三日後 秋山探偵事務所
唯「誰も来ない……」
澪「…………」
探偵事務所には何一つ音沙汰が無かった。唯は口を開けて、呆然と天井を眺めている。澪は奥にある冷蔵庫を見つめた。今日も二人だけでケーキを食べることになるのだろうか。
澪「(一人くらいは来ると思ってたけど……)」
澪「(……まったく来ない)」
澪が暑さと失望感のせいで項垂れた瞬間
コンコン
澪唯「!!」
静かな事務所にノックの音が鳴った。澪は急いで扉を見つめ、唯はソファーから転げ落ちた。
澪「唯……!!」
唯「……!!」
唯は黙って立ち上がり、転げ落ちたせいでボサボサになった髪のまま扉へ向かった。そして、ドアノブを握り締めて扉を開けた。
ガチャ
唯「はい……」
唯が恐る恐る扉を開けた。
その直後、唯は目を丸くして固まった。唯の目の前にはブロンドヘアーの女性が立っていた。唯はその神秘的な雰囲気に圧倒され、黙ることしかできなかった。
唯「…………」
唯は口をあんぐりと開けて硬直を続けた。
「あのー……」
異変に気づいた澪も扉へと駆けつけた。そして、女性と目が合った瞬間に、唯同様に固まった。
澪「ご、ご用件は……」
澪は何とか口を開いて話しかけてみた。
「助手を募集していると聞いて来たんですけど……」
澪「あっ! そうなんですか!」
澪「どうぞ、中へ!」
澪「唯! いつまでそうしてるんだ!」
唯「はっ……!」
唯「すすっすいません!」
唯は我に返り、急いで紅茶の準備を始めた。澪はブロンドヘアーの女性を中へ招き入れ、ソファーに座らせた。
澪「えーっと……(金髪で目が青くて綺麗な人だなぁー……)」
澪は女性の青い瞳を見ると、何を話せばいいのかわからなくなってしまった。
澪「すいません……こういう事は初めてなので少し緊張して……」
「緊張しなくていいですよ?」
女性が穏やかに微笑むと、不思議と気持ちが楽になった。澪は目を閉じて深呼吸した。
澪「すいません、助手希望でしたね」
澪「ではまず、お名前を聞かせてください」
紬「琴吹紬と言います」
澪「琴吹……紬さんですね」
澪はメモ帳を手に取って、急いで書き留めた。その間に唯がやって来た。
唯「どうぞ、紅茶とケーキです!」
紬「どうも、すいません」
唯「いえいえ!」
紬が頭を下げて礼を言い、唯が得意気な顔で返事をした。
澪「えーと……次の質問ですが……」
澪「志望動機は何ですか?」
紬「…………」
澪は一瞬、紬が神妙な顔つきになった気がした。
紬「探偵の仕事に興味があったからです!」
澪「と言うと?」
紬「初めに、困っている人をどんな方法で助けるのか気になったんです」
紬「そうしてると、自分も人助けになるやりがいのある仕事がしたくなってここに来ました!」
澪「なるほど……」
澪はメモを書き留めながら感心していた。
紬「それに……」
澪唯「?」
紬「自分にもやりたい事があったから!」
紬は拳を握り締めて意気込みを表した。澪は紬の意志の強さを肌で感じ取った。
紬「あっ! すいません……つい……」
紬は顔を赤らめて申し訳なさそうに頭を下げた。唯が少し前のめりになって尋ねた。
唯「何かあったの?」
紬「……実は、ここに来る前に父からある仕事を勧められていたんです」
紬「父は昔からそうでした。何でも勝手に決めてしまって、私はそれに従うしかありませんでした」
澪「…………」
紬「でも、私はそれが嫌で父に頼みました」
紬「すると、一ヶ月の猶予をくれたので、私は色んな所を探し回って、偶然この事務所が募集しているのに気づいたんです」
紬「そして、今日に至ります」
澪は改めて紬を見つめた。なるほど、確かによく見ると、お嬢様だ。服装も髪の色も雰囲気も何もかも、一般人とは異なっている。
しかし、彼女は今、自らその世界から抜け出そうとしている。澪はそんな紬の意志を尊重したいと思った。澪は決心した。
澪「わかりました……」
澪「琴吹さんがよければ、この事務所で一緒に働きませんか?」
唯「!!」
紬「!!」
唯は隣にいる澪の横顔を見つめ、紬の表情はみるみる明るくなった。
紬「はい! よろこんで!」
唯「やったーっ!」
唯は紬の両手を掴み取り、歓喜の声を上げた。
唯「これから、一緒に頑張ろうね!」
紬「はいっ! よろしくお願いします!」
澪「やれやれ……」
澪は満更でもない笑みを浮かべて、その光景を眺めていた。
翌日 秋山探偵事務所
紬「本日よりお世話になります、琴吹紬です!」
紬「よろしくお願いします!」バッ
紬は勢いよく、澪と唯にお辞儀をした。澪は少しまごついてから紬を見た。
澪「じゃあ、一応私も……」
澪は大きく咳払いした。
澪「秋山探偵事務所の秋山澪です」
唯「その助手の平沢唯です! よろしくね!」
紬「はい!」
紬は元気よく返事した。唯はまだ紬の顔を見つめていた。手をモジモジさせ、まだ何か言いたい事があるようだった。
唯「ねぇねぇ! 琴吹さんのこと、ムギちゃんって呼んでもいい!?」
紬「ムギちゃん?」
澪「こ、こら!」
唯は目を輝かせて紬を見つめた。紬はにっこりと笑みを浮かべた。
紬「いいですよ!」
唯「やったー!」
唯は両腕を上げて、万歳をした。紬も嬉しそうな表情だった。
唯「あ、仕事中でも、そうでない時も私たちには敬語じゃなくてもいいよ!」
紬「え? それは……」
紬は困惑した表情で澪を見つめた。
唯「同じ歳なんだから大丈夫だよっ!」
紬「そうかな……」
紬は唯と澪の顔を交互に見合わせた。
紬「……じゃあ、これからもよろしくね! 唯ちゃん、澪ちゃん!」
唯「うん!」
澪「う、うん……」
唯「そうだっ! せっかくだから、パーティーやろうよ!」
澪「え?」
唯は手の平に拳を落とした。澪は唯の会話の流れの速さについていけなかった。紬もきょとんとしている。
唯「ムギちゃんが来たんだから、お祝いしなくちゃ!」
唯「さっ! 二人とも! 買い物に行こうーっ!」
紬「え? え?」
澪「ちょ……押すなって!」
唯「早く行こう!」
唯は意気揚々と澪と紬の背中を押して事務所を後にした。
翌日 秋山探偵事務所
唯「はぁ~! 昨日は楽しかったね!」
紬「昨日はありがとう! 本当に楽しかった!」
澪「喜んでくれてよかったよ」
昨日は依頼が来ないのをいい事にパーティーを開いていた。紬が喜んでいる様子だったので澪は安心した。
紬「ところで、仕事って何をするの?」
澪「えーっと……」
唯「依頼が来るまで待つんだよ!」
紬「それからは?」
唯「それだけだよ」
紬「依頼が来るまでの間は何をするの?」
澪「あー……」
唯「いつもは、お菓子とか食べたりして時間を潰すんだっ!」
紬「…………」
唯「今日は持って来るの忘れたんだけどね……」
澪は紬が呆然としているのを見てギクリとした。紬を迎え入れて、事務所を引き締め直そうと考えていた。しかし、今後もこんな醜態が続けば、紬が仕事を辞めてしまうかもしれない。
澪「あ、いや……」
紬「楽しそう……!」
澪「え?」
澪は間の抜けた声を出して、満面の笑みを浮かべる紬を見た。澪は既に嫌な予感がしていた。
紬「唯ちゃん、心配しないで!」
紬「明日からは私が毎日お菓子を持って来るから!」グッ
紬は私に任せてとばかりに両手を握り締めた。
唯「本当に? ありがとう~!」
紬「いえいえ」
澪「ちょっと待ったーっ!」
このまま話が落着しそうになっていたので、澪は強引に割り込んだ。唯と紬は不思議なものでも見るかのように澪を見つめた。
唯「どうしたの?」
澪「ここは探偵事務所だぞ! のんびりとお菓子を食べて優雅に時間を過ごす部屋じゃないんだ!」
澪「それに毎日持って来てもらうなんてムギに迷惑だろ?」
紬「ううん、父の仕事の関係で家に余るほどあるから大丈夫!」
澪「(余るほど貰うムギの家って一体……)」
紬「だから、楽しみにしててね!」
唯「うん!」
唯の頭の中は明日のお菓子のことで一杯になった。そんな唯を見て、澪は頬杖を突きながらため息をついた。