翌日 中野家

純「犯人が映ってたんですか!?」

澪「はい、今日はそれを見てもらおうと思って」

今日は純も来ていた。
澪はテーブルの上にノートパソコンを置いて、画面を向かいのソファーに座っている梓と純へ向けた。

澪「これがその映像です」カチカチッ

澪がクリックすると、映像がスタートした。犯人が姿を表す直前まで編集を済ましていた。梓と純は既にどこか顔を歪めていた。

フードの人影が見えた瞬間、梓は少し呻き声を上げた。
そして、手紙を投函して人影が立ち去った所で映像は終了した。

澪「以上です」

純「やっぱり顔は隠してたね~……」

梓「…………」

純は驚いた表情をして、梓は停止した画面を呆然と見ていた。

澪「これで、あと四回検証があるので、もし来れば大体の周期がわかるかもしれません」

純「あともう少しだよ、梓!」

梓「う、うん……!」

梓「残りの方もお願いします……!」

澪唯「はいっ!」

澪と唯は心を込めて全身全霊で挑む事を誓った。威勢の良い返事に、少し面食らった梓と純だったが、すぐに微笑んだ。

その後、外に出て郵便受けを確認した。中には朝刊以外何も入っていなかった。直後に澪が振り返ると、梓は安堵した表情になっていて、少し胸が痛んだ。一刻も早く梓を苦しみから解放してあげたいと心の底から思った。

澪「唯、メモリーカードを交換しておいて」

唯「わかった~」

澪がメモリーカードを手渡すと、唯はそれぞれのカメラの元へ向かった。

純「大変ですね、探偵っていうのも」

純が一息ついてから静かに言った。

澪「いや、自分でやりたいと思った事だから……」

澪「やりたい事を仕事にすることができて良かったって思ってる……かな……」

澪はどこか照れ臭くて軽く俯いた。少し遠慮がちに言う澪を見て、純は微笑んだ。

唯「澪ちゃん、終わったよ~!」

作業を終えた唯が三人の元へやってきた。

澪「録画ボタンは押した?」

唯「もちろん!」

澪「よし、それじゃあ今日は帰りますね」

梓「今日はどうもありがとうございました」

澪「いえいえ。では、また明日」

唯「またね~」

純「頑張ってくださーい!」

唯「うんっ! バイバーイ!」





秋山探偵事務所

澪「今回は手紙は来てなかったけど、一応確認しないとな」

唯「うん」

澪はメモリーカードをパソコンに差し込んだ。澪が画面を見つめていると、唯が紅茶を持ってきた。

唯「はい、澪ちゃん」

澪「ありがとう、唯」

唯「今日も頑張ろうね!」

澪「あぁ、もちろん!」

澪は答えると、クリックして映像を開始した。

~~~~~

唯「今日は映ってなかったね」

澪「そうだな……」

今回の映像には犯人らしき人物は映っていなかった。念のために再度、深夜の時間帯を見直してみたが、やはりいなかった。

澪「(やっぱり手紙を出す時だけに来るのか……?)」

唯「ふぅー……」

唯も少しくたびれた様子だった。
やはり、犯人が現れないと、何の手掛かりも得られない。しかし、犯人が現すと今度は梓が苦しむ。澪はそれが心苦しかった。

澪「今日はもう終わりにしよう」

唯「わかった」

澪はカップに半分程残っている冷めた紅茶を一気飲みして立ち上がった。






翌日 中野家

澪「今日も……来てませんね」

澪は郵便受けの蓋を閉めて立ち上がった。これはもはや、恒例の行事のようだった。

澪が郵便受けの中を確認し、それを唯と梓が不安げに見つめる。手紙が無ければ、胸を撫で下ろして安堵し、あれば顔を青ざめる。そして、そのどちらを見ても、気落ちする澪。

澪「じゃあ、唯。お願い」

唯「はーい」

澪はメモリーカードを唯に手渡して梓に向き直った。

澪「体調などはいかがですか?」

梓「昨日は犯人を初めて見たので、少し寝れなかったです……」

澪「…………」

確かに不眠が続いているのか、目の下には隈があり、顔色もよくなかった。ベッドで恐怖に震えている梓が想像できた。

唯「終わったよー!」

澪「それじゃあ、帰りますね」

唯「バイバーイ!」

梓「はい、気をつけてくださいね」

梓は軽く頭を下げた。小さなその体は見た目以上に小さいように思えた。







秋山探偵事務所

唯は暑さを紛らわすためにアイスティーを用意していた。机の上に置くと、氷がカップの側面に当たって音を鳴らした。

澪「じゃあ、始めよう」カチカチッ

澪がクリックすると、映像が始まった。やはり、何も起こらない。澪も日の出ている間は何も起こらないと思っていた。

唯「夜……」

唯がほとんど聞こえないような小声で呟いた。澪は唯も同じ事を考えているのだろうと思った。

そして、映像は真夜中になった。一度、あの人影を見てからは深夜の時間帯になると脈拍が上がった。澪が一息つくためにカップに手を伸ばしたその時

唯「あっ!」

澪「!!」

唯が指差すまでもなく見つけた。フードを被った人影だ。前回と同様の黒い服を着ている。中野家の前で立ち止まり、家全体をじっと眺めている。

唯「…………」

唯は画面を凝視して人影を見つめている。しかし、人影はただ家を眺めているだけだった。しかも、前回よりも時間が長かった。ポケットに手を突っ込んだままだ。

唯「何もしないね……」

澪「…………」

さらに数分が経過した後に人影は立ち去った。

唯「帰っちゃった……」

澪「手紙を出さない日にも来るのか……!」

唯「見てるだけなのかな……」

澪「…………」

その後、朝になって交換するまでの間に犯人は現れなかった。
映像が止まると、澪は立ち上がって伸びをした。

澪「唯、疲れてないか?」

唯「うん、大丈夫だよ」

澪「じゃあ、犯人が映っている所を編集しよう」

唯「うん、わかった」





翌日 中野家

梓「えっ! 映ってたんですか!?」

澪「はい」

梓「昨日手紙は入って無かったのに……」

梓の表情が不安げなものになった。澪も胸に圧迫感を覚えた。

澪「手紙は入れずに家を眺めているようでした」

梓「…………」

梓は暗い表情をして俯くだけだった。それはまるで、黒い霧が顔の周りを覆っているようだった。

澪「一応持って来たんですけど、見ますか?」

澪は鞄に手を置いて梓を見つめた。しかし、梓は首を横に振った。

梓「いえ……遠慮しておきます……」

澪「わかりました……」

澪は鞄から手を離した。

唯「メモリーカードの交換終わったよ」

澪「よし、最後に郵便受けを見ますね」

澪は郵便受けの取ってを手にした。緊張で少し汗ばんでいるのがわかった。
澪が恐る恐る蓋を開けると、中には新聞以外は何も入っていなかった。

澪「ふぅー……何も入ってません」

梓「はぁー……」

梓も肩を落として大きなため息をついた。

澪「それじゃあ、失礼します」

澪「くれぐれも夜の戸締りに注意してくださいね」

梓「はい……」

唯「…………」

深く沈んでいる梓の様子に唯は何を言えばよいのかわからなかった。
唯がもう一度振り返ると、梓はそこにはいなかった。唯の胸には言い知れぬ思いが込み上げた。





秋山探偵事務所

澪「よし、始めるぞ」

唯「うん」

澪が指を動かすと映像が始まった。澪は既にどこか疲れていた。連日勤務しているのが原因ではなく、梓の事が心配だからである。唯も何となく疲れているようだ。
きっと自分もそんな表情なのだろう、と澪は思った。

~~~~~

澪「犯人、映ってなかったな」

唯「うん、でもよかったよ」

唯「梓ちゃんがかわいそうだから」

澪「そうだな……」

唯は両手でカップを持ち上げて一口啜った。澪も犯人が現れなくて嬉しかった。

そして、ある考えが浮かび上がった。

澪「もしかすると、犯人は一日置きに中野さんの家に行っているのかもしれないな……」

唯「え?」

唯は目を丸くして澪を見つめた。澪は頷いてから続けた。

澪「設置した次の日、初めて検証した時には人影は映ってなかっただろ?」

唯「う、うん」

唯は考え込むように顎に手を当てて答えた。

澪「で、二回目は手紙が投函されていて、大体想像はついていたけど、あの人影が映っていた」

澪「三回目はまたも映っていなかった」

澪「四回目の昨日は映っていた!」

澪が話を進めて行くと、唯の心の靄が晴れていくようだった。唯は心のどこかでそれを感じていた。

澪「そして、五回目の今日は来ていない……」

唯はさらに目を丸くして、口元に手を近づけた。

唯「本当だ……! 一日置きに来てる……!」

澪「つまり、今夜に犯人は中野さんの家に行く可能性が高い!」

唯「じ、じゃあ、今すぐ行って知らせてあげなくちゃ……!」バッ

唯は慌ててソファーから立ち上がり、事務所の玄関へ駆け出した。澪はその後を追って唯を引き止めた。

唯「ど、どうしたの!? 行ってあげなくちゃ!!」

澪「まだ来るかわからない」

唯「で、でも!」

唯は駄々を捏ねる子どものように澪の手を振り払おうとした。それでも、澪は唯の腕を離さなかった。

澪「待ってくれ、唯! あと、一日なんだ……!」

澪「あと、一日だけ我慢してくれないか!?」

唯「っ…………!」

唯は反論を試みたが、澪の瞳を見ると動きを止めた。気迫の込もった真剣な目つきに唯は圧倒された。唯は腕を下ろして俯いた。

澪「今日、犯人が来れば仮説が確信に変わるんだ!」

唯「…………」

唯「わかった……」

そう言って、唯は苦笑いした。

唯「ごめんね、澪ちゃん」

唯「梓ちゃんの事が心配で何も考えもせずに動こうとしちゃった……」

困ったような笑みを浮かべる唯を見て澪は少し俯いた。

唯「澪ちゃんみたいに冷静に考えられなかったよ……」

唯「何もできないね……私……」

唯も視線を下ろした。少しして、澪はゆっくりと顔を上げた。

澪「……いや」

澪「私は唯に感謝してるよ」

唯「え……?」

唯は呆然と澪を見つめた。澪も強く見つめ返した。

澪「この前、純ちゃんの依頼を解決できたのは唯のおかげだ」

澪「実はあの時、私は消極的だったんだ。依頼もほとんど来ないし、仕事もどこか諦めかけていた……」

澪「ネコの捜索なんてやった事無かったから断ろうと思ってた」

澪「けど、唯が依頼を引き留めてくれた……」

澪「あの時、私は初めて探偵としての自覚が持てたんだと思う」

澪「今も、探偵を続けているのは唯のおかげだよ」

澪は目を閉じて深呼吸してから言った。

澪「ありがとう」

澪は満面の笑みを唯に向けた。
しかし、唯は依然として呆然としている。澪は心配そうに両手を上下に動かした。

澪「ゆ、唯……?」

次の瞬間、唯の目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。突然の事態に澪は大きく動揺した。

澪「ど、どうしたんだ、唯!?」

唯「だっで澪ぢゃんが優しいから……グスッ……」

澪「…………」

澪は泣きじゃくる唯の顔を見てから、黙って唯の頭を撫でた。唯はきょとんとして澪の顔を見つめた。

唯「ごめんね、ちょっと不安になって……」

澪「心配しなくていいよ」

澪「唯といると頑張ろうって気持ちになれるからさ」

そう言って、照れ臭そうな表情を浮かべる澪を見ると、唯の不安は徐々に薄れていった。

唯「ありがとう……」

唯は涙を拭いてから、にっこりと笑った。その笑顔を見て澪も笑った。

澪「これからも一緒に頑張って行こう!」

唯「うん!」



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