勉強会


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!!2007年5月4日(土)

!今月はガンジー自伝の227ページから最後までで印象に残ったことを紹介。(渡辺)

ガンジーが影響を受けた本としてラスキンの「この最後の者に」がある。この中に、

1.個人の中にある善はすべてのなかに潜んでいる善である。

2.すべての人が彼らの労働から彼らの生計を得る権利を持っている限り、法律家の仕事と理髪屋の仕事同じ価値を持っている。

3.労働の生活すなわち、地を耕す者の生活や手工業者の生活はともに生きるに値する生活である。

ガンジーは政治的活動を行うようになり、新しい言葉を作った。「サッティーヤグラハ」-真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力(市民の非暴力、非服従運動)である。この運動を行うのと平行してガンジーの行動規範が作られていった。大きく分けて4つある。

1.自己抑制

精神は肉体の中に存在し、肉体は肉体的な欲望を持つ。肉体的な欲望にしたがって行動すると精神は肉体の奴隷となる。情欲を精神から根絶し、清らかな精神を持つためには、自己の抑制が必要である。自己の抑制としては、刺激の少ない食べ物を食べることと時々の断食があるとのこと。自己の抑制を行う際には行動が中心になるのではなく、精神が中心になるべきである。

2.万人に奉仕する精神を持つ。

掃き掃除や便所掃除を率先して少しも苦にせずに行うなど、細かい心づかいをしないで他人に命令を下してはいけない。出なければみんなが大将気取りになり権力争いが生じる土壌を作ってしまう。組織の目的を見失いやすい。

3.非暴力

粗暴に走らないことがサッティーヤグラハの最も難しいところである。生まれながらの穏やかさと敵に対する善行を保つ。

4.先ず現行の規律を忠実に従うこと

人が市民的非服従の実践に適するようになるには、その前に国家の法律に積極的かつ尊敬をこめた服従を行っていなければならない。忠実に服従してはじめてどの特定の法律が善で公正であるかが分かり、非服従を行う権利を持つ。

ガンジーの生き方は市民の問題を取り除くことを使命としてのものであり、金持ちになりたいとか権力を得たいということを起源にもたない。人類の福祉に貢献することを目的とすることはそうでない目的の場合よりも同じ志を持つものをより多くひきつける。どのように生きるべきかということは人それぞれであるが、ガンジーの生き方は偉大で素晴らしく見える。自分で満足できる生き方をしたいという気持ちがあるが、自分の何を満足させるか。金銭的欲望、肉体的欲望、社会的欲望。使命。生きがい感。さまざまである。

!!2007年3月3日(土)

!今月はガンジー自伝(マハトマ・ガンジー著 中公文庫)(初めから226ページまで)につい印象に残った部分をまとめて紹介した。

ガンジーは「宗教の本質は道徳性にある」と言った。彼の精神面での目標は「自己の完成、神に見えること、人間解脱に達すること」であり、この目標に向けて生活を行った。自分の内面を評価するときに要求されるものとして、彼は「科学者が要求するものと同じものをもって行うこと」ということを提示した。それは

非常な正確さ

熟慮

細心の緻密さ

得た結論に最終的な決定を要求しない

結論に常に公平な心を持ち続けている

ということである。 そして自信を判断するにあたりできるだけ厳しく、誠実であるように勤めるという態度をとった。 そのような態度で自分を判断したとき、彼は、 「われのごとく小賢しく いやしきものありや 造り主主を見捨てたるわれ われはかく不信の徒なり」と自分を評価した。 そして自身を神から遠く引き離しているのが内心に宿る邪悪な欲情であることを彼は認めており、さらにそこから逃げ出すことができないでいるといっている。

この部分に非常に人間らしさを感じた。そして宗教と自己との関係というものは多分そのようなものなのではないかと思われた。

ガンジーは生活の中で次のようなことを大事なことであると考えた。

徳はいっさいの土台である。そして真実はすべての徳の実体をなす

善をもって悪に報いよ

どこまでも忍耐しなければ人々に働いてもらうことは不可能である。

真実は大きな樹木に似ている。それを養えば養うほどそれだけおおくの実を結んでくれる。

奉仕の生活には奉仕事態が報酬である

公のために奉仕している者はけっして高価な贈り物はもらってはならない。

人間に食事の時間があるのと同様に身体訓練の時間を常につくっておかなければならない。

渡辺

!先月に引き続き般若心経について、内容について考えてみた。

般若心経 (三蔵法師玄奘訳)

観自在菩薩 (観音菩薩が、) 行深般若波羅蜜多時(深遠な知恵を完成するための実践をされている時、) 照見五蘊皆空(人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、) 度一切苦厄(すべての苦しみを取り除かれたのである。) 舎利子(そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、)  色不異空 (形あるものは実体がないことと同じことであり、) 空不異色(実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。) 色即是空(したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、) 空即是色(実体がないことがそのまま形あるものとな っているのだ。) 受想行識残りの、心の四つの働きの場合も、) 亦復如是(まったく同じことなのである。) 舎利子 (舎利子よ、) 是諸法空想(この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、) 不生不滅 (もともと、生じたということもなく、滅し たということもなく、)  不垢不浄よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、) 不増不減(増えることもなく、減ることもないのである。) 是故空中無色 (したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、) 無受想行識 (感覚も念想も意志も知識もないし、) 無限耳鼻舌身意 (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、)  無色声香味触法(形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、) 無限界乃至無意識界 (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。) 無無明(さらに、悟りに対する無知もないし、) 亦無無明尽 (無知がなくなることもない、) 乃至無老死ということからはじまって、ついには老と死もなく) 亦無老死尽 (老と死がなくなることもないことになる。) 無苦集滅道 (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。) 無知亦無得(知ることもなければ、得ることもない。) 以無所得故 (かくて、得ることもないのだから、) 菩提薩垂 (悟りを求めている者は、) 依般若波羅蜜多(知恵の完成に住する。) 故心無圭礙 (かくて心には何のさまたげもく、) 無圭礙故無有恐怖(さまたげがないから恐れがなく、) 遠離一切転倒夢想(あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、) 究境涅槃(永遠にしずかな境地に安住しているのである。) 三世諸仏(過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は) 依般若波羅蜜多故(知恵を完成することによっているので、) 得阿耨多羅三藐三菩提(この上なき悟りを得るのである。) 故知 (したがって次のように知るがよい。) 般若波羅蜜多(知恵の完成こそが) 是大神呪(偉大な真言であり、) 是大明呪 (悟りのための真言であり、) 是無上呪(この上なき真言であり、) 是無等等呪 (比較するものがない真言なのである。) 能除一切苦 (これこそが、あらゆる苦しみを除き、) 真実不虚 (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。) 故説般若波羅蜜多呪(そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。) 即説呪曰(すなわち次のような真言である。) 羯帝羯帝波羅羯帝(往き往きて、彼岸に往き、) 波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者こそ、) 菩提(悟りそのものである。) 僧莎訶(めでたし。) 般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)

!!2007年2月3日(土)

!子は親の鏡(渡辺) 本日は子は親の鏡というドロシー・ロー・ノルトの詩を題材に取り上げた。

教育とは種を蒔くようなような仕事であるということに関連し、子育てと関連させて教育について考えた。子どもの行動は 親の普段の行動を反映したものであると考える。広い心で接してあげると子どもは切れにくくなるという。子どもに基本的に裁量を任せ、選択肢を親が絞り込んでしまわないことが子どもの思考力と自立性の向上に大事であろう。

西洋的ものの考え方と東洋的なものの考え方について話題になった。どちらか一方がよいということではなく、日々の生活の中では両方あるのが自然であると思う。

!仏教の心髄のエキス般若心経について(池田) 6世紀半ば、日本に仏教が伝来した。その仏教の開祖は「釈迦」である。 お釈迦さまの教えとは、「人間の本当の幸せとは何か、どのようにすれば真実の幸せに至ることができるか、人間はどのように生きるべきか。」というものである。実際にお釈迦さまが説かれた教えは、莫大な数にのぼる。これを文字化してでき上がったものが、「大般若経」である。全体で600巻もあり、分量が多い。そこでこの「大般若経」の内容を凝縮してでき上がったものが、「般若心経」である。「般若心経」は276文字で説き尽くされた“空”の思想である。

今回は、「般若心経」の冒頭、「摩訶般若波羅蜜多心経」の意味について考えてみた。 「摩訶」:偉大な 「般若」:知恵(知識や才覚の知恵ではなく、真理、物事の本質を知る力のこと) 「波羅蜜多」:彼岸に至る * 此岸(しがん)は現実(煩悩に満ちた迷いと苦しみの人生)、彼岸はやすらぎの世界(“悟り”の境地) 「心」:心髄、要 「経」:お釈迦さまの説かれた教えを記したもの

まとめると、“偉大なる真理に目覚める知恵で、やすらぎの世界に至るための、仏教の心髄となるお釈迦さまのおしえ”ということ。平たくいえば、“私達が、迷いや苦しみの人生から、喜びとやすらぎの人生に転換するにはどうすればよいか”ということ。究極的には、“人生いかに生くべきか”ということ。  その答えが、般若心経に書かれているということになる。

!!2006年12月30日(土) !今年の成功、失敗、反省(渡辺) 本日は今年の成功、失敗そして反省について話した。

今年良かったことは、定期的に計画を立て、見直しながら行動するということを一年間継続できたこと。結果として、しなかった場合にくらべて大変効率的に行動することができた。(行動している間に次に何をするか迷わずに、やっていることに集注できたので、それによりそれぞれの仕事もスムーズにできた)

一年の初め(もしくは途中)に19個の目標を立てて行動をした。結果として11個達成できて、6個達成できず、そして2つは途中で中止した。 反省としては、目標の数が多すぎたと思う。全体の数を減らすことにより、最も大切なことにより大きな時間を使えたと思う。)最重要な目標、論文を出すということが達成できなかった。これもやはり一部は目標が多すぎたことにも起因すると思う。

来年は今回の反省を踏まえて、計画段階で、何をしないかということを前回より厳しく判断する。そして最重要の目標が達成できるようにする。もちろん他大切な事、健康の維持、家族、友人との時間、自分の精神面の成長、メンテナンスということにはきちんと時間をとる。それ以外のところで減らせるところを積極的に減らすことする。頑張るぞ!(渡辺)

!!2006年12月02日(土) !戦後日本の復興(軍国主義から民主的国家へ) GHQの指導のもと、日本国憲法を制定した。 3つの柱として、

国民主権(象徴天皇制、婦人参政権、政党による自由な政治活動、農地改革)

平和主義(戦争の放棄、軍隊の解散、戦争指導者、協力者を公職から追放)

基本的人権の尊重

がある。

本によると、政治、経済、教育、あらゆる分野で民主化政策をおこなったとある。 そもそも民主化というのはなにかを、行われた政策から考えてみると、特権階級、そして特権てきな権利をなくすということだと思われる。

そのご日本は、朝鮮特需により、高度成長を果たし、経済大国へと発展していった。その際、公害問題や日米基地問題も発生してきた。

今回で日本の歴史の本が一通り終わった。 歴史をみると経済の建て直しのために、戦争という手段がよく使われてきた。平和を願う人々の国家は戦争を経済改善の手段としては使ってはいけない。歴史を繰り返さないため、そしてよりよい未来を築くため、個人として、戦争に依存しない経済修復能力について手段をもっと学ばなければならないと思った。(渡辺)

!今回は日本の仏教がどのように生まれ、広まったかを学んだ。

 仏教を開いたのは釈迦で、紀元前566年、現在のネパールで生まれた。 出家し、悟りをひらいたので「シャカムニ」ともよばれる。その悟りとは、「苦しいことばかり多い世の中で、どう生きていけばいいか」ということ。 *仏教では、真理に目覚めた人を「ブッタ(覚者)」と呼ぶ。 釈迦は、自分の悟りを広めようとはしなかったが、弟子達の要請により、広めることを決断。  釈迦入寂後 仏教   上座部仏教ー自らの修行を中心とする      大乗仏教ー大衆を救うことに重きを置く→中国、朝鮮をへて日本へ  中国に仏教が伝わるのは一世紀(当時は、儒教と道教が主)  *道教ー中国民族の土着的・伝統的宗教を背景とし、老子と荘子の考えも加えた、民衆生活の理想を説く宗教。  四世紀から五世紀 北魏の寇謙之が、道教に仏教の教えを取り入れて整備。太武帝の信任を受ける。つまり、中国風にアレンジした「中国仏教」が誕生。  548年(以前は538年とされていた) 朝鮮の百済の聖明王が、釈迦金剛仏と経巻を日本に送る(仏教の伝来)。  六世紀前半から奈良時代にかけ、多数の寺院や仏像を建て、有力な僧侶が政治的に介入。→桓武天皇784年、都を長岡京に(力を持ち過ぎた仏教と政治を切り離すため)→794年 平安京へ(純粋な仏教として再興したかった)  桓武天皇は最澄(奈良の仏教に幻滅し比叡山で修行)を唐に派遣→天台宗、密教、禅、戒律を学び、帰国→比叡山延暦寺で天台宗をひらく 当時、僧の免許は東大寺のみで交付→不満→延暦寺で独自の戒壇→嵯峨天皇認可→奈良仏教は衰退 その後、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の道元、日蓮宗の日蓮を排出  空海(青年時代、四国で山岳修行。その時に遍歴した霊場が、現在の四国八十八か所めぐり)は同じように唐に行き、真言密教を修行→高野山に金剛峰寺

!!2006年10月27日(金)

! 大正時代から昭和にかけて、日本が軍事国家へと変わり、第二次世界大戦へと進んでいってしまったときの流れ

大正時代の初めに第一次世界大戦勃発。日英同盟を理由に日本も参戦。終戦後日本は国際連盟での常任理事国入りを果たす。戦争初期日本は大戦景気を迎えるが、終戦後しばらくすると、戦後恐慌となり、さらに関東大震災に見舞われる。日本は満州事変をきっかけに日中戦争へ。その2年後アジア太平洋戦争が勃発。1931年から1936年の間に、血盟団による前蔵相井上準之助の暗殺、海軍青年将校による犬養毅首相の暗殺、陸軍青年将校(皇道派)による大蔵大臣高橋是清らの殺害、その後統制派による皇道派の鎮圧がおこる。軍の持つ力が強くなり、政治が武力によってコントロールされていった。この流れの中でそのときそのときの重要人物がその流れを止める機会は多少なりともあったはずだと思う。社会全体で危険な思想がでない環境づくりをする必要があるし、それぞれの場面で時代の先を見つめて適切な判断を下せる能力を日々鍛える必要がある。(渡辺)

!幕末の志士、吉田松陰について。1830年山口県萩市に生まれてから、30年武士として、教育者として情熱的に生きた。4歳で叔父の吉田大助の養子となり、徹底的に武士道を叩き込まれた。22歳の時、宮部鼎蔵の誘いで東北に旅に出て見聞をさらに広めた。25歳の時、ペリーの軍艦に密航を企て失敗。萩の野山獄に入獄となった。仮出所後は、松下村塾を主宰し、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋らを育成した。 今回は、教育者としての吉田松陰の言葉を抜粋し、考えてみたい。

「妄りに人の師となるべからず。又、妄りに人を師とするべからず。」

「己れを正して而る後に人に教へば、亦孰(た)れか敢へて従わざらんや。己を正すの学、勤めずんばあるべからず。」

「俗論の見る所は形の上なり。君子の論ずる所は心なり。」

「士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。」

「友とは、その徳をともとするなり。」

!!2006年9月30日(土) !日清戦争と日露戦争。富国強兵の後、欧米にやられたことを他国に行った日本。 朝鮮半島でのコウゴ農民戦争の後に始まった日清戦争で勝利し、台湾と遼東半島と多額の賠償金を得、日本は朝鮮の独立を清に認めさせる。日本は三国干渉により遼東半島を清に返したが、ロシアがこの半島を租借しさらにシベリア鉄道の線を南下させたことに怒りの感情をもち、後に日英同盟を結び、日露戦争を行った。辛くも勝利した日本軍は次に日朝議定書、統監府の設置などにより、朝鮮を支配下におく。伊藤博文を安重根により暗殺された日本はその後日韓併合を行い、植民地化を行った。アメリカやイギリスは他国への植民地化を進める中で日本の行動について干渉を行わなかった。欧米諸国により行われたいやな経験を他国にも経験させた日本。外国からの文化、技術など取り入れることがうまい日本。取り入れるときに自ら培ってきた価値基準を大事にし、その基準で取り入れるものの中でいい部分と悪い部分、やるべきでない部分などもしっかり考慮する必要があることを学んだ。単に吸収するだけではいけない。(渡辺)

!われわれ日本人には宗教戦争がよくわからない。宗教の違いで命がけで戦うなど、日本では聖徳太子時代の蘇我・物部氏の戦い以降一度もない。 仏教は朝鮮の三国時代の戦乱期、混乱から逃れて日本に渡来してきて、伝えた。西暦538年とされている。  日本にはそれまで神道を信じられていた。崇仏派の蘇我氏、廃仏派の物部氏が争う。崇峻天皇は蘇我氏を擁立するが、天皇は伝統的に神道神話に基づいているということを否定することになる。そこで、天皇は廃仏に傾くが、、崇峻天皇は、蘇我馬子に暗殺される。  聖徳太子は、熱心な仏教信者(四天王寺を建てた)である一方、「敬神の詔」を出している。つまり、仏教を普及し研究しながら、他方では日本古来の神の否定をしなかった。ここに日本人の宗教観を決定する要素があった。また、中国の道徳規範とされる儒教も取り入れ、「神・仏・儒の習合思想」を考えた。このことは、宗教的には堕落であるが、政治的には飛躍である。=いいとこどりの思想 

!!2006年9月2日(土) !今回は江戸幕府崩壊から明治政府の形成にかけて。総理大臣の選出をまじかに控え、憲法9条改正を積極的に望む国民は少ないと思われるなかで、なぜそれを積極的に推し進めようとする人が選出されるような流れを積極的に止められないのか。ということを考えながら、歴史を調べた。

徳川幕府が開国したのち、他国とのいざこざにより小さな戦争が日本の2箇所でおきた。一つは下関(下関戦争(長州藩-オランダ、アメリカ、フランス)。もう一つは鹿児島(薩英戦争(薩摩藩-イギリス)。この戦争により、2つの藩は自国のこれまでの体制と軍事力に頼っていては日本はだめになると考え、幕府を倒すことを決意(討幕)。 新たにできた明治政府は「富国強兵」をスローガンに3つの改革(教育、軍事、税制改革)を推進し、国の発展を目指した。殖産産業の発展による外貨獲得も成功し、力をつけていったが、力をつけた先に行ったことは、アメリカやヨーロッパの国が自国に行おうとしたことと全く同じ。他国への侵略。

問題解決や予防に力を注ぐことに異論はないが何を目的に問題や予防を行うのか。その部分をしっかり決めるべきだ。(渡辺)

!今回は幸福とは何かということを先人達の考えや教えを例に挙げてみた。以前我々も述べているように、幸福とはどういうものであるかを、深く追求したい。

「喜んでは行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である。」(ゲーテ)

「人間の幸福は、決して神や仏が握っているのではない。自分自身の中に、それを左右するカギがある。」(エマーソン)

「我々は、他人に幸福を分け与えることにより、それを正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。」(ベンサム)

「自ら訪れた福を使いきってしまうのではなく、二、三分残しておくことによって、そこからまた新しい福が育まれる。これを惜福という。」(幸田露伴)

「禍福は糾える縄のごとし、禍は福のよるところ、福は禍の伏するところと知る。」(老子)

「明日、何をすべきかわからぬ人は不幸である。」(ゴーリキー)

「人生はチャンスと変化に富んでいる。そして、最も栄えているときに、人は大きな不幸に見舞われる。」(アリストテレス)

「運命は、志のあるものを導き、志のなきものを引きずっていく。」(セネカ)

!!2006年7月28日(金) !「経営の神様」と呼ばれた、松下幸之助氏。氏の数々の名言・教えから、今回、まだまだ未熟な我々にとってわかりやすく、かつ、実践的なことを抜粋し、生きる教訓にしたい。

 ・人生をよりよく生きるためにー

ー、信念は偉大な事を成し遂げる

ー、運命に従う

ー、人情の機微を知る

ー、感謝する心

ー、原因は自分の中にあると思う

ー、人事を尽くして天命を待つ

ー、成功するまで続ける

 ・仕事の成果を高めるためにー

ー、プロの自覚

ー、投資をしているか

ー、修養に場所を選ぶな

ー、組織や地位にとらわれない

ー、礼儀作法は潤滑剤

ー、紙一枚の差

ー、上には上がある

ー、仕事は無限にある

!!2006年6月24日(土) !社会に出たときに様々な人と接するが、つきあう人を選ぶことも非常に重要。今回は、安岡正篤に学ぶ人の選び方を「八観六験」と題した項目から紹介。しかし、最も大事なのは、そういう人を選ぶことよりも自分への戒めである。(池田)

「八観」

・通ずれば、その礼するところを観る。 事がうまく行ったとき、その人がどのようなものを尊重するか。

・貴ければ、その拳ぐるところを観る。 地位が上がるにつれ、その人が登用する人物を観る。

・富めば、その養うとことを観る。 お金が出来たとき、どんな人を養うようになるか。

・聴けば、その行うところを観る。 知行一位するか、矛盾するか。

・止まれば、その好むとところを観る。 板に付いてきたときに、好んでいるものを観る。

・習えば、その言うところを観る。 物事を習熟してきたとき、その人がどんな事を言うか。

・貧すれば、その受けざるところを観る。 生活が貧しくなってきたときに、なんでも欲しがるようではダメ。

・窮すれば、その為さざるところを観る。 窮したときに、取り乱したりしないかどうか。

「六験」

・之を喜ばしめて、以てその守を験す。 嬉しくなって枠を越えてハメを外さないかどうか。

・之を楽しませて、以てその僻を験す。 楽とは、喜びに理性が伴う事。僻は公正を失い、物事が偏る。

・之を怒らしめて、以てその節を験す。 感情の爆発をぐっと堪える節制力があるかどうか。

・之を懼(おそ)れしめて、以てその独を験す。 何か権威あるものにぶつかったとき、意志を曲げずにできるかどうか。

・之を苦しませて、以てその志を験す。 苦しくなって、理想を捨てないでできるかどうか。

・之を哀しませて、以てその人を験す。 悲哀はその人の人柄をよく現わす。心の底から悲しめるかどうか。

!!2006年5月27日 !天下統一を成し遂げた秀吉の統一後の政策について話し合った。秀吉は自分が身分の低いところから上り詰めていったにも関わらず、そのような柔軟な制度をなくし、兵農分離の政策をとった。この政策は良かったのか。会社と同じで経営の初期段階とその次の段階では政策は変わるものである。その点では正しかったと評価できる。しかしながら、社会全体のエネルギーを恒常的に維持するにはこの制度はもっと改良されるべきだったと思われる。適切なルールのなかで、競争性を維持できるような仕組みがあればなお良かったと思われる。(渡辺)

!今回は様々な中国古典から、人はどう考え、どう行動すべきか、ということに焦点を当てて、選んでみた。(池田)

『旬子』 「驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ちまたこれに及ぶ」 どんなに能力がなくても、努力し続けることによって、目標に近付けることができる。肝心なのは普段の努力を惜しまないこと。

『孫子』 「智者の虜は必ず利害に雑う」 判断を誤らない人は、常に利と害の両面からのものごとを考える。

『老子』 「人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり」 智は、深い読みのできる能力、洞察力。明はさらに深いところまで洞察できる能力。人を知ることより、自分を知る事の方がはるかにむずかしい。

『三国志』 「これ賢これ徳、よく人を服す」 小さな悪だからといって、決して行ってはならない。小さな善だからといって、決して怠ってはならない。賢と徳が人を動かすのである。

『荘子』 「窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ」 「人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる」 人間も、静止した水と同じように、静かな澄みきった心境でいれば、いついかなる事態になってもあわてることなく、誤りのない判断を下すことができる。

!!2006年4月29日 !平安時代は政治の汚職で経済が貧窮。土地からの税を集める法律があったが、土地を藤原氏やその他の有力な政治化に寄進することでその土地を荘園として税を免れた。政治家が富を増やし結局国全としてうまく回らなくなるというのは起こりやすいこと。どこが問題の根本かということについて話し合った。

律令制度の税金システム

民全体の豊かな生活実現のために政治を行うべきであり、政治家が自分の富を増やすために政治を行ってはならない。(渡辺)

!人生には機会というものが数少ないかもしれないが訪れる。しかし、そのせっかく訪れている機会を生かせないと意味が無い。そこで、こういう人生における分岐点やチャンスをどういう心構えで臨めばよいか、先人達の教えを学ぶ。(池田)

・伊藤博文 「不断にあらず、容易に断ぜざるのみ」 重要な問題をすぐに決断し兼ねるのは、優柔不断なのではなく、慎重にしているからこその行動だ。すぐには決められない。

・ 親鸞 「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」 今できることを、明日にのばさない!!

・ 武田信玄 「進むのは易いが、退くのは難い。いかに生きようかということよりも、いかに死のうかという方がむしろ大事だ。」 人生、引き際というのが難しい。事業をするにしても、いつまでもその地位に甘んじていては、結果的に人から尊敬されないし、継続も難しい。

・ ナポレオン 「味方が負けたという知らせなら、夜中でもよろしい。すぐに知らせてくれ、大急ぎで」 悪い知らせは早くしないと手の打ちようがなくなる。

・ コロンブス 「創見は難く、模倣は易し」 できたことを真似るのは簡単なこと。いちばん大変なのは、最初にそれを行うこと。

!!2006年3月24日 !お米の導入が村をつくり、貧富の差を作り出した。(渡辺)

お米という一見すると社会の構造とは関係のなさそうなものが社会構造を変革していく。物事のつながりあいというところが非常に面白いと思うとともに、小さな発明、発見の持つ力を良く見ないといけないという教訓を得た。

!学問とは、何を持って学問というのか。先人達の教えをいくつか調べてみた。今後学問をするにあたり、決してわすれてはならない。(池田)

論語 「古の学ぶ者は、己のためにし、今の学ぶものは人のためにす。」

近思録 「古の学ぶ者は、己のためにす。これを己に得んと欲するなり。今の学ぶ者は人のためにす。人に知られんことを欲するなり。」

安岡正篤 「人間の本能的完成のため。つまり、自己の自主性、自立性を錬磨すること、自由を確立すること、それによって発達する自己を通じて、何らか世のため人のために尽くさんがため。」

荀子 「それ学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えず、禍福終始を知って惑わざるがためなり。」

吉田松陰 「学問というのは、人間とは何か、いかにあるべきかを学ぶこと。」

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