも(……あ、お茶美味しい…)」

紬「美味しい?」

律「うん、何か落ち着いた……」

紬「良かった。何かりっちゃん、焦ってるみたいだったから」

律「………緊張が、スッと抜けてくような、そんな感じ」

紬「りっちゃん達の部室にも、お茶は常備しといたほうがいいわよ」

律「帰ったら、澪と相談してみるよ」

紬「ケーキも召し上がれ」

律「はい、では遠慮なく……って、ちょっとちょっと、ムギさんムギさん」

紬「ムギって呼んでよ」

律「……ムギ。情報交換をするって言ってなかったっけ?」

紬「そうだったかしら?」

律(やっぱりやり辛い……)

紬「そう焦らなくても大丈夫よ。今日はこっちの他の軽音部メンバーは、旅行に行ってて居ないから」

律「へ? そ、そうなん?」

紬「そう。だから、他の軽音部メンバーに見つかる心配は、ないのよ」

律「……そっか、それは良かった。一つ、心配ごとが減ったよ」

紬「そして、あなたたちの世界の人間は、あなたと梓ちゃんがこっちに居る」

律「……やっぱり梓はこっちに居るんだ。で、何でムギがそれを知ってるの?」

紬「私が梓ちゃんをかくまってるからよ」

律「…………もう一杯お茶貰っていいか?」

紬「ええ、どうぞ」

律「………………今、かくまってるって言った?」

紬「えぇ、ここ2,3週間、ずっとかくまってるわ」

律「……それは、『私たちの世界の梓を』ってことだよな?」

紬「そう。『あなたたちの世界の梓ちゃん』よ」

律「……これまた難儀な話になって参りましたね…」

紬「りっちゃんごめんね、混乱させてるみたいで」

律「……いや、大丈夫。こういうの慣れっこだから」

伊達に3ヶ月前の事件を切り抜けた訳ではない。
でも、やはり混乱しているものは混乱しているのだが。

律「……聞かせてくれる? 詳細を」

紬「わかったわ。少し長くなるけれど」

そしてムギは、粛々と語り始めた。


・・・・・・・・・

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