翌日 秋山探偵事務所

澪唯「おー……」

机の上にずらりと並べられたお菓子を眺めて、二人は感嘆の声を上げた。どう見てもそこらで売っているようなお菓子ではない。

紬「紅茶も持って来たの!」

唯「わぁ~!」

紬はティーセットをお菓子の皿の横に置いた。これもただの代物ではないのだろう。唯は机の上を見て、目を輝かせた。

唯「食べてもいい!?」

唯は体をうずうずさせて、今か今かと待ちわびていた。

紬「どうぞ、召し上がれ!」

唯「いただきまーす!」

唯は近くにあったクッキーを手に取り、それを口にした。

唯「おいし~!」

澪「本当だ……おいしい……!」

紬「よかった」

紬は穏やかに微笑みながら、カップに紅茶を注いだ。唯と比べて手際がよかった。そして、二人の前にカップが並べられた。

紬「お茶入れたよ」

澪「ありがとう、ムギ」

澪は慎重にカップを持った。近くで見ると、やはりどこか高級感に包まれている気がした。澪は思いきって一口飲んでみた。

澪「おいしい……」

澪はうっとりとした表情で至福のひと時に浸った。日頃の疲れを忘れられる瞬間だった。

紬「うん、おいしい……」

紬も紅茶を飲み、微笑みながら左手を頬に添えていた。事務所には緩やかなティータイムが流れていた。

コンコン

澪唯紬「!!!」

突如、事務所にノックが鳴った。澪は思わず立ち上がり、改めて机の上を見渡した。もし、来たのが依頼人ならば、こんな有様を見せるのはみっともない。
しかし、紬は既に事務所の扉へと向かっていた。

紬「はーい」

ガチャ

紬「はい?」

純「こんにちはーっ!」

純「……あれ?」

現れたのは純だった。しかし、純は見慣れない人物を見て少し戸惑った。

紬「?」

梓「あのー……ここって、秋山探偵事務所ですよね……?」

純の後ろに立っていた梓も姿を現した。

紬「そうですけど……」

唯「純ちゃん! 梓ちゃん!」

純「あっ! 唯さん!」

唯が三人の元に駆けつけた。紬は梓と純を見つめてから尋ねた。

紬「この子たちは唯ちゃんのお友達なの?」

澪「以前、この二人の依頼を解決したんだ」

澪も駆けつけて、紬に説明した。

紬「へぇ~!」

紬は感心したように感嘆の声を漏らした。

純「この人は……?」

唯「新しい助手のムギちゃんだよ!」

紬「どうも、初めまして、琴吹紬といいます」

梓「は、初めまして……!」

純「初めまして……!」

梓と純は紬の畏まった態度に少し緊張した。

澪「ところで、今日はどういったご用件で?」

そう言った直後に、梓と純が黒いケースを背負っているのに気づいた。

梓「さっき、ライブハウスに行ってたんです」

純「で、その帰りにここに寄ったわけです」

澪「まったく……」

屈託なくの無い笑顔を浮かべながら話す純を見て、澪はため息をついた。

梓「すいません……迷惑ですよね……」

澪「いやいや! そういう事じゃないんだ!」

唯「まぁ、お茶でも飲んでいきなよ!」

純「やった!」

唯は一歩後退し、手招きして梓と純を呼んだ。

梓「いいんですか?」

唯「うん!」

紬「じゃあ、私お茶入れるね!」

紬はにっこりと微笑んでから、準備にかかった。心なしか、その後ろ姿は嬉しそうに見えた。

澪「…………」

唯と梓と純の三人はソファーに向かい、澪はその場に立ち尽くした。

唯「ねぇねぇ、二人が持ってるのってギターなの?」

梓「純のはベースで私のがギターですよ」

唯「へぇー……!」

唯は顔を輝かせてケースに入ったギターとベースを見つめた。純は唯がケースを見つめているのに気づいた。

純「……見てみますか?」

唯「えっ! いいの!?」

純「はい、どうぞ」

唯「わっ! 意外と重いんだね」

梓「私のギターは純のベースよりは軽いですよ」

唯「本当だ! ちょっと小さいね」

唯「ありがとう、かっこいいね!」

梓「そうですか?」

紬「お茶入れたわよ~」

梓純「ありがとうございます」

紬「どうぞ、ゆっくりしていってね」

梓純「い、いただきます……」

二人はカップを手に取り、紅茶を飲んだ。

梓純「(おいしい……!! おいしすぎる……!!)」

梓は思わずカップの中身を覗き込んだ。よく見てみると、どこか高級感に満ちている気がした。隣の純を見ると、雷に撃たれたような表情を浮かべて固まっていた。

梓は顔を上げて紬の顔を見た。綺麗で長いブロンドヘアー、どこか気品のある雰囲気。梓はいつの間にか見入ってしまっていた。

紬「何か顔に付いてる?」

梓「あっ! いえ! 何でもありません……」

梓はその場を誤魔化すようにカップに口をつけた。顔が紅潮しているのがわかった。

梓「(綺麗な人だなぁー……)」

唯「ところで、さっき言ってたライブハウスって何?」

澪「ライブハウスというのはだな……」

澪「ロックやジャズの演奏が生で聞ける施設なんだ!」

気を取り直した澪がみんなの元にやってきて力強く説明した。

梓「澪さん、音楽やったことあるんですか!?」

梓は新しい玩具を買ってもらった子どものような目で澪を見つめた。梓の眩しい視線に澪はたじろいだ。

澪「い、いや……やったことはないかな……」

純「じゃあ、音楽に興味ありますか?」

澪「うん、音楽は好きかな」

唯「私はよくわかんないや」

唯は頭を掻きながら笑ってみた。

紬「私も音楽は好きかな」

純「ムギさんは何か音楽やったことあるんですか?」

紬「私は4歳の頃からピアノをやっているわ」

唯純「おぉー……」

梓「(やっぱりお嬢様なのかな……)」

純「音楽に興味あるなら、CD貸しますよ!」

澪「え? じゃあ、借りようかな……」

澪がCDケースに手を伸ばしたその時

梓「!!」ピクッ

突然、梓の中で何かが閃いた。梓の好奇心がどんどんと湧き上がってきた。
これならいける! 梓は直感的にそう思った。

梓「澪さん!」

梓は勢いよく立ち上がって澪の顔を見た。

澪「どうしたの?」

いきなり梓が立ち上がったので、澪は少し体を仰け反らした。

澪「音楽やりませんか!?」

澪「音楽……?」

梓「そうです! 音楽です! バンドです!」

梓のテンションは最高潮に達した。あまりの出来事に隣に座っている純も呆然と梓を見上げている。

澪「いや……楽器なんて殆ど触ったことないし……」

梓「初めは誰でも同じです!」

澪「で、でも……他のメンバーとかが……」

梓「大丈夫です! 初めは純と二人でどこかに入ろうと思ってたんですけど、純が忙しくなってきて、今は私一人です!」

澪「いや、でも……ほらっ! 仕事があるから!」

梓「趣味程度でも構わないですから!」

澪は退路を失ってしまった。なぜ、こんなにも避けようとするのか、自分でもよくわからなかった。

唯「面白そう!」

紬「楽しそう~!」

澪「え?」

唯と紬は興味ありげに梓を見つめた。澪はまた自分だけが取り残されている気がした。

唯「私も何かやってみたいな~」

梓「やりましょう、唯さん!」

紬「私もバンドやってみたい!」

梓「お願いします!」

梓は二人に頭を下げた。

梓「まぁ、三人でもバンドは組めますが……」

梓「あと、一人欲しいですね……」

そう言って梓は澪を見つめた。唯と紬もそれに続き、先程まで梓を見上げていた純までもが澪を見つめていた。澪は自分に視線が集まっているのに気づいた。澪はため息をつきながら、決心した。

澪「わかったよ、やるよ……」

唯「やったー! バンド結成だね!」

唯は両腕を上げて喜んだ。紬と梓も微笑んでいる。澪はそんな様子を眺めている純に声をかけた。

澪「純ちゃんは入らないの?」

純「私は少し仕事の方が忙しくなってきたので」

澪「そっか……」

しかし、純もどこか嬉しそうな表情だった。

梓「それじゃあ、楽器を決めましょうか!」

紬「はい! 私、キーボードやりたいです!」バッ

紬が素早く右手を上げた。

梓「そうですね、それでいいと思います!」

紬「やった!」

紬は小さくガッツポーズした。

梓「澪さんはギターなんてどうですか?」

梓は笑顔で澪に提案した。しかし、澪の表情は冴えなかった。

澪「ギターは目立って恥ずかしいから嫌だ……」

純「じゃあ、ベースなんてどうですか?」

澪「ベースか……」

澪はベースを弾いている自分の姿を想像してみた。想像の中の自分は決して目立ちすぎず、だからといって他の楽器の音に埋れていなかった。それは澪にとって、理想的な光景だった。

澪「ベースならできるかも……」

梓「じゃあ、澪さんはベースですね」

唯「私はどうしようかなぁー……」

梓「あとは……ギターとドラムぐらいですかね……」

唯「うーん……ドラムかぁ……」

唯はドラムを叩いている自分の姿を想像してみた。スティックを持って不安気な表情でオロオロしていた。

唯「たくさんのこと同時にできないや」

梓「じゃあ、唯さんはギターですね」

梓「今度、みんなで楽器を見に行きませんか?」

唯「うん! 行こう、行こう!」

紬「楽しみ~♪」

盛り上がっている四人を見て、大変な事になってしまった、と澪は思った。その反面、新しい趣味を始めるのも悪くないとも思った。



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