3月1日。
私は桜ヶ丘高校を卒業した。

同じ大学に進学する私たち4人はそれぞれ実家を出ることとなった。
唯とムギは一人暮らし、律と私はルームシェアで。
律とルームシェアすることに関しては随分と梓にヤキモチをやかれた。

梓「ずるい…。私だって澪先輩と一緒に暮らしたいのに」

澪「梓が高校卒業したら一緒のとこに住もう、な?」

梓「むぅ…」

いささか不満が残るようだった。

アルバイトに関してはすんなり決まった。
以前みんなでやったムギの父親の経営している系列の喫茶店に雇ってもらったからだ。
律はそれに加えて居酒屋のバイトを掛け持ちするらしい。
なんでも車の免許が欲しいんだとか。危ないから取らなくていいのに…。
ともあれ、新しい生活に向けての準備が着々と行われていた。

梓との交際は順調だった。
お互いの家で遊んだり、時折学校まで迎えに行ったりもしてた。





3月14日。ホワイトデー。
この日は軽音部のみんなで遊んだ。
学校が終わった梓を4人で迎え、いつものファミレスでご飯を食べる。
そして、各自梓にホワイトデーのお返しをした。

唯「はい、あずにゃんホワイトデーだよ!」

梓「ありがとうございます」

唯は何やら豪華な袋に包まれたクッキーをあげた。

梓「す、すごい…!これ、唯先輩が作ったんですか?」

唯「うん!憂に少し手伝ってもらったけど!」

おそらく8割は憂ちゃんの力だろう。
まぁ、唯らしいと言えば唯らしいか。

紬「はい、梓ちゃん」

ムギは何やらバッグをプレゼントした。
言わずもがな高級そうなものだ。

梓「こ、こんな高価なものいただけませんよっ!たかがバレンタインデーのお返しなんかに…」

紬「いいのよ。あげられなかった分もあるから」

梓「す…すいません、なんか」

かといってせっかくのお返しなので断るわけにもいかず、梓は受け取った。
随分と恐縮していた。それもそうだろうなぁ…。

律「ほれ、梓。手ぇ出しんしゃい」

梓「…?」すっ

律は袋を梓に渡した。
中には小さくて白い何かがいくつも入ってる。

律「マシュマロだ。これで背と胸を大きくするんだな」

梓「むかっ。余計なお世話です!」

律「そして聞いて驚け。そのマシュマロは私の作ったオリジナルマシュマロだ」

梓「えっ?す、すごい…!」

私も気づかなかったがこのマシュマロは律の手作りらしい。
本当器用なやつだな…。

律「あ、一個だけわさび入れてあるから気をつけてなー」

梓「」

こういうところも相変わらずだ。
無駄に手が込んでいる。

澪「梓、はい」

私は梓に小さな包みを渡した。

梓「これ、なんですか?」

澪「ひ、秘密だ!」

唯「いちごのタルトだよあずにゃん」

澪「ば、馬鹿唯!何で言うんだ!」

唯「えー?だってその方がいいじゃん♪」

澪「うぅ…」

恥ずかしいからあとでこっそり見てほしかったのに…。

梓「じゃあ失礼して…」

澪「えっ、開けるの?!」

梓は包みを開けた。
不格好に飾られたタルトが顔を出した。

唯「おぉ」

紬「あら」

梓「うわぁ、おいしそう…」

律「気をつけろー梓。澪の作るお菓子はとんでもなく甘いからな」

澪「よ、余計なお世話だ!」

梓「これ、食べていいですか?」

澪「い、今食べるのか…?」

梓「はい。すごくおいしそうですので」

律「私らの作ったものはおいしそうじゃないんだとさ」

唯「まぁ、失礼しちゃうわね!」

梓「そ、そういう意味じゃありませんよ!」

何もみんながいる前で食べなくても…。
なんてことを思いつつもタルトを口に運ぶ梓を見守る。

梓「いただきます」ぱくっ

梓「………」

澪「ど、どうだ…?」

梓「…おいしい」

梓の顔がほころんだ。

唯「むぅ~…。あずにゃんだけずるい!私にもちょうだい!」

梓「だ、ダメですよ!私がもらったんですから」

律「スキあり!」ひょいぱく

梓「あっ、律先輩!!」

律「ん~!うめーなー。相変わらずあまあまだけど」

唯「あっ、りっちゃんずるい!」

律「へっへ~ん!」

澪「何つまみ食いしてるんだ馬鹿律!」がつん

律「んがっ!」

てんやわんやだった。
結局唯がだだをこねたので、みんなでタルトを食べることにした。
梓のむなしそうな顔がやたら印象的だった。

 ・・
   ・・
     ・・

律「そんじゃなー!」

紬「またね」

唯「ばいばーい」

梓「今日はありがとうございました。失礼します」

夜も更けてきたので解散した。
どたばたしたけど、私たちらしい時間を過ごしたと思う。
もうこんな風にみんなが集まる機会が減るのだと考えると、少し寂しい。



【澪の家】

澪「…さて」

まだ私の一日は終わっていない。
私はそわそわしていた。

ピンポーン

澪「来た」

プツッ

澪「はい」

梓『中野です』

梓が私の家に泊まりに来るのだ。
そう、今日はホワイトデーであると同時に梓と付き合って1ヶ月の記念の日。

ガチャ

澪「いらっしゃい。あがって」

梓「お、お邪魔します…」

澪「そんなかしこまらなくて大丈夫だよ。ママ…じゃなくて、両親は出かけていないから」

梓「…へへ」



【澪の部屋】

梓「今日はありがとね。タルト、すごくおいしかった」

澪「ごめんな、甘ったるくて…」

梓「ううん、私甘いの好きだし。他の先輩にとられたのはちょっと悔しいけど…」

澪「また今度作るからさ」

梓「ほんとっ?!」

澪「あぁ、本当だ」

澪「あ、そうだ」

梓「?」

澪「梓、1ヶ月おめでとう」

梓「…うんっ!」

澪「なんか、あっという間だったな」

梓「そう?私はまだ1ヶ月なのって感じがするけど」

梓の言うことも一理あった。
あっという間に過ぎた気もするけど、まだ1ヶ月なのかと思う部分もある。
何にせよ、充実した時を過ごしたことには変わりがないのだけれど。

澪「なぁ、梓」

梓「なに?」

澪「実はな、私からプレゼントがあるんだ」

梓「えっ、本当?!」

澪「じゃあ、ちょっと目をつむってくれるか?」

梓「うんっ!」

梓は期待に胸をふくらましながら目を閉じた。
私はこの瞬間を心待ちにしていた。
あの時の仕返しをする絶好のチャンスだからだ。

梓「先輩、まだぁー?」

まだかまだかといった様子が伝わってくる。
このプレゼントは私も初めてだ。緊張する。
でも、その後の梓の顔が見たいと思う気持ちが私を後押ししてくれた。
私は身を乗り出し、そして…。


ちゅっ


梓に、キスをした。


梓「……?」

梓は目を見開ききょとんとしている。
まるで自分が今何をされたのかわかっていないかのよう。
唇を2、3度触る。すると…

梓「…!!!」ぼんっ

梓の顔が途端に沸騰した。
人の顔ってこんなに赤くなるものなのか…。
思わず感心してしまった。

梓「せ、せせせ…先輩っ?/////」

澪「ん?どうした?」

私はとぼけたフリをした。
当然のことをしたまでだ、と言わんばかりに。

梓「…!」ばっ

梓は両手で顔を隠す。
そんなことしても真っ赤なの見え見えだぞ。
私は意地悪な口調で言った。

澪「いつかの仕返しだ♪」

梓「……!」

梓「先輩の…ばかっ」

そう、あの時の仕返し。
梓もそれに気づいたようで、とても悔しそうな表情をしていた。

梓「…ねぇ」

梓「もう一回」

梓「もう一回、して。ちゃんと」

澪「えっ?」

梓「こういうのは、ちゃんとしてほしい…」

梓「だから、もう一回」

悔しがっているのかと思ったら、梓は急にしおらしくなった。
その表情に含みは感じられなかった。
本心からの言葉であり、態度だろう。

梓「………」

梓は再び目を閉じ、あごを上げた。
さっきとは違う、キスを待つ体勢だった。

澪「梓…」

梓「んっ…」

一回目は軽く触れる程度だった。
今度は、深く、長く。
ほんのりいちごの味がした。


どれぐらい唇を重ねていたのだろう。
少し息苦しくなったところで、唇を離す。

澪「…ぷはっ」

澪「………」

梓「………」

しばしの沈黙。
決して気まずいものではなく、互いに幸せをかみしめている瞬間だった。

どちらからというわけでもなく、自然な流れで梓と抱き合った。
梓の心臓の鼓動が聞こえる。速くて、大きな鼓動だ。
それは私も同じだった。きっと梓にも聞こえているだろう。

幸せだった。
梓もそう感じているだろう。
私は残された高校生という立場を、誰よりも幸せに過ごしていた。





4月。大学生としての生活がスタートした。

中学から高校に上がるのとは訳が違った。
大勢の学生、90分の講義、棟を移動しての授業、履修登録。
今までとまったく異なる環境についていくのに精いっぱいだった。

唯「ねぇムギちゃん…。履修登録ってどうやるの…?」

紬「パソコンで自分のとりたい授業を選ぶのよ」

唯「で、でもこんなに授業がいっぱいあったらどれとっていいかわかんないよぉ…」

紬「うーん、それに関しては講義の要綱とか見ないとわからないかもね…」

律「うがぁー!さっぱりわかんね!どれが必修でどれが選択なんだ!」

澪「ここに書いてあるだろ?よく読め」

律「そもそもこれ読みづらいんだよ、もっと図とか使ってわかりやすくだな…」

唯と律は特に参っているようだ。

学部での新入生歓迎会(いわゆる新歓コンパというやつだ)にも参加した。
居酒屋を貸し切るといった規模の大きなものだった。
年齢的にまずいのではと思ったが、店的にも企画側的にもそのへんは暗黙の了解らしい。

歓迎会はそれなりに楽しかった。
うちは女子大だからまだ落ち着いているものの、共学だともっとすごいようだ。
つくづく共学に入らなくてよかったと思う。

唯と律はお酒が入るといつもの調子にさらに拍車がかかった。

律「ぐへへ、お姉さん。いい身体しとるやないですか」

唯「けしからんお胸ですなぁ…!誘ってるんですかい?!」

澪「…はぁ」

正直手もつけられない、こう言っては何だがかなり面倒だった。
一方でムギはいくら飲んでも全然といった感じだった。

紬「私、パーティーとかでこういうのは飲み慣れてるから♪」

改めて琴吹家の凄さを知った。
ムギ、同い年…だよな?



【澪と律の家】

律「これ味付け濃くないか…?」

澪「そ、そうか?」

律「いや、濃いだろ絶対!つかなんか変に甘いぞこれ、お菓子か!」

澪「そんなことないっ!」

律「いやいやいいから食べてみろって」

ぱくっ

澪「う…」

律「だろ?」

大学のことだけではない。普段の生活も大変だった。
ルームシェアとは言え、それまでやってこなかった炊事・掃除・洗濯をすべてやる必要があったからだ。
親の存在がどれだけ大きかったかを知った。

家事は週ごとの当番制にした。
片方が炊事をやり、もう片方が掃除洗濯をやる、といったものだ。
最初に私が炊事当番、律が掃除洗濯当番ということになった。
さっそく晩御飯を作ってみたものの、味付けが濃いというか、謎の甘さがあるらしい。
律には「詞も料理も甘いんだな!」とからかわれた。


翌週、律が炊事をする番。

ぱくっ

澪「お、おいしい…」

律「だろ?料理ってのは、味付けの絶妙な加減が大事なんだよ」

澪「うぅ…」

律の料理はおいしかった。
料理だけではない、掃除も洗濯も手際がよかったし、慣れていた。
普段のずぼらな感じからは想像も出来ないくらい家庭的だ。
悔しさ反面、情けなさも感じた。

アルバイトも本格的に始まった。
以前とは違う。お給料を貰い、雇われている立場。
覚えることもやらなければならないこともたくさんあった。

梓とは全然会えなかった。
家が離れてしまったというのはもちろんだが、
何より私自身に余裕がなかったのだ。

大学、家事、アルバイト。
たくさんのことに追われている。
もっとも、それは唯やムギや律も同じなのだろうけど。
でも、もしかしたらそこまで苦に感じていないのかも知れない。
3人は私と違って要領がいいから。

梓は今、何をしているのだろう。
私たちが卒業しても、しっかりやっていけているのだろうか?
寂しい思いをしてないだろうか?
会いたい。梓に会いたい。
話がしたい。あの笑顔が見たい。
夜な夜な梓を想う日々が続く。

こうして4月はあっという間に過ぎていった。


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