シコ_2010年外語祭展示


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シコの年表

シコのミニ・バイオ

シコの思想性

シコの物語性

軍政のとの戦い
 「Apecar de voce」

軍政に禁止された歌

詩としての技巧


■パネル2枚--共通テーマ『リオデジャネイロ』
■パネル1「シコ・ブアルキ」
●Part1 シコ・ブアルキ
Fado Tropical_1972-1973
Apesar de você_1970
Quem te viu, quem te vê_1966
Vai Passar
Tatuagem_1972-1973
João e Maria_1977

●Part1 シコ・ブアルキの描いたリオデジャネイロ
Homenagem ao malandro
Morro Dois Irmãos_1989
Carioca_1998
Pivete_1978

■パネル2「歌の中で描かれたリオデジャネイロ」
カエターノ・ヴェローゾ「オンヂ・オ・ヒオ・エ・マイス・バイアーノ(リオがバイアーノに近い場所)」
アドリアーナ・カルカニョット「カリオカ」
  • Aquele Abraço Gilberto Gil
  • Adeus Rio de Janeiro
Luíz Gonzaga
Composição: Zé Dantas e Luiz Gonzaga
  • Rio de Janeiro
Elza Soares
Composição: Guinga e Aldir Blanc
  • Rio de Janeiro
Ary Barroso
Composição: Ary Barroso
  • A Voz do Morro
Jair Rodrigues
Composição: Zé Kéti
  • Samba do Avião
Tom Jobim
Composição: Antônio Carlos Jobim
  • Rio 40 Graus
Fernanda Abreu
  • Ela é Carioca
Vinicius de Moraes
Composição: Vinicius de Moraes / Antonio Carlos Jobim
  • Carioca da Gema
Beth Carvalho
Composição: Arlindo Cruz / Franco / Sombrinha

Cidade maravilhosa


ジョアン・ジルベルトのデビュー・アルバム『想いあふれて』を聞いてショックを受け、ヴィオラゥンを弾き始めたというシコは、サンバやショーロ、ヴァルサやマルシャなどリオ特有と卓越した作詞能力で、ちょうどボサノヴァからMPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)へと移り変わろうとする時代を描いた主要アーティストの1人となる。だが、当時ブラジルでは64年に誕生した軍事政権が厳しい言論弾圧を敷いていた。センスーラ(当局による検閲制度)は熾烈を極め、その対象は単に反政府的な言動だけに留まらず、一般社会の慣習やモラルなどにも及んだ。

検閲当局との闘いが彼を有名にしたが、シコの作品の特質は根本からリリカルなことである。

91年には『エルトルヴォ』、95年には『ベンジャミン』と2つの長編小説を発表し、作家としても高い評価を得るようになる。執筆中は全く音楽の仕事をしない人なので、出版後にリリースされる新作アルバムとライヴはいつも驚異的人気だ。ブラジル人は本当にシコ・ブアルキを愛しているのだ。「彼の曲は、ブラジル国歌のようなもの」と断言する人もいる。そんなブラジル人に「シコの魅力を一言で」と訊ねると、「自分の考えを言葉にしてくれるアーティスト」という答えが返ってくる。彼の書く歌詞は非常に詩的で、しかも鋭い。さまざまな事象や心情を、いろんな視点から歌にしているが、時には女性1人称を使うこともあり(男性においては極めて珍しい)、これがまた素晴らしいのだ。ブラジル人の考えや心情を深いところで理解し、美しい言葉に置き換え、しかも小粋なサンバやショーロ、マルシャやヴァルサに乗せて歌う。こんなことができるシコが、人々の敬愛を勝ち取らぬはずはない。


ミロール・フェルナンデスのかつての名言「ブラジル唯一の国民的満場一致」という言葉が言い当てているように、シコ・ブアルキは階級や人種の違いを飛び越えて、ブラジルのあらゆる階級から理解と信頼を獲得している稀有なアーティストだ。

当時のシコの夢は、「ジョアン・ジルベルトのように歌い、トム・ジョビンのように曲を、ヴィニシウス・ヂ・モライスのように詩を作ること」だった。

1人のアーティストがアーティストとして完成するには、いくつかの段階や経緯があるのが普通だ。トム・ジョビンには「トム・ジョビンが形成されていった」過程があるし、同じことはジョアン・ジルベルトにもカエターノ・ヴェローゾにも言える。しかし、そもそもの最初から「ブラジル人とは何か」という命題を背負っていたシコは、大袈裟に言えば、「生まれた時からシコ・ブアルキだった」のではないかと思う。そのシコはこのあとの軍事政権の台頭の中で、ブラジル社会にとって本当になくてはならない存在になっていく。

1968年12月13日、軍政令第5号が発令され、軍事政権は独裁と弾圧を一段と強化する。

この『コンストルサゥン』がトロピカリアの作品群と決定的に異なっているのは、シコがあくまでもサンバによってその改革を遂行している点に尽きる。英米の音楽の手法など借用しなくても、ブラジル音楽が持ち備えている要素を再構築するだけで、これほどまでに豊かで、美しくて、なおかつ時代に完全に呼応した新しい音楽が生み出せるのだということを、シコは世界に示したのだ。

多くのブラジル人にとって、シコ・ブアルキというアーティストの存在が鮮明に印象付けられたのは、軍事政権が独裁の猛威を振るった1970年代だったことは想像に難くない。軍政と対立したミュージシャンはシコだけではなかったが、さまざまな階級から支持を獲得していたシコが「闘争」の象徴的な存在だったことも確かである。

1964年にカステロ・ブランコがクーデターを成功させる直前まで、シコは軍部の暴走は学生たちが立ち上がって阻止するものと楽観していたという。

シコは青年期から左翼的な思想の持ち主だった。1962年のキューバのミサイル危機の際には、高校のクラスで1人だけフィデル・カストロを支持して、「君はインテリの息子だからだよ」と同級生にかわかわれたそうだが、この指摘は本質を突いている。シコは父親のセルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダから、のちの行動の基盤となる価値観や世界観を受け継いでいたと思われる。それはおそらく共産主義や社会主義というイデオロギーそのものではなく、弱者に対する視線、体制に追従しない姿勢、権力を監視する態度、暴力を否定する立場などの基本的な生き方・考え方だったように思える。70年代のシコを衝き動かしていたのは、そのような純粋な正義感だった。


 そのような状況に対するシコの反応が1970年のサンバ「アペザール・ヂ・ヴォセ」だった。歌詞の中の「あなた(ヴォセ)」がメヂシ大統領を指していることは誰の目にも明らかだった。シコは絶対に検閲を通過しないと考えて予備検閲に提出した。ところがこれがどういうわけか検閲を通過してしまった。
 「アペザール・ヂ・ヴォセ」がシングルレコードとして発売されてラジオで流れ始めると、国民の各層から熱狂的な反応が起こった。しかしもう少しのところでレジスタンスの聖歌とまではならなかった。発売の一ヶ月後、すでに10万枚が売られていたのだが、「アペザール・ヂ・ヴォセ」は禁止され、レコードは回収された。軍はリオのアルト・ダ・ボアヴィスタの工場を閉鎖して、在庫されていたレコードを破壊した。
 シコは当然に呼び出されて尋問を受けた。「<あなた>というのは誰のことだ?」と詰問されたシコは、「すごく横暴ですごく横柄な1人の女だよ」と答えたという。

1989年のラジオ・インタビュー
「もし作品を分類するのなら、君もそうするだろうけれど、『コンストルサゥン』から『メウス・カーロス・アミーゴス』までの全作品は僕が生きていた国に制約されている。あの時代全体に言及している。窒息しているものも存在するけれど、プロテストと呼ぶことができる──僕はプロテストソングを作ったとさえ思っていないけれど──僕が生きていた現実に、国の政治的現実に直接言及している曲は存在する。すでに伊一息ついていて、禁止されていた曲が新たに登場しているシダのレコードまでは。検閲に対する闘争はもはやなかった。表現の自由のための検閲との闘争は、70年代の5枚のレコードにはすごくある。それらは70年代の顔を持つレコードだ」


本人は必ずしも本意ではなかったかもしれないが、1970年代のブラジル(あるいはラテンアメリカ)という特殊な状況から、対軍事政権の闘士に祭り上げられたシコ・ブアルキ。「民主主義の勇者」だったシコに対し、映画監督のグラウベル・ホーシャは、「僕たちのエロール・フリン」という言葉を残している。この時期シコが失ったものは多かったに違いない。しかし同時に独裁政治の暴風雨の中で、シコが獲得したものも少なからずあった。それは、「大衆のために闘うシコ」という、人々の心の中で決して消えないイメージだった。

多くの人が指摘しているように、シコ・ブアルキの最大の魅力は彼が生み出す歌詞にある。シコは作曲家としても超一級だが、同時に、あるいはそれ以上に、ブラジルの大衆音楽を代表する卓越した作詞家だ。

シコにおいて虚構の世界を創作しているのであって、どれほど生き生きとした表現においても、単純に自分の気分を書き綴っているわけではない。

僕は言葉の最良の音の響きを、言葉の音楽性を知っているからだ。もし音楽を知らなかったら、音楽に歌詞を作ることはできなかっただろう。

1985年の民政移管を境に、シコにとっての創作の意味は変質したのではないかと思う。この時を契機に、もともと持っていた表現者としての2つの顔のうち、ジャーナリストの面が一歩後退し、アーティストの面がシコの動機を支配するようになったように思える。