ヤッテヤルデスは昨日の復讐を果たすべく憎き山中さわ子めがけて跳躍していた。

堀込先生と教諭4人が戻ってこないさわ子を捜索に行ったのは15分後のことだった。

5人が渡り廊下に差しかかると、倒れたさわ子の姿があった。

「山中先生?」

「山中!」

駆け寄った堀込先生たちはまず水たまりに踏み入ったような感触を足裏に感じ、次に目にしたのは血の海に沈んださわ子だった。

壊れた眼鏡、転がった刺股。

紺色のジャージは今や赤色に染まり、飛び散った血は白塗りの壁を赤く染め、血の臭いは鼻を突いた。

ヤッテヤルデスはさわ子の頚部を食いちぎって復讐を果たしたのだった。

さわ子の抵抗は頑強だったのか、整った顔には生々しい引っかき傷、ジャージには何箇所も裂けたあとがあり

その右手には長い髪の毛が握られていた。

そして堀込先生をはじめ、呆然と立ち尽くす教諭達を古いつり下げ型非常誘導灯の上から見つめているものは他ならぬヤッテヤルデスだった。

復讐劇はさわ子殺害を皮切りに、自らを袋叩きにした堀込先生らを血の海に沈めるところからスタートした。

ヤッテヤルデスは昨日の教訓として待つことを覚えていた。

肉食動物のごとくじっと息を潜め、獲物がやって来るのを待ち続ける。

以前のように多数を相手にすることは己の死に繋がると学んだヤッテヤルデスはある程度の戦闘手段も心得え、

ひとりずつ確実に制していけば、より目的を達成が近づいてくるということも学んでいた。

その最初の標的として選ばれたのが最もヤッテヤルデスにとって最も脅威かつ強力な敵と判断されたさわ子だった。


― せいとかいしつ!


ただならぬ怒号と悲鳴に驚いた和と生徒会書記の1年生と放送局局員の2年生3人が廊下に顔を出すと、

教頭と校長が消火器やモップを片手に走って渡り廊下へ曲がっていくところが目に入った。

「何ですか?」

「わからないわ」

和は背後からの問いかけに振り向かず答えた。

後輩達は和の落ち着いた様子に安心感を覚え、再び会議机に戻っていく。

しかし当の和本人は足元から沸き上がってくる不吉な予感を感じていた。


― けいおんぶぶしつ!


高校生の年頃といえばなんとも全能感のようなものが存在している。

未来は明るい、根拠もなくそう思えたりするものである。

例え具体的な対処方法がすっぽ抜けていたとしても、今やッテヤルデスなど大した事のない敵に感じられていた。

全員でかかればどうにかなる、それが全てであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。


自分の人生が終わる訳ない、死など有り得ないという保証はどこにも存在してはいないにも関わらずだ。

とはいえ20年生きていない高校生にして誰が人生の終焉を考えられるというのであろうか。

1階西でヤッテヤルデスが教員を制圧し尽くした頃、軽音部では掃討作戦に伴なう防御装備装着の真っ最中であった。

当然と言えば当然だが、完全武装で立哨の教師に音出し練習を主張したところで全く説得力はない。

それを嫌った結果、装備はすべて部室で装着した上でヤッテヤルデスを捜索するとという方針となった。

ただ、軽音部の部室は校舎中央の3階であり、篭城戦においては高所という地の利から十分な抗甚性を持ち合わせるものの、

奇襲攻撃を受けた場合、脱出場所の無い軽音部室は攻め込まれてしまえば即座に制圧されてしまう。

残念ながら部室という慣れたスペースは油断を招き、律達は全く防御措置を取っていなかった。

無論、最初の敵を制圧したヤッテヤルデスはそこを奇襲した。


ヤッテヤルデスは手すりをジャンプ台に部室のステンドガラスを割って突入した。

砕け散るステンドガラスを見たとき、5人は全く状況を理解できなかった。

「逃げろ!」

真っ先に響いた律の声で6人はようやく一斉に逃げる態勢に入った。

しかし持ち込まれた防御装備はその役割を果すどころか狭い部室の中で散乱し、各所で障害物と化して6人の自由を奪う。

「いや!」

憂の悲鳴に近い叫び声が響き渡る。

椅子に引っかかって転んだ唯はヤッテヤルデスに手近だった澪に代わって襲撃対象として認識された。

紬はその光景を横目に捉えて転がる硬球用金属バットを拾い上げ、ヤッテヤルデスへ向かう。

「近づかないで!」

その金属バットのフルスイングは今まさに唯に飛びかからんとしていたヤッテヤルデスに命中し、

軟球ばりに思い切り打たれたヤッテヤルデスはトンちゃんの水槽を粉砕した。

「トンちゃ…」

砕け散るガラスの音で振り向いた梓が言いかけた時には、床でのた打ち回るトンちゃんを立ち上がったヤッテヤルデスが踏みつぶしていた。

紬の金属バットはヤッテヤルデスを牽制し、ヤッテヤルデスが反攻に移る前には全員が転がり出すように外へ飛び出した。

最後に飛び出した梓はドアを押して逃げたために、ヤッテヤルデスは閉まりかけたドアに衝突した。

衝突音を背後に聞きながら階段を駆け下りると、全く申し合わせなどしていなかった6人は3手に別れてしまった。

紬はそのまま1階へ駆け下り、唯と憂は2階の西側へ。澪と律、梓は東側へとそれぞれ走った。

ほとんど同時に別れた直後に上からそのまま飛び降りてきたヤッテヤルデスは左右を窺うと、

まだ廊下を曲がっていく姿を確認できた律達を追った。


― わたりろうか!

走る律、澪、梓の3人。

そしてそれを嘲笑うかのような甲高い笑い声が背後から迫って来る。

まだ階段上らしいものの、その笑い声は確実に迫ってきていた。

厳密に言えば笑い声とは限らないが、少なくとも3人はそれを笑い声以外の何かとして考えることは無理であった。

すぐに背後で何かが落下する音に続き、独特のこするような足音が響き始める。

甲高い、まるでアルミ板の角をこすり合わせるような薄気味悪い笑い声は確実に3人の精神を蝕んだ。

真正面の職員玄関は閉ざされており、律と澪、梓の3人は講堂の渡り廊下へと追い込まれる。

さらに講堂の扉は運悪く開放状態で固定されていた。


― こうどう!

広い講堂。その広さは今の3人にとっては迷惑なのかそれともチャンスなのか。

そして思い出深きステージ横にあるドアは片側、放送室側のみが開け放たれていた。

3人は横に広がって一路ドアを目指す。

「あと少しだ!」

澪が叫んだ瞬間、背後でバタンという音が響いた。

澪が音の方を振り返ると、そこには転んだ律の姿があった。

そして更に真後ろを振り返った澪は、まるで合成か何かのように白い能面じみたヤッテヤルデスが

暗い渡り廊下に浮かび上がって迫って来る所を目にした。

「律!」

澪は叫びながら最後の数メートルを一気に走り抜けて、走り幅跳びのように放送室に駆け込む。

振り返った先の律はというと転倒した際に足を挫いたのかその歩みは遅い。

懸命にこちらへ近づいてくる律。

しかし片やヤッテヤルデスは恐るべし勢いで律へ向かって突進し、ほとんどその距離はなくなっていた。

澪は梓を振り返ってから律を一瞬見て、そのままドアを閉めた。

澪にとってドアが閉まるバタン、という音はまるで絞首台の踏み板が落下したように聞こえた。

「助けてくれ!澪!」

ドアの向こうからは律の悲痛な叫び声が聞こえてくる。

そして床を打つ音。

一体何が起きているのか、それは想像に堪えない。

頼りなげな木製のドアを押さえる澪の体にその振動は確かに伝わってくる。

だが、澪はそれに耳を塞ぐしかない。見殺しにするしかないのだ。

今開ければ梓までもが餌食になるのは明らかだった。

放送機材とパイプ椅子くらいしかないこの部屋に押し込まれれば間違いなく全滅する。

「澪!」

一際悲痛な律の声が響き渡った。

それは講堂の中に反響し、澪の耳に焼き付いた。

「律先輩…律センパイ…」

床に伏せって声を押し殺して泣いている梓。

澪も泣きたかった。


やがてその悲鳴が途切れ、ドアの向こうからは床で何かが擦れる音とや律の妙な声が時々聞こえた。

そして律の声も気配も、ヤッテヤルデスの足音も気配も消えた。

澪がドアを開けた時、最初に異様な臭気が鼻を突いた。

それはまさに血の匂いだった。そして律は講堂の中央で仰向けになっている。

あたりを見回すと無理に引きずり回されたのか、ブレザーが脱げて向こうの隅に落ちていた。

講堂の床には赤いラインが増えて、そのラインは律のところで途切れている。

澪は律へ向かっていく。

一歩一歩踏みしめるように向かっていく。

律の表情は今までに見たことのないような物だった。

絶望、恐怖、想像できないほどの何かが起きたのだろう。

もう澪がいくら声をかけても律は薄目で虚空を見つめるだけであった。

梓は屈み込んで律を見つめる澪に恐る恐る声を掛ける。

「澪先輩…」

「梓。行こう」

澪は立ち上がって梓を振り返る。その頬には涙が伝い落ちていた

澪は自分が着ていたブレザーを律に被せた。

「律…私はもう…臆病な澪じゃない」

そう律に声をかける澪の声には強い意志が感じられた。


― 3ねん2くみのきょうしつ!


唯と憂は3手に別れて以降3年2組の教室で息を潜めていた。

明らかに危険な選択である教室へはどちらかと言えば唯が主導した形であった。

あまりの事態にパニックを起こしかけていた唯は、避難先に慣れた場所である

3年2組の教室を咄嗟にチョイスしてしまったのである。

廊下側に設置された窓は教室の中を簡単に伺うことができる為に、唯は憂を掃除用具入れに押し込み、教壇の下に隠れていた。


時を同じくしてヤッテヤルデスは再び2階へ向かっていた。

講堂にて追撃戦で全員が揃って行動していないことは把握し、階段で3手に別れたのだろうと読んだヤッテヤルデスは

篭城を決め込んだであろう澪と梓を後に回し、先に2階に逃げたであろう標的を屠ることを選んでいた。

中央階段に差し掛かると駆け上がってくるひとりの2年生がいた。

ヤッテヤルデスにとっては見覚えのない顔。

思わぬ遭遇に驚いたように最上段に足を掛けたまま立ち止まる生徒。

生徒が口を開く間もない内にヤッテヤルデスはその生徒を踊り場の方へ髪腕で突き飛ばす。

髪腕に足元を薙ぎ払われた生徒は驚愕の表情を浮かべたまま宙を舞ってそのまま踊り場の壁にぶつかり墜ちていき、動かなくなった。

掃除用具入れの憂と教壇下の唯の吐息以外は物音一つせず、静寂に包まれる教室。

その静寂を破り、階段の方ではまるで重い何かが落ちたような物音が響いた。

何…?

唯はその音で身を竦める。

こわいよ…りっちゃん…みおちゃん…。

物音はまたしなくなり、再び自分の息遣いの音だけが小さく聞こえてくる。

心臓は破裂しそうにバクバクと鳴り、この音でヤッテヤルデスに場所がバレやしないかとすら唯は不安になり始めていた。

様子を見よう…、そう思い唯は恐る恐る教壇から顔を出す。

教室の中には相変わらず誰もいなかった。しかし廊下のガラス窓には貼りついてこちらを見つめるヤッテヤルデスの顔があった。

「ひっ!」

その光のない視線はしっかりと唯を見ていた。唯が後退りした時にはヤッテヤルデスはガラスから消えて代わりにドアが開いていた。

ヤッテヤルデスがゆっくりと教室に入ると迷わず掃除用具入れを開いた。


中にいた憂は一瞬で白日のもとに晒され、抵抗する間もなく掃除用具ともに引き摺り出される。

掃除用具もバラバラと倒れて床に散らばった。

「や、やあっ!」

悲鳴を上げた憂の首をそのままヤッテヤルデスは一気に髪腕で締め上げ始めた。

憂は軽々と持ち上げられて15センチは宙に浮き、首吊り状態にされる。

喉を潰されてみるみる顔色が悪くなっていく憂。

「いやああああああああ!!!!うい!!!!うい!!!!」

唯の叫びながら唯は教壇から飛び出すとそのままヤッテヤルデスに背後から飛びつき腕を掴む。

しかしなんなくそれは払い除けられ、唯は机に思い切り突っ込んだ。

それでも立ち上がる唯の足元には倒れた自在ぼうきがあった。

唯はそれを引っ掴んで握り直して渾身の力で自在ぼうきをヤッテヤルデスに振り下ろした。

「憂を離せ!」

自在ぼうきの木製柄はあっさりとその一発で二つに折れ、その切っ先は尖ってそれぞれ転がった。

唯はそのまま後ろに倒れて尻餅をついた。

ヤッテヤルデスは唯の反撃に対してその能面のような表情を変えないまま、唯の方を一瞥すると憂を黒板に突き飛ばし、

空いた方の手で床に落ちた自在ほうきの残骸を拾い上げた。

「う…お、お姉ちゃん…」黒板にぶつけられて痛みをこらえながらようやくふらふらと立ち上がる憂。

ようやく立ち上がった唯が近づく間もなくヤッテヤルデスはその憂に自在ぼうきの切っ先を突き立てた。

「いやあああああっ!」

唯の悲鳴が響き渡る。

「あっ…あ゛あ゛…お姉ちゃん…お姉ちゃん…」憂の呻くような声がそれに続く。

憂の唯を心配させたくないという一心は痛みを我慢させ、悲鳴を押し殺した。

だが、木切れという全く切れ味の悪いものによって刺された痛みは一気に憂を蝕む。

更にヤッテヤルデスは容赦なくそれを引き抜いた。

そのまま憂が腹部を押さえながら崩れて膝をつく。

ヤッテヤルデスはその憂の髪を掴んで引っ張り、苦渋に歪んだ憂の顔を上げさせた。

「ああああっ!」

遂に痛みに耐え兼ねた憂の悲鳴が響き渡る。

見る間に憂の周りには血溜まりが出来上がり、そのままうつ伏せに血溜まりの床へ倒れた。

動けなくなった憂を尻目にヤッテヤルデスは改めて唯に向き直る。

唯は後ずさっていき、片やヤッテヤルデスはまるでその距離を詰めることを楽しむかのようにじわじわと近づく。


そして唯が壁まで後1メートル程まで追い詰められたところで、ヤッテヤルデスは飛び掛かった。

唯はそのままヤッテヤルデスにより後頭部を壁に打ち付けられて倒れ込む。

そこをヤッテヤルデスは髪腕で肩を掴み引き起こすと執拗に唯の頭を腰板に叩き付け始めた。

教室内には異様な衝撃音と唯の悲鳴が響き渡る。

「やめて…お願いします…やめて下さい…」

薄れ行く意識の中振り絞る憂の嘆願も虚しく、やがて唯の悲鳴は消えて耳から血を流し始め目は虚ろになり、小刻みに痙攣を始める。

そこを見るやいなやヤッテヤルデスは唯の喉を掴んで一気に締め上げた。

一般的に人間が行えうる絞殺法ではまず5秒渾身の力を込めることで対象の抵抗を削ぎ、更に20秒程度加えることで

対象を気絶させることが出来るとされる。しかし殺害となるとその所要時間は3分を要すると言われる。

しかし、ヤッテヤルデスの恐るべき膂力は僅かそれを1分で完結させた。

なんとも言えない不気味な声をあげたのを最後に唯は動かなくなる。失禁したのか唯の周りには水溜まりが出来ていた。

動かなくなった唯を確認するとヤッテヤルデスは唯に向かって赤い線を引きながら這っていた憂の背中に思い切り飛び乗り、

憂に思い切り悲鳴を出させて、十分復讐劇を堪能したかのようにまたドアから廊下へ消えていった。

憂は寒気と薄れる意識の中、机に掴まり立ち上がる。

腹の傷は力をいれるたびに血を吹き、憂は自分が助からないことを悟りながらフラフラと唯の横に座り込んだ。

そして唯を抱き寄せると前夜、やったように優しく髪の毛を撫でた。


「…お姉ちゃん」

見開いた目を撫でて瞼を閉じさせると憂は最後の力を振り絞り、唯を抱きしめてそのまま事切れた。


― せいとかいしつ!


校内のあちこちで惨劇が起きる中、生徒会室では壮行会の打ち合わせが続けられていた。

火災報知機がけたたましく鳴っている訳でも誰も異常を知らせに駆け込んでくるわけでもないこの状況では、

事態を知らない人間としてある意味それも当然の行動であった。

和は一応打ち合わせの実施にあたっては担任のさわ子に事態の概要を問い合わせていたが、「来ない方がいいわよ」と色よい返事を貰えなかった。

しかし一方で壮行会を仕切る書記の1年生は非常に張り切り、渋る和に打ち合わせの日程通りの実施を懇願した。

和はその熱意に折れ、登校を嫌がる放送局長に頼み込み打ち合わせを開いたために容易に散会とさせることを躊躇っていた。

軽音部によるヤッテヤルデス掃討作戦についてに至っては知らせを受けてはいなかった。

しかしそれは律達なりに生徒会会長という和の立場を慮ってのことであったが、

この場合律達がやるべきことはむしろ関係ない人間を極力学校から遠ざけることであった。和への配慮は今、完全に裏目に出ていた。

唯も心配掛けまいと救急車で搬送された理由を純と共に階段から落ちたと説明していたためにそれも和は追求してはいなかった。

それでも和はさっきの慌しい様子から一転として訪れた静寂に違和感を感じていたところだった。

大した事ではないだろうという高を括ってはいたものの今度は遠くで悲鳴が立て続けに響き渡り、

しかも聞き覚えのあるその声にいよいよ和も落ち着いては居られなくなった。

「…ちょっと様子を見てくるわね」

そう言って立ち上がり、鞄からは念のために携帯電話を取り出してブレザーのポケットへ放り込む。

部屋を出て行く和を後輩達は頼れる前生徒会長といった表情で送り出した。

生徒会室を出てすぐ、職員室前の中央階段を上がったところの踊り場。

そこにはひとりの生徒が倒れていた。

あいにく誰かはわからないがブラウスのその赤いリボンが2年生だということを示している。

しかしその生徒の表情はまるで恐ろしい何かを見たような形相で凍り付いていた。

和はどこかでこれは大変な自体だとは理解しているつもりなのだが、どうにも目の前に倒れているのがまるでマネキンのように感じられてならない。

結局和はそのまま彼女を無視して階段を登ることにした。

2階の廊下は静まり返り、人の気配は皆無だった。和は左右を見回してからとりあえずと自分の教室を覗き込む。

そこには隅の壁にもたれた憂が唯を抱いている姿があった。

「あら?」

いくら人気が無いからと言って二人揃って学校でお昼寝なのか姉妹愛の確認なのか。

ちょっと。さすがにそれはないでしょう…。

和は顔が火照ってくるのを感じながら教室に足を踏み入れた。

机の間を進み、和は二人にに近づいていく。

壁にもたれた憂の足元は真っ赤に染まり、そここに夥しい量の血溜まりと合わせてその惨事を語っていた。

背を向けた唯の表情は伺えないものの、背中の汚れや乱れた髪型が異常を端的に表している。

「ねぇ…憂?」

和は憂のところに屈み込む。

少し俯いた憂は眠っているようだったがその顔に生気はなく、白い肌が際立って見える。

唯も眠っているような表情だったが、その耳からは細く生々しい赤いものが垂れていた。

同時に必死に目を逸らし続けてきた現実が和にまるで豪雨のように降りかかってきた。

唯も憂も死んでいる。さっきの生徒も死んでいた。

憂は恐らく最後の力を振り絞って唯を抱きしめながら息絶えたのだろうと和は悟った。

「ねぇ…唯…憂…どうしちゃったの…」

搾り出した問いかけに答えるものはなく、立ち上がるとそのまま足は震え出し、どうしようもない恐怖感が爪先から一気に駆け上がってくる。

和はそのままフラフラと廊下に出ると携帯電話をポケットから取り出す。

110番をプッシュして電話を耳に当てる。

普段なら簡単に出来そうな行動が全く上手く行かず、和は携帯を取り落としそうになりながらなんとか携帯を耳に当てた。

『警察です。どうしましたか?』

コール音もなく通信指令室の女性警察官の声が飛び込んできた。

「もしもし」

その声は震え、みぞおち辺りからは熱い何かが込み上げてくる。

『事件ですか?事故ですか?』

和は直感的に理解していた。

あの頭だ。あの頭が今、全ての事態を招いたのだと。そして最初にあれを目撃したのは恐らく自分自身であろうということも。

だが、相手はあんな変な生き物では誰もまともに取り合わない。このままじゃ犠牲は増える。

「刃物を持った男が生徒を…桜が丘女子高です…」

事実ではないことを話している。そんな自覚はあった。しかし敢えて刃物を持った男が押し入ったと言えば

警察は万全の備えでここにやってくる。そうすればもう誰も傷つくことはない。そう考えたのである。


警察官は何事かまだ話しているようだったが、和にとってはもうそれだけが精一杯であった。

膝がガクガクと笑い手は震え、和は携帯を取り落としてそのままへたり込む。

開放ったドアの向こうを振り返ると永遠にもう目を覚まさないであろう眠りに落ちた憂と唯がいた。


それを見ながら和は這って壁に辿りつくと、窓枠を支えに立ち上がった。

壁にかけられた消火器を震える手で持ち上げ、すぐ側の窓に消火器を叩きつける。

フロート強化ガラスもその質量と衝撃にさすがに割れて、粒状の破片が飛び散った。

窓枠にまだ残る破片を消火器で払いのけると窓枠を押し開く。


不要になった消火器は廊下に放り投げ、和は狭い窓枠に体を押しこみそのまま飛び降りた。

身を宙に投げ出す瞬間、和はまた唯と憂とともに過ごしたいと考えていた。

気づくと和は柔らかい花壇の土の上に落ちていた。

メガネはどこかへ行ってしまったようだが、痛みはそんなに感じられなかった。

しかしゆっくりと起き上がると右足に電撃のような痛みが走った。

「…ああっ!」

右足首というより足の甲を痛めたのだろうか、と思った。

それでも痛む足を引きずりながら和は門までなんとかたどり着く。

昇降口の方を振り返ると人気は全くなく、まるで日曜日のように静まり返っていた。

そしてサイレンの音はハーモニーを奏でながらどんどん近づいてくる。

「く…」

和が門柱にもたれ掛かったと同時に、近くの交差点の角からは警察車両が赤い回転灯の光とサイレンをばら撒きながら続々と現れた。


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