律「おーい、憂ちゃん」

憂「……あ、律さん、おはようございます」

律「どうよ、調子は?」

憂「………いつも通りって感じです。でも、全然大丈夫ですよ!」

律「……うん、そっか」

いつも通りの、力のない笑顔。張り付いたような笑顔。
私はもうここ数ヶ月、憂ちゃんの満面の笑みを見ていない。

律「……憂ちゃんは偉いよな」

憂「いや、本当に大丈夫なんです! 律さん、いつも有難うございます!
あ、今日も部活頑張りましょう! それじゃ、また放課後に!!」

律「お、おぉ……」

憂ちゃんは、1年生の教室の方向へ走って行った。
随分と汚れた彼女の上靴。私のと比べれば、随分と灰色がかっている。
その後ろ姿を見ながら、今日も一日が始まることを嫌でも実感する。



放課後

律(今日は私が一番最初って訳か……珍しいな)

いつもは澪や憂ちゃんが先に来ているのだが……

澪「おっす、律」

律「おぉ、澪。あたしより遅いなんて、珍しいじゃん」

澪「いや、ちょっと追試が……な」

律「あぁ、そっか。澪ちゃん、勤勉だけど要領悪いもんな~」

澪「う、うっさい! 仕方ないだろ、私は全力尽くしてるんだから!」

律「ははは、冗談冗談。じゃ、梓と憂ちゃんが来るまでダラダラすっか」

澪「……あのさ、律」

律「ん?」

澪「練習より前に、私たち、するべきことがあるんじゃないか?」

律「……………」

澪「わかってるんだろ?」

律「……でも、どうしようもないじゃん、あれは」

澪「でも! どうにかしないと、このままじゃ憂ちゃんが唯と同じ道を辿ることに」

律「じゃ、あれか? 私たちが身代わりにでもなるか? 1年生の教室まで行って?
いちいち現場取り押さえて、憂ちゃんをいじめてる1年坊をしばくか?」

澪「そ、それは……」

律「無理だろ、そんなの。今私たちに出来ることは、軽音部っていう居場所を提供してやることくらいだ」

澪「……………」

律「まぁ、納得いかないのもわかるけどさ。けど、憂ちゃんだって憂ちゃんなりのプライドがあるだろ。
憂ちゃんが助けを求めてきたら、あたしたちが手を差し伸べれば良い。
けど、その前にしゃしゃり出てくのは、憂ちゃんのなけなしの自尊心が、傷ついちまうだろ」

澪「……ごめん」

律「謝んなよ。あたしだって、何かしてやりたいって気持ちは十二分にあるからさ」




――
―――

律「おっす、梓」

唯「あずにゃーん、ちゃおー」

梓「あ、り、律先輩、唯先輩! お、おはようございます!」

唯「? あずにゃん、もう3時だってことは、私だってわかるよ~」

梓「!? す、すみません、こんにちは!」

律「どうしたんだー、梓ー? 何か顔微妙に赤いし。何かあったのか?」

梓「べ、別に何もありませんよ! さぁ、練習練習!」

唯「あれ? あずにゃんの鞄の上に置いてあるの、何?」

律「お、まさか、私たちへのバレンタインチョコ? 照れるねぇ、良い後輩だねぇ?」

梓「………ま、まぁそうですけど」

律「ほぅ~、あたしたちにチョコをあげるということだけでも、こんなに照れてしまう中野梓さん、もしかして梓ってレz……」

梓「そ、そんな訳ないじゃないですか! ただ、何となく緊張しちゃっただけです!」

唯「あずにゃん、か~わい~!」

梓「だ、だきつかないでください!!」


―――
――



律(最近またあの夢を見るようになってしまった……)

律(相変わらずあっちの世界は幸せそうだな……羨ましいぜ)

律(こっちは問題が山積してるっつうのに…)

律(………まぁ、前よりはマシなのかな…)

律(……もっとひどくなってるかも知れない…)

律(でも、澪に言って余計な迷惑かけたくないし……)

律(………どうしたもんか)



放課後

梓「律先輩、おはようございます」

律「お、梓、おはよ」

梓「……珍しいですね、律先輩が率先して練習してるなんて」

律「………ドラム叩いてる時は、余計なこと考えずに済むからな」

梓「ま、そうですね……私も練習しよっかな」

律「そういや、梓」

梓「何ですか」

律「この頃外バンの方はどうなってんの?」

梓「な、何でそんなこと聞くんですか?」

律「だって、お前外バンの練習があるから、週2・3日しか出てこれないって言ってたじゃん。でも、最近毎日部室来てるだろ」

梓「……それは、色々こっちにも事情があるんです」

律「そっか。なら良いんだけど。お前が練習出てきてくれるのは、嬉しいんだけどさ」

律「無理すんなよ」

梓「……………心配しないで下さい。全て、順調ですから」

律(この子、嘘つけない子だよな)


律「じゃ、今日はここら辺でやめにすっか」

澪「律、最近どんどん上手くなってるんじゃないか? 全然ドラム走ってないし」

律「あー、まぁ、それ相応に練習してるからな」

憂「そうですね! 私ももっと練習しないと、置いてかれちゃうかも」

律「どの口がそんなことおっしゃる、ギター始めたの3ヶ月前なのに、もう人前に出しても恥ずかしくないレベルまで上手くなってんじゃん」

梓「へー、憂がギター始めたのって、3ヶ月前なんですか? てっきり中学からやってるものかと……」

憂「へへへ、実はお姉ちゃんが練習してたの、ずっと聞いてたから」

律「え? そうだったの?」

憂「はい! お姉ちゃん、高校始まってすぐにジャズ研に入ったんです。それで、いつも部屋でギター弾いてたんですよ」

澪「そうだったんだ……でも、聞いてただけでそこまで上手くなるとは…」

憂「ギターの教則本とかも読んで、色々研究したしね!」

憂「あれ?」

梓「ん、どうしたの?」

憂「……いや、何でもない………ん、ちょっと忘れ物したから、先帰ってて!」

梓「?」

澪「ちょっと憂ちゃん! もしかして、また」

律「おーっし。澪、梓、帰るぞー」

澪「な、ちょっと律! でも!」

梓「…………」

律「憂、また明日な~」

憂「……はい、皆さん、さようなら!」

梓「……じゃね」

澪「……………」



澪「何でほっとくんだよ、律! あれ絶対、いつもみたいに外靴隠されてるじゃないか!」

律「……お前、逆にあたしたちが声かけたら、憂ちゃんはどう思う?」

梓「…………」

律「憂ちゃんには憂ちゃんのプライドってものがあるんじゃないか? 子供は親にいじめられてることを報告したがらないだろ」

律「それに、あたしたちがあそこで騒ぎ立てたところで、憂ちゃんはあたしたちに負い目を感じるだけだろ」

律「同情されるのが、一番惨めなんだよ」

澪「……でも、私は、少しくらい手を差し伸べてあげても良いと思うけど、なぁ、梓?」

梓「…………ごめんなさい、わからないです。律先輩の言ってることも、澪先輩の主張も、正しいと思います」

澪「……んー」

律「…………ま、あたしたちに出来る最善のことは、毎日部活やって、憂ちゃんの居場所を作ってやることじゃないか」

梓「……そう…ですね」

澪「…………そうなのかな…」




――
―――

律「おーい、あずさー」

梓「……り、りつせんぱい」

律「練習後に会うなんて、珍しいなー。何してんの?」

梓「わ、わたしは、普通に帰る途中です!」

律「? でも、お前の帰り道って、唯と同じ方向じゃなかったっけ? 私とは正反対の方向のはず」

梓「唐突にアイスが食べたくなって、目に付いたコンビニに飛び込んだら、そこから帰り方がよくわからなくなったんです!」

律(………何か、おかしいな……挙動がいつもと全然違う)

梓「それでは、失礼します!」

律「あ、ちょ、ちょっと、梓」

律(……なんだ、あいつ)

―――
――



律(……梓って、可愛いよな……、どっちの世界でも)

律(……まぁ、顔が同じだから、当たり前なんだけど)

律(それにしても、いつもの夢と、少し違ったな)

律(……今までの夢とは、関係ない夢なのかね。純粋な、ただの夢)

律(考えても、詮ないけど)

律(……行くか、学校)



律「うっす」

澪「……よ」

梓「こんにちは」

律「あれ? 憂ちゃんは今日休み?」

梓「憂なら……お姉さんの面会に行きました」

律「あ、そっか! そういや今日水曜だもんな」

澪「……裁判、来月だったっけ」

律「確か、そうだったはず」

梓「…………こればっかりは、どうも出来ませんね」

澪「なぁ律! もっと私たちが、積極的に憂ちゃんをサポートしてくべきだよ!
これから裁判も始まって、憂のお姉さんの事件がまたマスコミに取り上げられる! 
そしたら、報道陣だって憂の家に押し掛けるはずだ。
憂に対するいじめだって、まだ続いてる! 恐らくこれからも続くよ!
なら、こっちから憂ちゃんの話を聞いてあげるべきじゃないのか?」


律「………………正直、あたしにもわからん」

律「この話は、やめにしようぜ」

澪「なんで、でも、憂ちゃんが居ない今の内に話しといた方が!」

律「………………個人個人が、したいようにする。それで良いんじゃないか? 
あたしたちで意思統一図らなくても、別にいいだろ。
あたしはあたしのしたいようにする。それは澪も然り、梓も然り。
それで良いんじゃないか?」

澪「………でも、部活のみんなでケアしてあげた方が、」

律「うるさい」

澪「! …………」

梓「さ、練習しましょ、練習! 話しててもキリがないですから、ほら!」

律「……そだな、練習しようぜ、澪」

澪「………………」


律(……やべー、最近雰囲気悪いな)

律(憂ちゃんが居たら、澪が過剰に憂ちゃんを気遣っちまうし)

律(梓は周囲の空気読むので必死だし)

律(梓自身も、外バンあんまし上手くいってないみたいだしな)

律(……………ここは、部長として、どうにかするべきなんだろうが)

律(……自分の身に置き換えると、憂ちゃんには余計な干渉はしないのが吉だと思える)

律(私自身、ひとりぼっちだった時、同情されることが一番むかついたからな)

律(でも、それはあくまでも私の話だし……)

律(………全然わかんね)

律(……田井中律さん、あんたなら、こんな時どうするよ…)




――
―――

律「おい、梓」

梓「何ですか、先輩」

律「お前、あたしに何か隠してないか?」

梓「かくしてないか、と言いますと?」

律「ほら、昨日! お前あたしと会ったとき、すっげぇ挙動不審だったろ」

梓「きのうあったとき? 部活のことですか?」

律「違う違う! 昨日、部活終わって家帰る時に、お前あたしと会ったろ! 私と帰る方向全く違うのにも関わらず!」

梓「………え?」

律「え? じゃないよ! もー中野さんったら、先輩に嘘ついちゃいけまちぇんよ?」

梓「いえ、律先輩のおっしゃる通り、私と先輩の家は逆方向ですから、会える訳がないじゃないですか」

律「へ? お、お前だってコンビニがどうとか」

梓「? それに、私は昨日唯先輩と帰りましたから、唯先輩に聞いて頂ければわかるはずですけど」

律「……マジで?」

唯「何話してるの、あずにゃん、りっちゃん」

梓「律先輩が、私と昨日帰り道で会ったって言うものですから」

唯「うーん……それはないと思うなー。だって、あずにゃんはわたしと帰ったし」

律「?? ん……そうなのか…でも、あたしは確かに会ったんだよな、昨日の帰りに……」

唯「りっちゃん、きっと疲れてるんだよ! いろんなことに!」

律「色んなことって何だよ……もう学祭も3ヶ月前だぞ。練習もいつも通り適当な感じだし……疲れる要因なんて、ありゃしないよ」

梓「適当な感じじゃ駄目なんです! さぁ、練習しましょう!!」

唯「えー、ケーキは~?」

梓「駄目ですよ! 澪先輩と紬先輩、今日掃除当番やら日直やらで遅いらしいじゃないですか! 私たちだけでも、早めに練習しましょう!!」

唯「あずにゃんきびしいー」

梓「これが普通です!」

律「………………」


―――
――


律(……わからん、よくわからん)

律(………引っかかるっちゃ、引っかかるけど)

律(……いいや、こっちには考えることが沢山あるし)

律(……………学校行こ)



憂「律さん」

律「………お、憂ちゃん。おはよ」

憂「律さん、もしかして、私、軽音部に御迷惑かけてます?」

律「え? い、いや、全然そんなことないよ、マジで」

憂「…………いや、何か気を遣わせてたら嫌だな、と思って」

律「余計なこと考えんなって。むしろ昨日は憂ちゃん居なかったから、大変だったんだぜ
澪のベースもあたしのドラムも下手だし、梓はまぁまぁだけど、憂ちゃんには及ばないからな
今日は来てくれよ、憂ちゃん」

憂「……は、はい! わかりました」

律「あと、憂ちゃん」

憂「?」

律「もし何かあったら、力になるから」

憂「…………」

憂「………ありがとう、ございます」

律「んじゃ、また放課後に」


律(おっし、4限終了した! この昼飯時だけが楽しみで、毎日生きてるようなもんだからな!)

澪「り、律」

律「うぉ! びっくりした! なんだ澪か……どした? 何か用か?」

澪「お、お昼御飯、一緒に食べない?」

律「へ? だって澪、お前文芸部の連中と一緒に食べてたんじゃなかったっけ?」

澪「……ちょっと、色々あって」

律「……………じゃ、部室でも行くか」

澪「……うん」


律「そういや、あたし誰かと一緒に昼飯食べたのとか、中学の時以来かも知れない」

澪「え、いつも教室で一人で食べてるの?」

律「そうだけど?」

澪「…………そうなのか」

律「何ですかその憐れみの目は! 人間慣れれば何だって可能になるんですよ!
むしろ今あたしが澪と食べてるってことの方に違和感感じるわ!」

澪「中学までは、一緒に食べてたのに」

律「あーら、あたしから離れてったのは、澪ちゃんじゃありませんこと?」

澪「………ごめん」

律「いや、いいから! 湿っぽくならなくて! んで、どしたのよ、わざわざあたし誘うってことは、何かあったんだろ?」

澪「……うん、ありがと」

澪「最近、妙な夢を見るようになって」

律「…………ついに澪も見るようになってしまったか」

澪「……多分、4ヶ月くらい前に律が言ってたのと同じ感じの夢」

律「幸せそうなあたしたちが、軽音部で幸せそうにしてる夢だろ?」

澪「うん……メンバーは、私と律と梓、あとは憂ちゃんみたいな人と、どこかで見覚えある人が居る。憂ちゃんは居ない」

律「憂ちゃんみたいな人は、憂のお姉さんの唯で、残りの1人は、学祭延期の原因となった、琴吹さん」

澪「!? 琴吹さんって、あの琴吹さん? そう言えば、どこかで見たことあると思ったら……」

律「まぁ、学校全体の葬儀もやったし、新聞にもばんばん出てたからな」

澪「………でも、憂のお姉さんと琴吹さんって」

律「はいはーい、そこらへんで終わりにしとこうね、澪ちゃん。
夢はあくまでも夢だから」

澪「でも、一時期、律あれが本当のことだー、とか騒いでたじゃん。
私も、あの夢は他の夢と何か違う気がするんだ」

律「……いや、夢は夢だろ」

澪「夢から覚めてもはっきりと覚えてるし、細部がやけにリアルなんだ」

律「そ、そんなことより澪、文芸部の奴らは大丈夫なん? 一緒に飯食ってたんだろ?」

澪「文芸部? あぁ……辞めた」

律「やめた? お前、掛け持ちしてるって言ってたじゃん!」

澪「軽音部入ってから、居づらくなって……」

律「そうなのか……知らなかった」

澪「……まぁ、私が言ってなかったからな。言うの恥ずかしかったし」

律「……………何か、ごめんな」

澪「……いや、律が謝ることないよ。軽音部に入ったのは、私の選択だし」

律「………………」

澪「……帰るか、教室」

律「…………あぁ」



澪まであの夢を見始めた。
ということは、梓や憂ちゃんも見てると考えるのが自然なのかな?
でも、憂ちゃんは夢の中には出てこない……いや、あっちの世界で会ったっけか。
梓と憂ちゃんが夢を見ている可能性も、大いに有り得る。
でも一体、あの夢を見る条件ってのは一体何なんだ?
私は、あっちの世界から帰ってきてから、少しの間あの夢を見なかったけれど、暫くしてまた見るようになった。

……ということは、澪や梓、憂ちゃんがあっちの世界に行きたくなる可能性もある、という訳で。
また唯の二の舞踏ませない為にも、しっかり対策しないとな。
何故私が対策しなけりゃならないかは、分からないけどさ。
4ヶ月前からの一連の流れで、気を配らなくても良いところまで配ってるな、私。
もう少し、気を楽に持つことにしよう。
そうじゃないと、また変な気を起こすことになる。


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