起訴便宜主義


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起訴と不起訴と起訴猶予……起訴便宜主義

 犯罪報道とか裁判に関する報道とかを見てると、意外に混乱しがちなのはここなんですね。
 普通の方は、なんとなく犯罪者が逮捕されたら、全部裁判を受けるものだと思っているように見えます。専門用語で言うなら起訴されるんだと思ってる。

 でも実のところ逮捕された人全員が全員、起訴されるというわけではありません。
 まず、どう見ても罪とならないような人は当然ながら裁判にかけられることはありません。例えば、ある罪で逮捕されたけどすく後に真犯人が見つかったとしたら、先に逮捕された人を裁判にかけるのはおかしいですし、大体裁判という形で拘束されるのは大きな権利侵害といえるでしょう。
 だからこういう場合は、当然に不起訴、という扱いになります。

公訴提起と検察官

 さて、今、安直に「起訴」という言葉を使ってしまいましたが、そもそも起訴、とはなんでしょう。
 実は法律上「起訴」という言葉はありません。その代わりに刑訴法でよく出てくるのが「公訴」という言葉です。
刑訴法247条
公訴は、検察官がこれを行う。
刑訴法256条1項
公訴の提起は、起訴状を提出してこれをしなければならない。

 「公訴」とは、刑事に関する訴訟そのもの、もしくは刑事に関して訴追権を行使することをいいます。まあ要するに刑事裁判をすることですね。この公訴を提起することを一般に起訴と呼びます。
 この公訴を行う権利は検察官に独占的に与えられています。これを 起訴独占主義 といいます。また検察官は国家の機関といえますので、国家が独占的に公訴を行うことができるともいえます。これを 国家訴追主義 といいます。
 簡単に言ってしまえば、刑事裁判は検察官しか行うことができず、被害者とかの一般人が行うことはできない、ってことです。裁判官ですら公訴の提起を行うことはできません。
 実は刑訴法が告訴・告発という制度を用意しているのは、被害者や第三者が訴追できないから検察官にお願いする、という意図もあるのだと思います。

起訴便宜主義と起訴猶予

 その検察官ですが、先ほども書きましたが、捜査の結果、罪となる事実がなければ当然起訴はしません。裁判によって拘束することも権利侵害になりうる以上、それはしないのは当然でしょう。

 では、罪となる事実は全部起訴するのかというと、そういうわけでもありません。
刑訴法248条
犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

 この刑訴法248条を読むと、たとえ罪となる事実が認定できるとしても、犯人の性格や年齢、境遇や情状により、起訴しないでもいいように読むことができます。
 事実その通りで、例え罪となる事実があったとしても、検察官は起訴をしないということもできるんです。これを「 起訴便宜主義 」といいます。

 例えば、隣の庭にある柿の木から柿を1個盗んだとしましょう。確かにこれは窃盗罪に該当しますし、社会的に見てもあまりいいことではありません。
 しかし、柿を1個盗んだからって、刑事裁判をやっていたらどうでしょう。裁判所の機能がパンクすることは目に見えています。さらに言ってしまえば、この程度で実刑判決が出て刑務所に入れるとなると、これもパンクしちゃうわけです。そして、こういう事件で裁判をやったり刑務所に入れることによって、刑罰によって罰しなければいけないような重罪の被告人の裁判が遅れたりする可能性もあります。そういう別の裁判がいい加減になる可能性だってあります。
 正直、柿1個で刑事訴訟が出てくるのは得策じゃないんですよね。それこそ柿1つないしその分のお金を返すとか、今後盗まないように約束するとかの方が良くて、ここに刑事法が出てくるのはどうなの?ってことなんです。

 このような事案の場合、検察は起訴しないという手段をとることもできます。まあ「これからはやっちゃダメだよ」的なお叱りを受けて帰すのだと思います。

 こんな感じで本来は悪いことしてるんだけど、罰するまで行かない人を刑事訴訟の手続をとらないようにしてるわけです。
 ちなみに起訴猶予というのは、こういうケースを言います。

起訴便宜主義の問題点

 ただ、この制度ですけど、なんとなく釈然としないものがあるかもしれませんね。やはり悪いことをやった人が罰せられない、というのは感情として疑問に思う人も多いでしょう。
 特にこの起訴便宜主義ですが、その判断はあくまでも検察の裁量になってくるので、濫用とかそういう可能性があるんですね。

 例えば、件の柿の木ですが、例えば大物政治家のもので、その大物政治家がこの柿が大好きだったとしましょう。それを奪ってしまったとします。
 このときに、検察がわざわざ気を使って、その政治家の歓心を買うために起訴してしまったらどうでしょう?
 おかしいと思われる人が多いと思います。

 逆に、本来罪となるようなケースなのに、あえて起訴をしないということだってありえます。
 例えばこの柿の木の実は超高級品で1個1万円で取引されているとします。昔さくらんぼの「佐藤錦」という高級品種が木から盗まれて大騒動になった時期がありましたが、あれと同じように高級品の柿の実なら、起訴されるケースは普通にありえるでしょう。
 でも、その実を盗んだのが政治家の息子だったゆえに、起訴しないとしたらどうでしょう?
 これもおかしいんじゃないかと思う人が多いと思います。

 実は起訴便宜主義というのは、検察官の気分とか考え方によって起訴不起訴が決まってしまう可能性がある、結構危険性の強い制度でもあったりします。
 それこそこいつら嫌いだから、罪の程度が軽いけど起訴してまえとか、そういうケースだってありえます。
 しかしそれは本来の起訴便宜主義の趣旨からは外れてくるわけです。

 そこで、こういう場合、どのようにするか、というのが長年議論されできました。

 まず後者の起訴すべきケースなのに起訴しない場合ですが、この場合は被害者や告訴者・告発者は 検察審査会 という組織に訴え出ることによって、検察の不起訴が相当か不相当かを判断してもらうことができます。
(詳しくは検察審査会の項で)

公訴権濫用論

 では、本来のケースならば起訴しない場合なのに起訴してしまった場合はどうでしょう。

 この点、刑訴法学者や弁護士などの中では「 公訴権濫用論 」という理屈を立てていくケースが多いです。簡単に言ってしまえば、検察官によって濫用的な公訴がなされたから違法であるという主張を、裁判の中で主張していくわけです。違法・無効な公訴提起はそれこそ却下されるものですので、まあこういう主張をしていくことによって裁判を有利に展開する意図もあるようです。武器は多いに越したことはないですから。

 しかしこの主張の弱点は、そもそも公訴を受けるようなことをやっていること、そして公訴提起はあくまでも検察の裁量だということでしょう。
 要するに本来公訴されるのが当然であって、その例外として起訴便宜を認めると考えるならば、やはり公訴権濫用を主張するのは難しいのかな、って思います。

 判例も検察官の裁量権の逸脱については、公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、それは例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる、と限定的に考えてられています。(最判昭55・12・17)

 元来、この理論は、例えば労働争議の中で発生した暴力行為が摘発されたときとか、学生運動なんかの際の行動が摘発されたときに使われることが多いのですが……やっぱり無理だよなあ、って感じのように私も思います。
(例えば「立川自衛隊官舎侵入事件」とかもこの理論もつかっています)

 ただ、本来ならば民事とかで解決してしまえばいいじゃない?って言いたくなるような事件をあえて刑事に回すのも違うと思うんですけどね。
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