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395 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 22:52:44 0
カトーが元老院議員マニリウスを「公衆の面前で妻を抱擁した」 という理由で除名したというくだり。
塩婆ははっきりと「除名決議は否決された」という風に書いてるが プルタルコスを読む限りではマニリウスは実際に除名されているようだ。
なんだかなぁ。
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507 :世界@名無史さん:2007/05/20(日) 13:16:45 0
『文藝春秋 5月臨時増刊号』 [現地イタリア・インタビュー] 塩野七生 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
塩野七生は庶民を書かないなんて非難されることもあるんですけれど、そういう 方に言いたい。歴史は庶民が作るものだといくら力説されても、庶民の視点からでは 通史は書けません。変化がないんです。変化が起きなければ、通史というものは 書きようがない。
511 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/05/21(月) 12:30:45 0
>>507-508 庶民の生活に変化がないと思ってる時点でなあ。 中世の身分制社会なら分かるが、古代ローマはまだ変化があった部類だと思う。 例えばポエニ戦争をきっかけに自作農民が没落して流民化する過程とか、 ギリシアを征服してそっちの文化が入ってきてローマ人が染まっていく過程とか。 キリスト教も下層階級=庶民から広まったというし。 経済史や社会文化史になるとは思うが。
結局、視点をどこに置くかの問題でしかない。 それ次第で庶民とまでは行かなくても、それに近い歴史は書けると思う。
513 :世界@名無史さん:2007/05/21(月) 16:16:19 0
> 例えばポエニ戦争をきっかけに自作農民が没落して流民化する過程とか、 > ギリシアを征服してそっちの文化が入ってきてローマ人が染まっていく過程とか。 > キリスト教も下層階級=庶民から広まったというし。
それは民俗誌であって、通史にはならんのじゃ無いかな? つーかそう言うのを通史に組み込むととても共産主義史観に似たものになりそうな。
514 :世界@名無史さん:2007/05/21(月) 17:36:41 0
普通、通史といったらまず政治と戦争の流れを中心において その端々にその時代の民衆の生活の様子とかを書くものだろ。
民衆だけを書いて歴史を語るなんて馬鹿なことを 誰も婆に要求しちゃいないと思うんだがな、そもそも
517 :世界@名無史さん:2007/05/22(火) 10:05:33 0
庶民の歴史書くには古代は資料が少なすぎるからな だからどうしても政治史中心になって おっさんが好きそうな帝王学っぽくなる だから中世以降の方が面白いんだよね 個人的には
それと古代ローマは氏族社会、 中世の身分制社会は氏族社会を突き崩して よりシステマティツクな近代の企業組織や国家組織への過渡的形態だから あまりマイナスイメージだけでとらえないでくれ
518 :世界@名無史さん:2007/05/22(火) 11:15:21 0
>>513 共産主義史観も何も今はそれを組み込むのは当たり前だろ 今は歴史を構造主義的に社会史的に見るようになってるが 唯物史観の中心である経済史と階級史は いまだに歴史を分析するにおいて最重要事項であることに変わりないよ
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603 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 00:23:06 0
>>602 塩野さんはいろいろなことをきちんと定義しないまま書いているからわかりにくいな。 ローマ的なるものの「特質」にしても、「多神教」「首都ローマ」「ラテン語」 と三拍子揃ったのが「ローマ帝国」の名に値すると考えているのかね。
「都市アテネなき都市国家アテネがありえないのと同じに、ローマなきローマ帝国は ありえない。首都がコンスタンティのポリスでは、それはもうローマ帝国では ないのである。ましてやラテン語ではなく、ギリシア語を話すのでは」
604 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 00:31:03 0
>>603 まあ言葉が、しかも別民族のものに変わったらそれは確かに同じ国ではないわな。 しかし何でよりによってあの糞複雑なギリシア語に変わったんだろ? 言語としてはラテン語の方がよほど習得が簡単そうに思うのだが。
605 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 00:41:10 0
変わったというより ギリシア人の土着国家になっていっただけじゃね。
もっとも神聖ローマ帝国よりはローマ度高いけど
606 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 01:00:57 0
当時の文化はヘレニズム圏の方が圧倒的にすぐれていたわけで ギリシャ人はラテン語を低く見てたと思うがな それでもビザンツの公用語は建前としてもラテン語だったんだから 帝國パワーはすごいな
609 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/06/04(月) 10:44:13 0
>>603 塩野のそれ、近代国家の発想を古代ローマに適用してないか? どうせ庶民の話す日用語は、土着の言葉でしかあり得ない。 そうなると「ラテン語」か「ギリシャ語」かの問題は、公用語及び 宮廷・行政用語の問題にしか過ぎない。
でもって、中世イギリスと近世ドイツの宮廷ではそれぞれの時代のフランス語が使われ、 諸民族の住むハプスブルク帝国では君主自身が行政用語のドイツ語一本化に反対し、 ロシア宮廷ではドイツ語が使われてきたのが近代以前のヨーロッパなんだがね。
610 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 11:25:57 0
>>609 新約聖書を読むと、ローマ帝国の東半分でもリュカオニア語など諸民族の土語が 話されていたことがわかるね。
ところで、なぜビザンツ人は『ローマ法大全』をギリシア語に翻訳しようと しなかったんだろうか。
612 :世界@名無史さん:2007/06/05(火) 06:07:14 0
>>610 旧約聖書の注釈書によると「初めに言葉ありき、」の言葉をロゴスと表現した。 つまりギリシャ人が理想としたのはその現実とは違い秩序だった。 この体現されたものがローマ法秩序だろうな。法体系は外面の秩序、キリスト教哲学は内面の秩序。 >>598 それはアリストテレスの政体区分。田中のオリジナルじゃねーだろww >>604 キリスト教を正当化するための哲学に古代ギリシャ哲学が貢献できたから。 一種のイデオロギー闘争を優位に進めるため。そもそも小アジア沿岸こそギリシャ哲学の発祥の地イオニア。 東方に目や首都を移動するなんてのは当時としては自然で、西に後退する方が寧ろおかしい。 日本人が漢字を受け入れたような感じだろうな。今風に言えば、ローマは田舎、ギリシャは都会。 また小アジアの支配と言う戦略的な位置関係も重要で、ここはチグリスユーフラテス川の 源流で中東全体の水源を抑えられる位置。だからトルコも今もここを支配している。 極論すれば中東の大オアシスの支配者としての位置。クルドの怨念の原因だな。 ギリシャ人と言えば貿易だが、これまた中東からインドへの貿易はやはりギリシャから小アジアが 重要。古代ペルシャとギリシャの争奪が繰り広げられた地域。 バルカン半島からチグリス流域の三角州までは古来戦略の要衝で、 ここは近代までは貧しいヨーロッパから豊かなアジアへの入り口だった。 >>603 つーか、塩野はローマ人の才能として評価される戦略的な思考や、現実主義、 そして政治的なセンスの良さと言うものを無視して、どうしても自分の子宮で 解釈している。ローマがビザンチンに至る過程こそローマ人が天才と言われる所以。 法律整備と戦略的な遷都、貿易の重視とイデオロギーとしての信仰、官僚制度、 全て実務と実益の人ローマ人の生み出すべくして生み出したものだ。 ローマ人の実務の集積をギリシャ人が体系化したとも言えるか?
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646 :世界@名無史さん:2007/06/07(木) 23:55:11 0
塩野本に対する批判
ttp://j.se-engine.org/opi/p7t1r1.html ローマ帝国衰亡の原因 ttp://kyuseido.org/p1s7r402.html 軍人皇帝時代・三世紀の危機 ttp://kyuseido.org/p1s7r414.html 西ローマ帝国衰滅史
647 :世界@名無史さん:2007/06/09(土) 01:22:24 0
取りあえず一番上だけ読んだけど、これに関しては反論の方に 疑問感じるなあ。
マルクス・アウレリウスに瑕疵はなかったと言いたいようだけど、 アウレリウス自身が「自省録」で書いてるピウスの良いとこ語ってる 「忠告や助言を参考にし、自らも調査を充分に行った上で決断を下し」 が「帝国防衛」に関しては出来てないように思える。
まあ塩野は文体が嫌いなんだけど。(これが小説家か?ってくらいw) あと、好きな奴に感情移入しすぎなのも嫌いだが、そういうとこのが 面白いんだよな。割と冷静に書いてるとこは悪文もあって、眠くなるw
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674 :世界@名無史さん:2007/06/14(木) 20:51:29 0
ユスティニアヌスが無学だったように書かれているが、実際は彼は法学を修めた ことがある。
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858 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 04:37:39 0
>>808 それは違うよ。ローマ人はギリシャ文化に心酔してたんだから。 だから現在残っている古代ギリシャ時代の芸術の多くは ローマ時代のリメイクだよ。 ローマの中心は東方に移動すべくして移動したと言うことだよ。
塩野がアホなのは当時の地中海文明の都市の重要性の流動性が 理解できてないことだけどな。ローマ人の柔軟性に比して、 年のせいか知らないがww、地中海文明の理解に柔軟性がないんだわ。 例えば古代ギリシャの中心もアテネが磐石と言うわけでもない。 同じ事がローマに起きても全然不思議ではないわけだよ。 もともとギリシャ人もローマ人も北アフリカや中東ばかりを見ていた。 だからエジプトがカエサルの政治の舞台にもなるわけだよ。
当時のローマ人の心象を理解しようと思えばどうしても東方への憧れ と言うものは理解せざるを得ないんだけどね。そしてこれは西洋人 全体が現代でも抱いている憧れのようなものなんだな。 アレキサンダーにしてもナポレオンにしても東方への憧れみたいなものが 動機としてあって、エジプトやインドに向うわけだ。そして、この理解がないと そもそも皇帝制度の確立と言うものも上手く説明できないはずだけどね。 その後の十字軍にしても植民地活動にしても同じ経緯をたどる。
極論すると近代の中国への進出もこの動機が続いているとさえ言えて、 米国さえ現代中国にこの憧憬を抱いている。エジプト-インド-中国への進出 と言うものは西洋人の豊かさへの確信になるんだが、その大きな契機の 1つはローマ人の東方への憧れだよ。
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913 :世界@名無史さん:2007/07/18(水) 12:28:20 0
ttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/53632/ 戦争観を問う質問に対して、「戦争ほど悪はない。それでも戦争は絶えない… 私の推測ですが」と前置きして、「勝つか負けるか」というシンプルな戦争観が キリスト教が介在するようになると、十字軍に見られるような「神が望まれた 戦争」という意識に支配されるようになる。
※こんなことを講演で語っているが、そもそも正戦という概念を最初に用いたのは アリストテレスで、彼は優れた民族が劣等な民族と戦ってこれを支配することを 自然に適ったこととみなし、その戦争を「正しい」と規定していた。 これをより法律的に定義し、正戦という言葉を定着させたのがキケロ。 これらの思想が聖アンブロシウスや聖アウグスティヌスによってキリスト教神学に 組み込まれる。
914 :世界@名無史さん:2007/07/18(水) 14:28:38 0
>>913 「神が望まれた戦争」と「優れた民族が支配するための戦争」は全く違うと思うけど。 そういう意味では何の矛盾もない。
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801 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 11:27:10 0
塩婆様は、
「『ローマ法大全』が完成して百年しか過ぎていない七世紀、ペルシア人を倒した アラブ人によって、ビザンチン帝国の大部分はイスラム化するのである。 キリスト教国家にとっても有効なローマ法は、イスラム教を奉ずる国々に とっては有効でないのかということになるが、この問題は、イスラムの専門家に ゆずるしかない」
と書いてるけど、イスラーム法にもペルシアやビザンチン帝国の法理念の 影響はあるんじゃなかったっけ?
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894 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 01:13:25 0
すんません この本に時々「四角帆の船は順風じゃないと前に進めない」って記述があるんですけど間違いですよね? 江戸時代の菱垣廻船(四角帆)とか風上に向かって普通にジグザグ走行してると思うんですけど 気になって仕方ない
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945 :世界@名無史さん:2007/01/06(土) 01:31:58 0
>>938 結局塩野が言いたいことはそれに尽きるんだよな。「開放性」。 だが、彼女の議論は全く粗雑で、ポリスやレス・プーブリカを運営するためには 人(市民)と土地(都市)を、何らかの方法(擬制を含む)でもって 必ずどこかで閉じておく必要があるという 実は誰の目にも明らかな当たり前の問題を完全に捨象している。 実際、ローマは確かにギリシアほど明確に市民団を閉じていなかったが、 市民的自由の「重さ」が違ったし、市民団を緩く閉じる庇護制度を破壊する 「わたくしの奴隷解放」に対しては共和政ローマは特に強烈な拒否反応を示した。 スッラの外道性というのはこの面から見るとあまりにも際立つはずなのだ。 やっぱり塩野は レス・プーブリカの根本的なところが全然分かっていない気がする。 分かってないのか、敢えて却下しているのか、その辺りは明らかでない。 そもそもレス・プーブリカ主義者じゃないからいいのかもしれないがw