梓「唯先輩ッ!!」

唯「あ、あずにゃ……!」

澪「チッ」

梓「澪先輩……唯先輩に何してるんですか?」

澪「別に?」

梓「じゃあ唯先輩から離れてください」

澪「嫌だって言ったら?」

梓「力ずくで退かします」

夕暮れ時の部室での出来事。
梓が勢いよく部室の扉を開けると、ソファに押し倒されている唯と上気した澪の姿があった。
おまけに唯の制服は開けてしまっている。
梓の口振りからするとこのような状況になっていると気付いていたようだ。
唯から離れるつもりもなく梓を小馬鹿にした口調で返答する澪が余裕の笑みで梓を見やる。
言葉が通じないと思った梓はおもむろに姿勢を低くして、次の瞬間澪へ向かって駆けた。

梓「このっ!」

上体を起こした澪に梓の体当たりが決まる。
澪は後方に吹っ飛び派手な音を立てて机に埋もれた。
梓が口角を上げる。

梓「油断するからですよ」

唯は顔全体を使って思いっきり、澪はやや目を見開いて驚いている。

唯「あ、あ、あずにゃん何してるのっ!? 澪ちゃん大丈夫!?」

梓「澪先輩には大して効いてませんよ」

唯「へっ?」

澪「でも驚いたな。思ったよりずっと早い」

澪は埃を払いながら立ち上がる。
痛そうな素振りは微塵も見せていない。

澪「腐ってもゴキブリってことか」

ニヤニヤと笑いながら梓を見つめる。

梓「……この蜘蛛女……唯先輩の前で何言ってるんですか」

梓の眉間にシワが寄り、ツインテールが少し跳ねた。
怒気をはらんだ言葉をぶつけても尚、澪は余裕の表情だ。

澪「そうかそのおさげ……触角か。なるほどな、道理でその姿でも速いわけだ」

唯「あ、え? 二人とも……?」

唯は二人の会話について行けずただオロオロとしている。

澪「あーあ、せっかく美味しく戴こうと思ってたのに。梓の所為で台無しだ」

澪「せっかく唯と仲良くなったのに……」

梓「食べるためでしょ?」

澪「食べる……ね。ある意味そうだけどさ、どうせなら人間らしく食べようと思ってさ」

梓「最悪です。この変態」

澪「私の”食べる”は梓みたいなのを捕食することを言うのが正しいよな」

梓「いつもは恥ずかしがりで怖がりなくせに今日はやけに自信満々ですね」

澪「当然だろ? 捕食対象にビビる奴がどこにいるんだよ」

梓「今の澪先輩で私に敵うと思ってるんですか?」

澪「ゴキブリのくせに私に向かってくるなんて馬鹿だな、梓は」

梓「そうですか、わかりました……死にたいんですね」

梓が怒りで震えている。

澪「やってみろよ」

唯「ちょっと……二人とも何言ってるの? やめなよ……」

梓「……」

澪「……」

二人に唯の声は届いていない。
双方とも姿勢を低くして睨み合っている。

梓「死んでも知りませんからね!!」

梓が再び澪に向かって飛び掛かり右腕を振り下ろす。
澪はそれを両腕で受け止めた。

澪「ぐっ……!」

梓「らあっ!」

着地した梓は左足で澪の脇腹を蹴り抜いた。

澪「ごはっ……!」

吹っ飛ばされて物置の扉に激突する。

澪「あ……うぐ……」

梓「まだ許しませんよ……?」

唯「や、やめてえええっ!!」

梓が澪に詰め寄ろうとした時、唯の叫び声に引き止められた。

梓「唯先輩……」

唯「な、何やってるのあずにゃん……こんなの……怪我じゃすまないよ!?」

梓「唯先輩は澪先輩にされていた事を忘れたんですか?」

唯「だからってこんな……」

梓「大丈夫ですよ、怪我なんてすぐ治っちゃうんですか――!?」

唯「あずにゃん?」

梓「しまっ──!」

いつの間にか梓の両足に白い繊維状の物がへばり付いていた。
それを取り払おうとしたが間に合わない。
澪の一撃をまともに受け、運悪く窓に激突して校舎から放り出されてしまった。

梓「がはっ!」

澪「のんびり喋ってるからだぞ」

唯「み、澪ちゃん!?」



校庭に落下する梓は苦虫をすり潰したような顔でブレザーのボタンを乱暴に開けさせた。

唯「いやあっ!? あずにゃん!!」

澪「唯、梓を見てろよ」

唯「えっ……?」

梓「くそおおおおっ!!」

梓が澪への怒りを叫ぶ。
そして……

バチ
バチバチ

背中、ブレザーの下から黒い羽を生やし、ばたつかせて難無く校庭に着地した。

唯「え……何がどうなってるの?」

澪「見ただろ? ゴキブリが羽で飛んだんだよ」

唯「ゴキ……ブリ?」

梓「う……」

見せてしまった。
梓は唯を直視できない。
唯がどんな顔をしているのかが怖かった。

澪「……さてと。梓ー、戻ってこないのかー?」

梓「くうぅぅ……!」

怒りと恐れが渦巻く。
澪先輩を殺してやる。
唯先輩に拒絶されるのが怖い。

澪「階段でゆっくり戻ってきてもいいけどその頃には食べ終わってるかもな」

その一言で梓は覚悟を決めて部室へと飛び立った。

澪「お帰り、ごきぶり」

梓「……」

気に食わない。
梓は澪を潰すことだけを考え始める。

澪「おいおい、唯がいる前でそんな格好して……私を殺したらHTTのみんなが梓のことをどう思うか」

梓「うるさい黙れ」

梓が澪に一瞬で詰め寄り澪を床に押さえつけた。

澪「ぐっ……」

梓「……」

澪「いいのか? 唯の前でこんな……」

梓「死ね」

梓は躊躇せずに右拳を顔面に叩き付ける。
澪は首を捻ってそれをかわしたが梓の本気を感じ取ると今までの態度を改めた。

澪「く……もう形振り構わないってことか。仕方ない……唯に見せるのは嫌だけど」

澪の下半身が膨らみ、スカートから毒々しい色をした足と胴体が現れた。
その反動で梓が振り落とされる。

梓「っ!」

そこに居るのは肥大した下半身から足が六本(手を含めれば八本)生えている蜘蛛だった。
半分人間で半分蜘蛛。
梓と同じような人であり虫だった。

澪「はあ……梓も馬鹿だな、そんな本気になるなんて。……死ぬぞ」

梓「うるさいです」

その様子を見た唯は言葉が出なかった。
しかし言葉を出さなければ大変なことが起きてしまうと思い必死に声を搾り出す。

唯「二人ともやめて……ねえ」

梓「私の生活を台無しにしてくれましたね」

澪「それはこっちの台詞。あーあ、せっかく人間らしく狩をしようと思ったのに」

梓「あれはただ言い寄って押し倒しただけでしょ? 普段の食事と変わらないんじゃない?」

澪「……。この姿を見られたらどの道お仕舞いだな。私も梓も」

梓「……」

梓が恐る恐る唯の顔を見る。
案の定恐怖で顔が引きつっていた。

梓「せめて澪先輩はここで死んでもうことにします」

澪「ははっ、ゴキブリが私に勝てるわけないだろ」

唯「二人ともやめてってばあっ!!」

唯が二人の間に割り込んだ。
これには梓も澪も驚く。

唯「なんだかよくわからないけどもうやめてよ! 私たち大切な仲間でしょ!?」

梓「唯先輩……」

梓は驚いた。
自分のこんな姿を見てもまだ仲間と言ってくれる。
そしてやはり唯先輩は唯先輩なのだと思った。

梓「ふふ」

澪「ははは……」

唯「へ?」

梓「唯先輩は……馬鹿ですね」

澪「そうだな」

唯「な、なんでっ?」

梓「普通こんな姿を見たら絶交ものですよ」

澪「だよなあ」

唯「え、えへへ……」

空気が和んだ。
これで仲直りしてくれればいい。
仲直りできてから色々聞こう。
唯はそう思った。だが。

梓「でも、まずはそこのビビり先輩に痛い目に遭って貰います」

澪「そうだな、いい機会だ。エサだってことを解らせてやる」

唯「あ、あれ……?」

二人はやり合わなければ気が済まないらしい。

梓「もう遠慮することがなくなりました。思いっきりやれます」

澪「それはこっちも同じだ」

唯「ね、ねえってば……」

梓「はっ!」

梓が飛び上がり半回転して天井に足をつける。
そのまま天井を蹴って澪に一撃を見舞う。

梓の一撃は床に着弾した。

梓「えっ!?」

澪「どうした? そんな遅い攻撃が私に当たるわけないだろ」

元居た場所から5メートル離れていた澪がおちょくる。

澪「ゴキブリを捕食するんだから私の方が早いのは当然だよな?」

梓「ちっ……まだまだこれからです」

唯「……」

今の攻撃で腰を抜かした唯に梓が話し掛ける。

梓「そうだ唯先輩。これが終わったらセッションしましょう」

唯「……え、え?」

梓「そこでお願いがあるんですけど、私の教室からギターを取ってきてもらえませんか?」

梓「唯先輩がそれを取ってくる頃には終わってますから」

唯「でも……!」

澪「それがいいよ」

澪が賛同する。
唯が居ない方が思いっきり動けると考えてのことだった。

梓「というわけでお願いします」

唯「それはいいけど二人はケンカしちゃ……」

梓「大丈夫ですから」

唯「……わかった」

今の二人には何を言っても通じないと判断したのか、唯は大人しく梓の言う事に従った。
走って部室を出て行く。
それを見届けた後、再び両者が牙を剥く。

澪「ふっ!!」

梓との距離を一瞬で縮めて梓を殴りつける。
あまりの速さに梓は避けきれない。

梓「ふぐっ……きゃあ!?」

澪「鈍間」

間髪居れずに足で梓を蹴り上げる。
宙に浮いた梓を左手で掴んで先程壊れた窓へと投げ捨てた。

梓「くそっ……!」

梓は校庭へ着地。
澪は蜘蛛の足を使って壁を伝い降りてきた。

梓の羽がバチバチと音を立て始めた。

澪「何だよ、飛んで逃げるのか?」

梓「……」

澪の挑発を無視して飛び立つ。
梓は空中から攻撃するつもりだ。

梓「うあああっ!!」

澪に仕掛ける。
空中からの攻撃は飛べない澪にとって厄介だった。

澪「くっ!」

梓「ざまぁです!」

飛行速度なら澪の速さにも引けを取らない。
梓が一気に畳み掛ける。

梓「はあっ!」

澪「ぐあっ」

梓の蹴りが澪の身体を吹っ飛ばした。

梓「油断してるからそういうことになるんですよ」

澪「ふうん……油断してるのはそっちだろ」

梓「え……あっ!」

澪から伸びる白く太い糸が梓の右の羽に付着していた。

梓「やばっ……!」

澪「油断するなよ梓ぁ!!」

澪が糸を一気に巻き取る。
梓は澪に吸い寄せられる。

梓「うっあっ……!」

澪「……らああああっ!!」

引き寄せた梓を力の限りの左ストレートで迎撃した。
梓が呻き声を上げて元居た場所へ帰っていき、そこから転がりながら校庭の外れまで吹っ飛ばされた。

梓「っ……ぁ……」

びくびくと小さな身体が震えている。
梓は相当のダメージを負ったようだ。

澪「忘れ物だぞ」

そう言ってもげてしまった黒い羽をその辺に捨てた。

澪「これで飛べなくなっちゃったなぁ?」


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