4月。

満開の桜の下、秋山澪は真新しい制服に身を包み、
これから始まる新しい生活に期待と不安と不安と不安と不安と不安と不安を抱きながら
桜高の門をくぐった。

澪(あーあ、憂鬱だな…友達できなかったらどうしよ……
  いちおう律はいるけど、他の子と仲良くなったりして……
  ぼっち……便所飯……図書室常連……寝たふり……うううう)

律「なーに暗い顔してんだよ、み、お!!」

ばーん、と律が思いっきり澪の背中を叩いた。

澪(いったーっ…この馬鹿力が…くそ)
 「なんだよ律、いきなり」

律「いやー、この春爛漫の時期に暗い顔は似合わないぞ、と思ってさ」

澪(暗くて悪かったな……)
 「いやあ、さすがにちょっと不安でさあ」

律「まったくう、澪はマイナス思考だな~」

澪(お前は馬鹿なだけだろうが…)

澪は律のことが嫌いだった。
直情的で、おおざっぱで、頭が悪い。
繊細かつ神経質な澪とはまったく相性が合わなかった。

しかしなぜか律は澪のことを気に入っており、
小学校時代からずっと澪と仲良くしてきた。
この高校に入ったのも澪が受験すると聞き、
いっしょに受けたいと言い出したからだ。

なぜ澪が律と仲良くし続けているかというと、律以外に友達がいないからだ。
学校という空間の中で友達ができず孤立してしまうのは、それはそれは悲惨なことになる。
人は集団の中に溶け込むことを良しとする。自分を目立たせないようにする。

そのために友達グループを隠れ蓑にして、
集団の中で浮かないように浮かないようにとひたすら身を潜め続けるのだ。
ところが友達がいないとどうか。隠れる場所がなく、
常に一人だけ晒しものになってしまうのだ。

こうなってしまうと、周りの人々の見えない視線に心の底まで射抜かれてしまい、
不登校になる子も少なくない。というか多い。とくに女子。


澪もこんなことにならないよう、ひたすら律と仲良くしてきた。
ただひたすら孤立しないために。


入学から数日が経った。
幸いにも澪は律と同じクラスになっていた。
しかし、律は持ち前の社交性で得た新しい友人たちと談笑に耽っていた。

澪(まあウザくなくていいけど……
  そうだ、私も高校に入ったから新しい友達を作れるチャンスがあるかもしれない)

澪は新入生オリエンテーションで配布された部活動紹介の冊子をめくった。

澪(そのためにはまずは部活か)

冊子の最後の方のページにあった「文芸部」の文字が澪の目にとまった。
『少人数でやってます。本好きな子、歓迎!』ときれいな字で書いてあった。

澪(文芸部……少人数なら私も溶け込めるかも。よし、行ってみるか)


文芸部室。

澪(どきどきどきどきどきどき)
 「ああああああああああああああああああああ、あのっ!」

ガチャッ
部員「はい?」

澪「けけけけけ見学させてくだちゃいっ」

部員1「ええ、いいわよ。どうぞ」
部員2「あー、新入生だ」
部員3「良かったわー、誰か来てくれないと廃部になるとこだったの」
部員4「とにかく座って座って」

澪「あっ、はい……」

部員1「お名前は?」

澪「あっ、秋山澪ですっ」

部員2「秋山さんはやっぱり読書好きなのよね?どんな本が好きなの?」

澪「えっと…あっ、この本読みましたよ、すっごく感動しました」

澪は本棚にある一冊の本を指して言った。

部員3「あー、それいいよねー!特にマチルダ夫人のあの場面が」

澪「あ、第4章ですよね!そこ一番好きです!」

部員4「そうだ、この本好きならこれ読んだ?同じ作者の……」

澪と文芸部員達は日が暮れるまで読書談義に花を咲かせた。


翌日、放課後。

澪(いやあ、いい先輩たちだった…今日は入部届け持っていこう、うふふ)

律「みーおー!!軽音楽部行こうぜ~!!」

澪「えっ、なんだよいきなり……私は文芸部に入るつもりだし…入部希望の紙も書いたし…」

澪が入部届けを見せると、律は無情にもそれを破り捨てた。

澪「あ・・・・・ああああああああああ!!なにすんだよ律ぅ!!」

律「ほーら行くぞ、早く早く!」

澪「おい、待ってよっ」


軽音部は廃部寸前だったが、
澪、律、そして琴吹紬と平沢唯が入部することで、部活として再始動を果たした。

文芸部は廃部した。


そこからである。
秋山澪の地獄の日々が始まったのは。

当初、澪は軽音部でも良いか、と考えていた。
澪自身も音楽は好きだし、律以外に同学年の知り合いもできたからだ。
この部活で音楽を楽しみながら3年間……と思っていたが。

紬「お茶が入りました~☆」

律「おう、サンキューむぎー!」

唯「あっ、今日の紅茶いつもと違うね~」

紬「あ、分かるかしら」

この部員達はまったく練習をしようとしなかったのだ。
澪を無理やり引き込み、部活を再始動させ、部長だと意気込んでいた律も。
みんなでバイトをして、紬に値下げしてもらって、やっとギターを手に入れた唯も。
ピアノのコンクールで賞を取ったという紬も。

澪「なあ、練習しないか」
唯律紬「いやだ!!」

澪(なんだ?なんなんだこいつら……やる気あるのか……
  なんでこんなやつらと一緒に、私は……)

あまり強く練習にこだわりすぎるとハブられる気がしたため、
澪は我慢していた。
自分勝手な律に、頭の悪い唯に、金持ちの紬に
イライラしながらも、毎日放課後は音楽室で過ごしていた。

夏は合宿に行った。
みんなに合わせて海で遊ぶと、胸の大きさで僻まれた。いい迷惑である。
さらに「おまえが一番遊んでいる」とまで言われた。
お前たちに合わせてやったのに。
澪ははらわたが煮えくりかえりそうだった。

秋には学園祭があった。
オリジナル曲の作詞を押しつけられた。
書いた詞を見せたら律から馬鹿にされた。じゃあお前が書け。

唯が無茶な練習をしたせいで喉を潰し、澪が歌うことになってしまった。
これだからノータリンは。
自分の喉の調整もできないクズとバンドを組むなんて虫唾が走る。死ね。
さらに顧問が気持ち悪いコスプレ衣装を持ってきた。他の3人は喜んで着ている。
これだからバカは。まったくもって腹が立つ。バカバカバカ。バカばっかりだ。


春になって新入生の中野梓が入部した。
彼女はまじめな性格であり、同じくまじめである澪を尊敬していた。
澪はかわいい後輩の存在に、やっと部活としてのやりがいを見出せるようになった。
しかし、梓は澪から離れ、唯と仲良くなるようになってしまった。

それは澪に、梓もこいつらと同じ、という感想を抱かせた。

くだらない部活、
くだらない人間関係、
しかしそれらから逃れることはできない。
この学校での唯一の人とのつながりを断てば孤立してしまう。
それだけは避けたかった。

やがて澪のストレスは限界に達した。
胃に穴を開けてしまい、入院することになった。


病院。

澪「………」

誰も見舞いに来ることはなかった。
それはそうだ、あいつらは部室で菓子食って喋ってればそれでいいのだから。
誰も澪のことなど気にしていないのだから。親友の律さえも。

澪(私はあの場には溶け込むことはできなかった。
  いや、溶け込んでいるように見せかけることはできていたかもしれない。
  でもそんな表面上だけの見せかけに何の意味があるんだろう。
  上辺だけの付き合いに何の意味が…?
  私は何であの部室に行っていたのだろう?)

一人でいるといつもこのようなことを考えてしまう。
そしてあの軽音部に縛られ続ける自分自身が嫌になる。

澪(自分が弱いから。自分が弱い人間だから、
  あんな場所に縋りつづけるしかないんだ。私は馬鹿だ、馬鹿だっ)

その時、病室の扉が開いた。

紬「澪ちゃん」

琴吹紬。
軽音部の中では一番まともそうに見えるが。

澪(そもそもこいつがお菓子やお茶を持ってくるせいでみんなが堕落してるんじゃないのか?)

紬「澪ちゃん、体の具合、どう?」

紬はいつもの包容力あふれる笑みを浮かべ、澪のベッドに近づいてきた。

澪「別に普通だよ」

紬「そう。今日はね、澪ちゃんに言わなきゃいけないことがあって来たの」

澪「?」

適当にあしらって帰ってもらおうと思っていたが、
紬がいきなり変なことを言い出したため、できなくなってしまった。

澪「なんだよ、いきなり」

紬「澪ちゃんの胃潰瘍の原因は、私たちなのよね?」

澪はその言葉にカッと胸が熱くなるのが分かった。

澪「何を今さら!!ていうか自分で分かってたのかよお前!!!
  ふざけんじゃねえよっ!!!」

紬「ま、待ってっ、澪ちゃん。私もっ…」

澪「え?」

紬「私も、澪ちゃんと同じだから……」

澪「……」

紬は話し始めた。
自分も集団の中で孤独だったこと。
軽音部でお菓子を提供し続けることで
自分の居場所を確保しようとしていたこと…などなど、
どれも澪にとっては痛いほどよく分かる話だった。

さらに、紬は澪の考えていることは前からなんとなく分かっていたという。

紬「嫌だったんでしょう、軽音部が。軽音部にいるしかない自分が」

澪は無言でうなずいた。

紬「でも、もう大丈夫よ」

澪「どういうことだ?」

紬「いいお薬があるの」

澪「薬?薬なら医者に貰ってるよ」

紬「そんな薬じゃないわ。その薬は澪ちゃんのお腹を治すだけの薬でしょう」

澪「え…?むぎの薬は違うのか?」

紬「ええ。ドイツから取り寄せた精神安定剤の一種よ。
  これを部活の時間に飲むの」

澪「なんだそれ……ヤバい薬じゃ……」

紬「まあ日本ではまだ認可されてないわね。でも海外じゃ普通に使われてるわよ」

澪「ばっ、ばか……そんな危なそうな薬……飲めるわけないっ」

紬「そう?残念だわ……」

紬は帰って行った

澪「なんなんだ、ムギのやつ……私と同類ってことは分かったけど、薬だなんて」


しばらくして澪は退院した。
久々の登校である。
誰か澪の体を気にかけてくれても良いようなものだが、
声をかけてくれる人すらいなかった。
ただ、律に「おう、治ったのか」と言われたくらいである。
小学校からの親友が入院していたというのに、それだけの言葉で済まされてしまう。
澪は律にさらなる嫌悪感を抱いた。

放課後。
部活に行くのも久々である。
今日はなんだか心が楽な気がするのは、紬がいるからだろうか。
同じ悩みを抱えた仲間。
そんな人が同じ空間にいてくれるだけでほっとする。

ガチャッ
澪「やあ」

部室には唯、紬、梓がいた。

唯「あっ澪ちゃーん、久し振り~。体、大丈夫?」

澪(心配なら見舞いくらい来いよ……)
 「ああ、大丈夫だよ」

梓「あっ、先輩、お見舞い行けなくてごめんなさい。実は…」

唯「あー、もう言っちゃう?」

澪「な、なんだ?」

唯「実はねー、澪ちゃんを驚かせようと思ってこっそり練習してたんだ~」

梓「唯先輩がダメダメすぎて、毎日遅くまで練習してたからお見舞いに行く時間なかったんです」

唯「え~、それじゃ私のせいみたいじゃん」

梓「先輩のせいですよ…」

澪は不覚にも涙がこぼれそうだった。
自分から嫌っていた人間は、こんなにも自分を想ってくれていた。

澪(私は自分で自分に壁を作っていただけだったの…?)

澪は自分が情けなく、同時に2人の気遣いに嬉しくなり、
胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。

唯「どしたの?澪ちゃん」

澪「いや、なんでもない。2人とも、私のたm
律「みんなーっ!!!今日は部活サボって駅前のゲーセン行こうぜ~っ!!!」

澪「………」

唯「駅前にゲーセンなんてあったっけ?」

律「新しく出来たんだよ!行こうぜ!!ほら梓も~!!」

梓「えー、でも……」

律「なあ行こうぜ~、唯の好きなソニックライツの新型もあるらしいしさ~」

唯「おおっ、ついにこの田舎にもやってきたのかっ!!」

梓「ちょっ、ダメですよ唯先輩!今日は澪先輩のために演奏を……」

唯「あー、ごめんねりっちゃん、今日は澪ちゃんと……」

律「え?澪?あー、居たの?気付かなかったよ~」

澪「………」

律「澪はアレだろ?えーと、病気治ってすぐの状態、なんて言うんだっけ?まあいいや、
  とにかく澪は遊ばないほうが良いだろ。唯、梓、むぎ、行こうぜ~」

梓「でも……」

澪「い、いいんだよ、私のことは気にしないでさ、行って来いよ、な」

律「ほらほらー、澪もこう言ってることだしさ~!
  早く行かないとソニックライツに行列できちまうぜ~?」

唯「う…ううう…」ちらっ

唯は澪の表情をうかがった。

澪「いいって、私のことは気にすんなよ。
  演奏はまた今度聴かせてくれ、な」

唯「んー、うん、わかった……ごめんね、澪ちゃん」

梓「ええっ、ちょ、唯先輩……」

澪「梓も行って来いよ」

梓「え、でも……」

律「ほっらー、いっくぞー、梓も~!!」

律は梓の腕を強引に引っ張って行った。

律がいなくなると音楽室は急に静かになった。
残ったのは澪と紬だ。

澪「…………ううっ、くそっ……また律だ」

澪は怒りで全身を震わせていた。

澪「いっつもあいつだ……あいつが私の人生を荒らすんだっ。最低なやつだっ」

吐き捨てるように言った。

澪「あいつに縋らなきゃいけない私も……最低だっ」

最後は涙声になった。

澪「なあ…むぎ……もういやだ…私、どうしたら……」

紬「飲みましょう、ね」

紬は、ブレザーの内ポケットから小さな紙の箱を取り出した。
パッケージの文字は英語に見えたが、よく見るとドイツ語で印字されていた。

澪「それがあの薬か…?」

紬は無言で箱の側面を開き、中からスティック状の紙袋を1本取り出した。
一見コーヒーに入れる砂糖のようだ。

紬は急須からお茶をコップに注ぎ、
そこに粉上の薬を入れた。

紬「溶けたわ。飲んで」

澪「でも……」

紬「解放されたいんでしょう?あなた自身を縛りつける因縁から」

澪「……」

澪はしばらくコップに注がれたお茶の表面を見つめていた。

澪(これ以上は……もう……耐えられないんだっ)

そして、澪はお茶を一気に飲み干した。


駅前のゲーセン

律「早めに来てよかっただろ~?ほとんど並ばずに出来たからな~」

唯「いや~、こんなにじっくりソニックライツができたのは久々だよ~」

梓「……」

唯「ん?どしたのあずにゃん」

梓「あ、いえ、なんでも……」

唯「澪ちゃんのこと気にしてるの?」

梓「えと…まぁ」

律「澪なんてどーでもいいだろっ。次、あれやろうぜ~」

唯「え?あ、うん」

梓「あっ、澪先輩。それに紬先輩も」

律「え?」

澪「やっほーっ、唯、梓~っ!
  みんな酷いなー、私を置いて行くなんてさー!!」

紬「あらあら」

梓「え?え?どうしちゃったんです?澪先輩」

唯「なんだかご機嫌だね、澪ちゃん」

澪「そうか?いつも通りだぞ。
  おー、これが噂のソニックライツか」

唯「興味あるの?澪ちゃん。私が手ほどきしてあげるよ~」

澪「よし、一緒にやろう唯」


梓「どうしちゃったんですか?澪先輩…」

紬「こういうのも人生には必要ってことよ」

梓「はあ…」

律「……」


澪が飲んだ薬は、簡単に言えばイライラを静めて
幸福感を盛り上げる薬だった。


澪は部活のたびにその薬を溶かしたお茶を飲んだ。
そうすれば、律の傍若無人な振る舞いも気にならなくなった。
部活でストレスを感じることもなくなったのである。


ただ、イライラは静められるだけで解消されることはない。
薬を飲み続けると神経に大きな負担をかけることになる。
薬が切れたとき、澪はひどい疲れと不快感に襲われることになった。
そのため澪は、部活に出る時以外は、ずっと教室の机でうずくまっていた。
しかし、これは以前から教室内で見かけた普通の行動だったため、
誰も気にとめることはなかった。


ある日の放課後

ガチャ
紬「あら澪ちゃん…また一番乗り?」

澪「早く薬が欲しくてな。今日も律がウザかった。早く忘れたい」

紬「体は大丈夫なの?」

澪「大丈夫だ、大して動かなきゃ問題ない。体育も最近はマット運動だからな」

紬「そう。はい、薬」

澪「ありがとう」

澪は手元のお茶に薬を溶かし、一気に飲んだ。

澪「はーあああ、ああああ効いてきた効いてきた。いつもながらいい気分だなー、ふぅ」

紬「あまり続けて服用しすぎると、危険よ」

澪「大丈夫だよ、こんないい薬が危険なわけないって」

紬「……」

紬はただ澪の気が紛れればいいと思って薬を勧めた。
しかし、今や澪は薬の魅力にどっぷりと浸かってしまっていた。
最初は薬に抵抗があったはずなのに。


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