直「警察官なのに捕まったんですか?」

直の何気ない質問が律の胸に突き刺さった。

律「ま、まぁ……私も人間だし……」

直「そうですか……」

律「誘拐犯たちはどこかに行ったの?」

直「どこかに行ったみたいですよ」

菫「もう三十分くらい経ったかな……?」

律「そっか……」

律は目を凝らして辺りを見渡した。しかし、あるのは埃を被ったコンテナぐらいだった。

直「ここには何もないようです」

直の淡々とした口調に思わず律は直の顔を見た。直は冷静に状況を判断していた。律は諦めて力無く項垂れた。菫も不安そうに辺りを見渡している。

直「今は誰かが来るのを待ちましょう」

律「…………」

律は希望を抱くことにした。律はふとランプを見た。ランプの明かりはあまりにも弱々しかった。

~~~~~

どれほどの時間が過ぎたのだろうか。律はぼんやりとランプを眺めていた。菫の顔は依然として緊張のせいで強張っており、直の表情も何を考えているのか判断できない。

ギイイイイイィッ

律菫直「!!!」

奥の方から引き戸の開く音がした。三人が一斉に引き戸の方を見た。すると、複数人の足音が聞こえてきた。律は奥の方のコンテナを凝視した。すると、三人組の男が現れた。

A「おっ、起きてる」

B「へっ、お目覚めか」

C「へへへ……」

誘拐犯たちは薄気味悪い笑みを浮かべた。すると、菫が大きくガタガタと震え始めた。直が心配そうに菫の側に近づいた。
律は誘拐犯たちの顔を注視した。しかし、見覚えのある背の高い男はいなかった。律の視線に気づいたAは律に歩み寄った。

A「お前を失神させた奴はここにはいない」

A「あいつは見張り番だ」

律「くっ……!」

律「(どこかで見られてたのか……!)」

律は力強く歯を食いしばった。それを見たBはせせら笑った。

B「ははははははっ!」

律「…………」

律は己の不甲斐無さを呪った。
怒り、焦り、不安、恐怖……。様々な感情が込み上げ、それらは律の喉元を強く締めつけた。

C「これからどうする?」

A「こいつの親父の主人、琴吹に身代金を要求する!」

菫「!!」

誘拐犯Aに指差された菫はビクッと体を動かした。

A「あそこなら唸るほどの身代金を要求できるだろうからなぁっ!」

菫「そ、そんな……!」

菫の頭は様々な物で渦巻いた。自分のせいで周りに多大なる迷惑を掛ける事になると思うと気が遠くなった。そして、不安は更に積もって、菫の中で黒い渦となり、菫を苛んだ。

気がつくと菫は再び涙を流していた。直がどんなに励ましてもその涙は止まることはなかった。

律「私たちを解放しろっ!」

B「するわけねーだろ!」

律「くっ……! 今ならまだ間に合う! こんなことはもうやめろ!」

A「……うるせえんだよ」

律「っ……!」

Aに睨みつけられた律はAを睨み返した。

C「もし、警察とか呼ばれたらどうすんの?」

A「その時は他の人質が役に立つんだよ」

Aが直を指差すと、Bは卑しい笑みを浮かべながら馴れ馴れしく直と肩を組んだ。その瞬間、直の顔は蒼白になった。直は身を捩って腕を振り切った。

直「止めてくださいっ……!」

B「そんな事言うなって~!」

図々しく直に迫るBを見て、律は体が熱くなるのを感じた。AもCも馬鹿みたいにヘラヘラと笑っている。怒りがどんどん湧き上がり、律の体は小刻みに震え始めた。
Bが再び直に向けて腕を伸ばした瞬間、律の中で何かが切れた。

律「いい加減にしろおおおおおおおっ!!!」

B「!!」

直菫「!!」

AC「!!」

律の咆哮が巨大な倉庫内に大きく反響した。Bは伸ばしかけていた腕をピタリと止めた。

律「お前たちはこんな卑怯な事をして何とも思わないのか!?」

律「女の子を誘拐して身代金を貰う? 恥ずかしくないのかっ!」

律「お前たちは最低の人間だっ!」

律は大声で言い切った。Aは律の顔を見て舌打ちをした。

A「さっきから何なんだよお前はよォッ!!」

ガーンッ

Aは怒りに身を任せてコンテナを殴った。衝撃音が倉庫に響き、菫は恐怖のあまり短い叫び声を上げた。Aは憤怒の形相で律の胸倉を掴んだ。

律「その二人に……手を出すな……!」

A「いいからお前は黙ってろ……!」

律「黙るもんかっ! お前たちが私たちを解放するまで絶対に黙らない!」

A「……!」

Aの怒りは頂点に達した。Aは律を突き飛ばし、力任せに律の腹に蹴りを入れた。

律「ぐぅっ……! げほっ! げほっ!」

まともに蹴りを受けた律は体を曲げて大きく咳き込んだ。Aは顔を真っ赤にして律を見下ろした。菫と直は時が止まったかのように蹲る律を見つめている。

A「へっ……! お前は人質なんだから黙ってろってんだよ……!」

Aは息を切らしながら笑みを浮かべると、拳を握り締めた。上目遣いでそれを見た律は再び蹲った。

律への殴打が続く。BとCは菫と直を押さえつけながら、不敵な笑みを浮かべている。律は痛みを堪え、歯を食いしばった。直は額に汗を滲ませて目を瞑っている。
Aは痺れを切らしたのか、特殊警棒を取り出した。それを見た菫は、はっと声を上げた。

Aは警棒を高く掲げた。律も覚悟を決めて強く目を瞑った。その瞬間、菫は前のめりになって叫んだ。

菫「暴力はやめてくださいっ!」

A「!!」

律「!?」

菫が叫ぶと、Aは石像のように動かなくなり、律は目を丸くして菫を見つめた。

菫「お願いします……!」

菫は泣きながらAに強く懇願した。Aは律の元から離れ、菫の方へ歩いた。菫は顔を上げてAを見つめた。その顔は醜悪な笑みを浮かべていた。

A「俺はあいつを殴りたい……」

A「だが、お前はこれ以上の暴力は止めてほしい……」

A「それなら、取引だ……」

Aは大きな目で菫の顔を見た。

A「俺たちとヤらせろよ……!」

菫「!!」

Aは菫の眼前まで顔を近づけて言い放った。菫はAの獣のような荒い息遣いを肌で感じ取った。

直「菫! それだけは駄目っ!」

C「おっと!」

直「っ……!」

激昂する直にCがナイフを突き付けた。ナイフの刃先を見た直は汗を一筋流して押し黙った。

A「さぁ、どうする?」

菫「……!」

菫は直を見た。首元にナイフを当てられながらも、まっすぐ菫を見ていた。蹲っている律を見ると、律がゆっくりと顔を上げた。

律「菫ちゃん……駄目だ……!」

律は呻くようにして声を振り絞った。苦しんでいる律を見て、菫の心は大きく揺れ動いた。二人の視線を受けて、決断の時が来た。

菫「…………」

菫「わかりました……」

菫「あなたの好きなようにしてください……!」

菫は目を瞑って言い放った。その瞬間、Aの口元が大きく緩んだ。

Aはまるで一歩一歩を味わうかのようゆっくりと菫に近づいた。菫は身を縮めてAを拒んだ。直は瞬きもせずにその様子を見つめていた。

Aは卑しい手つきで菫の顎に手を添えた。菫の全身の血の気が引いた。勇気を振り絞って体の震えを止めようとしたが、悪化する一方だった。菫はAの顔を見た。爛々と目を輝かせていて、悪意の象徴だと思った。

律「やめろ……!」

律はAに呼び掛けたが、Aどころか誰の耳にも届いていなかった。全員が菫とAを見つめていた。Aは菫の縄を解き、胸元に手を伸ばした。

ギイイイイイイィッ

A「!?」

律「!!」

重々しい金属製の引き戸の開く音が響いた。Aは顔を引き攣らせて素早くコンテナの向こうを見つめた。Bが肩を竦めてため息をついた。

B「大丈夫だろ、見張りがいるんだ」

A「……そうだな」

Aもため息をついて菫の方に向き直った。引き戸の方向を見つめているのは律だけになった。

カッ!

突如、白い光が暗い天井を照らした。その直後、大きな呻き声と何かが地面に落下する音が聞こえた。音から察するに人間が倒れた音であると思われた。

ABC「???」

誘拐犯たちは光には気がつかなかったものの、何か異変が起きているのは察知したようだった。

だんだんと足音が聞こえてきた。誘拐犯たちがそれぞれの武器を構え、コンテナを注視した。すると、コンテナの影から人影が姿を現れた。

澪「止まりなさいっ!」

澪の姿を見た律は口を開けて呆然とした。誘拐犯たちも同様だった。

菫「……!!」バッ

B「しまった!」

虚を突かれて、固まっていた誘拐犯たちの隙を見て、菫はBの持っていたナイフを払い落とし、素早く拾い上げて律の背後に回り、縄を切り解いた。

律「ありがとう!」

菫「いえ!」

自由に動けるようになった律はゆっくりと立ち上がった。少し動いただけで体が悲鳴を上げた。

A「誰だお前はっ!」

澪「私は探偵だ!」

澪「困っている人を助けに来たっ!」

A「くっ……!」スッ

Aは特殊警棒をポケットにしまい込み、代わりに拳銃を取り出した。それを見た律はギョッとした。Aが手にしている拳銃は律の物だった。

A「動くなっ!」

澪「…………」

Aが律と菫に銃口を向けたのを見て、澪は静止した。

A「それ以上近づくと撃つ!」

澪は銃を見ていなかった。澪は律の方を見つめていた。律もまた、澪を見つめていた。

澪「律!」

律「!!」バッ

澪は大声を出して右腕を上げた。誘拐犯たちは澪の腕を見つめた。律は澪の手に握り締められている物体を見て、菫を抱きかかえながら走り出した。そして、二人で直に飛びついて地面に伏せた瞬間

カッ!

強力な閃光が駆け抜けた。それはストロボ弾だった。誘拐犯たちはまともに閃光を浴びて目が眩んだ。

A「ぐあっ!」

澪「今だ!」

澪の掛け声と共に唯、紬、梓、純がなだれ込んだ。各々が例の防犯グッズを持ち、誘拐犯たちに狙いを定めた。

パパパーン

黒い筒から勢いよく網が飛び出して、誘拐犯たちの体に巻きついた。

C「なっ……!」

B「見えねぇ! 見えねぇよっ!」

A「くそっ!」

純「大人しくしてください!」

純は警棒を誘拐犯に向けて言い放った。誘拐犯たちがもがけばもがくほど、網は複雑に絡まっていった。

紬「菫!」

菫「お姉ちゃん!」

紬は菫を見つけると、駆け寄って強く抱き締めた。紬に抱きつかれて安心したのか、菫は再び泣き出した。

菫「怖かったよ…………! お姉ちゃん……!」

紬「すぐに来られなくてごめんね……」

紬は優しく菫の頭を撫でた。菫は紬の胸の中で泣きじゃくった。

直「…………」

直は呆然と倉庫の天井を見上げていた。そんな直の背中に梓と純が恐る恐る声をかけた。

梓「あの……大丈夫……?」

梓が呼びかけると、直はゆっくりと振り返った。

直「私たち……助かったんですね……」

梓「そうだよ」

直「はぁ……」

直「疲れた……」

ドサッ!

梓純「わっ!」

直は力が抜けてヘナヘナと崩れ落ちた。梓と純が慌てて直を支えた。

直「すいません……怖かったので……」

純「ううん、気にしなくていいよ」

そう言って純が微笑みかけると、直も少し微笑んだ。



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