とある世界の残酷歌劇 > 第二幕 > 10


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

家具のない、大きなベッドだけがぽつりと置かれた部屋。
強い風の吹く屋外とはうってかわって室内は空調によって暖かさに包まれていた。

だが辺りにはゴミが散乱していた。その大半はコンビニなどで売られている出来合いの加工食品のパッケージだ。
それは一体何日分のものだろうか。そこから発生したすえた臭いが部屋に満ちている。

ベッドの脇、カーテンの隙間からは街の光が差し込み、けれど確かに夜闇に包まれた部屋の中、少年はうずくまったまま動こうとはしなかった。

「――――大丈夫だ。大丈夫だ」

言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返し呟く。
ベッドに背を預け、少年は床に直接腰を降ろしていた。
ともすれば折れそうな細い体を抱き締め、少年は囁き続ける。
濁った、静脈血のような錆色の目に力はなく、血だまりのように揺れていた。

「大丈夫だ――オマエは俺が守るから――」

抱き締めた矮躯に力を込める。そっと、壊してしまわぬように。けれど。

「………………」

「あァ――心配すンな。オマエは俺が、守る」

答える声はない。
彼の腕の中、少女が虚ろな瞳を虚空に投げかけていた。
十歳ほどの、年端も行かない少女だ。
首は僅かに傾げられ、少年の胸に当てられている。その上から少年の腕に支えられるように優しく抱き締められていた。
繰り返し、語りかけるように同じ言葉を呟き続ける少年の胸の中、少女はぴくりとも動きもせずその身を任せていた。

瞳に意思の色はない。ともすれば簡単に折れてしまいそうなほど細い手足をまるで壊れた人形のように重力に任せたまま放り出している。
部屋は暖かいといっても彼女の着ているものは見るからに寒々しいものだった。
淡い空色のキャミソール一枚。下着として作られた薄手のものだ。柔らかい生地の所為か、見るからに皺が目立っている。

薄く開いた少女の口。その端から、つ――――と何かが垂れた。
少年はそれに気付かない。ぶつぶつとうわ言のように同じ言葉を繰り返し続ける。
それはゆっくりと顎を伝い先端に溜りを作る。少しずつ肥大していく滴はやがて張力に耐え切れなくなって――。

ぽたり、水滴となって少年の腕の上に落ちた。



「、――――――」

動いていた口が止まり、少年は濁った視線をゆっくりと自分の腕へと向ける。
そこには透明な滴が歪な円を描いていた。

「………………」

「あーあァ……ったく、仕方ねェなァ」

口調は乱暴だがその声はどこか優しげだった。
少年はベッドの上からシーツを手繰り寄せ、それを握り少女の口元へと押し付ける。
そのまま何度か撫で擦るように動かし、手を離すと少女の顔をしげしげと眺め、やがて満足そうに頷いた。

「よし、綺麗になった」

「………………」

虚ろな瞳の少女は何も語らず、少年の声すら届いているのか分からなかった。

その時だ。ぴ、と小さな電子音が鳴った。
それはこの部屋の扉、マンションのオートロックの鍵を外すカードキーを感知した音だ。

――――がちゃ、

扉が開く。少年のいる部屋と短い廊下で繋がれた、室外とを繋ぐ大きな扉だ。
無造作に開かれたその先から冷たい外気が流れ込んでくる。
風と共に入ってきたのは――。

「…………オマエか」

「こんばんは。……とりあえずその手に持った物騒なものを降ろしてくれませんか、とミサカは懇切丁寧にお願いします」

中学の制服、ブレザーを着た少女だった。
少年の腕の中にいる少女と気持ち悪いほど似た、彼女をそのまま成長させたかのような顔立ちの少女。
額には軍用のものだろうか、端正な顔の少女には似合わぬ厳しいゴーグルが付けられている。
少女は玄関で靴を脱ぐと、遠慮する素振りもなく慣れた足取りで部屋へと上がってきた。

「……何しに来やがった」

少年は不機嫌さを隠しもせず右手を下ろす。
その内にはいつのまにか黒光りする合金の塊――拳銃が握られていた。

ごとり、と放り出された拳銃が立てる物々しい音と少女が足を止めるのは同時だった。
少女の胸元で小さな音を立て鎖が揺れる。

「一つ、報告すべきかと思いまして、とミサカはメッセンジャーとしての使命を遂行します」



「――――――」

少年の顔が一段と険しくなる。
そんな顔色の変化は暗闇に紛れて見えていないのか、少女は気にする様子もなかった。

「本日四名のミサカが死亡しました、とミサカは簡潔に事実を伝えます」

「なン……っ!?」

その言葉に少年は思わず絶句するが、少女は意にも介さず淡々と言葉を続ける。

「死亡したのはミサカ一〇〇三九号、一三五七七号、一八四一三号、一九〇九〇号の四名です。
 ちなみにこれからもその数は増えるかと、とミサカは予想します」

「どういう事だ……っ!」

激昂する少年。しかし少女は相変わらずの妙に冷めた視線のまま、僅かにその先を下げる。
そこには少年の胸に体を預ける自分と似た顔の、自分よりも幼い少女がいる。

「……本日十七時ごろ、ミサカ一八四一三号が超能力者第二位、垣根帝督と接触。交戦の末に自害しました。
 さらに同時刻、一三五七七号が暗部組織『スクール』構成員、砂皿緻密によって射殺されています、とミサカは簡潔に事実を述べます。
 一〇〇三九号、一九〇九〇号は先ほど超能力者第四位、麦野沈利と接触後、通信が途絶。死体の確認は取れませんが恐らく死亡しているものと思われます、とミサカは客観的に推察します」

「そンな事を言ってるンじゃねェ……!」

低く叫び、少年はつらつらと連ねられる事務的な報告を遮った。

「どうしてそンな事になってる!
 オマエらが死ぬ理由なンて、アイツらと戦う理由なンてねェだろォがっ!!」

「いいえ、あります。でなければわざわざ集団自殺のような真似などするはずもありましょうか、とミサカは即座に否定します」

「っ……だったらどうして……!」



少年の顔は暗くてよく見えない。だが少女にはそれがどんなものか想像できた。

きっと今まで誰にも見せた事もないような、今にも泣きそうな顔をしているだろう。
最強と言われた少年が、誰もがその足元にも及ばなかった少年が。
悲痛に顔を染め哀願するような瞳でこちらを見詰めているだろう。

嘘だと。悪い冗談だと言ってくれと。
きっと悪夢にうなされ母親に縋りつく幼子のような目をしている。

「…………、……」

できる事なら嘘だと言ってやりたい。冗談だと笑ってやりたい。
だが、今告げた事は確然たる事実なのだ。どれだけ悪夢的なものであれ、既に起こってしまった過去なのだ。
それを否定するなど誰にもできるはずもない。

だからせめて、真実を伝えよう。



そして彼女は真実を告げた。










「          」










……少年の顔はよく見えない。

短くない静寂が流れた。
しん――と耳鳴りが聞こえるほどの静けさの後、少年はゆっくりと口を開く。

「なンだよ……なンだよそれはよォ……」

耳に響く声は震えていた。
かつて一度でもこんな弱々しい声を聞いた事があっただろうか。

少女が――少女自身が始めて少年と相対したあの日。圧倒的な力の片鱗を見せたあの少年の姿はそこにはなく。
目の前にいるのはまるで、初夜のベッドで震える処女のようだった。

「クソっ、クソッタレェ……ちくしょう、何がどう狂ってこンな……」

「……きっと、何もかもが」

少女は踵を返し少年に背を向ける
きっと暗くて見えないからといって、視線を投げ掛けられたくないはずだ。

「何もかもが、悉く狂ってしまったのです。
 歯車一つの喪失で動きを止めてしまう時計のように、とミサカは呟きます」

その返答に少年はどんな顔をしているのか。

「…………それでは、ミサカもそろそろ参ります。
 まだやらねばならぬ事が残っているので、とミサカは用事を済ませるや否や退出します」

「………………」

応えは、ない。

少女は、ふ、と小さく息を吐き、そろそろと歩き出す。
つい先ほど歩いた短い廊下を今度は逆に進み、玄関口で靴を履く。
靴の傷むのも気にせず爪先をとんとんと打ち付け踵を押し込むと、少女はドアノブに手を伸ばし――。

「……決断するならお早めに。時間はもう余り残されてはいません、とミサカは最後に余計な一言を残して颯爽と去ります」

返事を待たず少女は扉を小さく開き、その隙間をするりと抜けるように外に出ていった。

「………………」

後には再び静寂。
いや、吐息が微かに響いている。

しかし腕の中、少女は相変わらずの瞳を虚空に投げているだけだった。







――――――――――――――――――――







少女は声の一つすら出せずにいた。

今、自分の前にいるのは確かに探していた人物に他ならない。
だがそれは言うまでもなく、こうして数メートルもない距離で、密閉された狭い空間で相対する事を思っての事ではない。

エレベーターの数メートル四方の狭い空間内で、ドレスの少女は彼女と二人きりに閉じ込められた。

少女の背はエレベーターの冷たい壁面にべったりと押し付けられている。
思わず後退りをした結果だった。体重は完全に後ろへ向けられ、足も体を後ろへ押し出そうと床を前へと踏みつけている。

狭い箱の中を照らす灯火が瞬きをするように明滅し、がくん、と大きく揺れが走った。
ほぼ同時にモーターの音が消えエレベーターは完全に停止する。

「あれー? どうしたんだろ、止まっちゃった」

彼女はどこか陽気な声で白々しい言葉を吐く。考えるまでもない。彼女の仕業に他ならない。
電子機器を完全に統制する彼女の異能によって強引に本来停止するべきでない場所で停止させられたのだ。

目の前、白い無機質な光に照らされた人物。

短い髪に花を模した髪飾り。
どこか気品をばら撒いているようなブレザーとチェックのスカート。
その上から羽織った、彼女の丈に合わない生地が痛んでいる事が一目瞭然の黒い上着が妙に異質だった。

学園都市の七人の超能力者、その序列第三位。
電磁を操る『電撃使い』の頂点に君臨する、名門常盤台中学に籍を置く少女。



『超電磁砲』、御坂美琴。



それが今まさに目の前にいた。





しかし彼女の様子はどうにもおかしい。
余りにも場の空気とギャップがありすぎるのだ。
まさかまたフレンダ――『心理掌握』の仕業か、とも勘ぐるが。

「ねえ、どうしたの。顔色悪いわよ」

振り返る顔は、確かに御坂美琴のものだ。
『心理掌握』の力がどれほどのものかは知らないが、覚醒した状態の相手に対してこれほどまでに強い精神操作ができるだろうか。

そもそも自分は御坂美琴という少女と直接接した事がない。
顔写真は見たが本人を見ていないのだ。声も知らなければ雰囲気も知らない。
そういう『まったく知らない相手』を直接相手の脳に投影する事ができるだろうか――?

先ほどの青い髪の少年の幻影はフレンダという基礎部分があっての事だ。
彼女の声や動きの認識を改竄されていたに過ぎず、大雑把に言ってしまえば錯覚していただけに過ぎない。

『心理定規』の能力は同系列能力からの干渉を知らせてはいない。
錯覚程度ではなく、人一人分の虚像の投射ともなれば余程の干渉が必要だ。
いくら何でもそれほどの力ならば察知できないのはおかしい。

それに――――彼女の着ているその黒い上着。
彼女を構成する要素の中で唯一浮いたパーツ。
錯覚させるにしてもわざわざそんな違和感でしかない余分な要素を入れる必要などない。





常盤台というブランドを纏う少女と対極に位置する、そこら中にありふれた学ランなど異質以外の何物でもない。





断言する。目の前にいるのは正真正銘の――『御坂美琴』本人だ。

ざあああ、と血の気の引く音が聞こえた気がした。
眩暈すら覚える。目の前にいるのは中学生の少女でしかないのに、飢えた猛獣の檻に入れられるよりも大きな恐怖が彼女の身を苛んでいた。



「ちょっと、聞いてるの?」

そんなドレスの少女の様子を気にする様子もなく彼女――御坂は対極的に妙に明るい笑顔でそう問うた。

学ランのポケットに左の手を突っ込んださり気ない様子。
それはまるで長閑な午後に談笑しているような雰囲気さえする。

だがそれは異常そのものでしかない。
ここは停止したエレベーターの箱の内で、相対しているのは暗部組織の構成員だ。
この状況と、この相手で。悲劇が起こらないはずがないのだ。

狭い立方内の空気は淀んだ沼の水のように冷たく濁っていた。
そんなものが充満している中で、御坂は飄々とした雰囲気を崩さず少女に笑みを向ける。

「アンタ、名前なんていうの?」

答える代わりにドレスの少女は反射的に自身の能力を行使する。
恐怖と混乱によって一種のパニック状態に陥った少女は自分の能力が相手に通用しないと分かっていても発作的に使用してしまった。

御坂の顔に向けて押し出すようにばっと右手を伸ばし、同時に編み上げた演算式によって彼女の精神に干渉する。
精神の中での他者との関係図。そこを直接覗き込む。白井の時のような躊躇いを感じる余裕もなかった。
タグに付けられた名前は感情の向けられる先を示す。その感情の性質は分からないものの名前からある程度は推測できる。
その中でも中心に最も近いタグを三つ抽出する。都合のいい事にどれも見覚えのある名だった。






『一方通行』 距離単位:三二

『白井黒子』 距離単位:二五

『上条当麻』 距離単位:一〇






「っ――――!」

迷わず『上条当麻』を選択。それを基準に己に対する距離を改竄、上書きする。

側近ともいえる白井よりも、仇敵ともいえる『一方通行』よりも上位に位置する名。
データでは『TOP SECRET』の字でしか表記されていなかったとはいえ、字面である程度は見当は付く。

超能力者である『一方通行』でもプロフィールが伏せられていなかったという事実。
間違いなく『彼』は学生だ。そう、この街は学園都市。学生の、異能を持つ者のための造られた箱庭だ。
その中で最重要である人物が学生でないはずがなかった。

男性名。そして学生。

間違いなく相手は御坂が思慕の念を抱いている相手だ。

どこか馬鹿らしくすらある。御坂美琴も結局のところ単なる恋する乙女だったのだ。

――――『COMPLETED』

距離設定は呆気なく終了した。

(…………あれ?)

何かぬるりとした違和感。そう、あまりにも呆気なさすぎた。
何一つ障害も抵抗もなく、能力の行使と実行に成功してしまった。

……考察は後回しでいい。今は現状を脱出する事が先決だ。
幸いな事に相手への能力干渉は成功したのだ。御坂は自分を傷付けられないはずだ。当面の安全は確保され

「――――聞いてるのよ、ねえ。返事くらいしなさいよ」

ばちん、と空気が爆ぜ紫電が舞った。



「ぎあっ――!?」

痺れではない。明確な痛みが体を貫き少女は思わず悲鳴を上げた。

短い空間を瞬間で走り抜けた電流は鎌首をもたげる蛇のような光の軌跡を描き差し出された少女の右手に喰らい付いた。
雷蛇は右の人差し指から体内に入り込むと血液の流れに乗り腕を内側から蹂躙する。
びくんと意識とも無意識とも無関係にひとりでに右腕が跳ねる。
神経を伝達する生体電気の信号を誤認した筋肉が反射を起こしひとりでに収縮したのだ。

「あ、ごめんね。痛かった?」

そんなドレスの少女の様子を見て御坂は、言葉の持つ意味とは裏腹に悪びれる様子もなく笑顔のままそう言った。
まるで気心の知れた友人を相手にちょっとした悪戯を誤魔化すようだった。

「どうして――私の『心理定規』が――今のアンタと私の距離単位は、一〇だっていうのに――」

明らかに想定とは違う反応。
そして、そもそもの疑問。



彼女はどうして自分=上条当麻に対して能力を攻撃の意味で行使できる――!?



(まさか――コイツは――御坂は――)

最悪な予想が脳裏を掠める。

(元から上条当麻に対する能力の使用に一切の躊躇いを持たない――!?)

唐突に。パズルのピースがかちりと嵌った気がした。
御坂はおろか、垣根や、そしてあの『一方通行』よりも上位の機密レベル。
七人の超能力者以上のトップシークレット。その理由。

上条当麻は能力を消去、無効化、ないし妨害する能力者だ。

能力者にとって天敵。
相手のアイデンティティを根本から否定する、破壊でも制圧でも蹂躙でも服従でも侵略でも統制ない力。
相手の『自分だけの現実』を全否定する最悪の異能。



(拙い――――!)

このままでは何の抵抗もできず殺され――、

(――て、堪るもんですか――!)

自分にはまだ成すべき事も、意思も、そして往くべき場所がある。
立ち止まってなどいられない。一時一時ですら無駄になどできない――!

(距離を再設定……無茶を承知で更に距離を縮める……!)

現在の自分と御坂の間の心的距離は距離単位一〇。行動原理に直結するほどの近すぎる位置だ。
一挙手一投足にすら反応させるほどの圧倒的な存在感を発揮する『近過ぎる』距離。

それは危険極まりないものだ。些細な仕草や言葉遣いでさえ彼女の感情を左右し、時には逆鱗に触れかねない。
近過ぎる距離は感情の大きさを反比例させる。近ければ近いほど人は盲目になる。
乙女心と秋の空、とはよくいったものだ。それが正の感情であればいいが、人は気紛れな生き物だ。簡単に負の感情を抱く。

だがそれを理解した上で、更に短い距離を設定する。



――――設定――――距離単位:六

――――『COMPLETED』



距離を一気に半分近く詰める。
距離単位六。それは嫌でも意識してしまうとか、そんな生易しい域を越えている。
思考が対象に塗り潰されて他の事が考えられなくなるほどの距離だ。相手への感情に思考は制圧され他の事が考えられなくなる。

例えば好意を持っていたとして。
相手の事が好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで堪らない。そういう距離だ。

思考に肉体は捕らわれ思考のままに行動する他になくなる。思考すら許されない。
直感的な反応によって行動は全て決定されてしまうほどに『頭が働かなくなる』。
まともな思考ができないのであればまだ活路はあるのだ。
何、能力などなくとも心理操作などは自分のような精神感応系能力者の独壇場だ。口八丁でどうにでもできる。

だが現実は彼女の思惑通りには動かない。

こつ――――と、靴音。

御坂が一歩、こちらに向けて歩みを進めた。



「っ――――――!」

どうして、と。驚愕と混乱が少女の思考を埋め尽くす。
少女には訳が分からなかった。能力が効いていない訳ではない。
確かに設定は完了している。自分の相手の精神距離を操る能力はきちんと効果を発揮していて。

なのに何故、どうして彼女は――――。



――――――先程までとまったく変わらぬ様子で笑っていられる――――。



「何? 私の顔、何か付いてる?」

そう彼女は相変わらずの左の手をポケットに突っ込んだままの格好で、無邪気な笑顔をこちらに向けてくる。
余りにも場違い。余りにも異質。どう考えても異常そのものでしかない笑顔。
まるでそれは感情と完全に乖離してしまった笑顔の仮面だ。

ひ、と喉が引き攣る音を出す。
今や正常な思考が出来ていないのは少女の方だった。恐怖と混乱、狭い密室内に異常なモノと二人きりで閉じ込められてしまっているという事実。
状況が、世界の全てが少女を錯乱に陥れていた。

そんな少女の恐怖に歪む顔をまったく顔色を変えずに御坂は見詰める。

「ふうん? どうして能力が効かないか不思議?」

――そんなはずはない――!

確かに自分の異能は効果を発揮している。失敗しているのならそうと分かる。
そして確かに御坂は自分の術中にいるのに――。

「なんでだと思う? 問題にもならない簡単な事よ」

少女に声は届かない。錯乱しきった少女は目の前の現実を否定するように更に能力を上書きする。

――――設定――――距離単位:四

――――『COMPLETED』



確かに設定は完了した。
……なのに御坂の様子は変わらない。

こつ、とまた足音。

一歩、一歩と彼女が近付いてくる。

「脳の中の神経細胞間の伝達信号を操って自分の意思を操作してる? ハズレ」

――――距離単位:三

……一歩。

「それとも最初からアンタの能力にダミーを噛ませて回避してる? ハズレ」

――――距離単位:二

……一歩。

「なんかミサカネットワーク? っていう便利な代物があってね。
 それと接続して遠隔操作? とかしてたりして。
 もしかして一万近い相手に全部距離設定しなくちゃいけない? ――――ハズレ」





――――――設定



――――――距離単位:一



――――――『COMPLETED』





………………一歩。





もう吐息が感じられるほどの距離。ともすれば相手の心音すら聞き取れられそうだ。
だがドレスの少女には、己の早鐘のような鼓動に掻き消されそれらは聞き取れなかった。

視界のほとんどは御坂の顔と体に埋め尽くされている。
恐怖に目を閉じる事すらできず、ただただ凝視するしかない。
目からは涙が零れるがそれはどうしてだか視界を覆い隠してはくれなかった。

そんな少女に御坂はまったく変わらぬ様子で、まるで仲のいいクラスメイトにでも語りかけるような口調で柔らかく微笑み。

「簡単な答えよ。そうね、アンタ風に言うなら――――私とアイツの距離単位は、ゼロ」

言い、御坂は右手を高速で突き出し、がっ! とドレスの少女の頭を鷲掴みにした。
同時に体に電流が走る。びくん、と全身が痙攣する。……だが不思議と痛みは感じなかった。

「ア――あ――」

少女はそれから背を壁に当てながらもずるずるとへたり込んでしまう。
意識はある。だが痛覚どころか、体の触覚がない。
全身が麻痺してしまったかのように肉体がいう事を聞かず実感が失われてしまった。

「――ねえ。話は変わるんだけどさ」

声の調子とは裏腹に手には目一杯に力が込められている。
後頭部がエレベーターの壁面に押し付けられ、ごりごりと嫌な音が頭の中で木霊した。

一呼吸置いて御坂は続ける。

「脳ってさ、極論言っちゃうと、神経細胞が生体電気に反応してるだけよね。
 ゴルジ体とかニューロンとかシナプスとか、そういうのは専門外だからあんまり分からないんだけどさ」

「――――――」

何を――――。

彼女は何を言っているんだ――――?

彼女の言っている意味は分かる。むしろ専門分野だ。
だが彼女は、どういう意図を持ってその話を出した――?



「えっとね、何が言いたいかって言うとね、うん。えへへ」

照れ笑い。が、御坂の表情はすぐに曇る。

顔を顰め視線を上へ。
まるで頭の周りから離れない羽虫を目で追うように虚空を泳がせ。

「ああもう、やっぱり鬱陶しいわねこれ。
 効かないって分かってるけど、アンタがその……距離単位? にいるのは癪だし」

不機嫌そうにそう言い放つと、御坂は首の関節を鳴らすように左右に軽く振り。

ポケットから抜いた左腕を掲げ五指を広げると、自分の頬に叩き付けた。

「――――――!」

甲高い破裂音。ばぢん、と何かが爆ぜ割れる音。
そんな破壊的な音なのに、彼女はどこか満ち足りた表情で目を細める。

「ん、これでよし」

柔らかな笑顔。しかし可愛らしい顔にはまるで似合わない手が覆い被さっている。
指は大きく開かれ、親指はまるで目を抉ろうとしているかのようだ。
人の肉で出来た半面を被っているかのような奇妙な顔。

親指と人差し指の間から覗く左目はもう片方と同じく笑っている。
それはどこか醜悪に思えて――――、

(………………え?)



また奇妙な違和感。
何かがまた――ちぐはぐだった。

だが何がそうなのか、瞬時には分からない。
そう、余りに自然だった。まったくの自然体でそれが現れたからで――。

「――――――!!」

息が、止まる。
思考が停止しかける。
心臓も止まるかと思った。

何が、何がおかしいのか分かった。分かってしまった。

確かにそれは分かり辛い。
けれど確かに、絶対的におかしいのだ。

「あ――――」

口が意思とは関係なく動いてしまった。
思考はただその事だけに集中していた。

信じられないし、信じたくなかった。
それはどうしようもなく歪で、醜悪で、認める事などできるはずもなかった。

「アンタ――それ――」

「うん?」

御坂は相変わらずの笑顔で聞き返してくる。
自然すぎる、そして歪んだ奇妙な笑顔を向け、僅かに首を傾げ――。

口が勝手に動いた。










「なんで――――その――――親指が前にあるの――――?」










「あ。これ?」

御坂は相変わらずの調子のまま、どこか誇らしげですらある顔で微笑み返し。

「――だから言ったじゃん。ゼロ、って」

その声と、顔に、今まで感じた事のない怖気が少女を襲った。
ぞぞぞぞぞぞっ!! と背筋を物凄い勢いで吐き気を催すな気配が這い上がり脳を焼き尽くす。

御坂の顔、向かって右側に押し当てられている、左腕。



その、手。









           、 、 、 、 、
それは――――右手だった。


. 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、、 、
彼女の左腕には、右手が付いていた。










耐え難い現実に脳が拒否反応を示し凄まじい嘔吐感が溢れる。
だが体は――どうしてだかぴくりとも動かない。

「――あ、えっとね。んっと……私の、彼氏」

もはや少女には目の前にいるモノが怪物にしか見えなかった。
駄目だ。現実に、この悪夢のような光景に人の精神が耐えられない。
だが少女は気絶する事も発狂する事もできぬまま、ただ目の前の彼女を凝視するしかできなかった。
ふーっ、ふーっ、と荒い息だけが少女の動きだ。
瞬きをする事すらできず、ただじっ――――と見続けるしかできなかった。



そんな少女とは対照的に、御坂はやっぱり笑顔のまま。

「あ、話戻すけどさ。脳の話。電気信号よね、あれ」

一息置いて。

「じゃあさ――――私にも『それ』――――できるかなぁ――――?」

彼女の言葉の指す『それ』と。
『それ』の先にある結果は。

「や――――――」



――――垣根――――!!





「おやすみ、アリス」





優しく呟かれた言葉の直後。



少女の意識は真っ直ぐに暗い穴に
                     落ちて
                        落ちて
                            落
                             ち
                            て
                           落
                          ち
                        落て
                     落てち
                ち落てち
             落て
         落てち
       てち
      落
       ちて
         落ちて
            落ちて落
                 ち
                 て
               ち落
              て
               ……










「そうだ。一つお話を聞かせてあげる。つまらない、どこにでもあるような不幸の話」















  • 第二幕
    (或いは登場人物Aの解、とある少女の舞台証明)

    『せかい』

    Closed.










前へ  次へ
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。