But have you seen his records? (2)


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~LCD Soundsystem “Losing My Edge”が、分断された歴史を繋ぐ~
(diskova)

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Can

 1968年に西ドイツで結成。様々な音楽を吸収し吐き出されたその独特すぎるグルーヴとサウンドドスケープは後発のパンク/ニューウェイヴへの影響大。日本では、一時期日本人ボーカリスト・ダモ鈴木が在籍していたことでもお馴染み。だがパンクを通過した現在の耳で聴くと若干プログレッシヴ寄りすぎるか。

Suicide

 結成は1971年。ニューヨーク・パンクのシーンでも一際異彩を放つエレクトロニック・ガレージ・デュオ。Silver Applesを更に骨身むき出しにしたような暴力的なビートとうなされるかのような謎の歌唱による悪夢のロックンロール。どの曲も同じに聞こえる時もあるが、それだけ個性が強いということか。まあ、キチガイ。こちらも後世への影響力は絶大。

Captain Beefheart


 ロック界でも有数の奇人。彼と並ぶ奇人・Frank Zappaによるプロデュースの1969年作品“Trout Mask Replica”は特に有名。脱臼しまくる謎のブルース。現在は引退……とのこと。すみません。ちゃんと作品聴いたことないです。

Daft Punk

 1990年代中盤にフランスから突如現れた、遅れてきたアシッド・リヴァイヴァリスト。その後はアシッド・ハウスにとどまらず更に80’s趣味を全開にしつつ、着々とビッグ・ダンス・アクトへの道を歩む。1枚目は確実にダンス・ミュージックのその後10年の潮流を決定したし、最新作も今聴くと現在のエレクトロ・ブームを先取っていた。

CBGB

 1973年オープンの、ニューヨークの伝説的ヴェニュー。主な出演アクトにラモーンズ、テレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズなど。俗に言うニューヨーク・パンクのシーンのまさに中心地であることは良く知られているが、1980年代には、Agnostic Front、Sick of It All、Gorilla Biscuitsなどのハードコア・パンクのバンドが数多く出演していたことにも目を向けるべきだろう。2006年に閉店。

Paradise Garage / Larry Levan

 Larry Levanは、その深い音楽への造詣に基づいた選曲スタイル、音響のセンス、そして今現在の“クラブDJ”のスタンスを確立したという点などにより、ダンス・ミュージック界の偉人として数えられる伝説的なDJ / プロデューサー (1992年没)。Paradise Garageは、彼が1976年から1987年までニューヨークで運営していたディスコであり、そのサウンドシステムの質の高さや客の熱狂、そしてLarryのDJプレイなどによって、未だに最高のクラブの一つに数えられる。多くの人間がこの地に赴くことでダンス・ミュージックの奥深さを知り、パーティに溺れ、DJを志した。

Beach Boys

 1961年結成。初期こそロックンロールの伝統的メタファーに基づいた曲が多いが、その本質は、その後のサイケ / ソフト・ロックへの影響力も絶大なボーカル・ハーモニー、そしてそれを含む、あまりに緻密なスタジオ・ワークであることは周知の史実。ビートルズと並び、「スタジオという迷宮」にはまり込んだまま帰ってこれなくなってしまったことで、皮肉にもエターナルな存在になってしまったバンド。

Modern Lovers

 かのJonathan Richmanが1970年代から1980年代にかけて率いていたグループ。そのVelvet Underground譲りの味のあるヘロヘロっぷりは、パンクを経て様々な形で受け継がれている。音楽のスタイルとしてのパンクが、ハードコアで発展していく過程で失われたもので構成されたような音楽。


Niagara

 ガレージ・サイケ/ノイズ・バンドのDestroy All Monstersを率いていた、デトロイトを拠点に活動する女性アーティストの方、と思われる。それとも大瀧詠一?まさかね。いや、それはそれで凄いし、その国境の越え方に感動する。

Detroit Techno


 シカゴでFrankie Knucklesによって生み出され隆盛を極めていたハウス・ミュージックに触発されたJuan Atkins、Derrick May、Kevin Saundersonらによって誕生、発展したエレクトロニック・ミュージック。デトロイトという土地の厳しさによってもたらされたといっても過言ではない未来志向・SF志向が特徴。ダンスフロアの熱狂と芸術性の獲得は相反する物でないことがここで証明された。ファンク、ディスコ、ハウスから繋がる黒人音楽としての存在意義も見逃せない。

Yaz

 
英名ではYazoo。あっという間に人気者になったDepeche Modeから1枚目の直後に脱退したVince Clarkeによるユニット。活動期間は短いが、エレクトロとソウルフルなボーカルの融合というアイデアの具現化により、後世への影響は知名度以上に大きい。今聴いてみるとただのエレポップに聴こえなくも無いが、ボーカルの力強さがトラックを引っ張っている分、肉体性を欠いてはいない。Vinceはその後、よりポップ志向のErasureを結成、更なる成功を収める。


This Heat

 1975年イギリスで結成。所謂ポスト・パンクのバンドの中でも、フリーキーな即興演奏やそれを基にしたテープ・コラージュなどによってもたらされる異形のサウンドは、今現在でも孤高の存在感を放つ。現在のアヴァンギャルドな音響系バンドがやっていることを、既にやってしまっているとも言える。

Pere Ubu

 
オハイオ州クリーブランド出身のデブ、David Thomasが中心の珍奇ガレージ・バンド。ポスト・パンクともアヴァンギャルドともとれるような独自すぎるロックンロールを排出。実は1989年のシングル”Waiting for Mary”でチャート入りした経験もあったりする。YouTubeでこの時期のTV出演時のスタジオライブが見れます。ステージアクションがある意味壮絶。

Outsiders

 うーん。著名なOutsidersというバンドは沢山いて、一体どれなのか確信が持てない。一応米wikipediaでは、エッジィなギターを響かせる1977年デビューのイギリスのパンク・バンドであることになっているが、1966年に“Time Won't Let Me”が全米5位のヒットになったアメリカのロックンロール・バンド、Wally Taxを中心としたオランダの1960年代のロックンロール・バンド、この2つのOutsidersの存在も我々の記憶にとどめておくべきだろう。

Nation of Ulysses

 1980年代後半から1990年代前半にかけて活動した、ワシントンDCのポスト・ハードコア・バンド。旧態依然としたロック的アティテュードに異を唱え、自らを「政党」であり「分離の叫び(a shout of secession)」と称し、入り組んだ構造の楽曲と激しいライブ・パフォーマンスを特徴とした。Dischord所属だというのもうなずける。

Mars

 所謂「No Wave」の代表的バンドの一つ。伝説的なコンピレーション“No New York”にも参加しており、その音像の混沌度は参加バンドの中でも特に際立っているが、今聴くとさすがにちょっとツラいかも。

Trojans


 Gaz Mayallを中心にロンドンで1986年に結成されたバンド。スカ/レゲエをベースに、様々なワールド・ミュージックがごった煮になったサウンド。美空ひばりの「りんご追分」のカバー(しかも日本語で歌ってる)も!!!ここでSpecialsでもなく、Selectorでもなく、Madnessでもなく、Trojansを持ってくるのがニクい。

Black Dice

 ブルックリンのアヴァン・ノイズ・エレクトロ・ユニット。今ではわりと名の知られた存在だが、当時は無名のはず。Jamesのレーベル、DFAからアルバム出してる関係もあり、若干プロモーション入ったピックアップか?

Todd Terry


 ニューヨークのハウスDJ / プロデューサー。おそらく一番有名な仕事は、かのJungle Brothersの1988年のクラシック、“I’ll House You”(“Straight out the Jungle”収録)のプロデュース。今では死語と成り果てたあげく、むしろ再参照され始めてきている「ヒップ・ハウス」なるクロスオーヴァーなジャンルに影響を与える。

The Germs

 
ロサンゼルスの伝説のパンク・バンド。活動期間は1977年から1980年と短いが、ボーカル、ダービー・クラッシュの破天荒っぷりや激しいパフォーマンスなどにより、影響力大。後のハードコアに繋がるようなエッジイで破壊的なサウンド。ギターのパット・スメアは後にNirvana、Foo Fighters。

Section 25

 かのFactory所属。初期はMartin Hannettのプロデュースにより、Joy Divisionから緊張感を抜きとったような、ダークで冷たいが、演奏の下手さによって緩さと味が出ているポスト・パンク・サウンドをかき鳴らしていた。一番知られているのはNew OrderのBernard Sumnerプロデュースのエレクトロ・チューン、”Looking from a Hilltop”。

Althea & Donna

 ジャマイカのレゲエ・ボーカル・デュオ。1978年の全英no.1ヒット、“Uptown Top Ranking”で知られる。この曲のリリース時には、二人はまだ18歳と17歳で、当時の女性デュオによる全英1位獲得の最年少記録だったとのこと。しかしアルバムまでヒットさせる持久力は残念ながら持ちえず。

Sexual Harassment

 ニューヨークのアーティスト。1983年にエレクトロ・ディスコなアルバム“I Need a Freak”をリリース。残した音源は少ないが現在でもクラシックとしての輝きを放つ。ビート感的にも“Losing My Edge”からは遠くなく、今の耳で聴いてみた方がしっくりくるのかもしれない。

a-ha

 ノルウェーのポップ・ユニット。みんな知ってる1984年の“Take on Me”(PVも有名ですね)が売れすぎてほぼ一発屋扱いだが、本国では未だに第一線。ここら辺の名前をさりげなく織り込んでくるあたり、あなどれない。

Dorothy Ashby

 アメリカのジャズ・ハープ奏者。様々なジャズ・ミュージシャンとのセッションのほか、Stevie Wonderの名盤“Songs in the Key of Life”にも参加している。ここまでに羅列されたアーティストはパンク、ガレージ、ニューウェーヴ、エレクトロ辺りからのチョイスが多いが、ここからジャンルレス度合いが高くなる。

PIL

 Sex Pistolsを解散させたJohnny Rotten改めJohn Lydonによる、ポスト・パンクの権化のようなユニット。他にはギターのKeith Levene、ベースのJah Woobleが有名か。ダブとクラウト・ロックの混合である2枚目“Metal Box”と、謎のトライバル感に満ちた3枚目“Flowers of Romance”はロック史上に残る異形の名盤。Sex PistolsよりPILの方が好き、という人も多いのでは。

The Fania All-Stars

 60年代末にニューヨークで生み出されたラテン・ミュージックの一つ、サルサの発展に重要な役割を果たしたレーベル、「Fania Records」のオールスター・グループ。アメリカのみならず、世界中においてサルサを普及させた。


The Bar-Kays

 1966年にアメリカでStax Recordsのスタジオ・ミュージシャンによって結成されたソウル/ファンク・グループ。Otis Reddingのバックも努めていたが、1967年12月9日の飛行機事故でOtisとともに大半のメンバーが帰らぬ人に。しかし、残ったメンバーによってグループは再編成され活動再開、ブラック・ロック路線になってからヒットを放つ。そしてなんと未だに現役。

The Human League

 1977年にイギリス・シェフィールドで結成されたエレクトロニック・グループ。1980年に殆どのメンバーが脱退(その後Heaven 17を結成)するも、新メンバーを迎えポップ路線に進み大ヒット。恐らくここでJames Murphyが指しているのはHeaven 17組が進めていた実験的な初期のHuman Leagueだろうが、カラオケに行ったりしたら普通に中期の大ヒット曲“Don’t You Want Me”も唄いそうな気が。ライブ版では、“You want to make a Yaz record.”のところが、“~make a Human League record.”になっている。

The Normal

 エレクトロニック・ミュージック/ポスト・パンクにおいて大きな影響を与え続けているレーベル、Muteの社長Daniel Millerのアーティストとしての名義。Muteの最初のリリースである“Warm Leatherette”(1978年)は、エレクトロのクラシック中のクラシック。この人がいなければ、“Losing My Edge”もなかっただろう。


Lou Reed

 説明不要かと。ニューヨークの闇(病み)。ソロでは“Metal Machine Music”(1975年)が奇盤(ノイズ!!!)。


Scott Walker

 アメリカのシンガー・ソングライター。ポップなWalker Brothersで1960年代にヒットを飛ばすも脱退。ストリングス多用の壮大な曲群と深み溢れるバリトン・ボイスで独自の濃すぎる世界観を示すソロ作は、幾度と無く参照され、再評価される。

Monks

 ドイツに駐留していたアメリカ軍の兵士により1960年代に結成。オルガンも鳴りまくるそのスカスカすぎるガレージ・サウンドはシャブ度全開。シラフで聴いても、その壮絶さに笑いが止まらなくなりつつもアガります。

Joy Division

 1976年マンチェスターにて結成。冷たく鋭角なサウンド、Ian Curtisの詞、そして彼の悲劇的なエピソードにより、未だに再評価が絶えず、幻想が膨らみ続けるバンド。パンクという初期衝動の先をここまで鮮やかに描き出したグループは他にない。勢いに満ちた1979年の1枚目“Unknown Pleasures”、荘厳で薄暗い美しさに満ちた1980年の2枚目にして最終作“Closer”、どちらも筆舌に尽くしがたい。Ian亡き後のメンバーはNew Orderになり、大物バンドへの道へ。

Lower 48

 ガレージ・ロックバンド(のようです)。Last.fmで音源は聴けますが、詳細は不明。

The Association

 1960年代からカリフォルニアで活躍しているポップ・グループ。いかにも西海岸なボーカル・ハーモニーが持ち味。紆余曲折経て今も活動中。パッと聴きポップではあるが、よく聴くと結構サイケというか、気持ち悪い瞬間もちらほら。

Manuel Göttsching

 ジャーマン・ロックの生ける伝説。Ash Ra Tempelも勿論のこと、後のテクノ/ハウスへの影響力絶大なソロ作“E2-E4”(1984年)もクラシック。そのスペイシーかつ壮大で、ただ身を任せるしかないアンビエントなギター・サウンドは唯一無二。

Rammelzee

 ニューヨークでヒップホップ黎明期より活動するアーティスト。グラフィティ・ライター、MC、デザイナーなど多数の顔を持ち、その独自すぎる世界観は未だにヒップホップ界に大きな影響を与える。このリストの変人枠その1。

Sun Ra

 ジャズ史に残るピアニスト、作曲家、バンド・リーダーにして、世界で一番有名な土星人。とにかく大量の音源を残していてその全てを追うのは困難かと思われる。このリストの変人枠その2。

Scientists

 オーストラリア出身のガレージなポスト・パンク・バンド。上手くはないが同郷のThe Birthday Partyほど呪われてはいない。少し時間は遡るが、1970年代中盤に同じくオーストラリアから登場したRadio Birdmanもブルース入ったガレージ・パンクで素晴らしい。

Royal Trux

 元Pussy GaloreのNeil Michael Hagertyと、その彼女Jennifer Herremaによるローファイ・ガレージ・ユニット。スカスカヘロヘロ剥き出し故にロックンロールというシャブ論理。この形態は後にThe Killsなどに引き継がれることに。

10cc

 1975年の”I’m Not in Love”でお馴染み、イギリス・マンチェスター出身のバンド。元々は裏方だったり下積みが長かったりする苦労人。ポップだが一筋縄ではいかない感じが良い。後のXTCも想起させるようなひねくれポップ。過去のMTV的遺産として見過ごされがちだが、チェックすべきバンド。

Eric B. and Rakim

 ヒップホップMCの”神”、Rakimの所属していた素晴らしきデュオ。サンプル主体のファンキーなサウンドとRakimのマイク捌きのコンビネーションは天下一品。ヒップホップという音楽の美学、かっこよさを彼らによって思い知らされたB-BOYも少なくないのでは。Coldcutによる海を越えたリミックスが後のブレイクビーツ・ミュージックの可能性を拡げた、という功績も。


Index

 詳細不明ですがどうやらそのようなサイケデリック・バンドがいた模様。

Basic Channel

 Palais Schaumburgに参加していたMoritz von Oswaldとその相棒Mark Ernestusによるテクノ・ユニット/レーベル。彼らによってもたらされた、いわゆる4つ打ちのテクノ・サウンドとダブの深遠な音像の融合は革新的で、多数のフォロワーを生み出した。今のミニマル・テクノは殆ど彼らの影響下にあるし、他のクラブ・ミュージックに対してもその革新性は未だ有効であるといえる。現在はダブとその要素により接近したRhythm & Soundに。

Soulsonic Force

 “Hip Hop”という概念を生み出した男、Afrika Bambaataaの率いたグループ。Jamesが叫ぶ“Just Hit Me!!!”というフレーズは、彼らが1982年に発表した、ヒップホップの永遠のアンセムであり、エレクトロ・ファンクのクラシックである”Planet Rock”からの引用。

Juan Atkins

 上記の「デトロイト・テクノ」の産みの親。「テクノ」という音楽は彼によって命名された。様々な名義があるが、特にエレクトロ・クラシック“Clear”(1982年)を発表したユニットCybotronと、個人名義Model 500が有名。決して残した作品は多くないが、どれもハズレは無い。Derrick MayやJeff Millsに比べ知名度は低いが、ダンス・ミュージック並びに黒人音楽の歴史に名を刻まれるべき人物。

David Axelrod

 1960年代からアメリカで活動する作曲家/プロデューサー。様々なジャンルを手がけ、近年はその作品群が、のサンプル・ソースとしてDJ ShadowやDr. Dreといった錚々たるメンツを含むヒップホップの多数のアーティストに参照され、ついには2001年にUNKLEのJames Lavelleの運営するMo’ Waxからアルバムをリリースするに至る。現在も現役。

Electric Prunes

 そして、上記David Axelrodの1960年代の代表的な作品の一つとして数えられるのが、このElectric Prunesのアルバム“Mass in F Minor”。冒頭の“ Kyrie Eleison”は“Easy Rider”に使用される。

Gil Scott Heron

 アメリカの詩人。ファンク・サウンドに乗せて社会的/政治的事象に対するステートメントを込めたポエトリー・リーディングを行うその独自なスタイルは、ヒップホップへの影響も大。ソウル/ファンクといった黒人音楽の歴史の中で、ある意味極北に位置する人物と言っていいだろう。

The Slits

 1976年にロンドンで結成されたバンド。ダブ/レゲエに影響されたサウンドも特徴的だが、何よりボーカルのAri Up含め全員が女性であったことで、パンクへの女性進出の裾野を広げた。いかにも男社会なマッチョイズムに溢れたロックに中指を立てる様は痛快。その象徴の1つが、有名な1枚目のジャケットである。後のライオット・ガール・ムーブメントにも影響大。

Faust

 1971年に結成。いわゆるクラウト・ロックの中でも、特段にコンセプチュアル/アート度合いは高いと思われる。それゆえ実態が掴みづらく、伝説が一人歩きしている感がなきにしもあらず。サウンド面とともに、いかにも頭良さそうな、コンセプト先行なポップ・アート気質も後々の様々なバンドに受け継がれている。

Mantronix

 Kurtis Mantronikと MC Teeによるヒップホップ・グループ。強烈なエレクトロ・ファンク・サウンド(TR-808!!!)が持ち味であり、近年の打ち込みのヒップホップは何らかの形で彼らの影響を受けているといっても過言ではないだろう。今聴いてもまさにFreeesh。最高。Kurtisは白人であるという事実もヒップホップ史においては見逃せない。現在Kurtisはイギリスに移住してテクノ方面で活動している模様。

Pharoah Sanders

 晩年のJohn Coltraneと活動を共にした、アメリカのテナー・サックス奏者。近年では「クラブ・ジャズ」や「スピリチュアル・ジャズ」といった文脈で再評価が進んでいるので、その流れで彼の作品に触れたリスナーも多いはず。

The Fire Engines

 スコットランド・エジンバラで結成されたポスト・パンク・バンド。2004年には同じスコットランドのFranz Ferdinandとコラボレーションしてシングルをリリースしている。

Swans

 ニューヨークで1982年結成されたバンド。初期はありえないほどの曲のテンポの遅さが特徴。1曲の体感時間が半端無く長い。その異様なスタイルは後のドゥーム・メタルやスロー・コア、ドラムのサウンドはインダストリアルに通ずる物もある。何故か“Love Will Tear Us Apart”の流麗なカバーも。

Soft Cell

 1981年のGloria Jonesの無名曲のカバー“Tainted Love”で一躍有名になったイギリスのシンセ・ポップ・デュオ。ポップというには異形すぎる、ソウル/シャンソン/キャバレー・ミュージックとシンセ・サウンドの混合っぷりによって独自の輝きを放つ。なぜかNine Inch Nails やMarilyn Manson といった80’sルーツなインダストリアルのアーティストにやたら参照されるのは、その耽美さがなせる業か。

The Sonics

 1960年にアメリカで結成された、ガレージ・ロックンロール・バンド。その荒々しく生々しいサウンドは今でも世界中のロックンロール愛好家を惹きつけてやまない。この曲の最後に彼らの名前が連呼されるのはダイナミックな感覚への回帰の呼びかけか?2007年に再結成。


(2009,3,6)

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